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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

夜に胸を押さえる化け猫  「醍醐随筆」

2020-01-08 21:09:12 | 化け猫
夜に胸を押さえる化け猫
                        2020.1.8
「醍醐随筆」(江戸前期)より

美作の国の武士の家に、十五六歳の嫡男がいた。

寝室に入って寝たが、夜半過ぎの頃、必ずものに襲われて、うめくので、人が行って見るの、と何もいなかった。

「何が起こったのか?」と聞くと、醜くて憎げな老人が来て、
上より胸のあたりを押さえられ、手足がなえて、言葉を出せなかったと言う。

二三人のものを添わせて寝せると、何も起こらなかった。
独り寝すると、必ず襲われた。

父親は、
「お前は、もう十五六歳になっている。
このように情け無く臆病であったら、我が家を継がせる事は出来ない。
出家せよ。」と怒って言った。

彼の男児は、この言葉を聞いて、恥ずかしく思い、くやし涙を流した。

その夜は、人を入れず、ただ一人、また戸を閉めず、灯火もつけず、横になった。
何であれ、今日は逃さないと、匕首を抜いて、手に持ちながら、布団を被って、寝ないで待ちかまえた。

夜半の頃、だるく、ぼーっとしてきて、眠くなってきたが、我慢した。
すると、例の老人が、いつもの通り胸を押さえようとしたので、匕首をもってひしと切りつけた。

切りつけてから、従者を呼んだが、手に手に明かりのロウソクを持って来た。
血が流れて、部屋中にあふれていた。

血の流れて来た先を尋ねると、屏風の後ろに、大きな犬程の猫が、倒れていた。
肩より腰まで、二つに切られて死んでいた。

猫も、よく化けて、人を惑わすものである。



役の行者(えんのぎょうじゃ) 「傍廂(かたびさし)」

2020-01-02 18:45:50 | 安倍晴明、役行者
役の行者(えんのぎょうじゃ)
                       2020.1.2
役小角は、大和の葛城山に岩橋をかけようとした。
それで、多くの鬼神を使役したが、そのうちに一言主の神(ひとことぬしのかみ)がいた。
この神様は、姿形が醜かったのを恥じて、昼はかくれて、夜に仕事をした。
そのため、役小角(えんのおづぬ)は怒って、一言主を縛り上げた、との説は、全くのウソである。
これは、役の行者を卑しめ貶めた、妖言である。

そうであるのに、「岩はしの夜の契も絶えぬべし」などとか、歌にもよみ、
「かつらぎの神こそさかしうおきたれ」と、物語りにも書かれたのは、俗説に基づいたものである。

畏れ多くも、一言主神は、雄略天皇が葛城山に狩をした時に、その一言主神が姿を現して、天皇と対面したのは、歴史書にはっきりと記されている。
怒り狂う猪を踏み殺した強勇大力の天皇も、一言主の神を、畏れ敬まって、捧げものをしたこともあった。

小角のような者が、一言主の神には、力が及ばない。

役小角(えんのおづぬ)は、葛城上郡茅原村(かつらぎかみこおりかやはらむら)の土着民の子であった。

狐を使い、妖術を以て、人をたぶらかしたので、
韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が、訴えた。そして、天武天皇の三年五月、伊豆国大島へ流罪させられた。


役の行者(えんのぎょうじゃ)が畜生道に落ちる

役の行者(えんのぎょうじゃ)が、伊豆大島に流刑された後に、そこで死んだ。、
それから40年後に、道昭(どうしょう)と言う僧が、唐に留学した。
すると、500匹の虎が出てきて、僧道昭を礼拝した。
その内の一頭が、「私は、日本国の役小角である。・・・」と、「日本霊異記(にほんりょういき)」にある。
後生の書では、「元享釈書」にも、記載されている。

小角は、もと葛城上郡茅原村(かつらぎかみこおりかやはらむら)の土着民の子であって、狐使いである。
畏れ多くも、一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)を縛り上げたなどと言うのは、尊卑・強弱をよく解っていない愚かな者達の、ばかげた話である。

以上の二項は、
「傍廂(かたびさし)」(斎藤 彦麿 1768-1854年)より。

  
編者注:役小角(えんのおづぬ:634-701年?)又は、役の行者は、日本における、最も古い時代の仙人であり、修験道の開祖とされている。
なお、役小角の役(えん)は、姓である。役という氏族の出身である。
また、小角(おづぬ)というのは、生れたと時から、頭に小さな角状のものがあったためである。
小角(おづぬ)は、いつも、角を隠す帽子をかぶっていたそうである。
古書には、あまり、評判が良くないが、これは、彼の評判を妬んだ韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の讒言によってである。
讒言によって、他人をおとしめるのは、国史には、珍しいが、現今の東アジア情勢と照らしあわせると、妙に符合するのは、哀しい事である。
さて、役小角は飛鳥時代の人ですが、「傍廂(かたびさし)」は、江戸時代の書ですので、取り上げました。




利根川のカッパ 「利根川図志」

2020-01-01 12:07:22 | カッパ
利根川のカッパ   
                        2020.1.1
「利根川図志」より

「望海毎談」に、利根川にネネコという河伯(カッパ)がいた、とある。
年々その住みかは変わっていた。
地元の人々は、その居る所を知っていた。
その居る所では、害があった。

実際に、カッパの害のある話は、多い。
「香山牛山」の「活套」中巻に、筑紫の方には河伯の害が多いと記されている。
カッパの害にあったら、金銀花(きんぎんか:忍冬ニンドウの花のつぼみ)を煎じて、服用すれば、神のような効きめがあるという。
試してみると良い。

手指を截断したのを、接ぐ薬方を、カッパより受けたるという話があるが、疑わしいとは思っていた。
しかし、そういうことも有るか、とも思うようになった。

編者注:利根川は、日本一の大河であるにも関わらず、カッパの話は少ない。
    「利根川図誌」に見つけたので、ここに記す。
    「利根川図志」は、赤松宗旦(あかまつそうたん)の著で、1855年に刊行された。

本草記聞でのカッパの記述 

2020-01-01 11:39:38 | カッパ
本草記聞でのカッパの記述 
                2020.1.1
形は猿のようであり、眼は丸く、鼻は長く出ている。
頭が赤いのもある。頭頂に、ハマグリのカラのような皿がある。
これに水をたたえれば、力を増すとの俗説がある。
全身の色は淡黒く、少し青黄を帯びている。
腹及び背には、甲羅がある。
手足を縮めて甲羅のなかに隠す事が出き、亀の様である。
手足を伸ばせば人の形の様である。
手足に皆五つの指がある。
また、水かきもある。
全身にはなはだ生臭い臭いがある。

以上、「本草記聞」小野蘭山(1729-1810年)著 より



家の中の怪奇現象(江戸時代のポルターガイスト) 「黄華堂医話」

2020-01-01 11:26:23 | 怪談
家の中の怪奇現象(江戸時代のポルターガイスト)

伊勢の津に、堀某(なにがし)と言う武士がいた
その家に、突然、妖怪が出るようになった。
衣服がひとりでに、箪笥から出てきて、家の中をめぐり歩き、多くの器も、動き回った。
しかし、主は、武勇の人であったので、妖怪も畏れたのか、
   主が家にいる時は、昼夜とも怪奇現象は起こらなかった。
主が、外にいる時だけ、必ずその妖怪が怪奇現象を起こした。

このような事が、一月あまり起こった。
はじめは、家の者達は、驚き恐れて、気を失ったりしたが、日が経つにつれ、みなその事になれ、女子供まで、恐れなくなった。
茶碗、たばこ盆などが、しぜんと動き回るのを見て、かえって面白がるようになったので、その怪奇現象は、止まったとの事である。

「黄華堂医話」より

編者注:これは、ポルターガイスト(Poltergeist)現象でしょう。
    江戸時代のポルターガイスト。