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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

双頭の河童 「さへずり草 松の落ち葉」

2025-01-21 00:00:00 | カッパ

双頭の河童 「さへずり草 松の落ち葉」

           2025.1.21

水無月の八日、弘化三年に芝口橋のもとにある一商家にて、珍らしい物を見た。
顔かたちは、猿を陰乾(ほしがため)にした物に似ていた。身長は三尺ばかりもあったろうか。特に珍らしいのは、頭が二つ並んでいた。そこの主人について聞くに、
「これは、細川侯の藩士の内田某より置いていかれたもので、水虎を陰乾にしたものです。」と言った。見物人が多く、その上、箱の中の銅網(かなあみ)の中に有ったので、よく見る事が出来なかった。それで、その真偽は知ることが出来なかった。
このものは、九州には特に多くて、かつ坂本氏の鑑定と言う「水虎十二品」の図説中、寛永中に豊後国(大分県)肥田にて獲えたと言う物に大体同じであった。
又、豊筑の産のは、人の形で猿に似ていると言うのにも合っている。
歯は上下四枚、奥歯左右に二枚あると言うのにも違わなかった。しかし、頭が二つあるのは大変珍しい。

 


河童の種々のありさま   「三養雑記」 

2025-01-20 20:40:58 | カッパ

河童の種々のありさま   「三養雑記」

             2025.1.20

水虎、俗に「河太郎」、また「かっぱ」と言う。江戸にては川水に浴する童等が、時としてかの河童に、水に引き入れられる等と言うのを聞くが、大変に稀であって、その河童と言うものをはっきりと見た者はない。

西国では、所によっては、水辺などにて常に見ることあるそうである。怪をなすも狐狸とは、違うものである。

私自身が、しかと聞いたのを一つ二つあげてみよう。
畠の茄子―つ一つに歯がたが三四づつ、のこらずついていたことがあった、とその畠のぬしより聞いたことがある。

仇をなすこと、執念深いこと。
筑紫での仇(かたき)を、江戸にまで来て晴らそうとしたこと。その怪異についても聞いた事がある。、
   → https://blog.goo.ne.jp/edo-yokai/e/9839525e99f9f2e3d0f6861bf1d02a92  を参照
     「動物界霊異誌 河童その6 目に見えない河童と戦う」 

このカッパの写生図(寫真)として見たのは、背腹ともに鼈(スッポン)の甲のようなものがあって、手足首の様子は、鼈に大変よく似ている。
世人が、カッパは、スッポンの年経たるものである、と言うのもうなづけることである。


越後の国(新潟県)蠣崎のほとりにての事だそうだ。

ある夏のころ、農家の子供が家の内であそんでいると、友だちの子供が来て、
「河辺に行って、水あびして遊ぼう。」と誘って行った。
しかし、その誘いに来た子供の親が、程なく、その農家に来たので、農家の主が、
「今すこし前、あんたの息子が遊びに来たよ。」
と言うと、
「いや、せがれは風邪気味なので、今朝から家で寝ているよ。」
それで、大変に怪しいことであると、言いあったそうである。
後で聞けば、カッパが子供に化けて、誘いにきたのだろう、と言う。

また、上総国にもこのような事があった。

ある家の子供をその友の達の子供が来て、「川辺で遊ぼう」と呼びに来た。
それで、その母親が、「川辺に行くのなら、災難よけのまじないとして、仏壇に供えてある飯を食って行け」と言った。
それで、友達の子供は、「そんならいやだ。」と言いつつ走り逃げて行ったそうである。
これもカッパではなかろうか?先祖まつりは、厚くすべきことだ、と言ったそうである。
(訳者注:仏壇に供えたご飯には、魔除けの力があるとされていた。)
 
「三養雑記」 広文庫より


河童を神として奉る  「甲子夜話」

2025-01-19 20:36:58 | カッパ

河童を神として奉る  「甲子夜話」

          2025.1.19

先年、領国(平戸藩)に怪しい絵のあるお札が到来した。
後で思い出してこれを探し出そうとしたが、見つからなかった。

最近(乙酉:きのととり:1825年)ふと、文箱よりその版画が出てきた。
この図に小記を添える。
拙い分ではあるが、その大意を述べた。


「訓蒙図彙」には、こうある。、
川太郎は、水中に有る時は小児の如くして、身長は金(?)尺八寸より一尺二寸あり。
「本草綱目」には、水虎河伯とある。
出雲の国では、川子大明神と言う。豊後の国(大分県)では、川太郎、山城の国(京都府)では、山太郎、筑後の国(福岡県)では、水天宮と言う。
九州では、川童子というが、これは恩返しの福を授けたことによって福太郎とも言う。

そもそもの由来は、こうである。
相州(相模:神奈川)金沢村の漁師の重右衛門の家に持ち伝へてある箱に、水難疱瘡の守りと記してあった。
そのまま、家内に祭っておいてあった。

享和元年五月十五日夜、重右衛門の姉がこんな夢をみた。
夢の中に童子が来て、
「我れは、この家に年久しく祭られているが、忘れられている。願わくは、我がために一社を建ててくれよ。
そうすれば、災難、疱瘡、麻疹の守神として擁護をしようぞ。」
と言った。そして、たちまちに夢は、醒めた。
姉は不思議に思い、親類に告げた。皆集って、共に箱を開き見ると、異形のものがあった。
顔は猿のようで、四肢に水かきがあり、頭には、凹んでいる所があった。
そして、夢のお告げの故を以って、福太郎と称した。

その後、又某侯の求めで、その屋敷に出したが、某侯の所にも同じ物があった
同じように夢のお告げにより、水神として祭った。江戸と、その領国においても、しばしば霊験があるそうだ。
又、こうも言う。今その社を建立したのによって水神と唱えている。
信心のある人々は、このお札を十二銭で買う。

 南八丁堀二丁川自身番向  丸屋久七
又、この後に図を附す。(略)
これは、私(著者)ではない他の人の添えたものであう。これも又ここに載せる。  (略)


総じて川童(カッパ)の霊あることは、領地の村では、しばしばあった。
予も先年、領地の境の村にて、この河童の手と言う物を見た。
大変猿の手に似て、指の節が四つあったと覚えた。又この物は、亀の類であって猿と組み合わせたものであった。
或いは、立って歩く事もあったと言う。
また、鴨を捕る事を仕事とする者の言葉を聞くと、水沢(すいたく)の辺に窺って見るに、水辺を歩いて
魚貝を取って食うそうである。又、時として水汀(みぎわ)を見るに足跡があり、小児のようである。
 
また、漁師の言葉では、稀に網に入ることがある。
魚が取れないと、特に嫌っている。網に入れば、すぐに放って捨てる。網に入ったのを引き上げて見ると、その形は、一円石(?)のようである。これは、蔵六(?)のようであるからである。
川童(カッパ)を水に放り投げれば、四つの手足、頭、尾を出して、水中を逃げ去っていくと。
そうであれば、全くカメ類である。

訳者注:この文中に「訓蒙図彙」よりの、引用がある。手元に、「訓蒙図彙」があるので、調べてみたが、無かった。それとも、違う版のものにあるのだろうか?あるいは、書名を誤ったのであろうか?


「甲子夜話」(著者は、平戸藩主の松浦静山)  広文庫より

 


対馬の河童  「甲子夜話」

2025-01-18 20:34:57 | カッパ

対馬の河童  「甲子夜話」 

             2025.1.18

対馬には、河太郎がいる。浪よけの石?糖に集り群ををなしている。亀が、石の上に出てきて甲羅を曝すのに似ている。その身長は二尺余りで、人に似ている。老いたのもいれば若いのもいる。白髪のもいれば、髪があるのもいれば、天を衝くような髪をもつものなど、様々のものがいる。人を見れば、皆海にもぐって隠れる。常に人につくこと、狐の人につくのと同じである。対馬の人々に患いを成すと云う。
また予は、若年の頃、江戸で、捕まえた河太郎の図を見たことがある。
これは、享保年代に、本所須奈村の芦葦の中の沼田の中に、河太郎が、子を育てていたのを村人が見つけて追い出し、その子を捕えたものの図であった。
太田澄元と云う本草家の父である岩永玄浩が鑑定して、水虎であると断定して言った。また本所御材木倉の取建の際に芦葦を刈り払った時に、狩出して捕まえたともと言う。

訳者付記:さる2017年の始め、対馬で、カワウソが発
見されたとの報道がありました。
カッパ(河太郎)の正体については、多くの説がありますが、おそらくは、いくつかの動物を組み合わせたものでしょう。カワウソも、その内の一つです。
多くの地区では、カッパは、湖沼河川つまり淡水に棲んでいることになっていますが、対馬では、海辺に棲んでいるとの記述です。
地方性があって、面白いことです。

「甲子夜話」(著者は、平戸藩主の松浦静山)  広文庫より

 


河童は鉄を恐れる 「ありのままに」

2025-01-16 18:29:16 | カッパ

河童は鉄を恐れる 「ありのままに」

                        2025.1

肥後(熊本県)の山家郡内田と言う所の川中に、農具の鉄の刃が沈んでいるのを川童は大いに恐れた。
その所の人に、要請して取り捨ててもらった。
そのお礼としてのお礼として、その川筋にて人をとらない、と誓った。
その為に、石の塔をつみ置いたが、今尚存在しているそうである。

「ありのままに」広文庫より