9日、上野で開かれている
『ボストン美術館・日本美術の至宝』展に行ってきました。
多くの参観者がそうであった様に、私も大変感激致しました。
現在も余韻が残っておりますが、感想をここに書いてみます。
この展覧会を知ったのは親友からのメールと案内状からでした。
「僕の曾祖父の作品が1点戻ってきているよ」との言葉で検索したら、6月10日迄が上野。
巡回展も企画されていますが取りあえず混雑が比較的少なさそうな昨日を選んで行って来ました。
最近、朝が弱い私。前の日に新幹線の予約を取った為、その時間に合わせなければ と、久し振りにノンビリ屋さんを返上して電車に・・
ところが、前の電車で急病人が出、搬出に手間取り予約新幹線へは発車1分位前にかろうじて。
普段の行いを反省すべきか? いや、行いが清く正しいから間に合った?のかな・・・と思いつつ車上の人になり上野へ直行しました。
唐招提寺展の時は2時間以上並んだ経験がありますが、今回は日を選んだ所為でしょうか、すんなり入館できました。そして、正直、それほどの期待はなかったのですが・・・・
至宝展で最初に出迎えて呉れた作品は、なんと平櫛田中ではないですか。
遠くから瞬時に平櫛作品と判り、しかも彼の大傑作だと感じました。 その作品が入り口で・・
絶対に平櫛だ。と思いつつ近づき確信しました。いや~~・素晴らしい作品です。彼以後、これほどの木彫作品を制作する作家はいるでしょうか? NON です。
もうこの作品を見ているだけで今回の上野は充分。と思えるぐらいの傑作ですが、この出会いで、親友の曾祖父の作品に期待が強まりました。
平櫛作品から3作品目。とても綺麗な色使いで線描に長けた『弁天』さんの軸装が表れて来ました。というより本来軸装仕上げなのに現在は保護の為、金箔を廻りに配した額装となって飾られていましたが・・・
この弁天さんの描き主が親友の曾祖父『橋本雅邦』。作品題名は『騎龍弁天の図』
今迄の、水墨画の橋本雅邦という概念を一変させる、ご機嫌な作品です。
龍に乗って波うねらせながら、水上を走る弁天さん。題材もそうですが、色彩、線描による細部への配慮。正直に驚きました。
平櫛田中と同様に、橋本雅邦以降、今日までの日本画家は到底太刀打ちできないな。との感想を瞬時に持ちました。・・・間違いのない判断と思います。
平櫛作品と雅邦作品の2点だけで、今回の入場料と旅費分は充分にお釣りが来るはず。保存状態を保ってくれたボストン美術館に感謝です。同じく、現在はIT科学者の親友招待にも感謝です。
彼等の時代が日本文化のピークなのか? 今迄の展覧会とは趣が全く違うな。と緊張感を持ち次のコーナーへ向かいました。
さて、この橋本雅邦から次のコーナーは鎌倉、室町時代の曼荼羅作品の大傑作ばかり。
現在、近所の寺の調査に加わっている関係もあって、勉強を兼ねてしっかり見ようと思い、目を近づけたり離したりして曼荼羅を隅々まで拝見しました。
ご承知の通り、日本曼荼羅は飾るものではなく、線香を焚き手を合わせる仏ですから・・画面は黒くなっています。が、それでも往時の色彩の残り具合、描き手の豪胆さ、顔料、金箔の消え具合等々。ボストンという地で保護されていたので、現在まで残っていたような作品ばかりです。それも大作。と言って良い作品ばかりでした。
(文化財の流出; 明治維新を挟んで日本の内政は文化財を守る意識が希薄であったし、神仏分離政策の影響も大きかった。と推察する。)
今回の会場では、鑑賞者は密教の時代とそれ以前の時代へ思いを馳せたのではないでしょうか。周りの人達の表情もそんな風に見えました。
『一字金輪観音像』曼荼羅の観音さんが、少し離れたところから私に『ウインク』している?って感じちゃいましたので長々と鑑賞。が、ヨクヨク見ると、両目とも開いていました。
多分、少し離れていた私に、『何かの合図』を送ってくれたのでしょう。素晴らしい出会いでした。それでいっぺんに気に入ってしまいました。やはり美女には弱い私ですよね~~
曼荼羅のコーナーを見終わって仏像の入り口では・・快慶作『弥勒菩薩立像』。
横のケース内には快慶自筆の『弥勒上生経』が陳列されています。最後尾で『快慶自筆』と判ります。内蔵されていたのが明治修復で判明し、岡倉天心が快慶筆のお経を取り出した。との説明がありました。
寄木造りで金粉仕上げ、玉眼入り。
まさに現在調査中の阿弥陀仏と同じ製作法。この快慶さんの寄木造りをぐるりと観察させてもらいました。
首部、手足それぞれ2箇所、胴部に組み立てを感じさせる部署がありましたし、カタログの図写真と比べると、実物は腰部に装飾品を巻いていました。この装飾品は像が倒れるのを防ぐ為に修復師が制作したのでは・・と推測しています。又、頭部の古い感じが往時そのももの雰囲気を感じさせます。
そして、赤漆を思わせる塗りの残る寄木造り仏像が続く中、眼を引いたのが『玉眼』入り、運慶の流れを引くと伝えられる、康俊作 『僧形八幡神坐像』。
東大寺に似た作品があるとの事ですが、寄木造りの傑作と思います。唇には紅の色も残ってます。衣は黄色い感じの木の色。もしかしたら表面には漆無しで金粉塗り彫刻?? 非常に興味を持ちました。今回出展の木造仏ではこの仏像が気に入りました 断っておきますが同性愛の持ち主ではありませんよ
その木像の横のケースに飾られた『絵巻』・・・参った。です。
日本人の持つ色彩感覚。日本人の持つ画面構図に対する感覚。日本人の線にたいする拘り。日本人の伝承への思い。非常に誇らしく思いました。
この展示歴史作品のように、殺戮、血祭りをも描く作品を見る時、キリスト信者であろうとも日本人は誇りを感じるのではないでしょうか。
先達の素晴らしさを、凄さを絵巻の中に感じさせて呉れます。往時の絵描き、仏師達は失敗すれば首をはねられた事は充分に予想されます。従って、現在の世の中のようにアマノジャクでは済まされず、命を賭して仕事していた。と余りある推測です。
絵巻についてはこの程度の感想しか書けません。
さて、この絵巻を見た後、メインといえる絵画作品のコーナーです。
初めて観る作品が殆どでしたが、以前より好きだった狩野山雪。
自分の家へ飾っておきたい作品が出てました。優しい水墨色彩の絵描きで、山雪作品は大向こうに受ける作品ではないですが・・・人物の書き方と良い、家の配置と良い、ご機嫌な気分で暫く椅子に座って鑑賞しました。
探幽を始めとする狩野派、等伯、宗達、光琳、光起等の蒼々たる名画がボストンで保管されていたことに驚きながら鑑賞していましたが・・・
日本美術史を根本的に変える作品に出会い・・大ショックを受けました。
今回展覧会の目玉として宣伝されていて、名前を聞いたこともなく、作品さへ知らない・・・『曽我蕭白』
・日本美術史を変えますね。間違いありません 。いや、既に変わった筈です。
『鷹の図』1点のみが正当と思える、いや、今まで我々が錯覚していた正当な日本画と呼べる作品。技術力を充分に堪能させてくれる作品です。が、
展示大作は全てが・・・技術も、人間性も、仏教思想、更に宇宙をも見つめる第1級の人物でないと成し得ない作品ばかり。 スケールは途方もなくでかく、古今東西で特筆されるべき作品ばかり。
が・・目の前に陳列されていました。
この曽我蕭白の前で、言葉を失いました。
カタログ類、いかなる技術を使ってのプリント、現代科学の全てをぶち込んでも不可能な世界が・・原画作品の中に詰め込まれていました。
バチカンでのミケランジェロ。オランジェリーでのモネ。
み~~んな・すっ飛んだよ『曽我蕭白』には。
暫く夢にでそうな感じ。
『一字金輪観音』さんが私にウインクした意味が分かりました。『曽我蕭白』が来ているよ。って言葉を掛けてくれていたのですね。
少し間を置いて、名古屋での展覧会へもお邪魔するとします。
そんなショックを引きずって戻りました。
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2012.05.09
Yoh-M.
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ボストン美術館日本の至宝展 ネット画像より『曽我蕭白・虎渓三笑図』
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