世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
根拠を確かめる
(滅茶苦茶大雑把な話だが)
今は ほとんどが 経済成長を前提に備え活動しているようだが 実際に経済成長し 今後 それを期待できる状況だろうか?
(経済成長)の概念の規定や 確認の仕方もあるから 現代の細分化した学問の対象にはならず 検証のしようも無いかもしれないが 直感的には 経済成長しているようにはとうてい思えない。諸政策の失敗がその証だろう。
現在考えている経済成長が期待できないことを知ったとき、現実と意識や対応との落差は 如何ばかりか。またして「未曾有」とか「前代未聞」と言い訳するか。
中国脅威論の根拠何か?脅威があるなら近づかず規制すべき。どうしてたくさんの企業や社員が向かうのを放っている>
子供だましのような説明しか聞いたことがない。中国が歴史に鑑み日本脅威論を煽るほうが 分かりやすい。
人と経済の自然回復
人に人為的な情報をからませ、自然を壊してまで経済活動をする現代、 求められてるのは情報の山や経済成長ではなく 人や経済の自然の回復が 何にもまし求められているのではないか。
これを 社会(政治・経済・文化)を測る基準にすると 見えてくるところが面白い。
植えていないのに咲いていた
畑にコスモスが いっぱい咲いていた
植えていないのに 咲いていた
「風で飛んできたんだよ」と隣のおばさんが教えてくれた
余談が許される?
今、 日本が国を挙げて(戦争か平和)の議論をしているような場合だとは思えない。
平和が(人々の命が守られた、静かな落ち着いた暮らし)を意味しているとしたら、
現状がそうなっていると誰がかんがえるだろう?
経済社会を維持・発展させる国家的手段として戦争は用いられるが、現在は戦争なしに
経済社会は崩壊している。
戦争が経済社会の立て直しではなく崩壊へ導くことは 戦後の世界的経過ではなかったか?
今は本気で日本経済社会の立て直し向き合わわなければならない時であって、余談に花咲かせる余裕などない。
今日も予定されているかのような70人から自殺と100人を超える孤独死、加えて
温暖化、放射能、パンデミック 余談なんかやっている場合ではない。
伝説
こんな伝説なかったかな
その1
国を安売りしながら「景気がいい!」と小踊りし 鉄砲あるから ひと安心
その2
はじめて月面に下りた時 万が一のことを考えて、鉄砲と憲法を携帯していた
逸れ易い
世の中が 分業・専門化し さらに権威や権力支配が加わると 世の中は 厄介になるだろう。
身近だからか とりわけ日本にそれを強く感じる。
分業化・専門化や権威・権力支配は 事物の処理の効率を上げるのに有効な手段ではあるが、具体的な事物は 専門的・権力的に存在している物は無い。
事物の処理の効率は良いが、診断と処方を誤るリスクは高まる。
世界も同様で現代文明の特徴)のようにも思える。日本は 和や生真面目な精神風土もあって 本質を見失い紛れ逸れ易いのかもしれない。
断片的ニュース
世界の金融経済は一元化の様相を帯びているが ISやウクライナ問題はそれを動か主要な要素にはなっていない。
伝統的には経済と武力衝突は 密接な関係にあるが このことは「国際社会」にとっての意味合いを感じさせる。
ニュースが断片的で統合されてない感じがする。
政治が機能しないわけ
デモを主導する人の言葉にがっかりしたのも手伝ってのことだが
最も自然の情報が必要な時に 各界のリーダーや為政者は 最も情報の得難いところにいないだろうか。
人的に産業化された情報の渦中に入り込むばかりの立場にあっては まともな状況判断が難しいのだろう。
学歴や人的情報を積み重ねて 社会的判断力が付くとは 経験上、今もって考えられない。
自然からの情報を中心に積み重ねない限り、むしろ困難になるかもしれない。
希望はどこに
情報が産業化していることも手伝ってか (目先の断片的な行動とは別に)人の大局的な認識と動きは 急速に隅々まで 自然(ネイチュアー)を見失っているかのようだ。
それは 政治、経済、文化、教育 等 「現代文明」と概括できる全分野に渡っており、 テロとの戦いや安全保障や平和、経済や教育の問題も≪自然に立ち返る≫事なしには 根本的な解決は不可能だろうと思う。
人間の地上に存在する事実が解決策を差し示し、希望をもたらす。
今は 全体的に糊塗することに終始している。
「百戦危うからず」と言えり
(「戦い」の意味はともかく)
「 敵を知り己を知って百戦危うからず。」と言う。
日本も世界も どこかが違う。
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