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おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

東京思風塾2月例会

2016年02月07日 05時28分03秒 | 家づくり
昨日は、今年初めてとなる東京思風塾でした。またまた長くて読みづらい文章かもしれませんが、自分なりにまとめてみましたのでよろしかったらご覧下さい。


東京思風塾 2月例会
宇宙の摂理を学ぶ
(前段)
 母性の時代をつくる⇒女性は男性化するのではなく、女性の持つ母性を原理とした新しい社会。
女性は子供に対して母親であるだけでなく、夫をも、両親をも、社員をも、地域社会をも、あらゆるものを「母性」という原理で関わる。これからの女性は「母性」を磨いて極めて新しい社会をつくっていく。母性はあらゆるものにいのちを与える、女性よ万物の母たれ。男性は父性を原理とて「万物の父たれ!」

(1限目)
 我々は宇宙の中に存在しているわけであるから、宇宙の一部分である。我々は宇宙そのものである。したがって成功するにも幸せになるにも健康になるにも、宇宙の摂理に従う。
 失敗も不幸も病気も「いのちの有機性の破壊」が原因⇒いのちの中に対立がある状態⇒宇宙そのものが有機体の集合であるから我々人間もその摂理に従う。宇宙の中にあるものは、あらゆるものが協力して有機的に存在している。あらゆる対立(内的・外的)は、良い方向に向かない。

 いのちから湧いてくるものは、「宇宙の摂理」である。108の煩悩も生かしきってこそ!!いのちの働きを否定するような現代の倫理道徳宗教の呪縛から脱却しなければならない。(原始仏教はそうであった!)
「対立」から「協力」へ。

 「悪」があるがゆえに「善」がある。「悪」はダメ、抹殺されるべきものとするから対立が生じる。「悪」は問題を提起する。宇宙そのものが矛盾を内包している。
 宇宙は対原理で出来ている。何事も大体半分ずつある。陰と陽、善と悪、男と女、右と左、長所と短所、北と南、理性と感性、清と濁、プラスとマイナス・・・・。宇宙はエネルギーバランスを模索しながら成長している⇒動的平衡⇒ここ好きだわぁ!!!人間も人間社会も動的平衡に従う。白か黒なんじゃない。白と黒がお互いに協力し合って秩序をつくる。
 人間とは「目覚めたる宇宙」である。←ここんところいつもよくわかんないんだよねえ。。。

 宇宙は相対立するものが有機的に統合している。悪から学ぶ。対立するものから学ぶ⇒自分が成長する。対立をつくる原因は5つある。
 1、体験(肉体)が違う
 2、経験(智恵)の違い
 3、知識情報の違い
 4、解釈の仕方が違う
 5、出会いの違い
 対立する相手には、自分が持っていない体験があるんだ、経験が違うんだ、知識情報が違うんだ、解釈の仕方が違うんだ、出会いが違うんだ!!といって、その違いを教えてもらう。対立を乗り越えるためには相手から学ばなければならない。相手から学ぶとは愛だ。しかし学ぶだけでは片手落ち。学ぶだけでなく、自分の前述を教えることによって有機的につながりお互いが成長していく。

 摂理・・・全宇宙の在り方を司っている根本原理。

(2限目)
 人類の「宇宙」との関わりは古い⇒占星術・易学などなど。宇宙を感じながら生きてきた。正しい生き方、正しい経営、正しい人間関係⇒宇宙の摂理に生きる生き方である。※「正しい」って言葉に違和感あるなぁ。「らしい」がいい。「人間らしい生き方、人間らしい経営、人間らしい人間関係・・・」

 母なる宇宙の願い祈りは、対立のない世界である。人間らしく生きるとは、それを実現していくために努力する生き方である。

 あらゆるものは片側が発達すると対局が衰退するという構造を持っている。理性が発達すると本能(感性)が衰退していく。近代の理性教育はいのちの基本である本能を破壊している(母性・父性・育児本能等)。これから我々は、この二つを対立させるのではなく、理性と本能を協力させて、理性能力を手段能力として、自然発生的本能を次の次元の人間的本能のレベルに成長させていく。⇒新しい文化を創る。

 これまでは無自覚的に文化が生まれてきたけれども、これからは自覚的に文化を創造していく。それができるのはアジアだ。愛を人間の能力として自覚的に成長させていく。人格を磨く、人間性を成長させる、それを文化たらしめる。それができるのはアジアだ。
 アジアの風土は、地位がある人よりも金持ちよりも能力がある人よりも、人間性・人格の高い人を尊ぶ。欧米の文化はその逆。欧米人には「人間性・人格を高めるという概念がない!!」

(3限目)
 人間が人間を信じるということは、不完全な人間が不完全な人間を信じるということであるから、理性的に矛盾している。理性的に考えれば不完全な人間を信じることはできない。
 人間が不完全であるということは、嘘をつくこともある、間違いを犯すこともある、裏切ることもある。理性的に判断すれば、それらは排除される。本当に人間が不完全であるということを理解すると、嘘をつかれても間違いを犯されても裏切られても、傷つかない強い心を養うことが出来る。「心ならずも嘘をついた、心ならずも間違いを犯した・・・」どんなに悩んだろう、どんなに苦しんだだろう、辛かっただろうなぁ、かわいそうになぁ!という心情を得る。そして、おれは最後まであいつを見放さないぞ!という愛が育まれる。その決断に相手も呼応する。愛の奇跡が起こる。理性的には信じられないものを信じる。許せないけれども許す。「許せない」とは、自分の正しさ(理性)からでる傲慢さである。←矛盾を内包した真実に生きる!
 死に向かう時には、今生起こったあらゆる事象に対し、理屈を超えて一点の曇もなくすべて許して、逝きたいものだなぁ。

 宇宙の摂理からして、人間には長所が半分、短所も半分ある。短所をなくそうとするのは、その摂理に反するものだ。短所をも生かす生き方こそ人間が人間らしく生きるということだ。短所をなくそうとしてはならない。長所を伸ばすと自信が生まれる。自信だけでは傲慢だ。短所を自覚することによって謙虚さが生まれる。⇒角熟人生(不完全性の自覚から滲み出る謙虚さ)長所が伸びると短所は「人間味」となる。
 最高に「我が短所を活かす」とは、それをさらけだして助けを求めること。すると相手の長所が生きる。短所とは、相手の長所を生かす能力である。助けてもらうということは、助けるのと同じ価値がある。
 近代民主主義社会は理性を原理とした責め合う社会である。それでは離婚の激増は止まらない。幼児の虐待も溢れる犯罪も止められない。価値観の違いからくる争いは止められない。個人においても国家レベルにおいても同じ。これからの社会は感性を原理とした不完全な人間同士が許しあって生きる互恵主義社会にしていかなければならない。

 


ぼくはこの感性論哲学を軸として、家づくりという仕事、やっていきます。

ではまた。

おさむ







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