絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

白隠禅師 展覧会を見終えて

2013年03月26日 | インポート

渋谷東急文化村で『白隠禅師展覧会』が開かれている。

私が家のお寺さんからも1点出品されており、年末、和尚より【白隠さんの初めてと言ってもよい大きな展覧会なので是非】という言葉に刺激されて行ってきました。

白隠作品はどこかしらで何となく見ていましたし、親戚も怖~い図柄の作品を所有している関係から親しみを持っております。

『座禅和讃』も時々は読みますが、深い意味を汲み取りもせず【その教えに沿えば何も出来ないじゃないか】と思う心の狭い私。更に文字よりも絵から受ける感覚の方を大事にするタイプが私です

が、今回の展覧会では・・・

和讃にしても、絵にしても、白隠さんの偉大さを肌で感じて戻り、凄さを知った次第です。

まず、白隠絵画について;

いわゆる坊主が描いた絵だから仏画のジャンル。と現代ではとかく区別されますが、私の目は節穴ではありません。

細かい線、線と線の間隔。なぞりもしない大作に於ける線描の達者さ。

白隠さんは、相当の線描を研究してから独自の作品作りに向かったのでしょう。福禄寿、観音、布袋の繊細なタッチ。関羽を描いた伝統的な南画的作品。

絵の背景部分にお坊さんらしく『和讃』を書いているので、鑑賞者の目が誤魔化され易いですが、独学とは言へ、実に基礎的な部分がしっかりしています。

そして大胆な達磨と書・・・この個性だけは稀有の個性ですね。

池大雅作品が何故か2点陳列されていましたが、陳腐さは否めなかった。やはり、『哲学』が内包する精神差でしょう・・・並べ比較すると明らかな差となって出るようです。

白隠と大雅の付き合いから、絵を池大雅。賛に白隠書との事ですが、絵描きの目から見れば作品であり、並べられた池大雅がチョッピリ可哀相に思えました。

白隠書について感じた事を;

まず、日本に於いては【白隠さんの書ありき。】ではないでしょうか。

書道家でしょうか、あるいは字を習っている人でしょうか。妙齢のご婦人二人して私の前で、『この人の字は頭でっかちでバランスが悪いね』と、クスクス笑っていましたが、それも愛嬌。

実にお二人の仰る通りなんですが、さてさて・・・

白隠さんが天皇の子女に贈った。という文がケースの中にありました。これこそが達筆と言うべきサンプル書でした。

お坊さんらしく『無』という字が数有りましたが、この無の形、大きさ、墨の濃淡。総てが同じ筆跡です。勿論、他の文字も行間も素晴らしかった。

私の言う達筆とは、性格が表れ且つ一つの文字に乱れがない事を指します。

書道家が大昔の王羲之等々を真似るのとは全く意味が異なります。

つまり、私には書道家の文字はツマラナイという事です。習字に意味を見いだせない。という性格の私が言うのですから、白隠さん・・・強烈な個性で達筆者です。

更に、書又は句には哲学がより反映されます。達者=哲者と捉えても構わないと考えます。

さてさて、私は一通り鑑賞してから、『白隠精神』を感じ取るべく、意識的に会場の中央に位置し、突っ立っている時間が長かったように思います。同行した家内は和讃を読み下しながらゆっくり鑑賞し、ついには感激しまくっていました。

イヤホーンで説明を聞く事無く、自らの目と感覚で白隠さんを嘗め回した家内の態度こそ、白隠さんは褒めているでしょう。

いわゆる仏画といわれる絵画は私の好みに合いません。綺麗なものが多すぎる。

が、白隠さんは、今もって生身の白隠さんとして私には迫って来た。いや、現代人に語りかけているのでしょう。

和讃は哲学です。それを思うと現代宗教者達から哲学を感じないのは時代の流れでしょうか。

大拙、西田、和辻等の巨人とも言われる人達の哲学より勉強するのではなく、近くに住む宗教者からさりげなく何かを感じ取れる時代に・・・戻れればな~とも感じた次第。

ともすれば現存の宗教者達が、白隠さんから叱られているように思える展覧会。日本人に身近な存在の白隠禅師展覧会は、「必見」です。機会を与えてくれた我が寺の和尚には感謝です。

今回、初めて新東名高速道路を走りました。(時代に遅れているが~)

往きはボーっとしてましたが、帰りはパトカーに捕まらなかったのが不思議な位に抜かれる事無く、久し振りの高速運転は気分が良かったです。

この冬は雪国へ何回か行かなければならない。運転に自信が戻りましたが、落とし穴に落ちないよう【無事是名馬】を目指したいと考えています。

白隠禅師展覧会、是非、鑑賞されることをお勧めします。

                  2013.01.24.

                       Yoh-M.

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出会い

2013年03月26日 | from 清水港

出会い・・

桜真っ盛りのこの時期、私には大変嬉しい出会いがありました。

【出会い】 と書くと秘密めいた男と女の出会い。ロマンティックな言葉ですね~。

この春、皆さんは色々な【出会い】に逢われたことでしょう。はたまた遭遇??できそうでしょうか 

こう書くと私に良いことが有ったように思われますよね~。 いや~・【出会い】なるものが有ったのですよ 

実にロマンを感じさせる男ファッション誌から抜け出たような美女に遭遇し  ・・・楽しい時間を過ごせる幸せを頂きました。

【出会い】という言葉からは、桜の下で・・、 霧の中で・・、 いつもの駅で・・ (古いか~?) 等々のイメージが沸きますがそれらは10代、20代で経験する甘~いイメージでしょう。が、今更の私にそんな【出会い 】は考えられません? いや、敬遠されるがオチです。

瞬時に覚える刹那的な感覚とは異なり、熟成されてくる感情が私の【出会い】と思えるのですが、世の中のお年寄りさん達・壮年さん達はどう思われるでしょうか。胸ときめかして日々送っているのでしょうか 

旨く表現するのは難しいのですが、私には、見知った人を改めて『理解する』って事でしょうか。

勿論、会話で許される境界線を守った上で、お互い同士が触れ合える。琴線に若干触れる。という様な事が実に心地良いわけで、一杯引っ掛けてワイワイやるのとは違う感覚なのです。それがお父さん世代が家庭の秩序を守る【出会い】方でしょうか 

秩序を守る?? それじゃー・ツマラナイ~ 等と贅沢言わず更に読み続けて下さい。

実にロマンを感じさせる男   容姿特段目立つ人ではありません。

大方の男共が捨て去った子供の頃の夢を・・今も持ち続けている男。捨て去った男共から見ればオカシイ人。女から見れば・・可愛い人。

ま、こんな風に定義すれば皆さんの周りにも確かに居る男です。

男とは幾つになっても子供ね~。と、良く女共の口から冷たい視線を浴びせられる男。それこそが可愛い証拠で、ロマンを持った男の所以なのですよ!

然しですね~、男という生き物は分かっているつもりなんですが、自分の遊びに夢中。他人の熱中することには無頓着なんですね~。ま、ガチョー^^ン の世界ですよ。

それが、年齢を重ねると、熱中する若い人に自分の若い時を見るようになります。これは、生きる上で大変重要な事なのです。恐らく誰もが持つ感覚なのでしょう。

今回の【出会い】とは、そんな男と会話を楽しめた事なのです。

ファッション誌から抜け出たような美女に遭遇しました。

美女に定義はなく、美女は美女。それこそ美女ですからどんな素敵な人か詮索はなしっこです。これが残念な事に娘と同世代で話す内に、私より家内の方に傾いてしまっているようです。と言う事は、私一人の楽しみでは無く家族で遭遇した・・美女です。

若い女性を観察すると、容姿だけではなく、言葉の端々に育った環境からこれまで勉強して来た事が感性としてこちらに伝わります。

若い男にはオモシロイ、出来る、調子がいいとかの表現でチョットばかりライバル心が起きますが、女性まして優しい言葉を掛けて呉れる人からは・・感性を感じる。と。つい表現する私です。

この女性が、偶然にも絵の話から船の話になり『戦艦三笠』『広瀬中佐』が好きとは・・渋い

で、偶然が重なりまして、我が家へロマンを感じさせる男ファッション誌から抜け出たような美女を招待し楽しい時間を過ごした次第です。

お二人にとっては、変な親爺の、我儘言いたい放題を聞く時間となりさぞお疲れになった事でしょう。更に、酒と料理に追われた我が家族も、慣れているとは云えご苦労だったでしょう 

私が勝手に【出会い】と称して飲みたいだけだったのかも知れない。が、確かに世代の違う、会うのも2回目の人同士が・・結局旨い酒一升瓶2本を空にした出会いでした。

偶然とは単に思いを募らせるだけでは有り得ない。という確信が出来ました。

今回は私が尊敬する上田毅八郎画伯の縁で【出会い】が生まれました。

海洋帆船画という名称は上田画伯と知り合った40数年前に二人して考えました。今では、上田画伯は帆船しか描かないと思っている人が多いです。反面、プラモデルのボックスアートを見て来た人達は、戦艦の上田。と捉えている。クラシックカー、機関車、更に風景も描くのに・・・まして油絵? 水彩? なんて、まあ日本人ていうのは狭い。

出会いました美男美女とは、俗説関係なく話が出来て久し振りの会話三昧でした。

その内気分が乗ったら、『上田毅八郎画伯と私。』と題して書いてみましょう。

                 2013.03.26.

                          Yoh-M

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