ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

台湾訪問記-2-

2008-04-10 23:02:02 | 
3/29(土)
午前中はホテルで朝寝を楽しんだ。
宿泊したホテルは郊外のリーズナブルなビジネスホテルといった風情だが、休憩料金の設定などいうのもあってちょっと??な雰囲気だ。
質素ながらしっかりとした朝食を食べてから出かける。


昨年開業したばかりの台湾高速鉄道に乗って、台北から高雄に向かう。
日本の技術で造られた日本の新幹線とほぼ同じ規格の新幹線が台北と高雄を2時間弱で結んでいる。
そのため、右側通行の台湾にあってこの新幹線だけは左側通行になっている。
時々仕事で乗る700系の東海道新幹線とほぼ同じ車内にいると、何だか東海道を下っているような錯覚に陥る。
とりわけ台中から台南にかけての田園地帯は日本の農村に近い風景といえなくもない。

高雄は北回帰線の南。台北が亜熱帯でまだまだ凌ぎやすいのに比べて、熱帯の高雄は30℃を超えている。
暑いということもあるが、港町である高雄は台北よりもどことなく開放的な雰囲気が漂っている。
東アジアというよりも東南アジアのとば口といってもいいのかもしれない。
到着してホテルにチェックインし一休みしてから街に出てみる。
街の大きさを実感するためには歩くに限る。
ホテルのフロントで手に入れた簡単な地図を片手に1時間ほど歩くと高雄の街の大きさがおぼろげながらにつかめてくる。
街中を歩いてから埠頭へと出てみる。埠頭では若いカップルたちが夕涼みをしながら語らいあっている。

夕方から「六合夜市」という観光マーケットに出かけてみる。
夜市とは言っても観光客相手であるせいか、本来市場にある猥雑さはない。
いわゆる飲食店やみやげ物を売る屋台が延々と並んでいるだけだ。
台湾の夜市ではアルコールを供しない。だから非常に健全である。
子連れでも危ないという感じがしないのだ。だから老若男女が思い思いに楽しんでいる。
屋台で台湾名物の炸醤麺を食べる。その後もチャーハンや餃子やらをちょっとずつ食べているうちに胃袋も満足してくる。
最後は足裏マッサージをしてもらって疲れもすっかり癒された。

高雄はおおらかな街だ。

お家さん/玉岡かおる

2008-04-09 19:54:29 | 
明治以降の日本は欧米列強に追いつけ追い越せと急速に近代化を進めてきた。
富国強兵の名のもとに持ち前の勤勉さで瞬く間に欧米と伍するまでに成長を遂げてきたアジアの小国。
もちろん、これらは歴史の教科書に書いてあることで、現代を生きる我々にとっては歴史の一コマに過ぎない。
マクロな現象は教科書の一文にあるのみで、そこにあった生身の人間たちの営みを容易に窺い知ることは今となっては容易ではない。
しかし、当時確かに今日の我々へとつながる繁栄の礎を築いた先達たちがいた。

鈴木商店。総合商社の走りだったこの会社は近代日本を疾風のごとく駆け抜けていった。しかしそのことも今となっては、あまり語られることもなくなった。
明治の初期に樟脳と砂糖の小さな個人商店から出発した鈴木商店は瞬く間に神戸を、関西を、そして日本を代表する企業へとのし上がっていく。
現在、関西を発祥とする名門企業の多くが鈴木商店の出資によって設立されたことは意外に知られていないかもしれない。
神戸製鋼、双日のルーツである日商、帝人、日本製粉、大正海上火災保険(現、三井住友海上火災保険)など、枚挙に暇がない。

もともと辰巳屋の番頭だった鈴木岩治郎が、明治の始め暖簾わけをして開業したのが始まりだった。
金子直吉、柳田富士松という優秀な番頭が店を支え、順調に商売を伸ばしていくが岩治郎が急逝してしまう。
主がいなくなってしまいこれで店はたたまざるを得なくなったと誰もが思っていたが、岩治郎の妻よねは実際の経営を金子と柳田に任せる形で商売を継続するのである。
よねは経営には一切口出しをせず、従業員たちが世界中を飛び廻って縦横無尽に商売が出来るよう、奥を取り仕切り、妻や子達に気を配る。
鈴木商店は「お家さん」と呼ばれるよねを頂点とした大家族として世界を股に駆けた総合商社のさきがけとなっていく。
店は神戸港に入る船の殆どが鈴木の荷を扱うほどまでに急成長するのだ。

物語は、鈴木商店の躍進の物語というよりも、それを奥で支えた女たちの物語と言っていい。
とりわけ、よねの身の回りの世話をしていた珠喜の物語は、男を支えるが故の女の哀しみと、数奇な運命に翻弄されていくうねりのようなダイナミズムを感じる。
かつて、このような女たちの物語があったことに驚嘆するばかりである。
おっとりとした上品な関西弁で語るよねの語り口をはじめ、女たちへの眼差しが著者のリスペクトに溢れている。
それは著者も同じく播磨に産まれそこで生活をしている女性だからであろう。

気骨溢れる明治人たちに接していると平成の私たちのなんと矮小なことかと思うのだ。

電車内にて

2008-04-08 12:49:49 | Weblog
彼女たち二人は新入社員だ。
大学を卒業して入社してからの付き合いだから、まだ1週間ほどの付き合いでしかない。
二人はこの後一体どこの部署に配属されるのかちょっと不安でもある。

名古屋から1時間ほどの郊外に実家のある彼女(仮にA子としておこう)は大学時代は心理学を専攻していた。
もともとは心理カウンセラーになりたかったのだ。
読書が好きで特に村上春樹のファンである。
母親と二人で図書館から借りられるだけの本を借りて2週間で20冊以上も読んだことがある。
読書は好きだが乗り物酔いがひどいので通勤の電車内で本が読めない。
A子は自律的で都会的だ。自分のことをはっきり主張することで軽やかに生きてきた。両親との仲も悪くない。

彼女(仮にB子としておこう)は柔らかい岡山弁を話す。語り口通りおっとりとしていて、会話のキャッチボールを楽しもうとする。
向き合う対象への興味から入るコミュニケーションは、相手に話す意欲を与えてくれる。B子は穏やかでそして優しい。
B子は高校時代、ちょっと父親に反抗した時期があった。
だからここ数年ほど父親とあまり会話をしていない。そのことが少し後ろめたくもある。
B子はA子の読書好きがうらやましい。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をA子に借りて読んでみたが、なかなか読み下せなかった。
でも、A子にはまた本を貸して欲しいと思っている。A子はちょっと得意げにそれを了承する。

A子もB子も5月の連休には里帰りしたいと思っている。A子は新幹線で、B子は深夜バスで帰る予定だ。
就職で東京に出てきてから初めての里帰りなのにB子の母親は旅行に出かける予定で、父親とどうやって過ごすか思案中だ。

・・・・乗り合わせた電車の中、わずか15分の間でも、見知らぬ誰かの、人生の一瞬に立ち会うことがあるものなのだ。


J1第5節 FC東京対コンサドーレ札幌(調布・味の素スタジアム)1-0

2008-04-07 21:30:32 | サッカー
第5節。序盤のベースがそろそろ固まりつつあるこの時期。
1勝2分1敗と五分の戦いをの東京はJ1昇格チームの札幌をホーム味スタに迎えた。
札幌の持ち味は統率された守備からの速攻であり、昨季の厳しい昇格争いを制したしぶとさが身上。
三連戦の最後でもあり、お互いにけが人を抱えているだけに厳しいゲームが予想された。

東京は前節で茂庭が負傷しており、ブルーノ・クワドロスが初先発。前節、今季初出場を果たした佐原と最終ラインを統率する。
前節ハードワークをした長友がベンチスタートで、金沢が左SBに復帰。
ボランチはアンカーに浅利を据えて、今野、梶山をなるべく前でプレーさせたいという意図か。
ワントップのカボレに近い位置に羽生、大竹を配し攻撃的な意図を持った布陣となった。
一方の札幌はダヴィを負傷で欠いており、攻撃に不安が残る。
開始早々、札幌曽田のヘディングシュートに驚かされるが、前半は東京が優勢にゲームを進める。
相手のプレスが十分でなく中盤できっちりとパスがつながる。中盤でしっかりポゼッションできるのは見ていて楽しい。
前半12分、その中盤でボールを奪った浅利がカボレに向けて長めのフィード。
ボールはイーブンとなったが、カボレがしっかりとコントロールしてゴール右に流し込む。
どんな体勢からでもきちんとシュートを撃つということが大事だということがよく分かる。
東京は、その浅利の起用が利いていた。CBと連携しながらどっしりと構えて砦を築いているので、梶山がパスに専念できる。
また、羽生のフリーランニングがリズムを作り、大竹が果敢に挑戦していく。
怖いもの知らずなところが若者らしくていい。ここだと思うと迷わずシュートを撃ってくるところもいい。
この大竹といい長友といいムーヴィングフットボールの申し子といっていい選手たちがきっと明日の東京を作っていくのだろう。

後半に入り、前半の攻勢に疲れた東京が次第にペースを落とし始める。徐々に札幌にボールを持たれ始め、先制の1点が危うくなっていく。
カボレに代えて赤嶺、大竹に代えて長友を投入して再構築を図るが、札幌に押し込まれた局面の打開に結びつかない。

それにしても、大竹から長友にスイッチしてどこに入れてくるかと思ったが、サイドバックではなくて左のハーフに置いてきたところは面白かった。
しかも長友は局面によっては中に絞って、トップ下気味にプレイしていた。このあたりの城福采配は去年までの東京からは感じられなかったセンスだ。
猫の目のように変わるスタメンも含めて何が出てくるか分からない面白さがある。

札幌が決定機を作れなかったことと、東京DF陣の踏ん張りとで辛くも逃げ切ったが、とにかく1点差というのは最後まで痺れる。
ともあれ、東京は連敗を免れ勝点3を積み上げた。
いましばらくこうした苦しい試合が続くだろうが、こうやってしぶとく勝ち点を拾いながら上位に食らいついていくしかない。
そのためには連敗は禁物。5~8位ぐらいでついていければ、終盤で光明が開けてくることもあるだろう。
とにかく今年は可能性のある戦いをして欲しい。

スタートダッシュに成功したチーム、もたついているチームとさまざまだが、東京の立ち位置は今のところ、悪くない。

4/6のランニング

2008-04-06 20:41:25 | ジョギング
朝から気持ちよく晴れた。桜も今週末が最後。
いつもの多摩川の土手を1時間かけて歩きながら桜をめでる。
歩いた後に2キロのジョギングを入れる。
ここ数日体を動かしているせいか、大腿四頭筋は疲れてはいるもののきびきびと反応してくれる。
久しぶりの感覚だ。

さすがに走り終わった後は膝の上のほうが痛くなってきたが、これもある程度は産みの苦しみといったところ。
ストレッチをしっかりやりながら慣らしていきたい。

台湾訪問記-1-

2008-04-06 13:21:59 | 
3/28(金)
約6年半ぶりの台湾。仕事で何度か訪れた土地だが、プライベートでの訪問は初めて。

かつて仕事ではもっぱら日本アジア航空のEG201便を利用して台北に飛んでいた。
中国が日本の航空会社の台湾への乗り入れを拒否したために
日航が設立した日本アジア航空が台湾線に就航していたという歴史的な経緯があるそうだが、
この4月から日本アジア航空が日航に吸収され日航の運行になるため、
4月を跨いでのこの旅は行きがEG便、帰りがJL便ということで、EG便に乗る最後の機会となる。
まあ、これも何かの巡り合わせということだろう。
搭乗後、機長から長年のご愛顧に感謝したいという機内アナウンスが流れる。
3時間半ちょっとのフライトの後、台北郊外にある桃園国際空港に到着した。

台北は、ここ数日の東京の気温より少し高い程度かなという感じ。日本の初夏の陽気だ。
台北の市街よりも北にある天母地区のホテルに荷物を降ろしたあと、早速路線バスに乗って台北市街へと出かける。
ここのところ台湾経済は回復基調にあるらしく、また先日の総統選挙の直後ということもあってか、
バスの車窓から眺める台北の街には活気が感じられる。

台北のランドマークになっている「TAIPEI101」という高層ビルを訪れる。
7年前にはなかったビルで、世界一の高層ビルとしてオープンしたそうだ。
台湾繁栄の新しい象徴というところだろう。ビルのうえから眺める夕方の台北市内は靄に霞んでいる。
黄砂の影響か無数のバイクの排気ガスなのか、台北はいつも霞んでいる。

夕食は台北中心部にある驥園川菜餐廳という四川料理の店。
この店の特徴は土鍋で鶏を丸ごとぐつぐつと煮込んだ「砂鍋土鶏」。
お店の入り口のにはいくつもの土鍋がぐつぐつの煮立っている。
コラーゲンたっぷりのスープが絶品。ちょっと置いておくと薄く膜が張るほどコクがある。
台湾はとにかく食べ物のうまいところ。食事にかかる費用も比較的安く、おいしいものが手軽に食べられるところがいい。

4/5のランニング

2008-04-05 23:07:00 | ジョギング
昨日に引き続いて今日も河原に出る。
今日は最初から30分のジョグ。
ゆっくりとしたペースで走るが、すっかり落ちてしまった筋力のせいで足全体が重く硬い。
それでも30分を続けて走るのは怪我をして以降初めてのことになる。
走った後、膝に違和感が出てきたが、これは想定内。
無理しないで調整していこう。

それにしても走った後に行ったいつもの整骨院の先生に「太りましたね」と言われたのは、
うすうす気がついていたけどちょっとショックだった。体を絞らないと・・・。

4/4のランニング

2008-04-04 06:12:01 | ジョギング
多摩川沿いの桜が満開の中、久しぶりの朝のジョギング。
堤防までの往復10分をウォーキングしてから2キロのジョグ。

ちょっとサボりすぎた。先週末から今週前半にかけての台湾旅行で美味しいものを食べ過ぎて少々太り気味。
体が重く膝も硬かったが、少し肌寒い中を走るのはすがすがしい気分だ。
年度も替わったことだし、トレーニングを再開したいと思う。

今日の距離:2キロ

J1第4節 横浜F・マリノス対FC東京(横浜・ニッパツ三ツ沢球技場)3-0

2008-04-03 21:03:27 | サッカー
横浜の老獪さ、東京の精神的未熟さがもろに出てしまった。
もう少しフォーカスして、山瀬と梶山という10番の出来の差と言い換えてもいいかもしれない。

高い位置でプレスをかける、シンプルにはたく、カウンターは素早く、要所要所で横浜の戦術に対する意思統一ははっきりとしていた。
一方の東京は、梶山のところまでは何とか繋いでもそこから前に運ぶアイデアに乏しい。
個々の判断が遅れてパスコースを限定される。果たしてアタッキングサードからのギアチェンジが出来ずに手詰まり感が漂っていった。
二人目三人目の動き出しが極めて悪い。横浜が果敢にスペースに走りこんでいったのとは対照的だった。
それでも前半をスコアレスで凌ぎきったのは、横浜のエンジンのかかり具合が今ひとつだったことと、
東京のディフェンス陣の踏ん張りだった。とりわけ長友がハードワークを厭わなかったことと、初スタメンの佐原が安定した守備を披露したことだろう。
茂庭とのコンビも決して悪い出来ではなかった。苦しくなったのは、茂庭が35分過ぎに肩を痛めてしまってからだ。

後半開始早々、踏ん張りの利かない茂庭が山瀬に振り切られ、1点を献上。
東京はすかさず川口に代えてカボレを投入し局面の打開を図る。
後半開始から入った大竹がよく動いてボールが廻り始めた東京は、羽生のクロスの折り返しを、その大竹が鋭く振り抜いた。
GKに止められたものの、この試合最大のチャンスだった。

しかし、その直後に追加点を奪われて苦しくなった。
カボレはボール欲しさに下がってくるし、平山は鋭い寄せにボールをキープできない。
梶山の不用意なパスミスなどもあってリズムをつかめないまま、時間が過ぎていく。
結局、集中の切れかかったロスタイムに再び山瀬をフリーにしてしまい、いらぬ3点目を与えてしまう。
リーグ戦の終盤になれば得失点差で、1点の重みが出てくる局面もある。
負け試合は免れないにしても最後に集中を切らすようでは精神的な未熟さを露呈したといっていい。
与えてはいけない3点目だった。逆に3点目をしっかり取りにいった横浜の老獪さはさすがだ。

コンビネーションの構築にはまだ時間がかかるだろう。
どんなメンバーでも戦える集団を作ることに異論はない。
それだけにチーム戦術の浸透には今しばらく忍耐が必要だろう。我々観戦者も。
問題は連敗をしないこと。次はしっかり勝つんだというメンタルが必要になってくる。
次の札幌戦が今年の東京を占う上で最初の正念場だろう。