黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

祇園祭の写真など

2012-07-16 10:25:26 | 京都の寺社・御所・離宮
京都の祇園祭宵々山に行ってきた。

蟷螂山。カマキリが動く仕掛けで人気のある山。


豪華絢爛な船鉾。




大船鉾の会所飾り。今年から巡行にも142年ぶりに参加とか。復興にちなんで注目されて、ちまきは
15日にはすでに完売。


鶏鉾                                函谷鉾
        

長刀鉾                               月鉾
        

巡行(17日)の注連縄切りの竹


四条傘鉾


同じく傘鉾の綾傘鉾








<メモメモ>
宵々山の15日、深夜から未明にかけて京都と亀岡では局地的な大雨が降って被害も出たそうで、嵯峨野線の
電車も終日大幅遅れ+数本運休。でも昼ごろからは次第に青空も見えてきてとても暑かった。

夕方に友達と合流するので昼間の暑い中、まだ人通りも混まないうちに例年どおり綾傘鉾でちまきを買った。
綾傘鉾あたりは夜に入ると身動きがとれないほどに混むからね。でも今年から室町通や新町通りなど
細い道での露店は片側だけの出店となったので、道幅が広くなったと実感した。暑さもいくらかは
抑えられるのでは。どうせなら露店は烏丸通りに集中出店させればいいのに。

それにしても気になるのがベビーカー押してくる人。どんだけ迷惑か。他人の足にカツンカツン当たるし
だいたいすんごい人混みの中に赤さんを乗せてきてどういう神経なんだか。赤さんぐったりしてるし。
そこまでして来たいもんかね・・・。大して思い入れもなさげなのに。

今日16日は宵山、さらに17日は山鉾巡行と神輿渡御。24日には花傘巡行と神輿還御。31日に八坂神社の
摂社である疫神社で夏越の祓いがあって1ヶ月の祭りは終わります。


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【加佐郡式内社】 彌伽宜(みかげ)神社 【舞鶴古社】

2012-07-14 11:07:00 | 若狭・丹後の寺社
東舞鶴地区には3社の式内社。そのうちのひとつ彌伽宜(みかげ)神社は大森神社とも呼ばれて
西舞鶴の朝代神社と双璧をなす舞鶴の産土神を祀る神社である。

【創建】伝 崇神天皇11年
【ご祭神】天御影命(あめのみかげのみこと)※開祖である丹波道主命の母方の祖先神とされている。
【社格】延喜式内小社 正三位 郷社
【境内】鳥居 灯籠 狛犬 境内社 拝本殿 神殿 神池など
【場所】舞鶴市森

神社前は通称白鳥通りと言う交通量の多い府道で、一の鳥居を入ると木々に囲まれた参道が本殿へと続く。


参道途中にある境内社の八代神社(左)と三安神社(右)
  

                   同じく境内社の鹿島香取神社
                   

参道途中にある灯籠は寛政10年(1798)の銘が入る。    手水舎
  

二の鳥居の先に本殿。


本殿前の狛犬は明治23年製。
  
                   本殿脇には古そうな狛犬も置かれていた。
                   

拝(本)殿前景


拝殿奥に神殿がある。神殿の下には井戸があり延齢泉(長命を授る御霊水)と言う。
 



神殿まわりの境内社。森光稲荷神社(左)と若宮稲荷神社(右)
 

須佐神社(左)と神池の水神社(右)
 

<参拝メモ>
この神社も門前の道は数百回と通ったところだけど、境内に入るのは初めて。iタウンページには
駐車20台ってあるのだけれど、その駐車場の場所がわからず、車は近くの駐車場に置いて歩いて神社へ。
7月14日15日が祭礼ということで、近くには幟が多く立っている。

一の鳥居である朱の鳥居をくぐればその先は上掲のとおりの長い参道。しかしその両脇は普通の民家が軒を
連ねていて、玄関の前が境内の参道というなんともありがたい環境!そのうち1軒は貸家で入居者募集
していたけどいい物件だと思うよ!駅からも近いし街中なのに静寂でしかも神のご守護を間近で受けられる!

神社の表から裏まで参道を通りぬけられるので、近所の住民の駅方面への通り道にもなっているようで
自転車でさーっと走っていく人もいた。暑い夏にはしばしこの木陰の参道で涼をとってから街中へ
行くのもいい。


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【加佐郡式内社】 大川神社 【舞鶴古社】

2012-07-10 23:50:59 | 若狭・丹後の寺社
由良川三社の最後は加佐郡唯一の名神大社である大川神社。

【創建】顕宗天皇乙丑年(485)
【ご祭神】主神 保食神
      相殿 句句廼馳神(木神)軻遇突智神(火神)埴山姫神(土神)金山彦神(金神)罔象水神(水神)
【社格】延喜式内名神大社 正一位 府社
【境内】鳥居2柱 手水舎 灯籠8対 狛犬2対 境内末社 神饌所 神輿舎 絵馬殿 拝殿 本殿など
【場所】舞鶴市大川


由良川沿いの国道175号線を大江町側に大川橋を左折してしばらくすると大川神社の道路案内標識が現れて
そこを右折すると田園の先に大川神社がある。一の鳥居は石造りで二の鳥居である朱塗りの鳥居との間には
立派で重厚な萱葺の民家がある。




                 



朱塗りの鳥居の手前にある石灯籠は嘉永5年(1852)に寄進されたもの。
 

二の鳥居を進み、石段をあがると寛政2年(1790)造営の中門がある。両脇に唐破風付の祠があり、
中には随神が安置されている。


 

中門をくぐるとその先に手水舎があり、その脇にご神木である大きなケヤキがある。手水舎の水盤は
宝暦12年(1762)に寄進されたもの。左上に見える建物は神輿殿。


さらに石段をのぼると文政3年(1820)造営の拝殿、その先に明治4年(1872)造営の本殿がある。
 

舞鶴では最大規模の本殿建築だそうである。


本殿前の狛犬は2対。そのうち直前にある1対は寛延4年(1751)寄進。
 

本殿前の灯籠は安政3年(1856)から4年にかけて寄進されたものだが、出羽本荘藩と刻銘されて武士と思われる
人物(柳瀬清右衛門、永田兵左衛門)が寄進しているみたいである。
 

今年になって新調された由緒板(石碑)

さざれ石、境内末社である竈神社(左)と神馬神社(右)
 

                   神饌所
                   

病除神社(左)と医祖神社(右)                 興和神社
 

                 絵馬殿は現在修復中。その脇に建つ灯篭は嘉永5年(1852)製。
                   

国道を挟んで大川神社と対面する御旅所の野々宮神社。


<参拝メモ>
大川神社境内の写真で気付かれた人もいるかもしれないが、参拝撮影は早朝6時すぎである。だから
朝日が影響して影の多い画像になってしまった。なぜ早朝参拝したのかと言うと、現在境内の絵馬殿が
修復中で日中は大工さんが車ごと入って工具をひろげて賑々しく作業されるのである。昨日午前中に
一度行った時にそういう状況だったので、本日早朝に参拝したという次第。

大川神社は市街地からも遠い田園村落にありながら、舞鶴市内では格も歴史も随一の神社なので市内は
もとより他所からの参拝者も多く、正月や祭礼時は混むため、駐車場もたっぷり2ヶ所ある。駐車場から
出て参道を歩くとまず目に入るのが、左側にある萱葺の民家。門前の茶店か?とも思わせる趣だが、
一般の民家で普通に人も住居している。

参道はさすがに玉砂利ではないが、アスファルトと石畳で整備されていて、鳥居や灯籠も大きく立派であり、
風格を感じさせる境内である。しかし参道をはずれるとそこは山裾の草地で、とても入れそうにない
木造の便所(笑)などもぽつんと建っていて田舎臭さも充分に味わえる。

本殿の大きさには驚いた。お寺の本堂かと思わせる大きさである。彫刻も綺麗に施されていて
彫刻好きな人にはじっくりと鑑賞するに値する建築物だと思う。本堂の裏はすぐに山であるが、
その山中には古墳が十数基あるという。

ちなみに境外社に上掲の野々宮神社の他、近くに日之宮神社があるが、こちらは人家の裏手にあり、
行けそうな道も見つからなかったので今回はパスした。


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【加佐郡式内社】 伊智布西(いちぶせ)神社 【舞鶴古社】

2012-07-07 07:53:05 | 若狭・丹後の寺社
伊智布西神社は由良川三社のうちのひとつで麻良多神社や大川神社より南に下がった右岸に鎮座する。

【創建】延喜5年(905)
【ご祭神】伊装冊尊(イザナミノミコト)あるいは道振命(読み方不詳、オリジナルな神?)
【社格】延喜式内小社 従二位 村社
【境内】鳥居1柱 手水舎 灯籠2対 狛犬1対 境内摂社 篭屋(舞殿か) 本殿など
【場所】舞鶴市桑飼下 

由良川と神社前の田園風景


神社の鳥居横には縄文時代の集落跡が発掘された桑飼下遺跡の石碑が建つ。鳥居は明治45年に建ち、
鳥居前の灯籠は明治7年に建てられたもの。


手水舎の水盤には寛政三年辛亥年九月十日と刻まれている。 寛政3年(1791)
 

杉の木に囲まれた苔むした石段を登ると右側に本殿がある。


本殿に相対する篭屋。もしくは芸能を披露する舞殿なのかも。


本殿前。灯籠には寛政二戌年二月と刻まれている。 寛政2年(1790)


狛犬には嘉永六丑天八月と刻まれている。 嘉永6年(1853)


神明造の覆屋の中に本殿はある。桧皮葺きで精巧な彫刻が施されている。一眼レフのレンズは大きくて
覆屋の格子戸に入らず一部しか撮影できない。コンデジならもっと全体像が撮れたかも。明和3年(1766)造営。


覆屋のなかに放置してあっただいぶ古そうな由緒板。「延喜年中帝都雷鳴之節御祈願ニヨリ延喜五年乙丑
御造営有之・・・」と書かれている。延喜年中の雷鳴とは菅原道真の怨霊による雷に相違ない。


境内摂社。左から稲荷・火産聖命・四柱大神・水無月・スサノオ・不明・兵主神社。


こちらは左から秋葉神社・愛宕神社・稲荷神社


左は地主大神 右は不明。                   祭神不明な摂社。
 

<参拝メモ>
由良川左岸の国道175号線は車やトラックが頻繁に通行する幹線道路だが、右岸の道路は川を挟んで並走
しているものの、車の通行は少ない道路。その道沿いに伊智布西神社はある。駐車場らしきものはないので、
道路の少し広い場所に車を停めて神社へ。

これまで行った舞鶴の式内社と同じく、日常的には人の手が入っていないためか、落ち葉が境内の地面を
覆っている。石段も苔が生えている状態。鳥居は明治45年に建てられたものだが、それ以外の灯籠・狛犬
などは江戸時代のものが残る。境内摂社は多いが、上掲の画像のように状態はあまりよくない。祠の中に
石がどーんと置かれているだけのものもあり祭神は不明。

本殿覆屋の軒下にスズメバチの巣の跡・・・。林の中の神社には多い。狛犬の台座の隙間とか灯籠の火袋
の中などにも巣を作るので、これからの季節はうかつに近寄るのも要注意!! 虫嫌いのくろこまは
ビクつきながらの式内社巡りなのである。


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【加佐郡式内社】 麻良多(まらた)神社 【舞鶴古社】

2012-07-03 18:26:16 | 若狭・丹後の寺社
【お知らせ】
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対象です。戻るときはブラウザの「戻る」「←」をクリックしてください。


京都府北部の一級河川由良川沿いは縄文遺跡が残る地域で、式内社も3社が鎮座する。麻良多神社は
そのうちのひとつである。

【創建】伝 貞観5年(863)
【ご祭神】誉田別命(ほむたわけのみこと=応神天皇)豊宇気持神(=豊受大御神)
【社格】延喜式内小社 従二位 村社
【境内】鳥居2柱 灯籠3対1基 狛犬1対 手水舎 境内摂社3社 護国神社 篭屋 拝殿 本殿など
【場所】舞鶴市丸田西

西舞鶴から国道175号線を進み、宮津方面と大江方面に分かれるT字路を右折(宮津方面)を行くと
まもなく小学校、そして保育園が見えてくる。その保育園の横道が参道である。
 



鳥居に掛かる神額は二條基弘公爵の揮毫。どのような縁故が二條公爵とあったのだろうか?


手水舎。                              境内には護国神社もある。
 

二の鳥居は朱塗りの鳥居。


狛犬に生えた苔が緑の毛がなびいているように見える。「栗田港」の銘がある。栗田港は宮津の港。
 

境内摂社は3社。山神神社・恵比寿神社・大黒神社を祀る。
 

本殿に相対してあるのは大変古そうな篭屋。


拝殿を兼ねた舞殿。廊が延びて本殿をつなぐ。




本殿覆屋の外からわずかに見えるのは本殿の彫刻。かなり精巧なものだ。


さて、この麻良多神社の創建には伝説があり、貞観5年(863)に丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、
村人はこれを明神と称えて尊崇し、同8年に男山八幡を勧請した・・・とある。その沼が現在も境内に残る。


<参拝メモ>
土曜日の朝に行ったのだが、参道横の保育園はなにか行事でもあるのか、園児の賑やかな声がする。
この保育園の他は何もない静かな場所なので、これも変に怪しまれないように一眼レフを首から下げて
参道を歩く。境内は山裾の林の中にあり、ケヤキやタブノキの大木などが境内を覆っている。


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