今、テレビ朝日の報道ステーションを見て、また感動した。
もちろん、北京オリンピック100M平泳ぎで、見事に世界新を出し
2大会連続で金メダルを取った北島康介のニュースである。
さすがにテレビ局、この4年間の北島康介について、よく纏めてあり、
改めて北島康介の凄さに感動したのである。
アテネオリンピックで金メダルを獲得してからのこの4年間は、
北島康介にとっては、苦しみの4年間であったと。
そして番組では、この4年間に北島康介を苦しませたものとしては、3つあったと。
1.ライバルのアメリカのハンセン選手
2.ひじ や 膝 の故障
3.モチベーションがなかなか上がらない
肉体も故障、精神的にもモチベーションが上がらない、これではいい成績も
出てこないのが普通だ。 アテネオリンピックで金メダルを取った北島康介も
例外ではなかった。
日本国内の大会でも優勝どころか、3位であったとテレビで紹介されていた。
アテネオリンピック以降、北島康介はず~と不調であったのだ。
この4年間、松岡修造は北島康介に密着取材をしていたのだが、
今から2年前の時には、取材する松岡修造自身も、
”もうこれで北島康介の時代は終わったのでは?”と思ったと、
正直に今日の番組で松岡修造が言っていた。
そして北島康介も、金メダリストのプライドも捨て、松岡修造に
”なんかやってやろう~~~という気持ちが起こってこないんですよね”と
正直に胸の内を吐露していた。
そんな北島康介が2006年8月の大会で、宿敵アメリカのハンセン選手に
完膚なきまでに敗北させられた。 しかも、北島康介の目の前で、
宿敵ハンセン選手はプールの水面を手で叩き喜びを大きく表していた。
実はこの水面を叩き喜ぶパフォーマンス、北島康介が以前にハンセン選手の
前でやった事だったらしい。
この”2年前の完膚なきまで打ちのめされた敗戦”、これが北島康介の
なかなか上がらないモチベーションに、ついに火をつけた。
それからはコーチと2人3脚で、肉体と水泳のフォームの改造に。
水泳のフォーム改造については、これも常識を覆すような事に挑戦したとの事。
それは200メートルの泳ぎ方を、100メートルに取り入れる。
素人の私がこれを聞いてもピンとこないが、これは競泳の世界では
ありえない事だと番組でコメントしていた競泳の技術委員が言っていた。
(蛇足だが、このコメントした技術委員の女性は綺麗だった 苦笑)
100メートルという種目ではスピードが要求され、平泳ぎのピッチも多くなる。
北島康介がアテネオリンピックで優勝した時の50メートルのピッチ数は19.
今日の決勝での前半50メートルのピッチ数はなんと、16だった。
プールサイドで見ていた平井コーチは、この数字を前半の50メートルで確認した時に、 ”これで勝った!”と確信したと番組内で言っていた。
今日の決勝レース前に平井コーチは北島康介に、一言アドバイス、
” 勇気を持って、ゆっくり泳げ ”と。
そのコーチのアドバイス通り、前半50メートルを”勇気を持って、ゆっくり泳いだ”
北島康介は16ピッチという驚異的な少なさで折り返し、ノルウェーのオーエン選手
アメリカのハンセン選手に次いで前半3位で折り返したにも拘わらず、
目論見どおり後半50メートルに温存した体力から驚異的な速さで泳ぎ、
見事に日本の北島康介が世界新で優勝した。
主役は間違いなく北島康介だが、やはり影には名コーチがいるのだと
改めて思った。
テレビでやっていたが、北島康介の実家は東京でミンチカツ屋さんをしている
らしい。 今日のこの北島康介が2大会連続で金メダルを取った後、
実家では無料でミンチカツを周りの人にふるまったそうだ。
さぞや、美味しいミンチカツだったろうなぁ~~~~^^
世の中にはイロイロな ” オヤジ ”さんが、ブログを書いてますね~^^
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バンザーイ!バンザーイ!
ですよ。
バンザーイ ! ヤッター !
ですね^^
こういう時には、愛国心が出てくるんですよね
~~~~。(苦笑)