江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

『浪華奇談』怪異之部 12.釈蓮諦

2024-04-12 23:05:54 | 奇談

『浪華奇談』怪異之部 12.釈蓮諦

              2024.4

先に記した、蓮諦比丘は、将軍家宣公の御帰依した僧の覚彦比丘の弟子であって、宿命智通(しゅくめいちつう)を得た。
私の母方の祖母は、私の母を娠して十月になっても出産しなくて、十一月に満ちても出産しなかった。
十二ヶ月目の末に及んで、蓮諦師に出産の時期を問うた。蓮諦は言った。
「来る五月六日の薄暮(はくぼ)に女子を産むだろう。そして、母子ともに健全であろう。この秘符(秘密のお札)を水で服用するように妊婦に与えると良い。」と。

「女の子であれば必ず右の手に握って安産するだろう。」と教示された。
果して言われた時期に、母は、先の符(おふだ)を手に持って生れた。
実に延享二丑年五月六日の夕暮に生まれた。不思議の事である。
宿命通(しゅくめいつう:前世における自他の生存の状態を自在に知る神通力)を具したる僧は多くはない。天竺にては釈尊、西土(もろこし:中国の事)にて安世高(あんせいこう)などがそうである。

これは、おまけだが、私は、時々仏理を説いている。儒を学ぶ人には、非常に嫌われる。
私は、
「和朝(にほん)の天子はどのようであろうか?
天皇家は、祖先神を祭っているので神道を尊び、また儒を尊び、勿論仏道をも尊んでいる。
かつまた将軍家もそうである。
その恩恵を蒙むっている我らは、どうするのか?
このことに、どう反論するのか?」
と、応じている。
仏教を非難している者は、黙って、退ぞいて行く。

和漢ともに、儒を学ぶ人は仏法を仇敵のごとくに見ている。しかし、また、今ここに五人や十人が仏道を誹膀しても、仏法は、滅亡に至らないであろう。
不必要な怒りに精力を費(ついや)す事は、君子のすることではない。仏道も勧善懲悪の指針となる。
社会の教化に益がある。

私は、常に人にこう言っている。
私は、天子様や将軍家に従がって神儒仏を尊敬している、と。
又、儒をにくむ人が有れば、私は、天子や将軍は、どうしているのだろうか、と質問する。
天子は、儒道を尊び、年の始めの読書はじめにも孝経を読んでいるのではないか?
将軍家は、林家に命じて、十三経を講ぜしめて群臣に示し、専ら聖人の道を尊んでいる。
その下にいる者は、天子様や将軍様と、神仏儒の優劣を言い争そうとするものだろうか?
私は、ただ公儀に従って儒を学んでいるのだ、と言う。
こうした時には、かの儒を忌み嫌うものは、なにも反論しないで、退(しりぞ)いていく。

訳者注:釈蓮諦の釈は、姓である。江戸時代の僧は、しばしば、お釈迦様の釈を姓とした。蓮諦は、仏教での名。
また、江戸時代には儒教(孔子の教え)が盛んであったが、儒家は、仏教は、人を惑わしている、などと批判していた。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿