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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

加藤清正の河童退治  「本朝俗諺志」

2025-01-15 20:26:15 | カッパ

加藤清正の河童退治  「本朝俗諺志」

             2025.1

肥後國熊本の八代の辺りに川童(カッパ)が多い。

しかし、所の人には、害をなさない、と言う。加藤清正が当国の藩主であった時、川狩りをしたが、児小姓の一人が川童(かっぱ)に水中に引き入れられてしまった。
清正は大いに怒り、
「我が領地にあって、我が家来の命を絶つ事は、言語同断である。
この上は、国中の川童を狩って、一匹も残さす打ち殺してやろう。
先づ、他所へ退げられないように、多くの貴僧高僧を集めて彼らを封じ、
それから、川上より河童らに対して毒になる薬を流そう。
数千の石を焼いて隠れている淵へ投入れさせよう。
又、猿を多く集めよ。」と下知した。

川童は、湯をあびれば、力を落とすものである。
石を焼いて淵に入れるのは、淵の水を沸かすためである。
猿は、川童を見ると力を増し、川童は猿にあうと、立ちすくみに成るものである。
猫に鼠よりも、厳しいものである。

強勢の清正が、強く命令したので、国中の川童どもは大変に恐れた。
肥後の川童(かっぱ)九千の頭は、九千坊と言った。
九千坊は、大いに悲しみ、封じた僧たちをたのんで、再三願って、ようやく赦された。
それで、永く所の人に害をなさないと固く誓約をした。
それより、カッパによる災いがなくなった。
しかし、時として、旅人には害があるそうである。

「本朝俗諺志」広文庫より

 


河童を倒す秘術  「閑窓自語」

2024-11-21 21:26:06 | カッパ

河童を倒す秘術  「閑窓自語」

           2024.11

肥前の島原の社司の某が、このような事を語った。

かの国(肥前:佐賀県長崎県の一部)にも、かわたろうが多くいる。
年に一二度ばかりは、必ず人を海中に引き入れて、精血をすった後に、遺体を返す。
誰が、思いついたのかは分からないが、こんなことがある。

かの亡骸(なきがら)を棺に入れず、葬らず、ただ板の上にのせ、草庵をつくって、そこに安置する。
しかし、香華(こうげ)をそなえておかなければ、この屍の朽ちる間、その人を殺したカワタロウの身体は、腐っていく。
カワタロウは、元々人間では、捕らえることができない。
そして、どの河太郎の仕業とも知ることが出来ない。この方法は、奇術であるそうだ。

カワタロウは、身体が腐っていく間、かの死がいが置いてある草庵のほとりを、悲しみ泣きめぐる。
人間には、カワタロウの姿が見えずに、ただ泣き声だけが聞こえる、と言う。
もし、誰かが誤って香華をそなえると、カワタロウはその香華を取って帰り、それを食べれば、その身体(からだ)は、腐乱しない、と言う。

死骸を、棺に入れて葬れば、この場合も、カワタロウの体も腐敗しないそうだ。

おおよそ、カワタロウは身をかくす術を持っていて、死ななければ、その姿を見る事がない。
多力にして姦悪の水獣である、と言われている。

「閑窓自語」広文庫より

 


河童(狸だという)に教えられた家伝薬  「池底叢書要目」

2024-11-20 21:21:57 | カッパ

河童(狸だという)に教えられた家伝薬  「池底叢書要目」

                  2024.11

俚俗の談に、こんなのがある。
近古、水虎(スイコ:この場合はかっぱ)がいて、怪をしたが、何某(なにがし)が剣を抜いて、その手を切りおとした。
水虎は悲しんで、切られたその手を請い受けとって、膏薬でもってつないだ。やがてもとのように手が付いて治った。
何某は、怪しんで、その薬方を聞いて、伝えた、と云うことであった。

この書物(何かは不明)を見るに、その説は記載されていない。

これによって、考えるに、それは河童ではなく、実は狸であろう。狸には、確かに、その証拠がある。

小笠原系図(信濃の守 清宗の系譜)に云う。
ある時、清宗は、厠(かわや)に行ったが、奇怪な物がいて、厠に入るのを、邪魔をしていた。清宗は、剣を抜いて、それを切った。すると、たちまち手が切れて落ちた。見ると、狸の手であった。
一両日の後の夜陰に、窓の外から声があった。
清宗にこう言った。
「お願いです。あの手をお返し下さい。」と。
清宗が言った。
「お前は、何者か?」と。
「狸で御座います。」と答えた。
清宗はまた問うた。
「手は、もう切り落されている。手を取り戻しても、何の益も無いだろう。」と。
狸はこう答えた。
「膏薬で、手をつなぐことが出来ます。」

清宗は、件(くだん)の手を狸に返してやった。
狸は、手を得て帰っていった。

また、二三日して、狸は窓の外に来て、言った。
「おかげさまで、膏薬であの手をつなぐことが出来ました。このように治りました。」
清宗は、狸の手が、治っているのを見て、不思議に思った。
そして、狸のその薬方を教えてくれるよう、要請した。

狸は、その薬方を授けた。
今に至るまで、その家の家伝の膏薬となった、と言うことである。

池底叢書要目 広文庫より


マンボウ、封(ほう)と視肉、  河童   「分類故事要語」

2024-11-19 21:19:43 | カッパ

マンボウ、封(ほう)と視肉、  河童   「分類故事要語」

                    2024.11

林羅山先生の梅村戴筆に曰く
本草綱目の獣部に封(ほう)と視肉(しにく)は、同類のように記してある。
関東の海中に大きな魚がいる。その肉を切りとっても、その魚は、痛みを感じない。潮にひたりながら本のように愈えると、言われている。その肉は、俗にウチキと名づけられている。
視肉の類(たぐい)であろうか?
又、封の小児の形ようなるものとあれば、かわたろうの類(たぐい)であろうか?

訳者注:ウチキは、マンボウ(魚)のこと。封(ほう)と視肉は、古代中国の異獣。
封(ほう)は、「本草綱目(李時珍)」の獣部にあるが、その獣ノ四(寓類、怪類)の末尾にある。
李時珍 も、この「封(ほう)」を、怪類(=怪しいたぐい)に分類してあることから、その実在を疑っていたのであろう。

(かわたろうについて)
関東の人は「かわっぱ」と言っている。豊後の国に多くいる。人をも牛馬をもとり殺す。姿は、三歳の小児の様で、顔は猿に似て身に異毛がある。頭頂のくぼみに水があれば、強い。水がなければ力を失なう。
ある人が、「かわっぱ」を捕らえて殺した。しかし、切っても突いても、刃が通らなかった。
麻の茎を削って刺せば通る、と言い伝えられている。

「分類故事要語」 広文庫「かはたらう(河太郎=河童)」の項より

 


仙台藩蔵屋敷の河童  「耳嚢、初編」

2024-11-18 21:14:55 | カッパ

仙台藩蔵屋敷の河童

              2024.11

耳嚢、初編 

天明元年(1781年)八月のことである。
仙台河岸の伊達家蔵屋敷にて、河童を打殺し、塩漬けにして置き、人々に見せて、その後川へ流したそうである。その時見た者が語ったとして、松本伊豆守が見せられた通りに、書き記しておく。
その子細は、こうである。屋敷の内の小児などが、故なくて入水すること十年の間に四度であった。もしかして、河童の仕業であろう、と評議一決して、屋敷内の堀の水をかいぼりした。すると泥の溜りの濃い中を非常に早く潜っていくものがあった。人の手では、捉えがたくて鉄砲にて討ち留めたそうである。
                        
かたわらに曲淵甲斐守がいた。彼は、安永二年(1773)の秋、野州川方御普請見分として出張したが、そこで見た河童もこの図の通りであり、少しも違わなかった、と語った。身長が頭より足まで、おおよそ二尺七八寸も有って、意外にも肉太であった、との話である。

「耳嚢(耳袋)」 広文庫「かはたらう(河太郎=河童)」の項より