旅行、飲食、草花、イベント、乗り物、出来事など。

日々の生活の中から様々な物を写真付きで。

令和元年七月の旅・熱海温泉

2019年07月08日 | ★旅行★国内
熱海温泉(あたみおんせん)
静岡県熱海市にある温泉である。日本の三大温泉の一つとも言われる。
 
 
 
歴史
熱海は歴史的にも古い温泉であり、およそ1500年前の仁賢天皇の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。
 
また、天平宝字の頃に箱根権現の万巻上人が、この「熱い海」のために不漁に苦しむ漁民たちを救済すべく、祈願により源泉を海中から現在の山里に移したという伝説も残されている。
 
江戸時代初期の慶長9年(1604年)、徳川家康が7日間湯治で逗留した記録がある(『徳川実紀』)。
 
以来、徳川将軍家御用達の名湯として名を馳せ、徳川家光以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。
 
 
 
 
明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。最も代表的な作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、この作品によって熱海の名は全国的に知られることとなった。
 
国道135号沿いに登場人物である貫一・お宮の像がある。他に永井荷風の『冬の日』や林芙美子の『うず潮』などがある。
 
昭和30年代は新婚旅行の代表的な行き先で、白いドレスに白のスーツケースを持った、それと分かるアベックで賑わった。
 
高度経済成長期に入ると団体旅行を誘致するようになり、昭和40年代は年間450万人以上が宿泊していた。
 
そのうち男性客目当てのストリップ劇場や風俗店が増え、歓楽街が形成された。
これによるイメージの低下や、1964年の東海道新幹線開通を皮切りとした新幹線網の整備で東京から遠方の温泉地にも容易に出かけられるようになったことも重なり、家族連れの客離れが進んだ。
 
バブル崩壊後は団体客が減少。休館する旅館が目立つようになり、町に寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環に陥った。
 
当時老舗であった「つるやホテル」(平成13年閉館)などの大型ホテルの廃業がそれに拍車をかけた。

こうした長期低落傾向が、東日本大震災(2011年)を底に反転し、熱海復活として注目されている。
 
熱海駅と旅館・ホテル街を結ぶ位置にある熱海銀座商店街で空き店舗が増えた。
東京からのUターン者や地元住民、市が青空市開催と意欲ある店主の誘致、業態転換などで再生させた。
 
首都圏の西隣で新幹線駅がある元々の有利さは健在で、旅館・ホテル業界も花火大会などで、個人・小グループ客にとっての魅力向上に努めたことも奏功した。
 
近年の新幹線通勤の広がりに伴い、高額所得者が熱海に温泉付の自宅を構えて東京都内へ新幹線通勤する光景も多く見られるようになっている。
 
 
 
 
歓楽街の代名詞
かつて熱海温泉が日本を代表する歓楽温泉として栄華を誇ったことから、他地方の同様なあるいは有名な温泉街や温泉郷が「○○の熱海」と宣伝したり、そう呼ばれたりしたことがある。
 
これらの温泉街も熱海温泉と同様に、バブル経済の崩壊、レジャーの多様化などの事情により客離れが進み、現状の温泉街を評して「かつて『○○の熱海』と呼ばれた××温泉は……」との文脈で語られる例も見られるようになった。
 
その一方で、「山陰の熱海」を名乗る皆生温泉のように、否定的・消極的な意味を伴わず、普通に宣伝文句として用いている例もある。
 
特殊な例として、磐梯熱海温泉は、開湯時の領主が伊豆出身であることから借名されたものであり、当地とのゆかりのある名称となっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

雨の函館へ

2018年04月17日 | ★旅行★国内








雨のの函館へ
15日早朝、強風と降雨の中を自宅から200メートル先の駅まで、三度傘をお猪口にしながら到着。
傘は折り畳み式の「強風対応傘」だったので傘骨には何の支障も無く使えました。
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山梨・湯村温泉・常磐ホテルの露天風呂

2013年09月11日 | ★旅行★国内
常磐ホテルの露天風呂(男湯)。

1200年の歴史・湯村温泉、その泉質は?(施設毎の情報)

湯村の温泉成分はどこも比較的似ていますが、よく地盤が3層からなっているといわれます。大きく分けて100M位まで、200M位まで、400M位までのところから温泉が湧出していますが、その深度によって3つの成分に分けられています。

ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)

ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)

ナトリウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉) etc…

PH値平均  8.24

伝導率平均 2862.1[μs/cm]

PH値7.0が中性とされPH値8.24はアルカリ性泉質とされています。アルカリ性泉は物質が沈殿しやすいために溶存物質総量が少なくなる傾向にあり。したがって、身体に対する刺激が強くなく、その多くは無色澄明、無味無臭で、お湯がやわらかくて入り心地のよい温泉と感じられます。アルカリ性が強いと、その作用によって肌がすべすべになり、湯冷めがしにくいと言われています。

常磐ホテルは、昭和9年に掘削し、40度以上の温泉が出ました。現在は40.4度です。

温泉は源泉で、放流循環しています。離れの方は露天風呂もすべて源泉掛け流しです。







深度約100メートルまでがナトリウム・カルシウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。200メートルまでがナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)と300までがナトリウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)この3っつの地層からそれぞれ湧き出しています。

常磐ホテルの源泉は165メートルまで掘削してありますからナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)の温泉成分です。

また、常磐ホテルでは日帰りプランも有ります。
温泉入浴だけだと1,500円でフェイスタオル付き。ランチバイキングのご利用と入浴ですと3,500円のところ3,200円とお得になります。休憩もプラスすると予約になりますが6,300円からとなっています。

湯村の源泉はいくつあるの? 湧出量はどれくらい?

源泉は12箇所あります。その温度は平均40.8度です。つまり加水をせず、加温も殆ど必要がない泉質の変化を最もさせずに使える温度ということになります。

湧出量は1分間に830リットルですから、大きなペットボトルでなんと461本分となります。1日では1,195,200リットル(ドラム缶5,976本分)です。ちなみに有名な黒川温泉は源泉数31本で毎分2,480リットルですから、湯村温泉の温泉がいかに豊富かお分かりいただけると思います。



古くは弘法大師(空海)の開湯伝説や武田信玄の隠し湯などの伝説があります。明治から昭和初期には3つの外湯があり、その後旅館が出来始めたころはその外湯から温泉を引いていたそうです。 全国的に温泉掘削の気運が高まり湯村でも当時12本の源泉が掘削されたそうです。 専門家によれば、湯村温泉は常時水分が補給されており現在の温泉使用量はその1/100程度を使用している程度だということです。



何に効果があるの?

温泉浴・転地効果・歩行と森林浴 温泉は全ての病気に効果があるわけではありません、また、その入浴方法によっても効果はさまざまです。また、禁忌症といいこのような疾病の時には入浴しない方が良いという、逆効果の特性もあります。



適応症
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、切り傷、火傷、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病

禁忌症
急性疾患(特に熱のある場合)、活動性結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)

また、湯村温泉の史跡名所の散策ルート(30分~60分程度)や湯村山の自然環境での森林浴も併せてご活用いただけると効果が増します。
出典・http://www.yumura.com/












山梨・湯村温泉・

2013年09月07日 | ★旅行★国内
湯村温泉の歴史はなんと1200年

その泉質は?(施設毎の情報)
湯村の温泉成分はどこも比較的似ていますが、よく地盤が3層からなっているといわれます。大きく分けて100M位まで、200M位まで、400M位までのところから温泉が湧出していますが、その深度によって3つの成分に分けられています。

ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
ナトリウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉) etc…
PH値平均  8.24
伝導率平均 2862.1[μs/cm]

PH値7.0が中性とされPH値8.24はアルカリ性泉質とされています。アルカリ性泉は物質が沈殿しやすいために溶存物質総量が少なくなる傾向にあり。したがって、身体に対する刺激が強くなく、その多くは無色澄明、無味無臭で、お湯がやわらかくて入り心地のよい温泉と感じられます。アルカリ性が強いと、その作用によって肌がすべすべになり、湯冷めがしにくいと言われています。

常磐ホテルは、昭和9年に掘削し、40度以上の温泉が出ました。現在は40.4度です。

温泉は源泉で、放流循環しています。離れの方は露天風呂もすべて源泉掛け流しです。

深度約100メートルまでがナトリウム・カルシウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。200メートルまでがナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)と300までがナトリウム-塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)この3っつの地層からそれぞれ湧き出しています。

常磐ホテルの源泉は165メートルまで掘削してありますからナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉)の温泉成分です。

また、常磐ホテルでは日帰りプランも有ります。
温泉入浴だけだと1,500円でフェイスタオル付き。ランチバイキングのご利用と入浴ですと3,500円のところ3,200円とお得になります。休憩もプラスすると予約になりますが6,300円からとなっています。









































山梨・湯村温泉・夏障子と簾

2013年09月06日 | ★旅行★国内
山梨・湯村温泉・常磐ホテル

夏障子とすだれ(簀垂れ、簾)とは糸で竹やよしを編み連ねたものである。

8月18日甲府市湯村温泉の常磐ホテルの離れに宿泊。離れには夏障子、窓辺や縁側には夏仕様の「すだれ」が掛けられていました。

夏障子(写真6・7)
障子は、日本家屋における扉、窓に用いる建具の一つで、明かりを通すように木枠に紙張り(主に和紙、今では「化繊入り紙」もある)になっているものは明障子ともいう。

元来は現在の襖(襖障子)も含めて障子(さえぎるものの意)と言った。平安時代に「明障子」として襖から分離した。扉を閉じたまま採光できるという機能により広く使われるようになった。ガラスやカーテンが普及するようになって使用は減ったものの、ガラス併用の障子なども作られ消滅することはなかった。一部がガラスになっていて障子部分が開け閉めできるものを雪見障子という。(地域などによって名称が曖昧であり、擦り上げ障子が付いているものを猫間、無いものを雪見と区別している場合あり)

古来より、日本家屋独特のほの暗さの文化や陰翳の美を演出するものとして、日本の建築文化の象徴的な存在であった。現代においてはインテリアとしての再評価の他、ガラス戸との組合せによる断熱効果、紫外線の軽減効果などで見直されつつある。

夏にはガラスや紙に変えて細かな細工の桟を用いて通風と涼感を演出します(写真6・7)。



窓の外や軒先に垂らす。日よけ、目隠し、虫よけなどの目的で使われる。夏の風物詩でもある。『万葉集』に秋の風で簾が動く様を詠った歌があり[1]、簾の歴史は少なくとも奈良時代まで遡る。

横方向に垂らすような形で用いる「掛け簾」のほか、縦方向に立て掛ける形で用いる「立て簾(たてす)」と呼ばれる種類もあり、特にヨシを素材として編まれた「葦簀(葭簀、よしず)」は夏季を中心に軒先などに立て掛けて使用されるものである。

近年カーテンやブラインド、スクリーン等が普及する中、使い勝手の良さや見た目の良さにより現在でも根強い人気を持ち、「洋風たてす」と呼ばれるものも販売されている。近代建築においてエクステリア・インテリアの装飾品として使われることもある。

御簾
御簾(みす)とは、特に緑色の布の縁取りなどをした簾のこと。「御簾」は「ぎょれん」とも読む。大名や公家などが部屋の中や外を分けるのに使われていた。その歴史は長く、小倉百人一首の人物描写にも「みす」が描かれている。清少納言の「高炉峰の雪は簾を掲げて見る」の逸話における簾(すだれ)は、御簾のこと。

生産
日本では1970年代頃までは日本国内産の比率が高かったが、河川改修などで材料となるヨシの生育地が減少したことから中華人民共和国産の比率が高まった。

茶室の代表的な関東すだれは代萩、幅広い琵琶湖すだれは地よしが多く使用される。

関連項目
シェード(布製の簾。電車の窓などにある)
ブラインド
カーテン
巻き簾 - 料理用の巻き寿司を巻くときなどに利用される調理器具
簀巻き
南京玉すだれ - すだれを使った大道芸








































山梨・湯村温泉・ワイン

2013年09月01日 | ★旅行★国内
旅行の楽しみの一つに地元の食材を使った食事も有る。
私の様な飲兵衛は地酒も楽しみの一つである(写真は8月18日、湯村温泉・常磐ホテル・九重にて)。

此処は山梨の甲府「日本のワイン」の発祥地です。
 
山梨県は日本のワインの発祥の地であり、約80社のワイナリーが国内の約3割のワインを生産しています。なかでも、山梨県特産の甲州種ブドウで造られた白ワインは、和食に合う味わいが特徴で、和食ブームの海外でも注目を集めており、世界市場へのチャレンジも始まっています。また、国産ブドウ100%で造られたワインの品質を競う「Japan Wine Competition(国産ワインコンクール)」を、毎年山梨県で開催しています。

ワイン醸造は山梨県から
山梨県のワイン産業は、明治初期に勝沼の2人の青年がフランスで学んだワイン醸造技術を地元に広めて以来着実に発展し、現在では国内の約3割のワインを生産する日本を代表するワイン産地となりました。

代表的な国産ワインの原料である甲州種ブドウは、コーカサス地方、カスピ海沿岸が原産地とされ、シルクロードを経て中国を経由、仏教と共に日本に伝わり、気候風土の合った山梨県勝沼に定着したと思われます。

甲州ワインは近年品質の向上が著しく、シュール・リー製法(発酵後、澱と接触させて味の厚みを引き出す製法)や樽を使用したもの、新たな柑橘系の香りを特徴としたものやスパークリングワインなど、山梨県ではさまざまなタイプのワインが造られています。

ワイナリーを巡って味わう
山梨県内には約80社のワイナリーがあり、それぞれに違った味わいを持つワインを飲み比べてみるのも楽しいものです。そこでおすすめしたいのがワイナリー見学。スタッフからワインの歴史や醸造、飲み方などの話が聞けるほか、醸造所見学やワインのボトル詰めやぶどうの足踏み体験などができるところもあり、ワインへの理解を深めることができます。また、原料のぶどうの収穫時期には、各社工夫を凝らした収穫祭が盛大に開催されます。


今は国産ワインって言わない時代です(以下・文/柳 忠之氏から転載)
使える日本ワインの基礎知識。
 
国産ワインと呼ばれた時代から日本ワインと呼ばれる時代へ。ようやく世界が認めはじめた日本ワインのその魅力をワインジャーナリストの柳忠之氏が初心者にも分かりやすく解説。飲んで楽しく、知ってるとタメになる。そんな日本ワインの最先端をご紹介

めまぐるしい質の向上で注目を集める日本ワイン
その実力やいかに
国産ワインと聞けば、日本で収穫されたブドウを使い、日本で醸造されたワインのことだと誰しも思う。ところがどっこい、国産と称しているワインの8割近くが海外原料を用いて国内生産されたもの。そこで、日本のブドウから造られた純粋な国産ワインのみを総称して「日本ワイン」と呼ぶのが今どきのコンセンサスとなっている。

ここ数年でにわかに注目され始めた日本ワイン。「えっ?」と思うような土地で、「はぁ?」と首を傾げたくなる無名の造り手により、「おぉ」と思わず唸ってしまうワインが続々誕生。北海道でブルゴーニュ顔負けのピノ・ノワールが造られているとか、九州にソノマコーストを食いかねないシャルドネがあると聞けば、食指の動かないワイン通はいないだろう。

   


















山梨・湯村温泉

2013年09月01日 | ★旅行★国内
常磐ホテル

昭和4年
湯村温泉郷に1300坪の土地購入し創業

日本旅館の感性と、都市型ホテルの利便性を兼備えた、皇室もご利用なさる甲府の迎賓館

一万坪の敷地内にしっとり落ち着いた3千坪の日本庭園。信玄の隠し湯とも伝えられている温泉は庭園を眺めながら入る露天風呂で楽しめる。庭園に面した離れは、ゆったりとした空間が魅力。

松を基調とした日本情緒豊かな庭園。すんだ空気の中で、のんびりと散策を楽しめます。

ゆっくりとおくつろぎいただくために各室、次の間、広縁付きのゆとりのあるお部屋を用意いたしました。また、庭園に面した離れ客室は、各界の賓客をおもてなしするのにふさわしい、趣のある贅沢な造りとなっております。

信玄の隠し湯とも伝えられる由緒ある温泉です。広々とした大浴場、庭園を望む露天風呂、庭園の中にある露天風呂で身も心もくつろげます。




























★群馬サファリパーク★其の11

2012年09月15日 | ★旅行★国内
群馬サファリパーク・猛獣ゾーン 

トラゾーン

ベンガルトラ
大型のネコ科動物で、大人のオスは体長が約3m、体重は約250kg、メスでも体長が約2m50cm、体重は約150kgに達します。

普段は単独で暮らす夜行性の動物で、非常に攻撃的な性格を持っています。丈の高い草原や草の茂った湿地帯、または乾いて開けた森や一年中葉を落とさない木の生えた湿った林などで生活し、水辺近くの草むらを好みます。体のシマ模様は森林や草の茂み中でのカモフラージュに都合が良く、地面をはって獲物に近づき一気に飛びつき首スジをかんで窒息死させます。主な獲物はサンバーなどシカの仲間です。水が大好きで泳ぎが上手です。

群馬サファリパークにて1997年8月に起こった事故。

祖母が泣いてむずがる孫を両親の車に返そうとトラのブースで車を降りてしまいトラに襲われ、それを助けようとした祖父も襲われて二人死亡するという事故がありました。











ライオンゾーン

ライオン
ライオンは、哺乳綱ネコ目(食肉目)ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。

大型のネコ科動物で、アフリカの草原ではネコの仲間ではめずらしく群れを作って暮らしています。群れは普通1~3頭の大人のオスと15頭ぐらいまでの大人のメスそれと子供で構成され、『プライド』と呼ばれています。大人のオスは体長が約3m、体重は約240kg、メスは体長が約2m60cm、体重は約170kgになります。

狩りをするのは主にメスで、時にはグループを作り、素晴らしいチームプレーで獲物をしとめることがありますが、狩りの成功率は4回に1度くらいです。獲物は主にシマウマやヌーです。食事の順番はオスが一番、次にメス、最後に子供です。オスは外来の侵入者には非常に攻撃的で、時には死に至る大きなけがをおうこともあります。

アジアの一部にも生息しますが数が少なく、森林に住むため、アフリカのライオンとは生活様式がかなり異なります。











ライオンは、哺乳綱ネコ目(食肉目)ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。

オスであれば体重は250キログラムを超えることもあり、ネコ科ではトラに次いで2番目に大きな種である。現在の主な生息地はサブサハラであるが、インドのジル国立公園のインドライオンは絶滅危惧である。北アフリカや西南アジアでは有史時代に姿を消している。よく見られたのはまずアフリカで、それから西ヨーロッパからインドにかけてのユーラシア、そしてユーコンからペルーまでのアメリカだった。

飼育個体は20年以上生きることもあるが、野生のライオンの寿命はより短く、特にオスが10年以上生きることは稀である。縄張りをめぐって他のオスと常に争うために傷を負い、それが寿命を大きく縮める原因となる。典型的な棲息地としてサバンナと草原地帯が挙げられるが、茂みや森などに棲む場合もある。

ライオンは他のネコ科の動物にはあまり見られない社会性をもっている。メスと子ライオン、そして少数の成熟したオスがプライド群れ)を形成する。メスの集団が連係するのが狩りの特徴であり、おもに大型の有蹄動物を襲う。ライオンは捕食者の頂点でありまた象徴的な存在であるが、機会さえあれば屍肉も漁る。ライオンが人を襲うことはほとんどないが、その犠牲者がいることは知られている。

ライオンは危急種である。アフリカではこの20年間で30-50パーセントまで頭数が減っており、おそらくこの数字は回復しないだろうとされている。保護区や国立公園に指定された地以外では棲息が難しくなっている。しかし、その数が減っている原因がはっきりしたわけではなく、棲息地の減少や人間との衝突が最大の原因だということに現在はなっている。

ライオンはローマ時代から見世物としても知られ、その後2000年近くにわたって世界中の動物園で観賞されたという点で稀有な生物である。また世界規模でアジア種を救う養育プログラムが組まれ、動物園同士で協力しあっている。

オスのライオンの外見は非常に特徴的であり、その鬣からすぐそれと認識できる。ライオンは後期旧石器時代から描かれており、古くはラスコー洞窟やショーヴェ洞窟の洞窟画などがある。彫刻や絵画、国旗をはじめ、現代の映画や文学などでも広く扱われている。

★群馬サファリパーク其の9

2012年09月13日 | ★旅行★国内
群馬サファリパーク・ウォーキングサファリゾーン

ヒトコブラクダ

ヒトコブラクダ(写真1~4)
砂漠地帯に生息するため、砂にめり込まないように平らで大きな足や、砂ボコリを防ぐための長いマツ毛、長い耳の毛が発達していて、鼻の穴も自由に閉じることができます。体高は約2m、体重は約600kgほどになります。

群れを作って生活し、主に草を食べます。砂漠という厳しい環境では、常に草や水が存在するわけではないため、エネルギーを背中のコブの部分に良質の脂肪として蓄えています。そしてゆっくりしたペースならば約100kgの荷物を背負い、一日約30km運ぶことができるといわれています。胸や脚の付け根の皮ふはかたく、角質のすわりだこになっています。136リットルもの水を一度に、短時間で飲むことができ、労働させなければ10ヶ月間、水を飲まなくても持ちこたえられます。









ファロージカ(写真5~8)
夏毛は赤い褐色で体には白い斑点があります。冬は灰褐色の毛になり斑点は消えます。体高は約90cm、体重は大人のオスで約100kg、大人のメスで約50kgです。開けた森林や低い木の生える地域で生活しています。角はオスのみにあり、70cmを越える大きな角になります。角の先は扁平で手のひら状になるのが特徴です。

毎年春になると角は落ち、夏から秋にかけて新しい角がはえてきます。角は1歳ではえ始め2歳で2枝、5~6歳で立派な角になります。8~9歳までは先端の突起は増えますが、その後は角もおとろえていきます。ファロージカの寿命は15年ほどです。









ニホンジカ(写真9)
日本に多く分布し、体の色は夏と冬で異なります。夏は赤褐色で白い斑点があり、冬は灰色が強くなり白い斑点は消えます。大人になると体高は約1m、体重は約50kgになります。角はオスのみにあり、4歳以上のオスは普通4つの枝のある角をもっています。お尻の部分は白い毛が生えており、逃げるときにはその白い部分を広げ、仲間に合図を送ります。

秋から冬にかけては発情期で、オスの首の周りの毛はたてがみ状に伸び、堂々とした体形になります。そしてなわばりを作りメスを囲い込みます。それ以外の季節はメスは若いシカや子ジカと、オスはオス同士の群れを作り生活しています。


★群馬サァファリパーク★其の8

2012年09月12日 | ★旅行★国内
群馬サファリパーク・ウォーキングサファリゾーン

ミーアキャットとロバ

ミーアキャットは、動物界脊索動物門哺乳綱ネコ目(食肉目)マングース科スリカータ属に分類される食肉類。本種のみでスリカータ属を形成する。別名スリカータ。

形態

体長25-31センチメートル。尾長17-25センチメートル。体重0.6-1キログラム。背面は長く柔らかい体毛、腹面はまばらに短い体毛で被われる[2]。背面の毛衣は黄褐色や灰褐色や灰白色で、10本の暗褐色の横縞が入る。顔や喉の毛衣は灰白色。眼の周囲や耳介、鼻の毛衣は黒い。尾の毛衣は黄褐色で、先端が黒い。

歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上下6本、大臼歯が上下4本で計36本。指趾の本数は4本。前肢の爪は長く、後肢の爪の2倍以上に達する。

オスにのみ肛門の周辺に臭腺(肛門腺)がある。乳頭の数は6個。

形態

体長25-31センチメートル。尾長17-25センチメートル。体重0.6-1キログラム。背面は長く柔らかい体毛、腹面はまばらに短い体毛で被われる[2]。背面の毛衣は黄褐色や灰褐色や灰白色で、10本の暗褐色の横縞が入る。顔や喉の毛衣は灰白色。眼の周囲や耳介、鼻の毛衣は黒い。尾の毛衣は黄褐色で、先端が黒い。

歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上下6本、大臼歯が上下4本で計36本。指趾の本数は4本。前肢の爪は長く、後肢の爪の2倍以上に達する。

オスにのみ肛門の周辺に臭腺(肛門腺)がある。乳頭の数は6個。











ロバ

驢馬、馿馬は哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属の総称、もしくは、その1種。

別名うさぎうま。漢語では驢(ろ)。古代より家畜として使用される。現生ウマ科の中で一番小型だが、力は強く、記憶力も良い。学名(エクウス・アシヌス)は、ラテン語で「馬・ロバ」の意。

生態

家畜としては、比較的少ない餌で維持できる。寿命は長く、飼育環境によっては30年以上生きることがある。

益獣としての使用

家畜化
最初に家畜として飼われ始めたのは、約5000年前に野生種であるアフリカノロバを飼育したものとされる。野生種の中で現存するのは、ソマリノロバ (Equus africanus somaliensis) のみであり、ソマリアとエジプトの国境地帯に見られたが、ソマリア内戦の影響で激減したため、現在はその大部分がイスラエルの野生保護区で飼育されている。またハワイ島には野生化したロバが多数生息している。古代から乗用、荷物の運搬などの使役に重用されたが、ウマに比べると、従順でない性質があり、小型でもあることが使役用の家畜として劣る点であった。逆にウマよりも優れていたのが非常に強健で粗食に耐え、管理が楽な点であった。

ユダヤ人との関係

荒涼としたステップ地帯、砂漠地帯、あるいは山岳地帯などを放浪していたユダヤ人は、ロバを知る古い民族のひとつであり、そのため彼らの伝承や戒律などにもロバに関わるものが少なからずある。

古代、ユダヤ人たちの間では、ロバに乗ることを禁じた日があった。イエスがキリスト(ユダヤの王)として、ロバに乗って過ぎ越しの日にエルサレムに入る記述が聖書にある。

食用

中国の、特に華北においては、ロバは一般的な食材のひとつとなっている。多くの場合、老いて輸送などの労務が難しくなったものが食用にされる。このため、単に炒めるだけの料理では食べづらく、煮込み料理か餃子や肉まんの具や肉団子のようなミンチ肉料理にされることが多い。そのままではある程度の臭みがあるが、下ごしらえをうまくすることで中国で「上有龍肉、下有驢肉」(天には竜の肉があり、地上にはロバの肉がある)と言われるほどの美味に仕上げることができる。
臘驢肉(ラーリューロウ) 中国山西省長治の名物食材で、ロバ肉の塩漬けを燻製にしたもの。 驢肉火燒(リューロウフオシャオ) 中国河北省保定の名物料理で、ロバ肉を使った棒餃子。 肴驢肉(ヤオリューロウ) 中国山東省広饒県などの名物料理で、ロバ肉を煮込んで、ゼラチン質と共に冷やし固め、スライスしてたべる、アスピック(煮こごり)のような前菜料理。

薬用

ロバの皮から毛を取り、煮つめて取る膠(にかわ)は、漢方で「阿膠」(あきょう)といい、主成分はコラーゲンで、血を作り、止血する作用があると考えられている。このため、出血を伴う症状や、貧血、産後の栄養補給、強壮、皮膚の改善などの目的で、服用、配合される。阿膠は薬用以外に、これを加えた飴なども作られている。出典:ウィキペディア フリー百貨辞典より。









★群馬サァファリパーク★其の7

2012年09月11日 | ★旅行★国内
群馬サファリパーク・ウォーキングサファリゾーン

ジャガー

ジャガーは、哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。古代中米では「雨の神」とされた。

形態

体長;頭胴長約120-185cm、尾70-91 cm。体重45-158 kg。ネコ科の動物としてはトラ、ライオンに次ぐ大きさであり、南北アメリカでは最大。また体格に比べ頭骨が大きく、噛む力が非常に強いのが特徴。体色は黄色で背面には黒い斑紋に囲まれたオレンジ色の斑紋(梅花紋)が入る。ヒョウと似ているが、輪の中に黒点があること、ジャガーの方が体格が頑丈で、頭骨が大きく足が短いことなどにおいて異なる。現存するネコ科では本種が最もスミロドンの体型に近いとも言われる。ジャガー(Jaguar)という名前は南アメリカインディアンの“ヤガー”という言葉から来ており、これは「一突きで殺す者」という意味が含まれている。なお、雄ジャガーと雌ライオンにも種間雑種を生じることができ、この雑種はジャグリオンと呼ばれる。

生態

上は横から見た図、下は上から見た図である。大型のネコ科肉食獣の例に漏れず、その顎の力は強力である。
密生した熱帯雨林からまばらな林、草原や沼地に至るまで様々な環境に生息し、主として夜行性で単独生活をしている。木登りを得意とし、アルマジロやカピバラ等の齧歯類、ペッカリー、バク、ナマケモノ、ホエザル等の霊長類を襲う他、ネコ科の中では水を嫌がらず泳ぎが得意なので、魚、カメ、カイマンといった小型のワニ、オオアナコンダを含むヘビなどを強靭な顎で捕食する。稀に家畜や人も襲う事でも知られる。数平方㎞に及ぶ縄張りを単独で維持し、排泄物や爪とぎでマーキングしている。出産は2年に1回、妊娠期間は100~110日で、2-4匹を産む。生まれた子は2年以上母親と暮らし、狩りの技術を習得する。写真5~7は富士サァファリパークで撮影。















ダチョウ

ダチョウ(駝鳥)は、動物界脊索動物門鳥綱ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属に分類される鳥。本種のみでダチョウ科ダチョウ属を形成する。亜種として北アフリカダチョウ、マサイダチョウのレッドネック系、ソマリアダチョウ、南アフリカダチョウのブルーネック系、南アフリカで育種されたアフリカンブラックがある。

属名 Struthio はギリシア語でダチョウの意。 往時、ダチョウはサハラ以北にも棲息し、地中海世界にもある程度馴染みのある鳥であった。 この語はまた、英語: ostrich など、ヨーロッパ各国でダチョウを意味する語の語源でもある。 種小名 camelus は「ラクダ」の意。

分布

アンゴラ、ウガンダ、エジプト、エチオピア、エリトリア、カメルーン、ケニア、ザンビア、ジブチ、ジンバブエ、スーダン、セネガル、ソマリア、タンザニア、チャド、中央アフリカ共和国、ナイジェリア、ナミビア、ニジェール、ブルキナファソ、ボツワナ、マリ共和国、南アフリカ共和国、モザンビーク、モーリタニア、リビア、西サハラ。

以前は西アジアにも分布していたが、既に絶滅したと考えられている。またオーストラリアに移入されている。

形態

オスの成鳥となると全長230cm、体重135kgにも達し、現生する鳥類では最大種である。 頭部は小型で、頚部は長く小さな羽毛に覆われている。飛行することは出来ない。ダチョウは翼を持っているが、竜骨突起がなく胸筋は貧弱である。また羽毛は羽軸を中心に左右対称でふわふわとしており、揚力を得て飛行する構造になっていない。後肢は頑丈で発達している。足指は大きなかぎ爪がついている中指と外指の2本で、3本指のエミューやレアと異なる。翼と尾の羽根が白く、オスの胴体の羽根は黒色。メスの胴体の羽毛は灰褐色である。

生態

サバンナや砂漠、低木林等に生息する。繁殖期以外のダチョウは群居性の鳥であり、いろいろな年齢のオスやメスが混合してグループを形成する。繁殖期には1羽のオスと複数羽のメスからなる小規模な群れを形成し、またオス同士でテリトリーを巡って争うことがある。

繁殖形態は卵生で、オスが地面を掘ってできた窪みにメスが卵を産む。最初に卵を産むメスが群れの中でも優位であり、最初のメスが産む卵の周りに他のメスが産卵して外敵に備える。

食性は雑食性とする説もあるが、ダチョウの腸は他の鳥類に比較して非常に長く、馬やウサギと同様に草の繊維質を腸で醗酵させてエネルギー源とすることがわかっており、草食動物と定義することができる。また石を飲み込み筋胃において食べた餌をすりつぶすことに利用する。

特性

キック力が強力で、一説には100平方センチ当たり4.8tの圧力があるといわれる。







人間との関係

ダチョウの飼育は古代エジプトの壁画にも見られる。特に羽根は古代エジプトにおいて真実と公正の象徴として、神話の神々やファラオの装飾品に用いらる。中世ヨーロッパでは騎士の兜の装飾品に用いたられ、イングランドのエドワード黒太子がダチョウの羽根3本を紋章とし(スリーフェザーマーク)たことから、現在もプリンスオブウェールズの紋に用いられている。オランダ人が南アフリカのケープタウンに上陸した1652年以来、他の野生動物と同じくダチョウの捕獲・と殺が盛んに行われた。17世紀ごろからダチョウの飼育が活発化し、20世紀に至るまで金・ダイアモンド・羊毛とならんでダチョウの羽根が南アフリカの主要貿易品となるに至った。ながらく南アフリカの独占的畜産業であったが1993年に南アフリカからの種卵・種鳥の輸出が解禁され、後発の家禽として世界中に飼育が広まった。日本においても90年代後半から飼育数が増加し生産者団体が発足するなど活発化し2008年に家畜伝染病予防法の対象動物となった。

食用

ダチョウの生息地では古来食用に利用され、古代ローマの料理家アピシウスがダチョウ肉料理の記録を残している。なお、旧約聖書においては禁忌とされる動物に名を連ねている。 ダチョウ肉は高タンパク質・低脂肪であるため、欧米、とくにEUではBSE問題が追い風となり、健康面に配慮した一部消費者により牛肉の代替赤肉として消費されている。消費量は世界的には年間数万t、日本国内においては100t程度の消費量が推計されている。

ダチョウの肉は鉄分が豊富で赤みが強く、歯応えのある食感をしている。また低脂肪でL-カルニチンも豊富であることからヘルシー食肉として認知が広まりつつある。他の畜肉と比べアラニン、グリシンといった甘み成分のアミノ酸が豊富であり、ステーキ・焼肉・ハンバーグ・カツレツのほか刺身、タタキといった生食でも嗜好される。脂肪が少ない分、クセは少なく和洋とわず味付けの幅は広い。牛肉に比べると加熱しすぎると固くジューシーさが失われることがあり、ダチョウ肉に見合った調理加減が必要である。

ダチョウには竜骨突起がないためムネ肉がほとんど存在しない。食用とする肉の大部分はモモ肉である。各国、各生産者の分類によるがモモ肉のうち特に柔らかい肉がフィレ肉と分類されていることが多い。また首の肉や砂肝・肝臓・心臓等の内臓肉も食用に用いられる。

卵は非常に大きいが、味は決して良くない。水っぽく、白身は火を入れても半透明でジェル状にしかならない。アフリカの狩猟民族にとっては貴重な蛋白源であるが、もっぱら子供や老人の食べ物とされ、成人が食べるのは恥とされていると言われる。卵は鶏の卵の20個分の量となる。卵殻はアートなどに利用される。

服飾・装飾用

「オストリッチ」と呼ばれる皮革製品はダチョウの背中の部分の皮膚を利用したもので、軽くて丈夫なことを特色とし、バッグ、財布、靴などに幅広く利用されている。 外見にも特徴があり、「クィル(英語: quill)」「シボ」などと呼ばれる羽毛痕が多数ちらばり、全体として水玉のような模様を見せる。

羽は特に欧米で装飾品として利用されている。帽子の飾りに良く使われるほか、大量の羽を使用した装飾は舞台衣装に使われることも多い。なお、宝塚歌劇団のトップスターが着用する羽飾りもダチョウの羽である。

乗用

馬などと比べると乗用に適しているとは言い難いが、人間を乗せて走ることが出来る。 アメリカでは騎手を乗せたダチョウレースが開催されており、 1907年にオハイオ州のグリーンヴィルで開催されたダチョウレースで騎手を乗せたダチョウが半マイル(約800m)を1分3秒で走ったという記録がある。 日本の観光農場(岡山県 オーストリッチファーム湯原)等においてもダチョウに乗ることが出来る。 一般車道をダチョウが走る場合、法律上は馬、牛、ロバなどと同様に軽車両の扱いになるはずであるが、実例が確認できないためはっきりしていない。

抗体

京都府立大学教授塚本康浩がダチョウを利用して抗体を低コストでつくることを発案した。

その他

ダチョウの羽はほとんど静電気を帯びないため、OA機器のダスターや自動車のダスターにも使用される。
出典:ウィキペディア フリー百貨辞典より。

★群馬サァファリパーク★其の5

2012年09月09日 | ★旅行★国内
群馬サファリパーク・其の5
群馬サファリパーク・ウォーキングサファリゾーン

ジャガー

ジャガーは、哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。古代中米では「雨の神」とされた。

体長;頭胴長約120-185cm、尾70-91 cm。体重45-158 kg。ネコ科の動物としてはトラ、ライオンに次ぐ大きさであり、南北アメリカでは最大。また体格に比べ頭骨が大きく、噛む力が非常に強いのが特徴。

体色は黄色で背面には黒い斑紋に囲まれたオレンジ色の斑紋(梅花紋)が入る。ヒョウと似ているが、輪の中に黒点があること、ジャガーの方が体格が頑丈で、頭骨が大きく足が短いことなどにおいて異なる。現存するネコ科では本種が最もスミロドンの体型に近いとも言われる。

ジャガー(Jaguar)という名前は南アメリカインディアンの“ヤガー”という言葉から来ており、これは「一突きで殺す者」という意味が含まれている。なお、雄ジャガーと雌ライオンにも種間雑種を生じることができ、この雑種はジャグリオンと呼ばれる。

密生した熱帯雨林からまばらな林、草原や沼地に至るまで様々な環境に生息し、主として夜行性で単独生活をしている。木登りを得意とし、アルマジロやカピバラ等の齧歯類、ペッカリー、バク、ナマケモノ、ホエザル等の霊長類を襲う他、ネコ科の中では水を嫌がらず泳ぎが得意なので、魚、カメ、カイマンといった小型のワニ、オオアナコンダを含むヘビなどを強靭な顎で捕食する。

稀に家畜や人も襲う事でも知られる。数平方㎞に及ぶ縄張りを単独で維持し、排泄物や爪とぎでマーキングしている。出産は2年に1回、妊娠期間は100~110日で、2-4匹を産む。生まれた子は2年以上母親と暮らし、狩りの技術を習得する。











ケープハイラックス

ケープハイラックス又はロックハイラックスはイワダヌキ目の動物。他のハイラックスと同様、短い耳と尻尾の様子がモルモットに似ているが、別の目であり、原始的な特徴をもった有蹄動物である。

南アフリカではダシー、スワヒリ語では「ピンビ」「ペレレ」「ウィバリ」と呼ばれる。ピンビ、ペレレは、今ではハイラックス全部を指す。ケープハイラックスには多くの亜種がある。ロックハイラックスは、アフリカに住む亜種を指すことが多い。

ユダヤ人はイワアナグマと呼び、「カーシェールではない(食べてはいけない)」とされる。ヘブライ語ではshafan selaあるいはRock Shafanと呼ばれるが、Shafanの語源は「隠れる」である。

ケープハイラックスは1対の長い牙を持ち、切歯と大臼歯はサイに似ている。前足は足裏を地に付けており、後ろ足はほぼ、踵を付けずに歩く。足裏は長く、柔らかく、汗に似た分泌物が出ている。オスはメスよりもやや大きい。地面や低い木の草・葉を食べる。

ケープハイラックスは生後2年か3年で妊娠し、6~7ヶ月で出産する。新生児は十分生育しており、目も完全に開いており、毛も生え揃っている。生後2週間で固いエサを食べられるようになり、10週間で離乳する。生後16ヶ月で大人となり、3年で大人と同じ大きさになり、寿命は10年ほどである。

ハイラックスは80匹ぐらいまでの群れを作る。群れはいくつかのグループに分かれており、1グループは1匹のオスが率い、数家族から成る。ハイラックスはほとんどの時間、数匹が群れて、あるいは1匹でひなたぼっこをしていることが多い。これはハイラックスの体温が周囲の気温の影響を受けやすい、つまり恒温動物として未発達であるためとも言われている。









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2012年09月08日 | ★旅行★国内
群馬サファリパーク・其の4

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ユキヒョウ(写真1~4)
標高1800~5000mの乾燥したステップ地帯や針葉樹林で生活しています。標高の高い寒冷地に適応してか、体毛は長く密生して生えています。体の色は全体的にくすんだ灰色をしています。体長は約1m30cm、体重は約75kgです。耳は短く、長い尾も厚い毛で覆われています。足の裏も毛のクッションで覆われていて、足を寒さから守り、やわらかな雪の上でも滑りにくくするのに役立っています。

繁殖期は1~5月で洞くつ、岩の割れ目、樹木の洞などを利用して巣を作り、普通2~3頭の子供を出産します。









ラマ(写真5~9)
頭、首、足を除いて体全体が長くカールした毛でおおわれ、色は茶、黒、白、マダラなどさまざまです。上唇がさけていて首は長くカーブしています。体高は約1m10cm、体重は約140kgになります。標高2300~4000mの高地草原ややぶ地に生息しています。おとなしい性格で、約4000年も前から家畜化されています。

また、岩場の道を歩くのに適応しており、でこぼこの地形を約50kgの荷物をかついで一日30km近く運ぶことができるといわれています。普段はおとなしいのですが、興奮したり攻撃的になると胃の内容物をはきかけることがあります。











アキシスジカ(写真10~12)
哺乳綱偶蹄目シカ科の動物。インド、スリランカの森林、草原にすむ。頭胴長1.1~1.4メートル、体高75~97センチメートル、体重45~100キログラム、角長は大きなもので85センチメートルに達する。赤褐色の地に多数の白斑(はくはん)が散らばり、シカのなかでももっとも美しいと称されている。この白斑は季節による変化はせず、一生みられる。角(つの)は3枝で、脱角する時期は一定していない。普通は10~30頭ぐらいの群れで暮らし、2~3頭の成獣の雄が混じっているが、ときに数百頭の大群になることがある。

日中でもわりと活動し、正午近くまで採食することがある。下草の生えた森林の木陰や、陰った流れのそばを好むが、耕作地に入ることもある。出産期は一定せず、妊娠期間は7~8か月、1産1子、まれに3子。ニュージーランド、オーストラリア、ハワイ、ブラジル、アルゼンチンなどに移入されている。