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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

『浪華奇談』怪異之部 11.奇夢

2024-04-10 23:01:07 | 怪談

『浪華奇談』怪異之部 11.奇夢     不思議な夢

                   2024.4

私の先批(はは)の話である。母が、幼い頃、毎朝お堂の前に座って小豆餅を食べる夢を見るのが、常であった。
それゆえ、朝に目がさめた後も満腹で、朝飯は、お膳に向かうだけで、人並に食べることが出来なかった。

母の家は、傘を造る仕事をしていたので、糊に用いるための水取の餅を毎朝買いもとめに行った。しかし、十歳の時の或る日は、近所に売ってなかったので、嶋町よりおはらい筋の農人橋(のうにんばし)北へ入の西側まで求めに行った。
その家の内に老女がいるのが見えた。
(母の夢の中で餅を食べている自分の姿は四才ぐらいであったそうである。)

家内を見わたせば、かの毎朝もちを食べていた家は、此処(ここ)であろう、と思った。しかし、子供であったので、自分の見た夢について話して、状況を聞くこともしなかった。

大きくなった後には、その家もなくなったので、改めて問う事も出来なかった。

その後つくづくと思ったことは、私はかの餅屋の亡くなった児の生まれ変わりであったのだろう。きっとあの老女の子供であったのであろう。それゆえ、毎朝もちを持仏堂へ備えたのであろう。

十三歳の年、河州大ケ塚村(かしゅう だいがつか:大阪府河南町大ヶ塚)に行った時に餅を食べる夢を見てより、再び夢みる事はなかった。
それは、老女が亡くなって、餅を供える人もいなくなった為ではなかろうか?と折節に、話していた。


私の親族で、河州(大阪)おにすみ村(河内長野市神ガ丘)の延命寺の蓮諦比丘(えんめいじ れんたい びく=坊さん)は、礦石集並びに続集をあらわした。書中に、亡者を祭る飲食の類は、すべてその奉った亡者や神に届くという事を、くわしく述べている。
これは、神儒仏ともに異論は、ないものである。

 


『浪華奇談』怪異之部 10.猫のあやしみ

2024-04-08 22:58:22 | 怪談

『浪華奇談』怪異之部 10.猫のあやしみ

                                          2024.4

高麗橋三丁目に近江屋何某(なにがし)と言う家があった。いづかたよりともしらず黒い雄ねこが来たので、そのまま飼った。
しかい、何とやら妖しいことが多く、人がいない所では、人のように立って歩行し、あるいは、人の言葉を話しなどした。
それで、その家の亭主も、黒猫をうとんじて四五町(ちょう:500㎡位)も離れた場所に追放したが、半日程の間に帰ってきたそうである。

その次は、この猫を器に閉篭(とじこめ)、せんだんの木橋(栴檀木橋:大阪市北区)を北へわたり、中の島より大江橋を北へ越えて難波小橋を東へ行き、もはやここに捨て置いたならば、よも帰りもしないだろうと、放った。
しかし、それより二日過ぎて、またまたかの猫は家に帰ってきた。

人々は、大いに仰天して、そのままたたいて追い出しだが、これより家には入らなくなった。
しかし、隣の家を去らずにとどまっていた。程なくこの家に、他から新たに児猫がもらわれて来た。
すると、かの古猫は、人がいない隙をうかがって、家の内へ入って来て、子猫を大いに噛んだそうである。
人々は、また妖猫(ばけねこ)が来た、と言って追い出したが、それより何処に行ったのか、再び現れることはなかった。

昔より、猫が怪をなす事は、珍しくない。
このような妖物(ばけもの)を家にやしなわなくても、良いであろう。


『浪華奇談』怪異之部 9.石仏 言を発す

2024-04-07 22:55:10 | 奇談

『浪華奇談』怪異之部 9.石仏 言を発す

                                             2024.4

阿波座堀(大阪市西区)の奈良屋町浜より少し南へ入込んだ町家の軒下に、一尺あまりの石仏の地蔵尊の座像が安置されていた。

文化五辰年(たつどし、1808年)五月十八日の夜、ある軽薄なものが、風雨のまぎれに来て、その像を自分の家に持ち帰った。
敬い奉って供養したが、その夜よりこの菩薩が、
「阿波座へ帰る帰る」と夜中声をあげ続けた。
これによってこの者は、怖恐(おぢおそれ)てもとの小堂へ返した。
この石像は、今にこの地にある。
 
河内の国守口の隣村である世木村(せきむら)の百性の家の軒下に石像の地蔵菩薩があった。
しかるに、この家は一向宗の信徒であったので、この菩薩を嫌って氏神の境内へ移した。
しかし、これも夜陰に及ぶと、旧地へ帰る帰ると言ったので、再度もとの場所に持ち帰った。
この石仏は、甚だ粗末に彫っていて、眼耳鼻口(げんにびくち)などの形もなかった。
阿波座の像は、丁寧に彫ってあった。


『浪華奇談』怪異之部 8.瑞夢      予知夢

2024-04-06 22:52:34 | 奇談

『浪華奇談』怪異之部 8.瑞夢  
     予知夢

                                          2024.4

文化年中のことである。
私は、ある夜の夢に、お勝手にて酒を飲んでいたが、ふと表の方から、前触れもなくて京屋吉右衛門と言う書林(本屋)が来た。
私は、すぐに酒を酌み、又魚肉をすすめたが、その時に吉右衛門がこう言った。
「わたくしは、今日は、精進日でございます。なんであれ、野菜の類を下さい。」と言った。

すぐに、座にあった器を見るに、ことごとく魚肉であって、野菜は全くなかった。
向こうの板の間を見ると、少しの野菜があった。
それで、す早くきざんで、醤油をかけ、「これでは、」と言って、出すと思えば、夢から覚めた。

そうであるが、翌日いづみや孫兵衛という書肆から、
「今晩は、新宅に移っての書画交易会を催おしますので、御い出下さい。」
との申しいれがあった。

それで、その晩、その家に至ったが、思いの外、奇麗な家であった。
二階の座敷へ招待された。
そして程なく宴が始まった。その料理は、甚だ美をつくし珍しい料理が並んだ。そうこうするうちに、人々が多く来た。
私は、ひそかに思ったのだが、昨夜の夢に似ている形であるな、と。
見ている所に、ある人が吉右衛門にさかなを進めたが、
その人が言うには、
「私等は、今日は精進日でございますので、青物の類を下さい。」と言った。
私は、いよいよ前夜の夢と同じだなと、脇目もふらず見守っていた。
肴をすすめる人は、出されていた料理をあちことと探したが、野菜のたぐいは、一切なかった
仕方なくて、二階より一階に下りて、台所にて、ようやく煮菜を盛った鉢を取って来て、「これでは」と言って、与えた。

誠にふしぎの次第であった。
正夢もある事と覚えた。