レイニ-サイド ハ-パ-ズパブ

金属弦ケルティックハ-プ奏者「坂上真清」の演奏やCDの情報、またこれまでの音楽の動画などを中心に紹介しています。

O'Carolan初恋の女性 ブリジットクルーズと4つのエアー

2023年03月27日 | フェオエ 関連情報

 

   

 

一昨日3月25日は

アイルランド盲目のハーパー

O'Carolanの命日。

 

それにちなんで

13年前にライブ全曲がO'Carolanだけという

チャレンジャーなユニット

ファーイースト・オキャロラン・アンサンブル

の音源から ブリジットクルーズ組曲 を

アップしました。


この名前での活動は1年間だけだったけど

当時ライブに来ていたお客さん2人から

ここ半年の間に偶然にも

この組曲が今も印象に残っているという

感想を聞いたので

今回13年ぶりに公開する事に。

 

ホイッスルは庄司祐子さん、

フィドルは中藤有花さん

というトリオでその後は徐々に

オリジナル曲へ移行していくに従い

Far East O'Carolan Ensemble

の頭文字を繋げて

FEOE(フェオエ) に変更になった訳です。

 

 

O'Carolan はミース州ノーバーに

住んでた若い頃

近くのクルーズタウンにある裕福な地主

クルーズ家が運営する学校に通っていて

家の娘であるブリジットクルーズと出会い

彼女に恋をした。

 

但しこの初恋も多分彼女の両親は

農民で鍛冶屋の息子であるO'Carolanと

娘との恋愛を認める事はなかったはずだし

そもそもが一方的な片想い

だったんじゃないかなと思う。

 

14歳の時に彼の家族は

ロスコモン州バリーファーノンに

引っ越すことになったが

彼女への愛情は生涯に渡り続き

O'Carolan の友人である

チャールズオコナーは

彼はいつでもブリジットの事を

とても愛情を込めて

思い出していたと語っている。

 

勿論結婚後もそうだったはずなので

奥さんやきもち妬かなかったかなんて

いらぬ心配もしてしまう。

 

現在彼女の名前が付いた

4つのエアーが伝えられていて

200曲以上ある彼の作品の中で

同名タイトルの曲としては

最多であるのも何だか微笑ましい。

 

その後のブリジットに関して

伝わっている伝説がある。

 

18歳で盲目になってしまい

その後ハーパーとしてアイルランド中に

名前が知れ渡った後に

ダーグ湖の聖パトリックの煉獄へ

巡礼に行った時

偶然にもブリジットが湖の岸で

盲目の巡礼者達がボートから

降りるのを手助けしていて

彼は彼女の手を触った瞬間アイルランド語で

「これはブリジットクルーズの手です」

と大声で叫んだと言われている。


まるでチャップリン「街の灯」みたいだけど

本当にあった事なのか定かではなく

あくまで伝説ではあるが

自分は真実だったと信じたい。

 

  

 

 

今回アップしたこの音源は

ブリジットクルーズという4つのエアーを

1つの組曲として演奏しているもの。

 

恐らく当時2回しか演奏しなかったはずで

映像は残念ながら無いけれど

運よく音源が残されていたので

13年ぶりに公開出来て良かったと思う。

 

多分世界中でも4つのエアーを

1つの組曲という形でやっているのは

他に無いかもしれない。

 

2010年9月5日 

高円寺 Moon Stomp での演奏です。

0:00-2:27  Bridget Cruise 3rd Air
2:28-4:54  Bridget Cruise 1st Air
4:55-7:24  Bridget Cruise 4th Air
7:25-9:36  Bridget Cruise 2nd Air

 

 

 

 

 

 

 


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