江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

人骨をかじる狐の話   「信州百物語」

2023-01-13 20:24:12 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

人骨をかじる狐の話 

                                   2023.1

仙丈岳(長野県伊那市と山梨県南アルプス市にまたがる山)の登山道に戸台と云う部落がある。         

ここに次のような怪異譚がある。

この村には、昔からよくバカ火(ばかび:多分怪しい火)が燃える。
村人は、それを「狐の嫁入り」と称しているという。
この怪火は、雪の降る時分が一番多くあらわれて燃える。
真っ白な広原に、真っ紅な火の行列がクルクル燃えひらめきながら、だんだん山の方へ上って行く様子は、実に壮観とも奇観とも珍しいものだと言うことである。

物語は或る年の冬の出来事であった。

今の今まで、小止みなく降りしきっていた雪がピッタリ止んで、夜空には、まばゆい程の星屑が燦(ひら)めき出した。
隣の村に用事があって出掛けた一人の村人が、ようやく夜更け(よふけ)に帰路についた。
青光る雪の野原を横ぎっていると、前方にトロトロ燃えている赤い火を見つけた。
村人は、すこし恐くなってしまった。
なぜかというと、そこは火葬場で、新仏を焼いているらしいのだが、帰り道はどうしてもその側を通らねばならなかったからなのだ。

近付くに従って、人体を焼く異臭がプンと鼻を打った。
吐きっぽくなるような、一種の甘ったるい臭いがした。
ここの野外での火葬は、昔から続いているのものである。
しかし、遺体を焼く煙が立ち上る傍らに、隠亡(おんぼう:火葬場の従事者)が半身を真っ赤に染めて、魔人の様に立っている姿などを見せられては、なにかぞっとするものである。
それで村人は、袖で鼻ロを覆って、火葬場の方は見ないようにして、雪道を急いだ。

ところが、通り過ぎて、しばらく行くと、かたわらからガタガタと言う異様な響きが、突然起った。
村人は思はす、ブルブルとして立ちすくんでしまった。
怖る怖る振り返えると、道の傍に一匹の狐が人骨をかじっていた。
そのかじる音であった。

その瞬間、村人を見上げた狐の目が、ギラギラと青光りしたように感じた。
真夜中の雪の広原、火葬場の傍で、狐が人骨をかじっているのを見たら、大ていの人間なら、ぞっとしてしまうであろう。
月並みな言い方だが、この村人も冷水をかけられたやうに慄然とした。

が、次の瞬間には、狐は人骨をくわえたまま、雪の原を真一文字に走り出した。
見ると不思議なことに、その狐が走るに従って、ロにくわえている人骨が真っ青な光を発していた。
何の事はない、人魂が大地をはっているようであった。
しかもその怪火は、山へ山へと上って行ったと言う。
ふと我に帰った村人は、息せき切って家まで走り帰った。

その後、これこそ例の「狐の嫁入り」の正体であろう、と人々に語ったそうである。


 「信州百物語」 信濃郷土誌刊行会 編、昭和9年 より。

 


天婦羅(てんぷら)の始まり  山東京山「蜘蛛の糸巻」

2023-01-13 19:26:50 | 江戸の街の世相

天婦羅(てんぷら)のはじまり

天ぷらの語原
                                 2023.1

訳者注:天ぷらの名は、山東京伝先生(江戸時代の代表的な戯作者。「江戸生まれ浮気の蒲焼き」など。本文の著者である山東京山の兄。)が、考え出したものだそうだ。
その事が、山東京山の「蜘蛛の糸巻」に記されている。

以下、本文

天明の初年の事である。大坂にて家僕二三人も雇っている商人の次男の利介と言うものがいた。
好きになった歌妓(芸者)をつれて、江戸へ逃げて来た(家族に反対され、駆け落ちしたのであろう。)。

そして、私の家と同じ街の裏に住んでいた。朝夕、我が家にも出入りしていた。
(訳者注:京伝は煙草屋もしていた。
京伝が文化人であるし、煙草を買いに来ながら、雑談もしていたのであろう。)


或る時、その人が、今はもう亡くなった兄に、こう言った。
「大坂では、つけあげという物を、
江戸では、胡麻揚げと称しての辻売りがあります。
しかし、魚肉のあげ物は見たことがありません。
うまいものなので、これを夜店の辻売にしようかと思うのですが。
先生いかがでしょうか?」

兄が答えた。
「それは、よい思いつきだ。
まづ、試食してみよう」と、用意させた。
食べてみると、おいしかったので、すぐに売ると良い、とすすめた。
しかし、その人は、
「魚の胡麻揚という名前にすると、どんなものか、よくわからない感じがします。
語感も良くありません。
先生、名をつけて下さい。」と言った。

すると、亡き兄は少し考えて、
天麩羅と書いて見せた。
しかし、利介は、納得がいかないという顔をして、
「テンプラとは、どんなわけでしょう?」と聞いた。
亡兄は、笑いながら、
「あなたは、今は天竺浪人である。
フラリと江戸へ来て売り始める物であるから、てんぷらだ。
てんは天竺のてん、つまり揚げるということだ。
プラに麩羅の二字を用いたのは、小麦の粉のうす物をかけるという意味だよ。」
とおどけて言うと、利介も洒落のわかる男であったので、
天竺浪人のぶらつきであるから、「てんぷら」という名前は、面白いと喜こんだ。

店を出す時、あんどんを持って来て、字を書いてくれと要望した。
それで、亡き兄は、私に字を書かせた。

このことは、私が十二三歳位の頃であって、今より六十年の昔の事である。

今は天麩羅の名も文字も、日本中に広まっているが、
これは、亡き兄の京伝翁が名付親であって、私が天麩羅の行燈を書き始め、
利介が売り弘めた事を、知る人は、いないであろう。
〔割註〕この説は、実にそのとおりである。私が、幼いころには、行燈に本胡麻揚と書いてあった。


そういいう事なので、私が増修した北越雪譜の二編、越後の小千谷にて鮭のてんぷらを食したる条下にも、このことを記した。
思うに、物事の始源は、大方は、このような事からであろう。

                   


狐が屋根の上を飛歩いた話 「安濃津昔話」

2023-01-13 17:32:00 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

狐が屋根の上を飛歩いた話  「安濃津昔話」
                                  2023.1

狐を馬に乗せたという話は聞いたことがあるが、狐が屋根を飛び歩いたとは、珍らしい話である。

それは元治元年の五月二十二日朝の五ッ時 (午前八時)に、魚町の嘉左衛門(かざえもん)の家から与平治(よへいじ)の家まで、狐が屋根を飛び歩いた、とのことである。
それで、六月二十二日牟山神社(三重県多気郡多気町)に御湯を上げたという記事がある。

記事になっているからには、最も信ずべき記録であろう。


「安濃津昔話」より

 


猫の審判  猫の彫刻の優劣を判断させた話 「安濃津昔話」

2023-01-13 17:27:19 | 奇談

猫の審判  猫の彫刻の優劣を判断させた話  「安濃津昔話」


                                 2023.1
これは、化け猫の話ではなくて、猫に彫刻の優劣を判断させた話である。

津藩の誉れである彫物師田中岷江は、享保二十年に伊賀の中柘植で生れて、文化十三年に八十二歳で津において歿した。
藩に抱えられて十二人扶持を受けたが、その技術は大変に精妙であった。
眠江の弟正好は淵田氏の養子となって淵田の姓を相続したが、これまた彫刻の妙手であった。

或る時、兄弟が彫物に腕前について賭をした。
それは、おのおの一個の鼠を刻んで、それを猫に見せ、一番に飛び掛られた方の鼠の作者を、優勝者としようというものであった。
猫の審判こそ、最もえこひいきの無い公平なものであるとの考えからであった。

それで弟の正好は色々と考えを練って、鰹節を材料に使って精巧な鼠を作った。
形が鼠で、中身が鰹節、これに飛付かぬ猫はいないであろう。
こんどこそ、兄貴の鼻もへし折ることが出来るだろうと、自信満々であった。

それに反して、岷江は無雑作に薪の中から一本の木を引っ張り出した。
それを以て一匹の鼠を作り上けた。
そこで二個の鼠を一室に並べて置いて、襖の間から猫を入れた。
すると、猫は例の如くじっと首を下にし、二匹の鼠を、ややしばらくニラんでいた。
やがてパッと飛びあがった。
そして一疋の鼠をくわえて室外へ走り去った。
あとに残ったは、鰹節で作った鼠であった。

技を称賛したとの事であった。


この話は、弟の淵田氏の子孫が言い伝えた話である。

「安濃津昔話」より

 


三尊佛の亀と大蛇 「安濃津昔話」

2023-01-13 17:25:44 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

三尊佛の亀と大蛇      「安濃津昔話」

                       2023.1

 享保十五年二月十二日、四天王寺から藩の役人へのこのような届出があった。
『寺の内の蓮池からはい上ってきた(甲良ぼしに出てきた)亀の甲に、三像仏の御姿が、ありありと見えております。
余りの不思議さに、捕え置いて、御指示を待っております。』との事であった。

すぐに差出させて、殿様の御覧に入れた。
それから寺へ差し戻した。
寺では、その翌日から四日間、一般人に公開した。
それで、毎日群集が押し掛けて、大賑合いであった。


 元文五年六月五日、雲出屋の安右衛門からの報告には、『町裏(大門通西側住宅地と外堀との間の道)の御堀の土手のすすきの中に、大蛇の尾や頭は見えずに、胴体が四尺ばかりの所だけ見えましたが、その太さは確かに二尺廻り以上でありました』との事であった。
 上記の蛇は証拠のない事であるが、亀の甲は四天王寺の七不思議の一つとなっているものである。

「安濃津昔話」より