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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

土佐のカッパ  土佐風俗と伝説

2020-03-15 18:55:37 | カッパ
土佐のカッパ
(原題は、「猿猴」)     
                           2020.3
土佐の国では、カッパを猿猴(えんこう)と称する。
これは猿という事ではない。
水中に棲み、頭に水をいれる皿があり、手に水かきがあり、小児などを取って食うものである。
すなわち、他の地区でいう河童である。

高知城下の鏡川にて、或る時、猿猴(えんこう:カッパ)が人を捕えようとして、逆に捕えられた。
天神(潮江天満宮で高知市街半分の氏神様)の氏子ならば、今後は、害を加えない、という約束で、許された。

又、高知城の東に一里の下田村でも、同じ様に馬の手綱を引張り、水中に引き込もうとしたが、逆に、馬に引きずりあげられて、人に捕らえられた。
これまた、同様に、下田生れの者には危害を加えない、という約束で、赦された、

それで、高知近辺の小供が夏の水泳の時には、下田生れで天神様の氏子だ、と大声で叫んで水に入れば、決してカッパ(つまり猿猴)の患いは無いという事である。

筆者(この本の著者、寺石正路)等は、現に幼時は、このように教えられて、いつも水泳したものであった。

「土佐風俗と伝説」(大正14年、寺石正路)より




水虎奇譚(すいこきたん)に見える河童 

2020-01-12 20:18:58 | カッパ
水虎奇譚(すいこきたん)に見える河童 
                    2020.1
豊前の国(今の福岡県東部)に、幅が五六十間(けん)あるが、浅いので、歩いてわたることのできる河があった。

夜に河をわたろうとすると、必ずカッパが出てきて、
「相撲をしようよ。」と引き留める。

カッパを子供だと思って、見くびって、相撲をとると、最後には、河に引きいれられて、食われてしまう、と云う。

小笠原信濃守の家の家臣に大家庄右街門という人が有った。
いとこである瀬川藤介を伴って河を渉った。
その時、藤介の袖を引きとどめて、
「相撲をとろうよ。」、とカッパが言った。
大家庄右街門は、返事もしないで、抜き打ちにした。
手ごたえがしたが、水の中へさっと入っていった。

次の朝早くに河に行って見ると、三町ばかり下流の柳の根にひっかかっていた。
十歳位の子供のようで、髪は四、五寸ばかりあり、顔は猿のようで、白く、爪は猫のようであった、とのことである。


編者注:水虎(すいこ)は、河童の別名です。やはり、九州ですね。

利根川のカッパ 「利根川図志」

2020-01-01 12:07:22 | カッパ
利根川のカッパ   
                        2020.1.1
「利根川図志」より

「望海毎談」に、利根川にネネコという河伯(カッパ)がいた、とある。
年々その住みかは変わっていた。
地元の人々は、その居る所を知っていた。
その居る所では、害があった。

実際に、カッパの害のある話は、多い。
「香山牛山」の「活套」中巻に、筑紫の方には河伯の害が多いと記されている。
カッパの害にあったら、金銀花(きんぎんか:忍冬ニンドウの花のつぼみ)を煎じて、服用すれば、神のような効きめがあるという。
試してみると良い。

手指を截断したのを、接ぐ薬方を、カッパより受けたるという話があるが、疑わしいとは思っていた。
しかし、そういうことも有るか、とも思うようになった。

編者注:利根川は、日本一の大河であるにも関わらず、カッパの話は少ない。
    「利根川図誌」に見つけたので、ここに記す。
    「利根川図志」は、赤松宗旦(あかまつそうたん)の著で、1855年に刊行された。

本草記聞でのカッパの記述 

2020-01-01 11:39:38 | カッパ
本草記聞でのカッパの記述 
                2020.1.1
形は猿のようであり、眼は丸く、鼻は長く出ている。
頭が赤いのもある。頭頂に、ハマグリのカラのような皿がある。
これに水をたたえれば、力を増すとの俗説がある。
全身の色は淡黒く、少し青黄を帯びている。
腹及び背には、甲羅がある。
手足を縮めて甲羅のなかに隠す事が出き、亀の様である。
手足を伸ばせば人の形の様である。
手足に皆五つの指がある。
また、水かきもある。
全身にはなはだ生臭い臭いがある。

以上、「本草記聞」小野蘭山(1729-1810年)著 より



九州にはカッパが多い 「黄華堂医話」

2019-12-30 23:36:48 | カッパ

九州にはカッパが多い

                      2019.12
「黄華堂医話」という江戸時代の医学随筆には、カッパについて記載しているのが、あります。このことから見ると、この著者は、カッパの存在を疑っていなかったようです。

以下、本文

筑後、肥後、豊後のあたりには、河伯が多い。
別名を水神とも河童とも水虎とも言う。
民間では、川太郎と言い、またカッパとも言う。
その姿は、猿に似て小さく、髪は赤色で太く長いと言う。
水に入れば、その髪は見えなくなる。
この者は、よく害をなす。
水辺を歩く人がいれば、水から出て、力比べをしようとする。
カッパと相撲をとった人は、必ず寒熱の病にかかると言う。
肥後の村井椿寿子(医者)は、毎度、このカッパのために寒熱の病にかかった病人を、治療したと私に語った。
また、肥後の川尻という所に、ヒョウスラリ(原文ではヒヤウスラリ。これもカッパの別名か?あるいは、別の妖怪であろうか?)の守りであると言って、河伯を制する人がいる。奇妙な事である。
(編者注:この文意はよくわからない。)

(別の文章では)

肥後の山中では、水神(すいじん:カッパのこと)のたたりを受けて病気になった者をゴシン付きと言う。
山里ではよくあることで、穢れをもって水を汚した者が、多くは祟りを受けると言う。