旅行、飲食、草花、イベント、乗り物、出来事など。

日々の生活の中から様々な物を写真付きで。

ベトナム紀行・其の82朝食レストラン

2019年06月14日 | ベトナム紀行・其の82朝食
ビュッフェ
日本語では「バイキング」と称されることがある。日本初の食べ放題レストランの店名が「バイキング」であったことに由来する。
 
 
 
1957年(昭和32年)、翌年に落成する新館の目玉となるレストランを模索していた帝国ホテル社長の犬丸徹三は、旅先のデンマークコペンハーゲンで北欧式ビュッフェ「スモーガスボード」に出会った。
 
「好きなものを好きなだけ食べる」というスタイルに注目した犬丸は、当時パリのリッツ・ホテルで研修中で後に帝国ホテルコック長となる村上信夫に料理内容の研究を指示した。
 
 
一方「スモーガスボード」が非常に言いにくく馴染みのない言葉であったため、帝国ホテルの新しいレストランの名称を社内公募した。
 
 
 
 
 
 
 
その結果「北欧と言えばバイキング」という発想と、当時帝国ホテル脇の日比谷映画劇場で上映されていた『バイキング』(1958年)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、新店名を『バイキング』に決定し、1958年(昭和33年)8月1日、新しく開館した帝国ホテル第二新館に『インペリアルバイキング』をオープンした。
 
 
 
このレストランは好評を博し、ランチ1,200円、ディナー1,600円だったにも関わらず連日行列ができるほどであった(当時の大卒の初任給が12,800円。)。
 
 
 
これを模倣した後発店が定額食べ放題のシステムを「バイキングスタイル」と表現したため、バイキングはビュッフェレストランの代名詞となった。

ベトナム紀行・其の82朝食レストラン

2019年06月14日 | ベトナム紀行・朝食
 
ビュッフェ
日本語では「バイキング」と称されることがある。日本初の食べ放題レストランの店名が「バイキング」であったことに由来する。
 
 
 
 
1957年(昭和32年)、翌年に落成する新館の目玉となるレストランを模索していた帝国ホテル社長の犬丸徹三は、旅先のデンマークコペンハーゲンで北欧式ビュッフェ「スモーガスボード」に出会った。
「好きなものを好きなだけ食べる」というスタイルに注目した犬丸は、当時パリのリッツ・ホテルで研修中で後に帝国ホテルコック長となる村上信夫に料理内容の研究を指示した。
 
 
 
一方「スモーガスボード」が非常に言いにくく馴染みのない言葉であったため、帝国ホテルの新しいレストランの名称を社内公募した。
 
 
 
その結果「北欧と言えばバイキング」という発想と、当時帝国ホテル脇の日比谷映画劇場で上映されていた『バイキング』(1958年)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、新店名を『バイキング』に決定し、1958年(昭和33年)8月1日、新しく開館した帝国ホテル第二新館に『インペリアルバイキング』をオープンした。
 
このレストランは好評を博し、ランチ1,200円、ディナー1,600円だったにも関わらず連日行列ができるほどであった(当時の大卒の初任給が12,800円。)。
これを模倣した後発店が定額食べ放題のシステムを「バイキングスタイル」と表現したため、バイキングはビュッフェレストランの代名詞となった。
ビュッフェ
ビュッフェ(buffet)とは、フランス語で立食形式での食事の意。ビュフェやブッフェともいう。
 
 
ビュッフェはフランス語ではもともと「飾り棚」を意味し、飾り棚に料理を並べて各自が料理を好きに取り分けて立食するスタイルを指した。
 
 
メインテーブルに並べられた料理を各自が取り分ける立食形式の食事を「ビュッフェ」と呼ぶ。
さらに客側がセルフサービスで料理を自由に皿に取り分けるスタイルそのものをビュッフェと称すること
もあり、
 
その場合には立食形式のほかシッティング・ビュッフェ(元卓の料理をセルフサービスで取り分け自分のテーブルで着席して飲食する形式)を含む。
 
国際儀礼では立食形式のパーティが「レセプション」として開催されることがある。

ベトナム紀行・其の81 TP Bank

2019年06月14日 | ベトナム紀行・TP Bank
 
 
 TP Bank
ハロンDCホテルの一階にはTP Bank(ティエンフォン銀行)が有る。
 
TP Bankはベトナムで初となる自動化銀行サービス「Live Bank」の提供が開始された。
ベトナムの伝統的な金融業に大きな変革をもたらし、電子決済の利用が加速すると期待されている。
 
システムは、米国やシンガポールなどで利用されている、最新の銀行自動化(オートバンキング)システムを応用したものだ。
 
 
従来の銀行の現金自動預払機のオンラインシステムに画像による案内機能などを付加し、顧客の利便性を図った。取引をボタンで選択後、画像を使って取引終了まで詳しい案内が表示される。
これにより、機械操作に慣れていない顧客でも、銀行員が対応する窓口同様に、安心して決済を行うことができる。
システムは最新技術の適用により、週7日、24時間のサービス提供が可能で、従来の金融モデルと比べて取引時間が約40%短縮されるメリットがある。さらに、顧客の決済取引などのセキュリティも高まるという。
ここでは、口座からの現金引き出しや残高照会、払い込みなどの通常の銀行取引に加え、振り込みや公共料金などの払い込み、電子決済での支払いなどができるほか、各種照会や定期預金などのサービスの登録なども行うことができるという。
 
 
 
 
 
 
将来的には電子銀行システムとの統合により、さらにサービスの幅を拡大するという。
「Live Bank」の拠点は、ハノイ市内ではラング・ホア工業団地とバット・スー通り54番地の2カ所に設置された。
 
また、ホーチミン市にも2カ所(5区のフンヴォン・プラザとタンビン地区チュオンソン通りのハイオウビル)開設した。
 
ベトナム社会に電子決済が広がる一助としたい」と期待を示した。
今後、同銀行ではLive Bankのシステム拡大を図り、今年中に全国に50カ所の拠点を設けて顧客ニーズに対応していく考えだ。
ハロンDCホテルの朝食レストラン
 
 
 
 
 
 
 

火曜日の定食

2019年06月12日 | 火曜日の定食冷し中華
 

冷し中華
例によって火曜日は老妻の水泳教室、本日のランチは冷し中華。
 
 
↑ 冷し中華が出来るまでビールを ↓
 
 
 
茹でた中華麺を冷水で『シメる』のが特徴で、深めの皿全体に麺をなだらかに盛り、具として細切りにした、肉類(ハム、叉焼、蒸し鶏など)、錦糸卵、夏野菜(キュウリやトマトなど)を放射状に彩り良く配し、かけ汁(醤油と酢あるいは芝麻醤(ゴマだれ)など)をかけた料理。中国の冷やし麺「涼拌麺(英語版)(涼麺)」をルーツに持つとされるが、味も作り方も大きく異なるものであるため、一般的には日本発祥の料理とみられている。
 
 
 
↑ お通しは胡瓜のツナ和え↓
 
 
 
↑ もつ煮込みには七味唐辛子が ↓
 
 
 
 
地域や作り手によるバリエーションが豊富で、具は旬の物ならなんでも登場し得る。中心や周縁にプチトマトやウズラ・飾り切りゆで卵などのワンポイントを配する事も多い。
 
薬味も、辛子、わさび、紅しょうが、マヨネーズなど、これも多様。
家庭食、中食、外食ともに夏期、それも昼食として食される傾向が見られ、夏の風物詩として7月の季語になっているほか、中華料理店などでの「冷し中華始めました」という貼紙も知られている。
 
 
↑ メインの冷し中華が ↓
 
 
 
地方による特色
北海道では「冷やしラーメン」と呼ばれる。
岩手県では「冷風麺」と呼ばれる。盛岡冷麺と区別するためと思われるが、統一されているわけではない。
 
「みちのく三大冷し麺」とされる山形「冷やしラーメン」は、ここでいう冷やし中華とは異なる。
東海地区ではマヨネーズを添えることが多い。
 
 
 
 
 
西日本地方、特に関西では「冷麺」と呼ぶことが多い。
広島県 呉では、麺に平麺を使用する(呉冷麺)。
韓国では「冷ラーメン」と呼ばれる。
中国では「日本式涼拌麺」と呼ばれる。
台湾では「日式中華涼麺」と呼ばれる。
 
 
 
 
 
 
 
発祥
発祥地とされる店は2つある。一つは東京都千代田区神田神保町の揚子江菜館、もう一つは仙台市青葉区錦町の龍亭である。
 
1929年(昭和4年)に発刊された「料理相談」(安東鼎編、鈴木商店出版部)という本には冷蕎麦(ひやしそば)の一項があり、シナそばを茹で、酢、砂糖、氷をまぶし、その上に叉焼、キュウリ、ラッキョウ、タケノコを乗せ、冷スープ、醤油、酢、コショウをかけるとの記述がある。
 
 
 
 
 
 
1936年(昭和11年)に発行された雑誌『栄養と料理』には三絲涼麺(サンスーリャンメン)として鶏肉、焼豚、キュウリ等を細切りにして、水にさらした麺の上にのせ、酢、砂糖、醤油等のタレをかける料理が紹介されている。
 

他方、細切りの具を彩りよく盛った現代風の冷やし中華の原型は五色涼拌麺(五目冷やしそば)として東京の神田神保町の揚子江菜館で第二次世界大戦後または1933年(昭和8年)に創作されたとされている。
 
2代目オーナーの周子儀が、上海で食べられていたもやしと細切りの肉を冷した麺に乗せて食べる涼拌麺とざるそばから着想を得たとされる。
 
様々な細切りの具を皿の中心から放射状に盛る独特の形式は富士山とそこに積もる雪をイメージして作られた。
 
 
龍亭(涼拌麺)
仙台市錦町の龍亭では、冷し中華・冷麺が発売されたのは、1937年(昭和12年)のこととされる。
仙台支那ソバ同業組合」(現・宮城県中華料理環境衛生同業組合)の会合で、中華料理店共通の問題である夏の売り上げ低下の解決法、及び、多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品の開発について話し合われた。
 
そして当時の組合長だった龍亭店主を中心に、龍亭が閉店した後に集まってざるそばを元に新メニューの開発を行った。
 
それは現代の冷やし中華とは異なり、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたニンジン・叉焼・トマトを上に乗せた物だった。
 
戦中・戦後の食料難の間メニューからは消えたが、昭和20年代後半になって復活し、1965年(昭和40年)まで当初のスタイルを踏襲していた。
 
その後徐々にスタイルを変化させているはいるが、現在でも龍亭は錦町で営業を続けており、改良された冷やし中華を看板メニューにしている。
また、仙台市では他地域と異なり、冷やし中華は年間を通して提供されている。
 
 
 
その他
また、京都の「中華のサカイ」は、創業時(1939年)より、ゴマだれを使った「冷麺」(関西および西日本での「冷し中華」の呼称)をメニューに載せており、関西では、関東以北の「冷し中華」とは異なり、独自に発展したとする説もある。
 
異説として、戦後、寿がきやが心太(ところてん)のつゆ(三杯酢)を冷やしたラーメンに掛けたのが今のスープによる冷やし中華・冷麺の発祥とする説もある。
 

ベトナム紀行・其の80ハロン

2019年06月11日 | ベトナム紀行・ハロン
ハロンの夜明け
 
 
 
 
 
 
明け方(あけがた)は、1日のうち夜が明けて明るくなる時間帯。明け(あけ)・夜明け(よあけ)・暁(あかつき)・東雲(しののめ)・曙(あけぼの)・黎明(れいめい)・払暁(ふつぎょう)・彼誰時(かわたれどき)などの語がある。
 
 
 
 
↑ 学校……………?  路上の飲食店 ↓
 
 
日の出頃の時間帯であるが、太陽が地平線より上に昇る前から大気中の塵による光の散乱により空が明るくなり始める。
 
 
↑ 工事現場 ↓
 
 
これを薄明といい、星が見え暗さが残る段階までを「明け方」、日の出前でも十分に空が明るい段階を「夜明け」として区別したりする。
 
11
 

漢語でこの時間帯を表すのは朝・旦・晨・早などである。これらは夕方を表す語とともに朝夕・旦暮・晨昏・早晩などと併用される。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
↑ ホテルの一階にはTP Bank(ティエンフォン銀行)が有る。 ↓
 
 
 
日本の暦では古くは明け六つ時といわれ5時から7時くらいの時間帯であった。
また、暁(あかつき)という言は、現代語では「夜明け」「明け方」(太陽は出ていないが、空が明るくなり出している状態)を指す。
 
 
 
古語では「未明」(空が明るくなる前の状態)を表すので注意が必要である。
古くはあかつき、しののめ、あけぼのという順に推移するものと区分された。
 
 
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ベトナム紀行・其の79ベッド 寝具 ソファー 椅子

2019年06月10日 | ベトナム紀行・ベッド
ベッド
奈良時代以前に中国より伝わった。
 
 
 
正倉院には聖武天皇のベッドが保存されており、かなり早い段階から皇族や貴族、高級官僚などの間で使用されていた。
 
 
 
 
 
 
 
しかし平安時代に畳の出現と共に居住空間の様式が変化し廃れる。一般には当初から広まらなかった。
明治以降欧米式の生活様式が広まると共に再度伝わるが、畳の上で寝る形式が普通であった日本に於いては余り広がらず、病院や軍隊等、特殊な生活環境を要求される際に使用する物(あるいは金持ちのステータス)の意味合いが強かった。
 
 
日本に外来語としてこの語が入ってきた当時は「ベット」とも呼ばれていた。ドイツ語ではBettであり、ドイツ医学由来の呼び名を使っていた医療現場を中心にベッドが納入されていたために、その影響もあったのではないかとも言われる。
 
 
10月18日ハロン日の出日の入り時間
05:42:47 AM 05:40:24 PM 写真は07:20 AM
 
 
敗戦後に大衆の生活の欧米化と歩調を合わせるように、英語教育の浸透した戦後世代からは「ベッド」と呼ぶ人も増えていったと見られる。
 
 
 
 
 
そして昭和30年台、双葉製作所(後のフランスベッド)が徹底的な営業戦略(月賦販売)を展開し、折からの団地・洋風住宅ブームも相まって、庶民へ普及していった。この時期、販売ルートは呉服店が担っていたという。
 
 
 

ベトナム紀行・其の78

2019年06月09日 | ベトナム紀行・大観覧車
 
 
大観覧車


ミニバー
ホテルの客室内に小さな冷蔵庫と飲み物がついています。一般的に「ミニバー」と呼ばれるこの設備ですが、海外の場合「どれが課金されてどれが無料なのかわからず、手が出せなかった」というケースをよく耳にします。
 
 
 
 
一般的にはミニバーの周辺にメニュー表が置いてあり、そこで値段を確認出来ます。また、ペットボトルの水が2~4本用意されておりローカル生産の2本は無料、海外製のVolvicなどの水は有料など、若干わかりにくい設定になっている場合もあります。
 
 
 
↑ シュウェップスとハリダビールを飲みながら ↓
 
 
 
 
↑ ハロンDCホテルの部屋からハロン湾の夜景も一望できます ↓
 
 
 
 
 
 
ベトナムの東北部地方クアンニン省の、ハロン湾に面して建つ大観覧車です。
 
遊園地の名前は「サンワールド・ハロンパーク(Sun World Ha Long Park)」といい、観覧車の名前は「マットチョイ(Mat Troi)」。ベトナム語で「太陽」という意味だそうです。
 
遊園地を開発したのが、観光不動産開発のサングループ(Sungroup)なので、そこから名づけられたのでしょう。写真でば見えませんが、回転輪の中央に「SUNWHEEL」の看板があるそうです。
 
高さはなんと215メートル! バーデオ山という高台に設置されていますから、おそらく海面からの高さでしょう。
 
 
 
この大観覧車、実は仙台にあった「アポロ」です。
アポロ時代は高さが107メートルでした。懐かしい思い出をお持ちの方も、たくさんおられるでしょうね。
 
 
日本の一時期を風靡した観覧車たちが、また異国の地で大活躍していきす。
どの国も大観覧車ブームで、しかも多くのメイドインジャパンが活躍しているのが良いですね。
 
 
 
ホテルの部屋のドアのドアにかける標識です。
この「do not disturb」は「起こさないでくささい」「入室しないでください」という意味になります。
 
 
「make up room」は、「部屋を掃除してして下さい」という意味になります。
ベッドメーキングをしてくれたり、タオルの交換などのメイドサービスをしてくれます。お部屋掃除の時間は、予約状況やホテルによって様々ですが、ほとんどの場所で午前中からメイドサービスは始まります。
 
 
 
ベッド
奈良時代以前に中国より伝わった。
正倉院には聖武天皇のベッドが保存されており、かなり早い段階から皇族や貴族、高級官僚などの間で使用されていた。
 
しかし平安時代に畳の出現と共に居住空間の様式が変化し廃れる。一般には当初から広まらなかった。
明治以降欧米式の生活様式が広まると共に再度伝わるが、畳の上で寝る形式が普通であった日本に於いては余り広がらず、病院や軍隊等、特殊な生活環境を要求される際に使用する物(あるいは金持ちのステータス)の意味合いが強かった。
 
 
 
 
 
日本に外来語としてこの語が入ってきた当時は「ベット」とも呼ばれていた。ドイツ語ではBettであり、ドイツ医学由来の呼び名を使っていた医療現場を中心にベッドが納入されていたために、その影響もあったのではないかとも言われる。
 
敗戦後に大衆の生活の欧米化と歩調を合わせるように、英語教育の浸透した戦後世代からは「ベッド」と呼ぶ人も増えていったと見られる。
そして昭和30年台、双葉製作所(後のフランスベッド)が徹底的な営業戦略(月賦販売)を展開し、折からの団地・洋風住宅ブームも相まって、庶民へ普及していった。この時期、販売ルートは呉服店が担っていたという。
 
 
 
 

ベトナム紀行・ハイグレード

2019年06月08日 | ベトナム紀行・ハイグレード
ハイグレード


私たちともう一組のご夫婦(共にハノイヒルトンオペラホテルからこのツアーに参加)はハロンの繁華街に建つHa Long DC Hotelへ。
 
 
 
 
↑ ハロンDCは四つ星ホテルです ↓
 
 
 
 
客室には、エアコン、衛星テレビ、セーフティボックス、専用バスルーム(シャワー、無料バスアメニティ付)が備わっています。
 
Ha Long DC Hotelはハイフォンやドソンから車で1時間半、ハノイまで車で3時間、ノイバイ空港から車で4時間です。
 
 
 
フィットネスセンターやギフトショップを併設しています。ランドリーサービス、24時間ルームサービスを利用できます。
 
 
 
 
併設レストランはベトナム料理と洋食のビュッフェやアラカルトメニューを提供しています。21階のDupin Bar and Caféでは港を一望できます。
 
]
 
持参のパソコンに本日撮った写真を取り込み、SDカードを空にしてカメラのバッテリーを充電するためテーブルにセットし、汗を流しに浴室へ。
 

↑ テレビでは午前中にクルーズした、ハロン湾への台風接近ニースが流れていました ↓
 
 
 
 
 
 
 
 
↑ テレビでは午前中にクルーズした、ハロン湾への台風接近ニースが流れていました ↓
 

ハロン湾名物のジャンク船(ジャンク(戎克、英: Junk)は、中国における船舶の様式の1つ。
古くから用いられてきた木造帆船だが、物資・貨客の輸送業務においては、19世紀以降蒸気船が普及したことにより衰退した。
 
 
独特のスタイルは絵画や写真の題材として好まれており、今日では観光用として用いられている)全ての帆船が帆を畳んでいた理由が分かった。ハロン湾のジャンク船のイラストウエブサイトから拝借。
 
 
↑ ハロン湾レストラン船クルーズなどの写真を取り込む ↓
 
 
 

ベトナム紀行・其の76其の76

2019年06月07日 | ベトナム紀行・ナイトマーケット
ナイトマーケット

平成最後の旅などでハロン湾からハノイへの途中で中断していたベトナム紀行再開いたします。
ベトナムは中国と国境を接しているため「ナイトマーケット(闇市)」には紛い物が多い。
 
 
コピー商品とは、意図して何かに似せた商品である。

デッドコピー(Dead Copy)やノックオフ(knockoff)とも呼ばれる。合法のものと違法のものがある。
 
 
 
 
 
他社の人気商品に、意匠(外観)、商標などを似せる。ブランドの商標を似せる場合、偽ブランド商品とも呼ぶ。
 
または、自然物あるいは自然物の加工品、たとえば食品や宝石などに似せた人造製品も、コピー商品と呼ぶ。物品の種類により、コピー食品、コピー車などとも呼ばれる。
 
 
 
 
 
無許可のコピー
主にベストセラーやロングセラーの、優れた機能・設計や、高い市場価値を持つ商品を模して製造する。またメディア関連のデータを複製して販売している物もこの範疇に含まれる。
 
往々にしてオリジナルの商品と比較して粗悪な材料を使用していたり、分解した部品を採寸した際に発生する誤差により、機能や耐久性の面で劣る場合があり、そのようなものは単純に粗悪品と呼ばれる場合もある。
 
 
 
違法な場合
オリジナル商品との類似が顕著であれば、オリジナルの権利者が持つ、以下のような知的財産権を侵害することになりうる。
有効に商標登録されたブランド・ロゴ・商品名等 → 商標権。
意匠(外観) → 国によって異なるが、意匠権(日本・イギリス)・共同体意匠(英語版)権(EU諸国)・デザイン特許(英語版)権(アメリカ合衆国)など。
 
日本において意匠権は、有効に意匠登録された場合に初めて保護される事に留意すべきである。 他国においては、立体商標権が存在する場合がある。
 
 
 
 ↑ 見学を終えホテルへ向かう ↓
 
 
 
 
 
↑ 美容室 ↓
 
 
 
 
 
 
 
エコノミーホテル群。
安価で宿泊出来る様、郊外に造成されたホテル用地に建つホテル。安価ではありますが商店もコンビニも無いそうです。
 
 
 
 
 

平成最後の旅 焼売

2019年06月06日 | 平成最後の旅 焼売
 
日本のシュウマイ
材料には主に豚挽肉と玉ねぎのみじん切りが使用されている。
 
 
↑ 談合坂S/Sで買った肉韮饅頭と焼売二種 ↓
 
 
昭和30年代に、学校給食用としてシュウマイが提供されるようになった際に、ショートケーキに載せるイチゴをイメージして、彩りとして頭頂部にグリーンピースが載せられるようになった。
 
しかし、時代とともに販売されるシュウマイの種類が増えていき、認知度が高まると、グリーンピースを載せる必要性がなくなり、グリーンピースを載せたシュウマイは減っていった。
 
 
 
↑ 先ずは缶酎ハイで海老焼売を賞味 ↓
 
 
2018年7月27日に放送されたテレビ番組「タモリ倶楽部」では、当時発売されていた冷凍シュウマイ7種においてグリーンピースが載っているかどうかを調査したところ、全ての冷凍シュウマイでグリーンピースが載っていないという結果になった。
 
もっとも、崎陽軒のように具に混ぜてしまうもののグリーンピースを入れる店舗も健在であり、全く姿を消したわけではない。
 
 
本場に同じく蒸して仕上げるほか、油で揚げて「揚げ焼売」にして食べる事があり、また餃子と同様に焼いて食べる場合もある。
 
 
 
↑ 次は缶ビール極上切れ味で肉韮饅頭と海老焼売を ↓
 
 
おでんの種、鍋料理の具など、煮物に使用する事もある。中国のものと較べるとかなり香味が淡泊であり、醤油やポン酢、また辛子といった調味料をつけて食べられることが多い。
 
餃子と比較すると一般家庭で作られることは少なく、チルド製品や冷凍製品、または調理済みのものを店で購入するケースが多い。
 
 
↑ 肉韮饅頭と富貴しゅうまい ↓
 

総務省統計局の2015年〜2017年「家計調査年報」では、家計における焼売への支出金額は都道府県庁所在市及び政令指定都市の中で神奈川県横浜市が首位である。
 
佐賀県唐津市の呼子町では、特産品のイカを使った「いかしゅうまい」が人気となっており、全国区に広がっている。
 
栃木県足利市には肉の入っていない「足利シュウマイ」がご当地グルメとして存在する。
 
 
 
 
 
質問者・suc********さん
なぜシュウマイや春巻は洋辛子なんですか?
洋辛子は、中国に昔からあったのですか?

ベストアンサーに選ばれた回答
中国では、餃子・シューマイ・春巻きに黒香酢を付けて食べるのが、一般的です。
日本では黒香酢があまり出回ってないので、酢醤油で代用しています。
しかし酢醤油だけだと、黒香酢の刺激的な「ツンとくる」感じが出ません。
そこで、餃子には酢醤油+辣油、シューマイ・春巻きには醤油+洋辛子で、「ツンとくる」味覚を再現してるのだと思われます。
洋辛子を加えるのは中国人の発明というより、中国料理を日本で普及させるために、日本人(又は在日中国人)が考案したものでしょう。
 
 
 
 
富貴包子楼(ふうきぱおずろう)
その場で味わえる手作りの点心が大人気

吟味した素材でひとつひとつ丁寧に作られた中華総菜の数々を店頭で調理・販売。作りたての美味しさをその場で楽しめる専門店だ。
 
なかでも黒豚をふんだんに使用した黒豚焼売はおすすめ。和風だしをもとに調理し、黒豚の旨味や食感を特性の皮にぎゅっと凝縮した至極の一品が味わえる。
 
また肉にらまんじゅうも女性に大人気。
フレッシュな生ニラをふんだん使用したジューシーでヘルシーな逸品だ。
 
御欠(おかき・餅米を原料とした菓子)
 
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平成最後の旅 談合坂SA

2019年06月05日 | 平成最後の旅 談合坂SA
帰路 談合坂サービスエリア
信玄ミュージアムから甲府昭和インターに向かう途中、「白バイ訓練所前」と言う地点名が有った。
中央自動車道を利用して自宅を目指す。
↑ 甲府昭和インター ↓
 
談合坂サービスエリア
山梨県上野原市の中央自動車道上にあるサービスエリアである。
中央自動車道の高井戸側からみて最初のサービスエリアである。上下線で約2km位置が異なり、両施設共に中央道の下り線側に設置されている。
上り線SAが小牧寄り(上野原市大野)、下り線SAが高井戸寄り(上野原市野田尻)にある。

開設当時は、上下線共に同じ位置にあり、上り線の施設はハイウェイショップ、スナックコーナー、トイレのパーキングエリア並みのものに加えて給油所というものであったが、設置されていた歩道橋を介して上下線の行き来が可能であった。
 
1992年(平成4年)4月、混雑の緩和(特にレストランは上下線で共用であったため、平日でも常に込み合う状況であった)のために、下り線SAを2 km高井戸寄りの現在地に移設。
 
旧下り線SAは、上り線SAの拡張用地となった。それに伴い、上記の通り現在では施設が離れている。下り線の施設にはレストランがない。
 
 
 
富貴包子楼 横浜中華街大世界店
焼売
 
焼売(しゅうまい、広東語: シウマイ)は、豚の挽肉を小麦粉の皮で包み蒸し調理した中華料理の点心。
 
 

中華人民共和国の広州や香港では広東語で「シウマイ」と発音されている。日本語は広東語の発音を外来語として取り入れている。
 
標準的な中国語(北京語)では「シャオマイ」と発音し、同音の「燒麥(簡体字: 烧麦)」の字を当てる場合がある。
 
現在の中国内モンゴル自治区が起源とされているが、中国国内では北京、山西省、広東省、山東省、浙江省、江蘇省等、各地に広く普及している。
 
香港では「干蒸燒賣(コーンチェンシーウマーイ」という呼び方も一般的である。
 
豚の挽肉と白菜などの野菜を主体とし、練り合わせて味付けした餡を中身にし、薄い小麦粉の皮で短い円柱状に包み、蒸籠や蒸し器などで蒸かして仕上げる。
 
好みで酢・醤油・辛子など調味料をつけて食べる。なお、中身にエビ、カニ肉や牛肉を加えたり、包む皮の代わりにもち米をまぶすなどのバリエーションもある。
 
同じ点心の一つとして扱われる餃子との違いは、皮が薄い四角形(丸い皮もある)で、中に澱粉がやや多く配合されていること、必ず最初は蒸して調理すること、塩味などの味付けが強めで調味料で味付けせずに食べることもできるという点などが挙げられる。
 
中国では蟹みそを付けたり、何も付けない例が多い。
北京風の「燒麥」は皮の大きさが大きめで、中の具よりもはみ出た感じの形の物が多く、中身ももち米を入れている場合が多い。
↑ 菓子パンを食べながら自宅へ向かう ↓
 
 
↑ 自宅到着後、先ずは海老焼売から ↓
 ↑ 缶酎ハイで海老焼売を ↓
 

令和の旅2。 那須塩原温泉。

2019年06月05日 | 令和の旅 那須塩原温泉
那須塩原温泉。
令和元年6月3日、令和になって二回目の旅は那須塩原へ。
 
塩原温泉郷は、栃木県那須塩原市(旧国下野国)塩原地区内の、箒川沿いの谷間を中心に点在する11の温泉の総称(温泉郷)。
 
栃木県北部の活火山高原山と、大佐飛山地の山塊との間に挟まれた谷間を流れる箒川沿いの渓流を、東北新幹線那須塩原駅側から国道400号に沿って上ってゆくと、次々に温泉が湧出している。
古くから塩原十一湯と呼ばれ、1000年以上の歴史を持つ古い温泉郷である。
千本松牧場
東京から約140km。西那須野塩原インターチェンジを降りてたったの2分という好立地!
 
 
インターチェンジからいちばん近い観光施設です。
 
那須高原や塩原温泉までへも車で約30分ほど、那須観光を楽しむには最適の場所にあります。鬼怒川・日光方面からの周遊エリアとしての交通の便もよく、たくさんの観光客の皆さんにご利用いただいています。
 
自家用車でのご来場は東京(東北自動車道 川口ジャンクション)から140km(100分)と都心からのアクセスに便利な立地です。
那須どうぶつ王国
栃木県那須郡那須町にあるテーマパーク形態の動物園です。
 
那須地域のテーマパークとしては後発となる1998年4月にマウントジーンズスキーリゾート那須を経営する丸紅と那須町ら出資する第三セクターの株式会社那須高原リゾート開発によって開国。
日帰り入浴施設「#那須五峰の湯」を併設している。
 
同スキー場の補完施設を兼ねており、駐車場は共用で王国内にスキー客用の仮眠室が置かれてい
を飼育している。
 
 
 
 
 
 
 
 
トラ・ライオン・ゾウ・キリン・ゴリラといった猛獣は飼育しておらず、草食動物や小型動物、鳥類などを飼育しているのが特徴である。
↑ ゴマフアザラシ ↓
 
 
 
↑ イワナ釣り場 ↓
 
 
 
↑ インドオオコウモリ ↓
 
 
 ↑ ハヤブサ ↓
 
↑ アラゲアルマジロ ↓
 
 
 
↑ 兎 ↓
 
 
 
↑ 犬たち ↓

 
 
 
↑ カラフトフクロウ ↓ ペンギン
 
↑ グリーンイグアナ モモイロインコ ↓
 
 身近な動物に触れ合える「レンタル犬」、「ふれあいドッグパーク」、「キャットハウス」などのコーナーのほか、関東有数の広さを公称するドッグランもある。旅行ガイドブックでは、那須高原の主要な観光施設として紹介されている。
↑ ホテルエピナール那須 ↓
 
 
 
 
 
 
 
 
 ↑ カニの甲羅酒 ↓
 
 
 
 
 

平成最後の旅 信玄ミュージアム2

2019年06月01日 | 平成最後の旅 信玄ミュージアム2
特別展示室(有料)


これまでの発掘調査の出土品とともに戦国時代の歴史を中心に詳しく展示しています。映像展示室では若き日の信玄が登場し、往時の甲府を紹介しています。
 
 
 
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
山梨県甲府市古府中(甲斐国山梨郡古府中)にあった戦国期の居館(または日本の城)。
 
甲斐国守護武田氏の居館で、戦国大名武田氏の領国経営における中心地となる。
甲斐国守護武田氏の本拠である甲府に築かれた館で、守護所が所在した。
 
 
現在、跡地には武田神社があり、また、「武田氏館跡」として国の史跡に指定されており、県内では甲州市(旧勝沼町)の勝沼氏館と並んで資料価値の高い中世の城館跡である。
 
戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。
 
信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。
 
県中部、甲府盆地の北端、南流する相川扇状地上に位置する。東西を藤川と相川に囲まれ、背に詰城である要害山城を配置した構造になっている。
 
 
 
特別展示室(有料)
これまでの発掘調査の出土品とともに戦国時代の歴史を中心に詳しく展示しています。映像展示室では若き日の信玄が登場し、往時の甲府を紹介しています。
 
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
山梨県甲府市古府中(甲斐国山梨郡古府中)にあった戦国期の居館(または日本の城)。
 
甲斐国守護武田氏の居館で、戦国大名武田氏の領国経営における中心地となる。
 
甲斐国守護武田氏の本拠である甲府に築かれた館で、守護所が所在した。現在、跡地には武田神社があり、また、「武田氏館跡」として国の史跡に指定されており、県内では甲州市(旧勝沼町)の勝沼氏館と並んで資料価値の高い中世の城館跡である。
 
戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。
信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。
 
県中部、甲府盆地の北端、南流する相川扇状地上に位置する。東西を藤川と相川に囲まれ、背に詰城である要害山城を配置した構造になっている。
 
 
 
 
旧堀田家住宅(堀田古城園)
旧堀田家住宅は、昭和8年(1933)に割烹料亭として開業された木造家屋群です。
武田氏館の存在を意識して「堀田古城園」と名付けられました。
 
 
 
↑ 堀田古城園 ↓
 
 
 
 
↑ 蕎麦カフェ湯布姫 ↓
 
 
 
 
↑ 蕎麦カフェ湯布姫 顔出野立看板 ↓
 
 
 
 
菱形の建物(茶室として改修)も注目です。歴史講座やワークショップ等を開催し、学習の場として活用します。長屋棟では飲食もお楽しみいただけます。
 
 
 
内部を改装した古民家だ。屋内は来場者の休憩スペースや歴史講座などの会場としてを活用される。さらに土産や飲料を販売する「長屋棟」ました。も新設されました。
 
 
3~4日は旅行で不在のため訪問出来ませんが悪しからず(ブログの更新無し)。
 
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