私の住む清水は山梨県と繫がっています。
戦国時代の歴史番組とか映画を見ると、武田軍、今川軍、北条軍の戦いでお互いが常に相手勢力圏へ挑んでいる事が、戦国ヒーロー達と共に描かれています。
が、
現代に生きる日本人である私は、武田軍=山梨県。今川軍=静岡県。北条軍=神奈川県。と言った単純な分け方で歴史を見てきたような気がします。
事実、山梨、神奈川へは自動車で移動する事が多かった為、交通路自体が昔も現代も変わっていないような錯覚に捕らわれていたように思います。
山登りを趣味にした筈なのに、昔への想いとか、彼の時代の人々の発想力にまで想いが行き届いていませんでした。
梅雨時から秋までの山中は、特に最近の山中は以前より虫が多いと感じます。更に、山頂に出れば蝿が多く飛んでいます。
山が整備されず荒れて来ている事に原因がありそうです。又、林、森の中では小鳥が多く蝿は見かけないのですが、山頂には何故か多い。
そんなで、まだ冷気の残るこの時期は、度々山へ入ります。
日帰りともなると近場が多いのは仕方ないのですが、この近場の山が侮れなく、そして最近になって気の付く事が増えてきました。
富士川から西側、地名で言うと、松野~由比~清水~静岡。安倍奥山塊、藤枝~川根。
こう言った土地の山々を、若い頃は体力に任せて歩き廻ったのですが、最近は熊、猪、蛇、蜂、猿にも注意しながら、登っています。
富士山、朝霧山塊も勿論、行動範囲内ですが、いずれの山へ行っても若いときの倍は時間が掛かってしまうようです。
反面、ゆっくり登る事で、歴史的な戦いと古き山城跡等の地理を実際に確認する事で、楽しみ方に随分変化がもたらされています。
昨秋からこの春まで月2日ペースで上記地名の山々を歩きました。
実に楽しい発見をしています。
『国土壮厳』で書きましたが、静岡での望月という苗字の人達の大元の家は清水・河内にあります。武田軍の先鋒を務めた家柄なんですね。子孫が現在も土地持ちとして清水に住んでいるのを見るに付け、山を歩くと《な~るほど》と納得できる・・・地理上からの歴史が解る気がします。
藤枝奥の山城からは尾根伝いに山梨、遠州、駿府へ通じます。この藤枝の山城の居住主だったのは、NHK大河ドラマ「武田信玄」では庵原家と設定されていましたが、これはどうもあやしい。
清水の大昔の海岸線辺りを『庵原(イホハラ)』と呼ばれ、現在も(イハラ)と呼ばれているからです。
NHK「武田信玄」で『山本勘介』が大活躍しましたが、勘介は元々庵原家の下級武士で生まれは富士宮辺り。と伝えられていますし山々を歩き回る敵状視察係り。だったわけです。今で言うスパイ。
駿府には今川家が平野部を支配していましたから、この庵原家は清水から富士方面で勢力を保っていたと考えられます。そして武田との争いに敗れた。
テレビ、映画、小説では武田、今川、北条、徳川、織田の名前ばかりが取り上げられるのですが、どっこい、これ等以外の武将達も戦っていたのすね。戦国時代だから当然ですが、現在は勝者のみが知られ、庵原軍のような存在が埋れてしまっています。
ちなみに、駿河湾のすぐ側にある久能山々頂には有名な『勘介井戸』がある。
勘介がどの程度活躍したのか? 武田軍がどの辺りまで進出したのか? 庵原軍と武田軍、今川軍との関係は? 清水の中央部に位置する江尻小芝神社は武田軍の最前戦出城の一つとして穴山梅雪が城主として記録されていますが、今川家没落後、梅雪は家康配下になっています。
まあ、こんな事を想いながらの山歩きは実に楽しいのです。
静岡が囲まれている県境の有名な山々は富士山と南アルプス、安倍奥、箱根山塊。
然し、生活感のある(麓で農業)山々は地元でしか名前が知られていませんが、ガレ場有り、大石ゴロゴロの渓流有り、標高は決して高くはありません。然し厳しい登山を強いられる事、請け合いです。
が、こういった山々の峠なり山頂に立つと・・・平野部は一望の下に見ることが出来ます。
今週は、清水と山梨県富沢町の境に立つ、『貫ヶ岳』に登りました。
清水側へ車を置いてそれこそ渓流を2回渡り返し、ガレ場に足場を刻んで約2時間半。
山中は木々の臭いが蒸し、稜線近くでようやく冬を感じさせる風が。
背中は既に大量の汗の登行でしたが、山梨側へ下る峠まで登ると・・はるか遠くまで見えます。
更に、貫ヶ岳まで直登40分。 この山の頂上では・・富士の裾野は雲とモヤに邪魔されて今回は見れませんでした。
本来であれば、清水、静岡、富士川、駿河湾、伊豆半島。更に、富士山、麓の朝霧まで実にくっきり見える筈です。
おにぎり頬ばりながら・・昔日を想像しました。
昔の静岡、山梨の人達は富士川を舟で上り下りするか、山歩きするかの交通網を利用したのだと。
富士川を下り、駿河湾を漕いで米を清水まで運んだ歴史は明治時代までありました。
それ以外は色々な山道を越えて往来が盛んだったでしょう。
古に思いが及ぶ『県境尾根』
何も北アルプスへ行かなくとも充分楽しい。これら静岡と県境を境にする山々は南アルプスを抱え、甲斐、信州、美濃へ通じるのです。
30歳の頃、それこそ武田軍の出城であった龍爪山から北岳まで約10日余り。テント、食器類を背負って縦走しました。安倍奥の梅が島で途中下山し、英気を養い食料を買い込んでの強行軍でした。
今思うと、歩くが必死で廻りも歴史的地理も頭になかったように思います。
体力が落ちると頭脳が明晰になる。が、苛立ちが増える。
年齢とはそんなものでしょう。
便利すぎる世の中になりすぎました。
これからも体力のある内は何とか山に入りたいと思っています。
私より元気印の団体で混み合う北アルプスは真っ平。熊とか日本鹿との遭遇、更に大井川、安倍川、興津川の源流で楽しむのは・・・極上の至福です。
虫、蝿が増える夏山は避けて思うが儘に山を楽しみたいと思ってます。
郷土史を調べればもっと細かい歴史を知る事になるでしょうし、今迄の既説も変わる可能性も大きいですね。郷土史を調べ楽しむ人達の気持ちが分かるようになりました。
これからの山歩き、スケッチ旅では歴史の方へも目を向けて行きたく思っています。
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2012.04.22.
Yoh-M.
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