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絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

西洋文化の凄さ

2014年04月15日 | アート・文化

さてさて

ブログを書くのも本当に久しぶりだ。

というのも、天候異変、豪雪と物流の沈滞。それにかこつけた大手物流企業の値上げ。消費税8%前の・・東京一極消費税前景気。 反面、輸入物価値上げからくる中小企業の悲鳴と地方商業の衰退。

加えて、あわただしい確定申告に8%値上げによる事務的雑務。

政治面では、恐ろしいほどの野党不毛からくる国会の堕落。国会議員定数削減の声は既にゴミ箱へ。

議員定数と諫早湾訴訟で司法判断に従わない立法は三権分立をなし崩しにするがまま。

「朝鮮半島合併又は有事の際には中立を保つ。」の一言を公言し、拉致問題と北朝鮮戦後問題に取り組めばいい筈だが中国、韓国に言われ無きを言われ放しで気分悪し。

アメリカ・カリフォルニア州グランデール市には≪原爆の悲惨像 と ベトナム枯葉剤殺戮記念碑≫を建てればよい。お互いの意見尊重の為に・・

そして、下劣なお笑い番組とB級グルメ番組だけのテレビにも気分を害してたよ。

嫌気がさしてしまった。情けなくもなった。

中でも、福島再建に取り組まない安部政権は・・経済市場主義第一のみに陥ってしまったのだろうか。TPPは決裂して構わない。二国間経済協定で充分だ。

株式市場を見れば、乱高下。皆損しているだろう。コンピューターによる瞬間取引だけをする人間だけが良い思いをして、生産活動に従事する人間は・・??

これが(株式取引)が最優先される経済市場主義ってやつだな。

おもしろくない国に、世界になったものだ。

そんな事から・・ほんのチョット旅行に出た。それも何故かバチカンへ行ってみたくなった。

おもしろくない日常から離れるに・・何故バチカンを選んだか分からないが、ともかく行ってみた。

豪雪の一週間後、強風吹きすさぶ悪天候が日本を襲う直前に出発したが、イタリアは初夏のように暑い位だったが空気が乾燥していて着いた瞬間から雰囲気を味わっていました。

バチカンへは連日行った。何故? 目的地だったから。それに長時間並ばないで入館する手段を手に入れたし又、西洋文化を浴びたいと思ったから? まあ、こじつけ理由からですね。

バチカンは初めてではないのですが、西洋文化の塊を見るにはローマという街並を含めて絶好の地。今回改めて脈打つ西洋文化の素晴らしさを感じました。

地震がないから古い建物が存在している。これは事実ですが、そこに住む今日の人達の、文化に対する気持ちを強く感じた次第。

バチカンをシスティーナ礼拝場を含めてじっくり楽しみましたが、何より驚いたのは「ジャコモ・マンズー」の為の部屋が作られていたこと。

それも、紀元前より2~400年の間に彫られた作者不明の石彫刻で人類の宝・動物彫刻の展示場所から少し離れた場所で博物館で一番高い階にある部屋に・・・

マンズーは20世紀を代表する、謂わば今日の作家、彫刻家です。

その人の作品の為、古き歴史あるカソリックの本山、バチカンが一部屋割いている。然も部屋までの階段から床・壁・天井全てを大理石で統一している。

日本の寺院でも現代の作家作品を飾ったりするが、ここまで尊重するのは見られない。ルネサンス期以前を大切にするバチカンがマンズー作品を・・部屋まで造るとは恐れ入った次第。

ミケランジェロも凄いが、マンズー、マチス、モランディの三人にも参った。これほどの文化作品はルーブルにもないでしょう。 それなのに・・・観光客は流されるようにして、これらの作品前を素通り?? 

まあいいか~~・独り占めの時間を持てました。

ちなみに

以前のシスティーナ礼拝場では写真撮影が許された。

日本企業支援による、日本人修復師達努力による壁画洗浄は大変に喜ばれています。が、今日はどうでしょう。大勢の警備員による撮影禁止とお喋り禁止。それも相当きつく・・

何の事はない≪馬鹿中国人、韓国人共の礼儀知らず≫から禁止されたとの事です。街のレストランでは、日本人と確認すると丁寧に応対してくれる。彼らは見張られているようですな。

大声奇声を上げるのは特に中国人。本国太子党連中からの賄賂振込金が頼りです。

と、言うことでブログ再開します。

 

 

                2014.4.15.

                       Yoh-M.

 

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ターナーと橋本雅邦

2013年11月23日 | アート・文化

さてさて、今年は色々ありました。

私にとって「人生いろいろ。」とは、今年を指すぐらいに精神的にもやられた年でした。中でも大親友の死もあって、立ち直る期間も長かったように感じてます。 

そんな日々の中、白隠展からターナー展まで、展覧会へは良く通ったものです。スケジュール表を振り返ると赤、青、黒文字で埋まってます。仕事以外でこんなに雑用に追われた年は・・生まれて初めての経験でした。

 整理したいと思っていた「私が思う、西洋文化と日本文化の違い」まで、中々頭が回らない状態でしたが、纏める為のとっかかりとしてホンノ少し書いてみます。

まず、

東西文化を語るには、宗教史、民族史等から広範囲に見なければなりません。夫々の人の立つ位置によって比較する視点も大いに異なると思いますが、

ここでは美術の面から、「ターナーと橋本雅邦を通して」と題し私なりの整理をしたく思います。文化論は広範囲に及びますが、大要としての帰結は一つの真理に行き着くと思いますので、入口としてお読み下さい。

深く論を進めるは文章力の面で難航しそうなので、論としては、時間を掛け机の上で自己満足に向かいたい。と思ってます。

ま、ブログという性格上、さわりだけに抑える事にして進めます。

前回、「ターナー絵画への感想」と書きました。都立美術館でご覧になった皆さんはどのように感じたでしょうか。

昨年の「ボストン美術館所蔵、日本の至宝展」は大変重要な展覧会でした。この展覧会に出品された、橋本雅邦の作品は1点でしたが、現在は埼玉で国内の作品を集め、雅邦展が開催されています。

昨年から今年、来年に掛けて、「ターナー絵画と橋本雅邦絵画」が同時期に見られるのは楽しいです。

ターナー:1775~1851年。

橋本雅邦:1835~1908年。

同世代の二人を比較し、東西の文化を語るには、今はナイスタイミング。ターナーは西洋絵画史に於いては不可欠な画家。橋本雅邦は日本歴史が大転換した際の傑出者。

二人の作品は勿論の事、表面的には異なって見えるでしょう。が、基本となる、観察力、線描力、色彩の置き方・・東西の差は有りますが優劣つけ難い二人。と思ってます。

異なるのは、個を大切にする社会背景がターナーに有り、極貧の中で伝統を守り技術研鑽に励んだ雅邦。という面でしょうか。

ターナーのスケッチ。非常に重要で、大作にもまして素晴らしい作品ばかりです。

雅邦作品、常に狩野派最後の絵師。と言われています。

↑ この表現の中に東西文化を比較出来ると、私は考えます。

作風云々の捉え方ではなく、背景にある社会風土、人間関係、宗教観が全て含まれて来ます。

ターナーは間違いなく、個の為の絵画制作に没頭し、雅邦は明治という激変社会と戦っていました。

まさに西洋文化と日本文化の違いが、二人を通して表現されていると、私は理解に及ぶのです。

キリスト教を背景としたターナーの作品はしっかりした観察の下に、個の芸術を創り上げて行きます。雅邦は武家封建制度の中で、そして迎えた明治維新の時代に、日本画の命「線」を重視し、伝統文化の中に個を求めています。

謂わば、平成時代の今日でも、西洋人気質と日本人気質の差は延々として変わらず受け繋がれていると考えますが如何でしょう。

個を重視する風潮は最近でこそ特にスポーツで増えていますが、明らかに日本人の不得手とする処でしょう。反面、団体になると日本人の独壇場とも言えます。

この個人、団体とい言葉にも、文化の差が出ているようにも感じます。サインプレーなんて日本人得意ですよね~

近年、芸大学長を2回も務めた平山郁夫さん、

スケッチでの線描は誰にも負けない素晴らしい作品を残したのに、色を付けると・・何故か朦朧とした作品ばかり。ターナーと異なり、スケッチと作品に一体感を私は感じません。

東山魁夷さん、高山辰夫さん等々 日本画家と謂われる人達皆同じ。安田靭彦さん、堅山南風さんの世代で線の美しさは終わったのでしょうか。

なぜ、スケッチと本画が異なる作品になるのでしょう。

ここに、日本美術文化の衰退を見ます。朦朧体・横山大観を拝みすぎです。西欧絵画を激しく取り入れた。と考えても、? 疑問です。何故なら、ターナーは既に抽象画の分野まで心は発展してました。

第二次大戦後のブームに抽象絵画の氾濫時期がありましたが、この時代の評価は別として、ターナー作品を見れば哀れに感じます。

大観の師である橋本雅邦は繰り返し繰り返し線描の訓練に明け暮れました。その技術を引き継いだのは、日本画々家ではなく、レオナルド・フジタ(藤田嗣治)と思うのは私のみではないでしょう。

フジタの作品の命は線です。油彩画と日本画の違いだけで美術界は二人を結びつけていない。フジタこそが雅邦の技術を受け継いでいます。世の中メクラ(差別用語?)ばかりです。

これ以上書くと悪口ばかりになりそうです。

ここで ↑ で書いたように真面目な文章は残したく原稿用紙に向かいます。

ボストン美術館展、ターナー展、橋本雅邦展

タイミング良く揃ったものです。

キリスト教を背景とした独創性ある西洋科学技術に対抗する為の日本人方策は、美術以外にも橋本雅邦が苦心した伝統日本絵画文化に見つける事ができると思うのだが・・

ターナーと雅邦を是非比較して見てください。

さてさて、ここからの部分は同様な意見を持つ東海大学名誉教授大原氏に委ねたいと思います。将来に残すべき納得する文献、「日本と西欧の文化比較論」は・・知る限り、これまで存在しませんでしたから。

私は私で、原稿用紙にでもまとめてみるとします。

 

 

                 2013.11.23.

 

                           Yoh-M.

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ターナー絵画への感想

2013年10月29日 | アート・文化

前回、都美術館ターナー展へ出かけた事を書きましたが

今回は、ターナーの絵から感じ得た感覚を書いてみようと思います。

「ターナーはイギリスの美術史上最も偉大な画家とされています。」と、どの画集、美術教科書に紹介されていますが、実際どの程度我々は知っているでしょうか。私という小さな人間が感じたことを書くことでターナーの偉大さに想いを馳せてみます。

さて、美術書、画集等から受けるターナーをどのように見ますか?

説明書を読んで理解した気分になり、それで良し。と思う人は意外と多いのではないでしょうか。あるいは、「中世絵画だな~」と画集の小さな絵だけを見て終わっているのではないでしょうか。

又、美術史専門家が添え書く説明は、技術論を除き単に言い伝えられた評判等を言葉で使いまわしたり、年譜を追うことで絵と作者の背景を、追随しているものが多いです。

それでは、作者なり画法技術なり、更に描かれた時代を知る事へは結びつきません。

今回のターナー作品夫々にも説明書なるものが横にあって、皆さん、作品鑑賞より説明読みに一生懸命の方々が多かったです。

然しながら、無理もありません。

我々にとっては全く異なる文化、風景の中からターナー作品は生まれているのですから、深く追求する必要もなく、西洋絵画を鑑賞する者として、立ち位置に戸惑ったとしても、おかしくありません。

つまり、ターナー作品を語る場合、必須顔料の水彩とガヮッシュの材質さへ知る人少ないですから、尚更です。

但し、オペラグラスを片手に鑑賞する達人が何人か・・

ターナー作品こそ、離れて全体を見なければなりません。近くに寄って技術を堪能しなければなりません。・・オペラグラスで人混みを避ける鑑賞者がいるとは、達者な人がいるものです。

オペラグラスを持つ方の鑑賞態度に見るように、

ターナー作品の水彩スケッチ細部の素晴らしさが、大作に繋がる創作過程が、それこそが、ターナー作品の真髄なのです。

日頃から何らかの創作技術に関わっていないと理解しにくいのが、ターナー作品なのです。

説明書を順番待って一生懸命読んでも意味ありません。

ターナーが生涯描いた作品には一貫性が有ります。会場を見渡せば一目瞭然。いくら当時のパトロンを背景とした制作過程を思っても・・現代人の何人が太刀打ち出来る事でしょうか。

スケッチを大切にする事で小品が大作に負けない。

組み合わせる事で、時代と文化を伝えている。

200年も前に生きたターナーは抽象絵画さへ創作している。

・・・ここに人間の普遍性さへ感じさせ、私は身近に感じるのです。

日本人が見た事もない風景。ハリーポッター世界の風景がターナーによって描かれている。

これは、創作です。が、

その創作の為に、大切な事は基本だ。と教えている。

私が描くスケッチとターナー作品と・・正直、「同じような感覚の持ち主」と感じました。

ターナーが生きた時代に私がいれば同様なスケッチを描いたろうな。とも感じました。

ターナーにはパトロンがついていた。

恐らく、その時代にはターナーに負けず劣らず素晴らしい絵を描いた人達が多勢いたことは推測できる。それは、彼の作品を現代人が描いた。といっても違和感がないからです。

ターナーの名前を外して、現代絵描きの作品と並べても楽しい筈ですね。

が、彼は、200年も前に描き切ってしまっている。つまり、現代人の大きな壁となっているのです。

彼は奇をてらわず真面目に絵を描きなさい。と教えてくれている。

大きな作品を描くには、小品を組み合わせ創作しなさい。と教えている。

現代日本人、特に自称絵描き達には耳や目の、いや、頭の弱い処をついています。

抽象画らしきを描いて、絵らしきを描いて「アート」と称し売名に走る人が多い今日。

残念ながら、200年も前にターナーがアートなるモノを創作してしまってる。

実に痛快ですな。

ともかく、ターナーの小品を見よ。スケッチを見よ。

ダ・ヴィンチ、レンブラント、ルーベンス、フェルメールも現代生きる人間と変わらない 「人」 なんですね。

ターナーはそんな事をも伝えて呉れている気がします。

そうそう、最晩年の抽象のような絵について・・・

説明書きに「荒れた海とイルカ」とタイトルされている絵。

会場の多くの人達が、イルカを探していました 

残念ながら、ターナーは 「未完成の放り出した絵。だが、背景がおもしろく、潰したくない絵」 と、言っているんですよ。私にでも理解に及ぶのに・・・不思議です。

イルカ云々の題は恐らく後世に付けたのでしょう。どの画集にも「荒れた海とイルカ」と掲載されているようですが、無理強いもよいところ。バカバカしいと思うが、絵描きにとっては思うが壷。ターナーはあの世でセセラ笑ってるでしょうね・・・

自分の感性に自信を持ちたいものです。

さて、ターナーは素晴らしい作品を見せてくれました。近年の西洋絵画展では、私にとっては特筆でした。出来得れば、自然光で見たかったです。色彩はもっともっと美しかったでしょう。

ターナーを通して、西洋の人達の創造性の高さを確認しました。個を大切にし、文化に影響を与える西洋の人達。日本人とはどこが違うでしょう。

 東海大学名誉教授・大原茂之氏が、

日本伝統文化を継承してきた橋本雅邦と狩野派を伝承で語り、維新後の日本画技術衰退を、面白い切り口で比較論を述べてます。

西洋の個人主義に巻き込まれた日本文化の、芸術家達に独創性を失って行った。という現代日本社会への強い警告を含んだ比較論を述べておられる。

残念ながらまだ発刊には至っていないようですが、その内、大原氏の警告を若者達、企業人達が真摯に受け止める事を願ってます。

技術、信用、国力を劣化させるのはいとも簡単。という根拠を、文化を比較して語っている切り口は斬新であり忠告さへ含んでおり、彼には大いに期待しているところです。

さて、ターナーと大原氏に触発されましたので、

次回、私はターナーに代表される西洋文化と日本文化の比較をサワリだけ書いてみましょう。

大原氏には、ターナーと雅邦を比較し、さらなる社会文化論に結び付け、持論を進めて頂く事に期待したく思ってます。

・・・後世に伝わる書として完結に向かうと思います。

 

絵を描くことは、総合観察力、曳いては個人の成長と社会への貢献に結びつきます。

ターナー展は素晴らしかったです。

話は飛びますが、私の店舗で開催する、95歳・上田毅八郎画伯の作品展も素晴らしいです。

素晴らしいものには古今東西・共通点があるのですから、自らの感覚を磨いていきたいものです。

60、70はハナッタレ小僧。とは現代の言葉。まだまだ頑張ります。

では・・・ 

 

 

 

                         2013.10.30.

 

                              Yoh-M.

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上野公園、都美術館

2013年10月17日 | アート・文化

16日、大型台風で特に大島が甚大な被害にあいました。

お見舞い申し上げます。

この台風の日は休業日。お陰様でと言いましょうか、早めに過ぎ去った為、時間を持て余すことになりました。

急遽、昼前の情報よりJRが動いていると確信し、かねてから行く予定にしていた上野・ターナー展の都美術館へ向かいました。

在来線、新幹線ともダイヤが大幅に遅れているために、ようやく乗れた在来線は超満員。久しぶりに昔のキュウキュウ詰電車でしたが、新幹線は自由席が空いていました。

台風の影響で東京に向かう人が少なかったと思います。

徐行運転とかで上野まで3時間近くかかり、昼食もそこそこに都美術館へ

博物館と西洋美術館へはよく出かけるのですが、都美術館へはホントに久し振り。入口からして記憶にないエスカレーターとは驚きました。

以前の印象とは異なりモダン(古い言い方)な感じで期待感が膨らみました。更に、チケット売り場では・・「本日は、シルバー年齢の方は無料」とのお言葉。

普段は気分を害す言葉なのに・・こういう場合は全く本当に素直に、免許証を提示しました。

ターナー展は更に期待が膨らみ入場したのでした。

ターナーの印象は実に沢山。

次回に・・いろいろ書きます。

それにしても、都美術館、シルバーデイとはおしゃれ。

でしたが、本当に多くのシルバーさんが展覧会場にいて、その殆どの人達が、絵の鑑賞をしていない人達に見えました。

私もそのシルバーさんの一人ですが、会場内では、あちこちで咳が聞こえたり、携帯電話が鳴ったり、加齢臭を感じたり・・・

大好きなターナーを鑑賞するためには、人に紛れ込まれないように、説明書きを読まないで、少し離れて見ることでした。ただし、時にポッカリと作品の前が空く時がありますから・・・

そんな時、ググウッと近づき、技術を楽しみました。

本来は、自然光で見るべきターナーの作品ですが・・

都の美術館では精一杯の工夫だったと思います。

次回のターナーについて、私の意見をお楽しみください。

 

 

                      2013.10.17.

 

                            Yoh-M.

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お裾分け

2013年10月09日 | アート・文化

台風通過の日でした。

時に悪天候は素晴らしい風景を目の前に現してくれます。

今日は、生まれて初めての風景に出っくわしましたので、お裾分け。

暑さがまだまだ残る2013年10月。とはいえ高山の山小屋はそろそろ店じまい。

実は、雪の前の最後のチャンスと思い、富士7合目までの登山を決行しようと朝張り切って出かけたのですが、最近の天気予報・・意外と当たるのですね?

案の定、富士山麓は台風の影響で時折ものすごい突風。

仕方なく来週に延期と決断し、林の中で朝コーヒーを飲んで撤退しました。

家は静岡ですがそのまま引き上げるのもつまらないので、湖周辺散策を思い立ち本栖湖へ。

丁度窪んだ形になる本栖湖は、前、後ろから、更に右左から突風が巻くように凄まじかったです。

一番酷い時間帯が着いた頃のようでした。

僅かな時間でしたが、富士山を登るような厳重ないでたちで火山灰を踏み歩きました。

昼飯を湖眺めながら車中で。もちろん対岸どころか湖の半分位まで雲のカーテン。

「お日様が真上の頃だから、チョットだけでも顔を見せてくれないかな~」と願ったところ・・

人生、何年やっているかわかりませんが?

虹を眼下に見る光栄に授かりました。

生まれて初めて見る光景に唖然とし、かろうじて写真に撮りましたので、皆さんに見ていただきます。

悪天候の時、自然は思いがけない風景を見せてくれます。

                       2013.10.9.

                               Yoh-M

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