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ドラキチ歴50年、 熟年・「オレ竜」の今日の”脳ミソの中身”

土下座の意味・意義、そして効用は?

2009-03-07 | 亀君の”人間学”
岩手知事が議会で土下座、入院ベッド廃止巡り“強権発動”(読売新聞) - goo ニュース   
(記事引用)
岩手県立医療施設の入院ベッド廃止計画を巡り、岩手県議会が6日紛糾し、達増拓也知事が議場内で4回にわたり土下座する一幕があった。

 同県は医師不足などを理由に4月から県立6医療施設の入院ベッドを廃止する方針を決定。野党などの反発から議会は7日未明までもつれ、結局、関連経費を削除した補正予算案が可決され、廃止問題を先送りした。

 この間、達増知事は議決に対する「拒否権」にあたる「再議」申し立てや休憩を求める際、土下座を繰り返した。特に「再議」は強権発動にあたり、岩手県政史上では初めてとなることなどから、土下座で県議たちに理解を求めたとみられる。

 与党議員は「知事の真剣味の表れ」とかばったが、野党議員は「目立ちたかっただけでは」と冷ややか。達増知事は「礼を尽くさせていただいた。我々も反省するところは反省するので、県議会の皆さんに再考をお願いする」と話した。

 土下座-Wikipedia 
 下座(どげざ)とは、の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式の
 ひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの
 意を表す場合に行われる。

【熟年ドラキチ】
あの岩手県知事の達増知事が議会で土下座?
私はこの記事を読んだ時、少なからず驚いた。
この達増知事は今は岩手県知事だが、知事になる前は衆議院議員だった。
新進党・自由党・民主党の衆議院議員で、岩手県知事にもなっているように
民主党の小沢代表の可愛い教え子みたいな議員だった。
(俗に言う 小沢チルドレン)。

私がこの達増知事の衆議院議員時代の事を覚えているには、
理由がある。
別に私は岩手県に何の縁も有るわけでなく、達増議員の国会での発言を
その当時テレビで見て、私は、
 「この達増衆議院議員というのは、何と言葉が洗練されてなく、
 まるで心が冷え切った人間が言うような事を、よくもまぁ~平気で言えたものだ。」
と、強烈な印象を受けた覚えがある。
その当時の国会の何の問題での追及で、達増議員が私にこんな印象を与えたかは
覚えていないが。

人間の記憶とか印象は恐ろしいものですね。
それ以来、私は達増知事にず~~~と、この印象は持ったままなのである。
そのきっかけになった国会の問題は、綺麗さっぱりに忘れているのにね。(苦笑)

国会議員でこの達増知事と同じような印象を受けたのは、もう一人いた。
残念な事に、去年その一人の方は自殺をしてしまった。
あの偽メール事件で国会議員を辞職した永田元議員である。
偶然の一致かどうか解らないが、このお二人とも東大法学部を卒業した
エリート。

そんな印象を持っている達増知事が土下座?
私は”まさか~” と思ったのだが。
余りにも土下座をするような人間とはかけ離れた人間だと、私には思えていたのだが。
それくらい、達増知事は岩手県議会で窮地に立たされているの?

今の世の中で、土下座は私たちの中では一般的な事ではないと思う。
選挙の時に、候補者が投票日前日の最後の瞬間にするのが、一般的なくらい。
(苦笑)

上のWikipediaの土下座の記事にもあるように、土下座は日本の礼式のひとつで
深い感謝やお願いをする場合にするもの。
そこに一貫して流れているものは、その行為(土下座)を行う底流には、
深い感謝や心からのお願いが無くてはならないと思う。

形だけの土下座であれば、それはかえって土下座をされる人を馬鹿にしているくらい失礼な事でもあると思う。

しかし、この土下座という行為、今は精神的な側面は余り問われず、
土下座と言う行為そのものに、価値が置かれる「道具」になってしまっているのでは?
卑近な例で言えば、
 「土下座してまで、あの人は謝った」とか、
 「土下座して、謝れ!」と要求したりする場面も。

こういう使われ方をする「道具」になった土下座だから、今回、達増知事も
道具として土下座を使ったの?
と私は勝手に思ってしまうくらい、この達増知事と言う人には、精神的な気持ちの
暖かみというものとか、人情の機微というものは無用と考えている人というイメージがある。

まぁ~ 謝る行為、たとえば記者会見で大手企業の社長とか役員、また官庁の
偉い役人さんが一斉に頭を数秒間下げる行為にも、私には同じような事を
感じているが。
「この人たちは、マスコミのカメラの前で「ごめんなさい」と言って
 頭を深々とさげているけど、 本当に申し訳ないことをしたと
 心から謝罪をしているのだろうか?」

こうやってカメラの前で頭を深々と下げれば、パフォーマンスとして謝った事に
なるだろう。 と彼らの腹の中では思っているようにしか見えないんのだが、私には。

何故、私がそう思うのか?
それは彼らが頭を下げるパフォーマンスをした後の行動に、
本当に申し訳ないという気持ちがある人の行動とは思えない行動をするからである。

選挙の時の候補者も同じ。
自分の選挙の当選に関わる時は、土下座でもして必死に有権者にお願いを
するが、選挙で当選したらもうそれは「喉もと過ぎれば、何とやら~」で、
土下座をしながら「有権者のために身を粉にして国政で働きます」と言って約束は
とっくに忘却の彼方、それも遥か遠くの地平線の果てにまで忘れ去っている。

ちょっと話はずれたが、土下座とか謝罪と言う行為は、
行為そのものとともに、その気持ちに偽りがないかどうか、
これが一番大事なような気がする。

そもそも議会と言うところは、土下座とかいうパフォーマンスで議決内容が
変化すると言うところでなく、建設的な議論をして結論を出すところでは?

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