西本願寺と聞けば、京都の世界遺産・西本願寺を思い浮かべる人は多いでしょう。しかし、江戸(東京)にも、西本願寺と呼ばれたお寺が在ることを知る人は多くはないと思われます。実は、築地の魚市場の近くに在る築地本願寺が、かつて西本願寺と呼ばれたそのお寺です。有名なお寺ですから、「西本願寺」と聞いてイメージ出来なかった人も、今度はイメージ出来るのではないでしょうか。因みに、以前にも御紹介しましたが、浅草には東本願寺が在ります。つまり、京都と同様に江戸(東京)にも、西本願寺と東本願寺が在るというわけです。
現在は西と東に分かれていますが、いずれの本願寺も源流を辿れば浄土真宗の開祖、親鸞聖人に辿りつきます。西と東に分かれたのは、豊臣から徳川へと政権が変わった頃のことで、江戸の西本願寺は、西と東が分かれた後の元和三年(1617年)に、京都西本願寺の「別院」として、横山町の地(古地図からは現在の東日本橋の問屋街辺りかと想像されます)に建立されました。
築地へ移転したのは、明暦三年(1657年)の大火(振袖火事)による焼失がきっかけで、幕府による区画整理のために旧地への再建が許されなかったためです(因みに、この区画整理の対象の一つとなったのが吉原の遊郭で、火事以前の吉原は現在の人形町に在りました)。替地として与えられたのが、その頃は未だ海であった築地の地で、再建のためには海を埋め立てて、土地を築くところから始めなければなりませんでした。その中心となって働いたのが、佃煮発祥の地として知られる佃島の信徒の人々で、22年後の延宝七年(1679年)になって、ようやく再建を果たすことが出来ました。今、書店等で比較的簡単に買える古地図の多くは江戸中期から幕末にかけて刷られたもので、それらの地図には、西本願寺は大きなお寺として堂々と描かれていますが、実は再建までには大変な苦労があったというわけです。
現在の本堂は、昭和九年(1934年)に落成したもので、インド様式の外観が特徴となっています。
藤沢周平著「債鬼」(孤剣 用心棒日月抄に収録、新潮社)の中で、主人公・青江又八郎は、西本願寺の東方、南小田原町に住む、金貸しの銭屋徳兵衛の用心棒を務めることになります。
西本願寺が登場するその他の作品
- 池波正太郎著「毒」(鬼平犯科帳(十一)に収録、文藝春秋)
- 池波正太郎著「霜夜」(鬼平犯科帳(十六)に収録、文藝春秋)
築地本願寺 東京都中央区築地3-15-1
東京メトロ日比谷線 築地駅から直ぐ 徒歩約1分
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