小浜市に数多くある文化財を有する寺は市街地ではなくて、山里にあります。
今回訪れた明通寺も国道から離れて3kmほど入ったところにありました。
川に架かる橋を渡って長い石段を昇り切ったところに山門(仁王門)があります。
まずその重厚さに圧倒されます。
三間二層の仁王門は江戸中期の明和9年(1772)の建築。仁王像は鎌倉中期の
文永元年(1246)の作。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/76/903a5fa5a6ab62bf62d3dfe859fe20f8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b2/71e5d0777c33c0beeadab6851fa6c740.jpg)
受付で拝観料(400円)を支払い、再び石段を登ると本堂が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/86/dada695201d44ec230e0102de4a84b15.jpg)
明通寺 真言宗御室派。寺伝によると平安初期の大同元年(808)平城天皇の御願寺
として坂上田村麻呂が創建。最盛期には僧坊二十五を有する大寺院であったが火災で
創建当初のものはすべて消失する。その後、鎌倉中期に堂塔が再建されて現在に至る。
明通寺本堂(国宝) 鎌倉中期の正嘉2年(1258)再建。屋根は桧皮葺である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5b/a8e8703009a543c62377a42282bd5a7c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/72/95cb743bc69b9f719ff7a3403c5ccaf3.jpg)
正面はすべて蔀戸(しとみど)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a9/a9f76c7494cee220505e8214826093b1.jpg)
本堂のご本尊は薬師如来。脇侍に降三世明王と深沙大将ではいずれも平安後期の美術史区分では
藤原時代の作とされていますが、薬師如来は像形からして恐らく平安末期から鎌倉初期
あたりの作ではないかということです。いずれも重要文化財です。
また薬師如来の眷属である十二神将像(鎌倉時代)もしっかりと周りをかためています。
以前は薬師如来は厨子の扉が閉められて秘仏となっていたそうですが、現在では内陣に
まで入って間近で拝観できます。またお坊さんによる説明も聞くことができます。
特に飾り気のない、どちらかといえば質素な佇まいの堂内ですが、それゆえに落ち着いた
雰囲気を醸し出して、外陣の畳敷きに座ってゆっくりと拝観できます。
「黒駒思いのままの記」←こちらも見てやってください。
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川に架かる橋を渡って長い石段を昇り切ったところに山門(仁王門)があります。
まずその重厚さに圧倒されます。
三間二層の仁王門は江戸中期の明和9年(1772)の建築。仁王像は鎌倉中期の
文永元年(1246)の作。
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受付で拝観料(400円)を支払い、再び石段を登ると本堂が見えます。
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明通寺 真言宗御室派。寺伝によると平安初期の大同元年(808)平城天皇の御願寺
として坂上田村麻呂が創建。最盛期には僧坊二十五を有する大寺院であったが火災で
創建当初のものはすべて消失する。その後、鎌倉中期に堂塔が再建されて現在に至る。
明通寺本堂(国宝) 鎌倉中期の正嘉2年(1258)再建。屋根は桧皮葺である。
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正面はすべて蔀戸(しとみど)です。
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本堂のご本尊は薬師如来。脇侍に降三世明王と深沙大将ではいずれも平安後期の美術史区分では
藤原時代の作とされていますが、薬師如来は像形からして恐らく平安末期から鎌倉初期
あたりの作ではないかということです。いずれも重要文化財です。
また薬師如来の眷属である十二神将像(鎌倉時代)もしっかりと周りをかためています。
以前は薬師如来は厨子の扉が閉められて秘仏となっていたそうですが、現在では内陣に
まで入って間近で拝観できます。またお坊さんによる説明も聞くことができます。
特に飾り気のない、どちらかといえば質素な佇まいの堂内ですが、それゆえに落ち着いた
雰囲気を醸し出して、外陣の畳敷きに座ってゆっくりと拝観できます。
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