江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

役の行者 「傍廂(かたびさし)」での記載

2020-04-12 10:42:19 | 安倍晴明、役行者

役の行者 「傍廂(かたびさし)」での記載 

◎役の行者(えんのぎょうじゃ)

役小角(えんのおづぬ)は、大和の葛城山に岩橋をかけようとした。
それで、多くの鬼神を使役したが、そのうちに一言主の神(ひとことぬしのかみ)がいた。
この神様は、姿形が醜かったのを恥じて、昼はかくれて、夜に仕事をしたので、役小角(えんのおづぬ)は怒って、一言主を縛り上げた、との説は、全くの嘘である。

これは、役の行者を卑しめおとしめた、妖言である。
そうであるのに、「岩はしの夜の契も絶えぬべし」などとか、歌にもよみ、「葛城の神こそ賢(さか)しうおきたれ」と、物語りにも書かれたのは、俗説に基づいたものである。

畏れ多くも、一言主神は、雄略天皇が葛城山に狩をした時に、一言主神が姿を現して、天皇と対面したのは、歴史書にはっきりと記されている。
怒り狂う猪を踏み殺した強勇大力の天皇も、一言主の神を、畏れ敬まって、捧げものをしたこともあった。

小角のような者が、一言主の神には、力が及ばない。

役小角(えんのおづぬ)は、葛城上郡茆原村(かつらぎかみこおりうなはらむら:奈良県御所市茅原 ごせしちはら)の土着民の子であった。

狐を使い、妖術を以て、人をたぶらかしたので、
韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が、訴えた。

それで、天武天皇の三年五月、伊豆国大島へ、流罪させられた。


◎役の行者(えんのぎょうじゃ)が畜生道に落ちる

役の行者(えんのぎょうじゃ)が、伊豆大島に流刑された後に、そこで死んだ。、
それから40年後に、道昭(どうしょう)と言う僧が、唐に留学した。
すると、500匹の虎が出てきて、僧道昭を礼拝した。
その内の一頭が、「私は、日本国の役小角(えんのおづぬ)である。・・・」と、「日本霊異記(にほんりょういき)」にある。
後世の書では、「元享釈書」にも、記載されている。
小角は、もと葛城上郡茆原村(かつらぎかみこおりうなはらむら:奈良県御所市茅原 ごせしちはら)の土民の子であって、狐使いである。
畏れ多くも、一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)を縛り上げたなどと言うのは、尊卑・強弱をよく解っていない愚かな者達の、ばかげた話である。

以上の二項は、
「傍廂(かたびさし)」(江戸末期。斎藤 彦麿 1768-1854)より。
  
編者注:役小角(えんのおづぬ:634-701)又は、役の行者は、
日本における、最も古い時代の仙人である。
古書には、あまり、評判が良くない(「傍廂」も含めて)。
しかし、これは、彼の評判を妬んだ韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の讒言によってである。
讒言によって、他人をおとしめるのは、国史には、少ないが、現今の東アジア情勢と照らしあわせると、妙に符合するのは、哀しい事である。

修験道では、役の行者は、開祖のように尊敬されている。



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