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火曜日のランチ 冷麺

2019年06月25日 | 飲食物・麺類
 
冷麺
朝鮮半島由来の冷製麺料理。朝鮮語ではネンミョン、またはレンミョ。
冷やし中華と区別するため、韓国冷麺や韓国風冷麺などとも呼ばれる。
 
 
 
↑ 韓国焼き肉店 ↓
 
 
 
 
朝鮮半島における冷麺
ルーツは現在の北朝鮮にあり、平壌と咸鏡南道咸興が本場として知られる。韓国側には、1950年に朝鮮戦争が勃発した際、南に逃れた北朝鮮出身者を通じて本格的に普及したといわれている。
本来は寒い冬に暖かいオンドル部屋(温度調節がこまめに出来ないのでやや暑くなる)の中で食べる料理で、1849年に書かれた『東国歳時記』に「冬の時食として、蕎麦麺に菁葅(大根のキムチ)や菘葅(白菜のキムチ)を入れ、そのうえに豚肉を和えたものを冷麺という」との記述がある。
 
 
 
 
 
 
現在の韓国では夏の食べ物と認識され、大衆食堂は夏の間しか出さないが、冷麺専門店は冬も出している。
大きく分けて、平壌発祥のムルレンミョンと咸興発祥のビビン(ピビム)ネンミョンの2種類がある。
 
ムルは「水」の意で、ネンミョンにムルが冠されると朝鮮語特有の流音化によりムルレンミョンという発音になる。ビビン(ピビム)は「混ぜ」の意で、ビビンバのビビンと同じである。
 
ムルレンミョンは、固く締めた麺の上に下味をつけた肉類・ゆで卵・キムチ・錦糸卵・ナシなどを盛り付け、最後に肉のダシ(本来は牛肉や雉肉で取るが、現在は灰汁抜きした牛の脚の骨で取る店が多い)とトンチミ(大根の水キムチ)の汁を合わせた、ユッスと呼ばれる透明で淡泊な冷たいスープをかけて供される。
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮半島では食器を手に持って食べることはマナー違反とされているが、ムルレンミョンに限ってはスープを飲む際に器を手に持ち、口をつけて啜っても良しとする韓国人も少なくない。
 
冷麺に先立って蒸し肉やピンデトッやマンドゥ(餃子)などをつまみに酒を飲み(「先酒後麺」という)、また食前に、日本における蕎麦湯のようにユッスが出てくることがあり、これは?油を入れて飲むのが平壌冷麺通の食べ方とされる。
 
ビビンネンミョンは、コチュジャン・酢・ごま油・砂糖などを合わせた辛いヤンニョムで麺を和え、肉類・ゆで卵・きゅうりの千切りなどを盛り付けて供され、食べる際によくかき混ぜる。
 
一般的に咸興冷麺として知られるのは、ヤンニョムをからめた魚の刺身(フ
ェ)を乗せたフェネンミョンで、魚はエイ(ガンギエイが多い)・カレイ・スケトウダラなどが使われる。
 
類似した料理にビビンククスがある。なお、咸興現地では咸興風冷麺のことをノンマグクスと呼ぶ。
「咸興冷麺」という呼称は、朝鮮戦争後、南へ逃れた咸鏡道出身者が名声ある平壌冷麺に対抗するため名付けたもので、北には元々なかった呼称だという。
 
麺は蕎麦粉を主原料とし、つなぎとしてデンプンや小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落として茹で、茹で上がった麺(ネンミョンサリと言う)をすぐに冷水で冷やす。
 
 
 
 
 
 
平壌冷麺は蕎麦粉と緑豆粉が用いられ、太くて黒っぽく、嚙み切りやすい。咸興冷麺はジャガイモやトウモロコシなどのデンプンが用いられ、細くて白っぽく、?み切りにくい麺である。
 
麺は製麺機から押し出したままの長い状態で盛られ、本来は切らずにそのまま食べるのが良いとされるが、現在の韓国では調理用鋏で食べやすい長さに切って出す店が多い。
 
冷麺が名物の町には平壌と咸興のほかに慶尚南道晋州市がある。
1960年代以降廃れていたが、北朝鮮で1994年に発行された『朝鮮の民俗伝統』で「冷麺は北の平壌冷麺と南の晋州冷麺が第一である」と紹介され、そのことが南北交流で韓国に伝えられたことを機に2000年代に再興された。
 
現在提供されている晋州冷麺は、魚介ダシのスープ、弾力のある太麺、細かく刻んだ卵焼きと牛肉チヂミを盛り付けることなどが特徴である。
 
このほか、葛を材料にしたチンネンミョン、蕎麦粉だけで作ったメミルレンミョン、緑茶を麺に練り込んだノクチャネンミョン(綠茶冷)など、麺や味付けの違う冷麺が食されている。
夏場の大衆食堂では、ヨルム(間引きした大根の葉)キムチを乗せたヨルムネンミョンがよく出される。
 
地方によってはトトリ(ドングリ)の粉を練り込んだトトリネンミョンを出す店もある。
釜山を中心とする慶尚南道地方では、小麦粉を主原料とするミルミョン(??、小麦麺の意)が名物となっており、もとは北からの避難民がアメリカの援助物資を代用して平壌冷麺を再現しようとしたものといわれる。
 
冷麺から派生した料理には他に、軽食堂やファストフード店で提供されるチョルミョン(韓国語版、英語版、スペイン語版)(しこしこ麺の意)があり、千切り野菜やゆで卵と甘辛ソースを絡めて食べる。
 
1970年代に仁川の製麺所で冷麺を製造中に偶然生まれたもので、冷麺よりも太く固いことが名前の由来となっている。
 
著名な冷麺専門店に平壌の玉流館がある。韓国紙の報道によれば、平壌の冷麺の殿堂として1日に1万人が訪れるといわれ、2000年に金大中が訪れるなど海外からの旅行客や要人が案内される著名店となっている。
 
2007年9月に改装工事が始まり、2008年4月15日の金日成生誕日に新装開店した。東亜日報の取材によれば「韓国よりも麺が1.5倍くらい太くて、麺とスープの色が黄土色」で「スープは濃い鶏肉の香りを漂わせ、あたかも參鷄湯を冷やしたような感じ」であるという。
一方、咸興の代表的な冷麺専門店には新興館が挙げられる。
韓国食品医薬品安全処の衛生調査で、冷麺は2000件中47件で大腸菌が検出され、注意が喚起されている。
 
 
 
 
 
 
 
日本における冷麺
1939年(昭和14年)に神戸市長田で平壌出身の張模蘭と全永淑が開業した「元祖 平壌冷麺屋」が日本で朝鮮半島式の冷麺を提供する現存最古の店である。
 
現在、日本の多くの焼肉店で定番メニューとして提供されている。日本人の口に合うようアレンジされた冷麺も各地にあり、代表的なものに岩手県盛岡市の盛岡冷麺と大分県別府市の別府冷麺が挙げられる。
 
盛岡冷麺は咸興出身の在日朝鮮人1世である青木輝人(朝鮮名:楊龍哲)が1954年(昭和29年)5月に開業した「食道園」が発祥で、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を開業した在日2世の邊龍雄らが「盛岡冷麺」というブランド名を確立させた。
 
小麦粉を主材料とする透明感のある太麺が特徴である。盛岡冷麺の生麺は「さぬきうどん」などとともに公正取引委員会から「特産」「名産」などの表示に基準が設けられた10品目の一つにもなっている。
 
別府冷麺は1950年(昭和25年)頃に満州からの引揚者が開業した店が発祥とされる。和風ダシのスープが特徴で、麺は店によって太麺と中細麺の2種類ある。
食堂やラーメン屋や居酒屋などでも提供されるメニューとなっており、金属製の器ではなくラーメン用の丼鉢などに盛りつけられる。

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