一昨日3月25日は
アイルランド盲目のハーパー
O'Carolanの命日。
それにちなんで
13年前にライブ全曲がO'Carolanだけという
チャレンジャーなユニット
ファーイースト・オキャロラン・アンサンブル
の音源から ブリジットクルーズ組曲 を
アップしました。
この名前での活動は1年間だけだったけど
当時ライブに来ていたお客さん2人から
ここ半年の間に偶然にも
この組曲が今も印象に残っているという
感想を聞いたので
今回13年ぶりに公開する事に。
ホイッスルは庄司祐子さん、
フィドルは中藤有花さん
というトリオでその後は徐々に
オリジナル曲へ移行していくに従い
Far East O'Carolan Ensemble
の頭文字を繋げて
FEOE(フェオエ) に変更になった訳です。
O'Carolan はミース州ノーバーに
住んでた若い頃
近くのクルーズタウンにある裕福な地主
クルーズ家が運営する学校に通っていて
家の娘であるブリジットクルーズと出会い
彼女に恋をした。
但しこの初恋も多分彼女の両親は
農民で鍛冶屋の息子であるO'Carolanと
娘との恋愛を認める事はなかったはずだし
そもそもが一方的な片想い
だったんじゃないかなと思う。
14歳の時に彼の家族は
ロスコモン州バリーファーノンに
引っ越すことになったが
彼女への愛情は生涯に渡り続き
O'Carolan の友人である
チャールズオコナーは
彼はいつでもブリジットの事を
とても愛情を込めて
思い出していたと語っている。
勿論結婚後もそうだったはずなので
奥さんやきもち妬かなかったかなんて
いらぬ心配もしてしまう。
現在彼女の名前が付いた
4つのエアーが伝えられていて
200曲以上ある彼の作品の中で
同名タイトルの曲としては
最多であるのも何だか微笑ましい。
その後のブリジットに関して
伝わっている伝説がある。
18歳で盲目になってしまい
その後ハーパーとしてアイルランド中に
名前が知れ渡った後に
ダーグ湖の聖パトリックの煉獄へ
巡礼に行った時
偶然にもブリジットが湖の岸で
盲目の巡礼者達がボートから
降りるのを手助けしていて
彼は彼女の手を触った瞬間アイルランド語で
「これはブリジットクルーズの手です」
と大声で叫んだと言われている。
まるでチャップリン「街の灯」みたいだけど
本当にあった事なのか定かではなく
あくまで伝説ではあるが
自分は真実だったと信じたい。
今回アップしたこの音源は
ブリジットクルーズという4つのエアーを
1つの組曲として演奏しているもの。
恐らく当時2回しか演奏しなかったはずで
映像は残念ながら無いけれど
運よく音源が残されていたので
13年ぶりに公開出来て良かったと思う。
多分世界中でも4つのエアーを
1つの組曲という形でやっているのは
他に無いかもしれない。
2010年9月5日
高円寺 Moon Stomp での演奏です。
0:00-2:27 Bridget Cruise 3rd Air
2:28-4:54 Bridget Cruise 1st Air
4:55-7:24 Bridget Cruise 4th Air
7:25-9:36 Bridget Cruise 2nd Air
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