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絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

県境・尾根を歩いて

2012年04月22日 | アート・文化

私の住む清水は山梨県と繫がっています。

戦国時代の歴史番組とか映画を見ると、武田軍、今川軍、北条軍の戦いでお互いが常に相手勢力圏へ挑んでいる事が、戦国ヒーロー達と共に描かれています。

が、

現代に生きる日本人である私は、武田軍=山梨県。今川軍=静岡県。北条軍=神奈川県。と言った単純な分け方で歴史を見てきたような気がします。

事実、山梨、神奈川へは自動車で移動する事が多かった為、交通路自体が昔も現代も変わっていないような錯覚に捕らわれていたように思います。

山登りを趣味にした筈なのに、昔への想いとか、彼の時代の人々の発想力にまで想いが行き届いていませんでした。

梅雨時から秋までの山中は、特に最近の山中は以前より虫が多いと感じます。更に、山頂に出れば蝿が多く飛んでいます。

山が整備されず荒れて来ている事に原因がありそうです。又、林、森の中では小鳥が多く蝿は見かけないのですが、山頂には何故か多い。

そんなで、まだ冷気の残るこの時期は、度々山へ入ります。

日帰りともなると近場が多いのは仕方ないのですが、この近場の山が侮れなく、そして最近になって気の付く事が増えてきました。

富士川から西側、地名で言うと、松野~由比~清水~静岡。安倍奥山塊、藤枝~川根。

こう言った土地の山々を、若い頃は体力に任せて歩き廻ったのですが、最近は熊、猪、蛇、蜂、猿にも注意しながら、登っています。

富士山、朝霧山塊も勿論、行動範囲内ですが、いずれの山へ行っても若いときの倍は時間が掛かってしまうようです。

反面、ゆっくり登る事で、歴史的な戦いと古き山城跡等の地理を実際に確認する事で、楽しみ方に随分変化がもたらされています。

昨秋からこの春まで月2日ペースで上記地名の山々を歩きました。

実に楽しい発見をしています。

国土壮厳』で書きましたが、静岡での望月という苗字の人達の大元の家は清水・河内にあります。武田軍の先鋒を務めた家柄なんですね。子孫が現在も土地持ちとして清水に住んでいるのを見るに付け、山を歩くと《な~るほど》と納得できる・・・地理上からの歴史が解る気がします。

藤枝奥の山城からは尾根伝いに山梨、遠州、駿府へ通じます。この藤枝の山城の居住主だったのは、NHK大河ドラマ「武田信玄」では庵原家と設定されていましたが、これはどうもあやしい。

清水の大昔の海岸線辺りを『庵原(イホハラ)』と呼ばれ、現在も(イハラ)と呼ばれているからです。

NHK「武田信玄」で『山本勘介』が大活躍しましたが、勘介は元々庵原家の下級武士で生まれは富士宮辺り。と伝えられていますし山々を歩き回る敵状視察係り。だったわけです。今で言うスパイ。

駿府には今川家が平野部を支配していましたから、この庵原家は清水から富士方面で勢力を保っていたと考えられます。そして武田との争いに敗れた。

テレビ、映画、小説では武田、今川、北条、徳川、織田の名前ばかりが取り上げられるのですが、どっこい、これ等以外の武将達も戦っていたのすね。戦国時代だから当然ですが、現在は勝者のみが知られ、庵原軍のような存在が埋れてしまっています。

ちなみに、駿河湾のすぐ側にある久能山々頂には有名な『勘介井戸』がある。

勘介がどの程度活躍したのか? 武田軍がどの辺りまで進出したのか? 庵原軍と武田軍、今川軍との関係は? 清水の中央部に位置する江尻小芝神社は武田軍の最前戦出城の一つとして穴山梅雪が城主として記録されていますが、今川家没落後、梅雪は家康配下になっています。

まあ、こんな事を想いながらの山歩きは実に楽しいのです。

静岡が囲まれている県境の有名な山々は富士山と南アルプス、安倍奥、箱根山塊。

然し、生活感のある(麓で農業)山々は地元でしか名前が知られていませんが、ガレ場有り、大石ゴロゴロの渓流有り、標高は決して高くはありません。然し厳しい登山を強いられる事、請け合いです。

が、こういった山々の峠なり山頂に立つと・・・平野部は一望の下に見ることが出来ます。

今週は、清水と山梨県富沢町の境に立つ、『貫ヶ岳』に登りました。

清水側へ車を置いてそれこそ渓流を2回渡り返し、ガレ場に足場を刻んで約2時間半。

山中は木々の臭いが蒸し、稜線近くでようやく冬を感じさせる風が。

背中は既に大量の汗の登行でしたが、山梨側へ下る峠まで登ると・・はるか遠くまで見えます。

更に、貫ヶ岳まで直登40分。 この山の頂上では・・富士の裾野は雲とモヤに邪魔されて今回は見れませんでした。

本来であれば、清水、静岡、富士川、駿河湾、伊豆半島。更に、富士山、麓の朝霧まで実にくっきり見える筈です。

おにぎり頬ばりながら・・昔日を想像しました。

昔の静岡、山梨の人達は富士川を舟で上り下りするか、山歩きするかの交通網を利用したのだと。

富士川を下り、駿河湾を漕いで米を清水まで運んだ歴史は明治時代までありました。

それ以外は色々な山道を越えて往来が盛んだったでしょう。

古に思いが及ぶ『県境尾根』

何も北アルプスへ行かなくとも充分楽しい。これら静岡と県境を境にする山々は南アルプスを抱え、甲斐、信州、美濃へ通じるのです。

30歳の頃、それこそ武田軍の出城であった龍爪山から北岳まで約10日余り。テント、食器類を背負って縦走しました。安倍奥の梅が島で途中下山し、英気を養い食料を買い込んでの強行軍でした。

今思うと、歩くが必死で廻りも歴史的地理も頭になかったように思います。

体力が落ちると頭脳が明晰になる。が、苛立ちが増える。

年齢とはそんなものでしょう。

便利すぎる世の中になりすぎました。

これからも体力のある内は何とか山に入りたいと思っています。

私より元気印の団体で混み合う北アルプスは真っ平。熊とか日本鹿との遭遇、更に大井川、安倍川、興津川の源流で楽しむのは・・・極上の至福です。

虫、蝿が増える夏山は避けて思うが儘に山を楽しみたいと思ってます。

郷土史を調べればもっと細かい歴史を知る事になるでしょうし、今迄の既説も変わる可能性も大きいですね。郷土史を調べ楽しむ人達の気持ちが分かるようになりました。

これからの山歩き、スケッチ旅では歴史の方へも目を向けて行きたく思っています。

                       2012.04.22.

                            Yoh-M.

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絵はサイエンス。

2012年04月02日 | アート・文化

絵はサイエンス。絵はテクノロジー として書きます。

文系人間、理系人間関係ない。として書きます。

2012年も早四月。

昨年の震災より、日本人の体質に変化が見えません。

最近の野田総理の消費税法案にしても一定の理解をしますが、都会と地方の世論には余りにも差があると感じます。

テレビに顔を出す常連は政府・役人の広報となり下がっており、実質の国体経済を支える地方の状況を理解しようともしません。そして、そんな連中に操られる首都圏住民からは、消費物価々格云々だけの発言だったり、権利だけを取り上げる状況が伝えられるばかりです。

北朝鮮の『衛星』発射問題に関しても、テレビで発言する主婦達からは『迎撃準備は税金の無駄遣い』と多くの人が言い、あきれ返るばかりです。朝のクダラナイ・ワイド番組が煽っているのだと思いますが・・

そんな現代の日本人風潮に疑問を持つ者です。

就職難は現在も続いておりますが、日本人はどういう訳か、人を『文系』『理系』と区分けして判断するように教育されているようです。

私は、民間がシッカリしていれば現在の政府は不必要とも考えますが、その民間人、あえて言えば、『私は企業人で有る。』と自惚れる人達にこの傾向は強く、あえて書いています。

多くの日本人、あるいは人間の勘違いの中に、『文系人間』『理系人間』と区分けする人の多さに驚く次第です。

将来の生活を見れば、希望職種の選択の多さを見れば、点数のいい人間が良いポジションに着く事は理解できますが、果たしてそれだけでしょうか?

企業経営者は経済の事を理解しなければなりません。が、経済は数学、統計を理解しなければなりません。が、日本人は経済を勉強する人を文系人間。と区分けします。

実に不思議な現象です。

組織のシッカリした大企業はともかく、経済、主に営業担当上がりが経営トップを勤める企業の方が業績は良いのです。

近くにいる人間で中高ではトップランクの成績、東大医学部は確実と言われた人が2年連続不合格でした。

この学生の親は知り合いですが、残念ながら東大というネームバリューだけに捕らわれていた教育熱心な人です。この人の持つ感覚は日本人全体に蔓延しているのではないでしょうか。

疑問はこの知り合いに向けたものでは、決してありません。然し、医学を志すのであれば東大という名前に拘らなくとも良いはずです。天皇の手術担当医が良い参考です。

現在の就職問題にも同じ事が多々言える筈です。

イワユル文系学部を卒業した学生に技術を叩き込んで見て下さい。

イワユル理系学部を卒業した人の落ちこぼれ、転職の多さを見て下さい。

『ボタンの掛け違い』とは、文系人間、理系人間と区別する事から始まるようです。

さて、今回は 『 絵はサイエンス 』 と題してます。

多くの人達は、絵描きは文系の代表。勘違いしているのではないでしょうか。

顔料、即ち絵の具がどうして『絵の具』と呼ばれるのか・・知っていますか?

日本画、水彩画、油彩画、テンペラ画・・・顔料、即ち絵の具はどこが違うのですか?

日本画の絵の具はどうして紙、絹に描かれるのですか?

油彩画のキャンバスはどうやって作るのですか?  テンペラ画はどうやって描くのですか?

絵を描く上で基本的な事柄は・・文系ではなく理系。即ち、『サイエンス』を理解した上で『テクノロジー』が個人の特性となります。

油彩画で市販されている絵の具は、何でも混色していいものでは有りません。

『素人だからそんな事は理解できない』と言う人が多い。

何故、もっと追求する姿勢を持てないのでしょう。

ルネッサンスと呼ばれる時代以前の絵はどうして知られていないんだ?

ルネッサンス期の作品の多くの絵の白色は・・何故、同じ白色なんだ?

その当時、色は(顔料)は何色有ったんだ?

ダ・ヴィンチとて写真機を利用していたではないか?

その当時写真機はあったのか? レンズは何時からあったのだ?

レンブラントの有名な黒は、黒だけで何色あったのだ?

フェルメールの有名な『デルフト風景』の濃茶色。当時そんな色(顔料)が有ったのか?

フェルメールの作品は完全に1点透視図法ではないか?

明治期の日本人油彩画家達の作品は、何故、同じ色が目立つのだ?

批評家といわれる連中、学芸員と呼ばれる連中。上記の事には応えられない。

更に言う。

先頃預かった今は亡き文化勲章受章者、小磯良平の作品。

非常に有名作家で値段も高すぎる作家。前々より、彼の作品の割れの酷さは聞いていたが、余りの惨めさ。サイエンスを知らなかった絵描きの代表だろう。よくもまあ、芸大教授をしたものだ。

こういった表面的な事柄ばかり繫がるから・・絵描きは文系人間の代表。と言われ、メディアがそのように書き、教壇に立つ馬鹿なヤツが、日本人の感覚を麻痺させていく。

ダ・ヴィンチ、レンブラント、フェルメール。昔の絵描き達は科学者の目を持っていたのです。

ついでに言います。

ルネッサンス時代、アートとか芸術といった名詞はなかったのです。

『アート・サイエンス』・・この名詞こそがルネッサンス時代の芸術への呼び方だったのです。

↑ つまり、サイエンス(科学)が解れば絵を描くことがより楽しくなり、他人の絵を見ても嬉しくなるのである。

人間の感覚は、サイエンスとテクノロジーに裏付けされなければならない筈。

例えば、抽象画を描いてみると良い。

良い出来だ。と自画自賛しても、過去に同じような作品を描いた作者を見つければ・・落ち込むこと必然である。

人間の単なる感覚。なんて屁のようなものだ。

イラストで有名になった作者がいる。が、流行に乗せられるだけがオチだろう。

『絵を描くことは、坊主の修行より苦しく、単なる理系の論理より複雑であり、哲学を越えた作業だ』

即ち 『無駄な作業』 という事になる。 但し、これで生活しようと思う人間は 『 売名 』 に走れば宜しい作業である。

が、歴然とした サイエンス であり、テクノロジー である。

文系の最たる人間に絵描きを含む感覚。 これは間違いである。

故に 『絵は分かんな~~い』 と馬鹿言葉が出るのである。 では、どうすれば良いか。

『絵を描く』しかない。

ま、ここまで来ると問答に近くなってしまうが、少なくとも絵を描くことは文系ではない。

入学先、就職先の選択。点数主義で、あるいは出身学部だけで決める風潮は最悪である。

文系、理系? この言葉がまず最悪である。 

良く遊んだ学生、良く勉強した学生を、学部関係なく社会は受け入れなければならない。楽しんだ学生ほど伸びしろは多いと云うものだ。

文系学部へ入学した生徒の中には工作が得意な生徒も多い。

工学部へ入学した生徒の中には漢文の得意な生徒も多い。

芸大、美大へ行って楽しんだ連中も同じ事。 中途半端な志で職業を選ばない事だ。学生の勘違いも時代を狂わせている一因と考える。

自由に生きる事は、自分勝手に時間を費やし、無駄だった過去を振り返る事だ。

が、死して何かを残す事だ。  そう思いたいが動物のように毛皮さへ残せないのが事実だろう。

                     2012.04.02

                          Yoh-M.

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ピンクについて

2012年01月28日 | アート・文化

前々回、「ブルーについて」語ったので

今回はピンクについて』

「ブルーについて」では色々なブルーが有る。と書きましたが

『ピンク』については・・中々特定されたピンク色が無い。というのが本音です。

ショッキング・ピンク、サーモン・ピンク、さらに桃色、梅色、桜色? 

ところが、これらの名称は絵の具にはありません。

どういう事でしょう??  一緒に考えて見てください。

油絵の具でピンクという名を付けられた色は、ピンクマダーと呼ぶ色しか思い当たりません。

赤ちゃんなどのピンク肌を表現する為には、ジョン・ブリアン他を使います。

ベイビー・ピンクと言う名称の色さへありません。

さて困った?ものです。

と言うのも実は『ピンク色』を画面構成の主な色として描かれた作品も又・・意外と少ないのです。イラストでは多く使われるピンク色も水彩画、油彩画になると、ともかく少なくなります。

洋服の一部、室内静物の一部、夕焼け空の一部に使われやすいですが、ともかく『〇〇ピンク色』と名称された顔料が無い。   

という事で、色彩的にも顔料としても『ブルー』とは全く正反対の色が『ピンク』

ではどうしてピンク色を作るかと言うと混色する以外に方法は無いのです。

私はピンク・マダーという色さへ使いません。赤に白を混ぜたり、紫と混色したりしてピンク色を作るのみです。

混色した際、顔料名と比率を記憶しておかないと後日  「アンレッ~~」てな事になります。

結局ピンク色は厄介な色です。社交場でも厄介な場所にはピ〇クサロンなんてついてますね^^

難しいのですよ、ともかく「ピンク」は・・・

まあ絵の具の場合、透明色と不透明色の混色で作る「ピンク」が、一番キレイと思っているのですが、絵描き夫々に工夫しているのです。

??

そう、薔薇色を忘れていました 

いや忘れてはいません。バラ色は赤ワイン色と同じ『赤紫色』となります。絵の具だと『モーブ』という奇麗な透明色になります。

そんなで、ピンクは軽重? ブルーは重厚? 扱い・されてま・・・せんか~~^^

終わり。

                           Yoh-M.

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ブルーという色

2012年01月21日 | アート・文化

今回は『ブルー』について書いてみる。

このブルーという文字なり発音を聞く多くの人は、特に冬場は、暗く陰鬱なイメージを抱く人が多いでしょう。

が、好きな色は?と問われた場合、多くの人は「ブルー」と言うだろう。

何故だろう?

色彩としては寒色の代表であるから暗いイメージとして使うのだろうか?

『雲は重く深く垂れ、私はブルーな気分に陥っている』なんてね 

英語では楽しい事にも陰鬱な事にも何でも「Blue」を付ければ良い。という感覚がある。

歌の歌詞の場合・・「明るく」「おおらかな」イメージで使う場合が殆どですよね、Jazzではマイルスの「Kind of Blue =ブルーの優しさ」なんてのもある。

ともかく「ブルー」という言葉なり文字から受ける感覚はその時の気分次第でもあるし、天候にもよります。実に便利に使われる言葉です。それだけ単純ではなく、夫々の人がイメージする色々なブルーが有るという事ですね。例にあげたマイルスの名盤とて気分次第で聞くしかないですよね。

ところで

絵の具の名称に、単にブルーという色はありません。

メーカーによっても若干の色違いが有り、おかしい事に名称も異なっています。

それで、自分が使っていない色の名を聞いたりするとオタオタする場合もシバシバ 

「ブルーな気分」になる時があります・・この時はコンチクショウって思うのですが 

私の使う油絵の具でのブルーの種類は

1.黒の代用にもなる「インディエゴ・ブルー」。

殆ど黒と言っても良いですが白を混ぜると青味がでる非常に使い方に工面する色です。

2.重厚な色彩を出す「ブルシャン・ブルー」

日本の藍色と思って呉れれば宜しいです。この色は日本の風景に非常に合う為、どなたも良く使う色です。マア安い価格という事もあるのですが、溶き油とのバランスを間違えると将来、ひび割れを起こす色でもあります。

3.誰でも知っている「コバルト・ブルー」

実は日本の風景では余り見ない色なんですが、紫を若干感じる為時々使います。私にとっては使い難い色の一つです。

4.野菜みたいな名前の「セルリアン・ブルー」

この色はコバルト・ブルーと比較して癖が無い為、静物とか室内を描く場合便利です。

まあ、この4色を主に使いますがその理由として・・緑色を作る為に利用する事の方が多いです。それ以外にも、ウルトラマリンだシアニンだターコイズだって色々有りますが、要は他の色と混ぜ合わせたものなのです。

但し、透明性の強い色と不透明色があることを知らないといけませんが 

これらの事等から、「ブルー」は色々なところで色々な形容詞にも名詞にも使われるハメになっているのだと思います。

これを書いている現在、日本は寒波で雪に見舞われたところも多いです。その中、パーティなんかへ出かける人が「ハッピー」とは言わず、ニコニコしながら「 私、ブルーで~す 」 なんてオダケて表現してもイントネーションで受け手が理解すれば問題ないんですね。

「ブルーという色」、日本語が崩れていると言われる今日、外来語ではありますが全く自由に使いこなせる名詞です。友人との会話ではチョッピリ使ってみて下さい。

柔軟な思考能力を持っている人であれば、イントネーションで楽しい会話になると思います。

但し、暗い表情でボソっと言う人には・・そっとしておいて上げるほうが親切ですね 

多分、上記で書いたことは間違っていると思います^^)  

では、今日はこんなところで・・

                           Yoh-M.

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アマノジャク

2012年01月17日 | アート・文化

今日は大変に冷たい日です。

昨日も一昨日も冷たい日でした。明日も恐らく同じような日でしょうか。

先週、お向かいの小母上が亡くなり少しシンミリした日が続いています。小母上98歳。小さくて丸ぽちゃで可愛いおば様でした。ご近所皆、当然100歳を超えると思っていたので残念です。今夜は通夜、明日告別式です。

そんなで家にいてもキャンバスに向かう気分にもならず、仕事すら気に乗らず、・・・仕方無く、書き始めるまで画集に目を落としていました。

ところで、

「絵大好き・・ブログ」と、うたっている割に実は余り絵のことを書いていないですね。

何故? かというと・・絵の好き嫌いは人によって夫々異なるし、描かない人の方が圧倒的に多いので個人の好き嫌いを押し付けるのも失礼な話です。又専門的な技術面は理解してもらえそうにもないし、第一書くほうがおかしいと思ってます。

それで絵に関する事を余り書いてません。が、チョッピリばかり声を掛けてくれる人もいる。

で、画集に目を落としながら・・

俺、誰の絵が好きだったかな~って、何となく思った次第。これまた話はづれてますがね。

私の天邪鬼ぶりは天下?いや、同級生までは届いているはずなんです。とても好い加減なところも有るから嫌われる事も多々・・

仕方がないね、踏ん反り返っているタイプだし、亭主関白だし、ワガママし放題だし、けど、さすがにもう殴り合いは出来ないな~~

そんな人間が選ぶ好きな絵描き。と作品。ちょっと整理まで及ばないが書いてみます。

 好きな作品があるからその作者がすきなのか?その又逆なのか?これは良く分からない。

 とりあえず、好きな絵は、沢山ある。それも私自身の世界観と全く異なる素晴らしい作品はい~ぱいある。と、言い換えた方が正しいだろう。

 見たい絵はその時の気分で変わる。然し、最終的には身近な作品に目が行ってしまう。これは絵描きの本性に通じる感覚だろう。ピカソがそうであったように・・

同世代の人間の作品を一番大切にしたい気持ちは充分ある。が、同世代の連中、少々おサボりが過ぎているようで、この野郎、って思う奴が少ない。

結局、私に影響を与えた人達の作品がより身近な存在として身の回りにある。実は、この事は生きる上で重要なファクターと捕らえている。又、私が滅びてもこれらの作品は将来に残る可能性を持っている。

絵を所有する極上の楽しみは、作品と会話する事、あるいは作品に説教される事です。

おかしいと思われるでしょうが、他者の作品から影響を受けるという感覚は、実際に所有しないと解らない感覚です。勿論、原画作品でなければならない。この感覚は全て原画にしか含まれていないからです。分かって頂けるだろうか?

【自分らしさを求める為の作業】

極上の絵描きは自身と対照なる作者の作品を求め、所有しています。口の悪い奴は互助と言うだろうが・・故に、絵を語る難しさが有り、この感覚を理解出来る人にしか話せない事なのです。

つまり、多くの人達が認めた有名なる絵も好きなのだが、私の場合はそれ以上に実際のお付き合いなり、教訓を得た作家達の中に好きな絵を求めるタイプです。私の作品を持ってくれている人もいる。この辺りの考え方は、その日の天気に左右される場合が多い。天邪鬼に考えて良いと思う次第  です。

さて、この寒い時、見たい絵は我が家にあるが、思うところあって仕舞い込んである。

その作品を壁に掛けると多分他の絵はこの時期、壁からはずさないといけなくなるから?・それに寒いから面倒でしょう?  そんな感じですが実は違う。太刀打ち出来ない素晴らしい感覚の作品なので、時に見て自分を確かめる。そんな存在の絵だからです。 

その作品の題名は『小さな庭』。駒井哲郎のシュガーアクアチント。本当に心底好きですが敢えて仕舞い込んでる。

ジャー何を掛けているかというと私の絵。 それもモデル(Nelier)が裸の侭寝込んでしまった時の作品。実はこの裸姿を描いている時、母がお茶とお菓子を持って様子見に来、その余りの格好に吹き出してしまった懐かしい思い出ある作品。そんな時のデッサンです。

実に暖かいほのぼのとした裸婦デッサンと想像して下さい? 家族も大分以前より眺めているから違和感もない作品 

この裸婦には続きがあって、

静岡井川手前の七ツ峰中腹から見た、突先山と勘行峰方面の夜景風景とを組み合わせて描いた『真夏の夜の夢』という傑作もある。これは・・夏用  

それと、

パリ時代お世話になった福本章さんの『骸骨のある静物』。40号で彼の若い頃の名品です。林武師匠・・いや林武画伯が絶賛した作品が私のところにある。

それと、

父と同い年の織田広喜さんが苦労していた時代の『海岸線と家族の風景』

海は秋の日本海なのだがほんの片隅にプルシャンで海を表現しているだけで、あとは暖かい色で一軒屋の家族を描いている作品。煙突から煙も出ている作品  

それと、

まだあるが。。もうやめとく。

で、今見ている画集はP.Lesieur 家内との旅行の際、彼の作品を一手に扱っているPetit.Galerieで購入したもの。その際気に入った作品はその後お小遣いが溜まった時点で買いましたけれどね

ともかく、

自分にないものを欲しがるタイプですね・・私は。Stael もNicholsonも欲しいのだが画集止まりです。ですがね、彼等の作品の全てが好きではない。が、他人の絵を欲しがる絵描きの心情をご理解して頂くのも難しい。コレクターとは趣旨が異なる事をご理解願いたい。

世間では美術評論家と言われる商売上手が数いるが、この連中の殆どは絵を描かない。であるから批評といっても護摩すりお上手ばかり。これは日本だけの商売で、皆さんの目を曇らせている原因の一つです。

優秀な美術批評は、絵を遡って研究し、自ら筆をとる人間にしか出来ない。有名な人では岡本太郎さんですね。そう言えば、太郎さんから譲り受けた作品も所有しております。

イワユル泰西名画と言われる作品は彼の地の美術館まで見に行かなければならない。が、泰西名画の多くを理解するには、キリスト教さへ勉強しなければならないのだが、私には嫌なこった。表面の技術だけで好き嫌いを言うにすぎません。

以上な理由で、なるべく自分と関わりのある作品を飾りたく思っている。

そう言ったアマノジャク意見で納得されない人も多いので、イワユル泰西名画、イワユル印象派、イワユル現代アートで好きな作家の名を上げると・・・いや~~切がない (m_m)

その中で、西洋美術館所蔵作品に限って言えば『ラ・トゥールの聖トーマス』と『ルーベンスの眠る二人の子供』が好きですね。近代美術館には『クレー』、『ニコルソン』と『スタール』が1点づつあるが・・いずれも額縁がお粗末。 パリ・オランジェリー美術館の『モネの睡蓮特別室』。ここへは行く度まず半日は時間を費やします。寝ッころんでいると実に快適な空間です。パリではお薦めの場所です。

マチス美術館は絵もそうだが建物自体雰囲気がある。ルノアールの庭もいい。名画と言われる作品、好きな作品はともかくい~~ぱいある。序列は付けられません。ともかく私の絵より素晴らしい作品がゴロゴロ。楽しいですよね~~

嫌いになる作品も沢山ある。保存の為の補修が余りにも露骨だと嫌になる。相性が合わなくて嫌いな作家もいる。但し、色系譜で行くと、私が好きな印象派以降の作者では、コロー、マネ、セザンヌ、カンディンスキー、ド・スタール、ル・シュール、金山平三、脇田和等々・・あくまでアマノジャクです。

話は飛ぶが、ジャズ。

1枚のCDなりLPで、全ての曲が気に入るわけではないでしょう?・・間違っているかな?

ラテン。

ラテンが好きと言ってもボサノバからワパンゴ、サルサまでリズムがい~っぱいあるでしょう。

全部が全部好き。という事は有り得ないですよね。絵もそれと同じ、気分次第です。

ちなみに、私は少しばかり楽器をカジッテいたのですが、サルサは30分で飽きちゃう。ラテンジャズは自分が参加しなければ面白くない。

で、好きな音楽は? と問われるとシンコペーション4ビートジャズ。所謂モダンジャズです。

ま、絵でも音楽でも色々屁理屈付けたいタイプですな

ついでに、ドラムもロックの8ビートは楽チン、面白くもないね。4ビートを打てる若者が実に減っているのも現実です。

その内、専門外ですがジャズの事も書いてみましょうかね? 近くに住む日本ジャズ界の大御所に叱られない程度に。  調子に乗って・・・

しんみり書くつもり少し跳ね上がりましたね。お許しを・・・

                          Yoh-M

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