レイニ-サイド ハ-パ-ズパブ

金属弦ケルティックハ-プ奏者「坂上真清」の演奏やCDの情報、またこれまでの音楽の動画などを中心に紹介しています。

チーフタンズとの想い出

2012年12月03日 | お知らせ 紹介など

 

 

  

 

チーフタンズ が来日中という事で

各地で行われている

コンサートも盛況の様です。

 

もう何回目の来日になるのか

正確には分からないけど

かなりの回数になる事は確かで

ここ最近ではいつも もうこれで最後か、、

なんていう話も出たりします。

 

正直に言うと ハープの

デレクベルが亡くなった時点で

自分にとってのチーフタンズ

は終わってしまいました。

 

当時の彼らを

知っている人にとってデレクベルは

チーフタンズのアイコン的存在

だったのではないでしょうか?

 

見かけによらずステージでは

1番笑いをとるパフォーマンスをして

実際に会った時も 何人もの女性に

アイルランドに一緒にいかないか  なんて

勿論冗談めかしてだけど

言ったりしてたチャーミングな人。

 

そして何より自分に

オキャロランの音楽の存在を

教えてくれたのもデレクベルでした。


多分オキャロラン曲集のレコードを

最初に作った人ではないかなぁ。

 

 

チーフタンズが初来日したのは1991年

細野晴臣が企画した

ワールドミュージックシリーズで

たしかアフリカのバンドとの対バンとして

テントみたいな所で演奏していたと思います。

 

勿論聴きに行ったんですが 

それまでプログレ時代を引きずって

ハープに色んなエフェクターをかけて

不思議な音にして演奏していたのを

生で聴いた演奏に衝撃を受けて以後

一切そういう事は止めて

ハープの音のみでの演奏スタイルに

切り替えたという

そういう意味での恩人でもあるんです。

 

 

2回目は今も続いている

アイリッシュキャンプで

有名な高島町が招聘して

それに付随して東京などでも

演奏してました。

 

そして自分が1番チーフタンズの

来日に深く関わったのは

3回目の来日の時で

当時のアイルランド大使シャーキーさん公邸に

よく演奏に行ってた関係もあって 

レセプションパーティーに行ったり

記念イベントで渋谷のお店でライブをしたり

渋谷パルコでの彼らのコンサートでは

アンコールで一緒に演奏したりしました。

 

 


デレクベルもマーティンフェイも

まだ現役で演奏していた黄金期チーフタンズの

最後の時期になる彼らを間近で聴けて

しかも一緒のステージに立てたのは

今思うと本当にラッキーだったなと感じます。

 

 
その数年後にデレクベル 

そしてマーティンフェイの訃報を

受けた時は本当に残念でした。

 

 
ここからは今回紹介する

写真に関しての少し説明を 。

 
まずは大使公邸での

レセプションパーティーの様子。


写真下が日付91年となっていますが

これは何かの間違えで

1994年だったと記憶しています。


でも皆 若い!


写真にもある様に高石友也さんも来ていました。

 

そして途中に暗めの写真が2枚ありますが

これは一緒に演奏した

パルコでのコンサート前の楽屋で

何と置いてあった自分のイブを

デレクベルやマーティンフェイ、ケヴィンコーネフ 

が触り始めて

急いでシャッターを切ったんだけど慌てすぎて

フラッシュが出なかったという・・・  

 

さすがに撮り直したいからもう1回弾いて 

なんて言える訳もなく

こんな写真になりました ハイ。


そして後半は前に こちら で紹介した

この前年にアイルランドに行った時

ウェストポートのマットモロイの

お店で演奏させてもらった時の写真

 

残念ながら本人は居なかったんですが

風邪ぎみだった自分に

奥さんのジェラルディンさんが

ウィスキーにオレンジを入れた飲み物 

(日本の卵酒、笑) を作ってくれました。

 

そしてこのジェラルディンさんとの

2ショット写真をレセプションの時

マットモロイに見せたらとても喜んで

「自分も風邪ひいた時はアレを飲むんだ」 

て言ってましたね。

 

その後ジェラルディンさんも

亡くなってしまいました。

 

写真に写ってる何人もの人がすでに

他界してしまっているという事実に

年月を感じてしまいますが 

そんな事も心にとめてご覧下さい。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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