Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

成人式で騒ぐ子供

2010-01-23 15:08:40 | 人間発達論:言語・外国語・高等教育
成人式が荒れていると言う。私は実は成人式は生まれてからこの方、参加した事が無いので内容はよく分からない。しかし新成人として既に少年法は適用されないのだから、「実名報道+厳重処罰」を覚悟して暴れてもらいたいと思う。万が一逮捕されたら、それは「自分で招いたのだ」と知るべしである。

思えば報道されているような仕方で大いに騒ぐのは、せめて中学・高校ぐらいで終えておく「必須科目」なのでは無いかと思う。学校の中で大いに暴れて教師に絞られて、社会に出る頃までにはもうそんな事はしません、と言うのが良いかと思う。中学高校の教師は学習だけではなく、そうした側面も含めて「教える」のが良いだろう。生徒も真に尊敬に値する先生か、そうでないかぐらいはよく知っているものだ。本当に偉い先生の前では生徒自らすすんで大人しくなる。

さて、どうしても暴れたければ、成人式前日ぐらいに「最後のバカ騒ぎデー」を設けるのはどうか。明日からは公的な式典や催事の妨害は地方公共団体の迷惑行為防止条例等に違反するとか、場合によっては警察が出動して逮捕の対象になるとか知っておけば良いのだ。但し、二日酔いで成人式に出ないように。そんなのは、暴れた後の一杯、成人式式典を終えてから大いにやれば良いのだ。親御さんも地域社会も大目に見てくれるだろう。なぜなら自分達だって大いに飲み食いして楽しんでいたに相違ないからである。

このように、かつては大人として仰ぎ見ていた人間達とほぼ同じ饗宴を分かち合える段階に自分が来たのだ、と知る事は大人の視点への第一歩なのではないか。これが分かれば、別段反抗して暴れる必要等無いではないか。同じ成人として、或いは社会人として経験の違いを熟知しながらも、果敢に先輩達に仕事や資格取得やその他の諸活動で戦いを挑めば良い。成人とはそれが許される段階であり、成人式は大人の世界への仲間入りを社会が許容しているのだ。

この意味を知らずに、一方的に暴れる連中は残念だが子供である。大人の仲間入りをしたくないようにすら見てとれる。さらに、こんな現状を知りつつ成人年齢を18歳辺りに下げようかと議論している政治家はアホである。税収面で何らかのメリットがあるのかも知れないが、まずは生の人間を見て欲しい。

最新の画像もっと見る