本日の「電源入りました。」

 ジャンクオーディオを修理しては放置するという非生産的なことをやってます。最近飽きてきた・・・

ALL TOGETHER NOW

2013年05月03日 22時39分31秒 | ラジオ
 明日と明後日、今から約30年前の1985年6月15日に開催されたあの伝説的野外音楽フェスティバル「ALL TOGETHER NOW」を、民放ラジオ100局が放送するらしいです。これは日本のミュージックシーン代表みたいな連中が一同に集まったイベントでした。。。これは嬉しい。ちょっとコーフン気味。

 この「ALL TOGETHER NOW」、国際連合によって採択された「国際青年年記念」がらみのイベントでした。国際青年年って、実のところなんのことだかさっぱりわかりませんでしたが、NHKではしょっちゅうCM(というのか?)が流れていましたね。イメージソングは佐野元春の「Young Bloods」でした。

 当時、自分は高校2年生。このイベントは多くの民放でオンエアされました。エアチェックのために120分テープ数本を用意しましたが、なんかの事情で一部しか録音できず・・・そのテープも今ではもうないし。。。財津和夫・小田和正・松任谷由実の3人が、唯一の3人共作曲「今だから」を、レコードと同じリズム隊(高橋ユキヒロ、後藤次利、高中正義、坂本龍一)をバックにやってくれたのが嬉しかったことを覚えています。

 今回の放送は、AM局とFM局それぞれ別の構成みたいです。しかもたった一時間のプログラム。当時の熱気をどれだけ伝えられるのか、今から楽しみです。

AMラジオ局、FM化検討?

2013年03月01日 00時14分38秒 | ラジオ
 再開宣言したものの、「ジャンクいじり」は当分先になりそう。疲れがヒドイです。


 朝日新聞WEBにこんな記事が。 AMラジオ局、FM化検討 デジタル化、聞きにくさ解消


 AM放送局がFMに鞍替えしようとしてるってマジですか???

 記事に「高層ビルが電波を遮るなどして聞こえにくいことなどから、AMの経営環境は悪化している。」とあります。意味がわかりません。障害物に弱いのはAMよりもむしろFMじゃないかと思うんですがねえ。うちなんかマンションなんで、部屋の中ではFMはほとんど入りませんよ。

 FMのようにアンテナにシビアにならずに気軽に聴けるのがAMの良いところなのですが・・・これがなくなると困る人が続出するんじゃないかと。AM/FMの2バンドラジオより、AM専用ラジオのほうが普及してますからね。その意味では災害時の緊急放送もAMのほうがいいだろうし。。。タクシーやトラックのラジオもAM専用が多いので、運転手さんも困るでしょう。


 つーか、










 朝専用 AM専用(ほんの一部)



 誰よりも自分が困るわけだが。。。。(私憤)

つかちゃん死去と「まだ宵の口」

2012年06月27日 22時27分11秒 | ラジオ
 元ニッポン放送の人気アナウンサー「つかちゃん」こと塚越孝さんが自殺なさったそうです。享年57。

 最初、「塚越孝」という名前を見てもピンときませんでした。よくよく記事を見ると「つかちゃん」の文字が。そこで初めて気付きましたが、つかちゃんは自分が小学生の頃よく聴いていたニッポン放送「大入りダイヤルまだ宵の口」のパーソナリティーだった方でした。同じ「宵の口」を担当していた高島ヒゲ武やくり万太郎、はた金次郎の名前は強烈に記憶に残っていましたが、「塚越孝」という名前はそれほど記憶に残っていなかったのです。このようなかたちで久しぶりに「つかちゃん」の名前に接するとは。懐かしさと寂しさがないまぜになります。

 「宵の口」は平日の20時に始まり、途中に欽ちゃんの番組などを挟んで日付が変わる頃まで放送されました。リスナーに生電話したり、ハガキを紹介したり、時のヒット曲やこれからヒットするであろう曲を紹介したり・・・。とても面白い番組でしたが、22時から始まる内包番組「日立ミュージックハイフォニック」のオープニングがかかると、小学生の自分は眠気に逆らえなくなり最後まで聴いたことはありません。

 小学生時代はこの「宵の口」のほかに「財津和夫の人生ゲーム」、「森田公一の青春ベストテン」、ロイ・ジェームスがパーソナリティーの「不二家歌謡ベストテン」がAMラジオでよく聴いた番組でした。多感な時期にこれらのラジオ番組で音楽に親んだことが、その後の自分の音楽趣味を決定づけました。その意味ではつかちゃんも恩人の一人なのでしょう。

 57歳。つかちゃんに何が起こったのかはわかりませんが非常に残念です。安らかにお眠りください。

ラジオ放送を聴きましょう

2011年06月11日 21時12分47秒 | ラジオ
 最近、ラジオを修理することに熱中しておりますが、先日、新聞にこんな件(くだりと読みます。念のため)があり、ちょっと思うことがありました。

 「1週間に1回以上、ラジオを聴くのは20歳代で4割、10歳代ではわずかに3割」

 これは民放連研究所が2年前に行った調査結果だそうです。これを読んだとき、思わず「えー、ウソでぇー!」と突っ込んでしまいました。

 若い人がこんなにラジオを聴いているもんなんすかね?10代の人はお気に入りのアイドルの番組を、20代の人はカーステで聴いているのかもしれませんが、それにしても3~4割って多すぎるような気がします。まあ、調査したのが民放連研究所なので、CMスポンサーの手前、あんまり低い数字は出せなかったのかもしれませんが。


 最近、「若者のなんとか離れ」というフレーズをよく聞きますが、ラジオもそのひとつになってしまった感があります。若い時分からラジオに親しんでいた高齢者でも最近は全然聴いていないんじゃないかな?

 私は、ラジオ受信機はラジカセ含め、4~50台持っております。で、ジャンク修理の際に「ながら聴き」をするのですが、特定の番組を熱心に聴くということは昔と違い、全くありません。私が初めてラジオに接した小学校時代は、ロイ・ジェームスの「不二家歌謡ベストテン」やら森田公一の「青春ベストテン」、財津和夫の「人生ゲーム」などを毎週心待ちにしてたものですが。

 その私の小学生時代であった1970年代は、オールナイトニッポンに代表される深夜放送ブーム、そしてもっとマニアックなBCLブームというものがあり、ラジオはまだ生活の一部として存在感がありました。小型化され、小学生でも所有することができたラジオは、まだ「パーソナルオーディオ」という言葉がなかった時代、一対一で対峙できる貴重なメディアでした。自分の感性で放送局を選ぶんだけども、未知の曲(新旧東西問わず)がかかります。審美眼ならぬ審美耳を育ててくれたのはラジオです。

 上段にも書きましたが、私は現在ほとんどラジオを聴きません。それでもラジオを集めます。これは他のオーディオジャンク修理とはちょっと意味合いが違うのです。私の集めているラジオは、70年代の「ラジオが一番輝いていた時代」のものであり、自分が「一番多感だった時代」のものばかりです。これは懐古趣味にほかなりません。


 話がだんだんそれていきましたが、結局何が言いたかったのかというと、若い人にも積極的にラジオを聴いてほしいということですね、うん。全然聴いていないおっさんが言うのもなんですが。

 ラジオは目からの情報がない分、脳の活性化にいいらしいですよ。若い人にはもちろん、高齢者にもボケ防止にもってこいですね。

 今回の震災でラジオの有用性がクローズアップされ、一時期、電気店の店頭からポータブルラジオが姿を消しました。せっかく買ったラジオなのですから、眠らせておかずに積極的に聴いてもらいたいものです。4~50台のラジオを眠らせている奴がいう言葉ではありませんが。

 電機メーカーもラジオ作ってくださいよ。現在、大手メーカーでポータブルラジオを作っているのはソニーとパナソニックだけらしいですね。i-phoneにラジコソフトを入れて聴くなんてえのは愚の骨頂であります。

 今日は酔っ払っているので長文になってしまいました。もう寝よ。

 最後に一言、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」は名曲ですよ。

Sony ICF-9740(その3)

2011年06月09日 20時29分15秒 | ラジオ
 そうこうしている間にドナーさんが到着しました。


 写真は分解中のものですが、元からネットがありませんでした。しかも、弄れば弄るほどボディの圧縮材がボロボロと崩れます。まさにJunk of Junk。


 ここで気付きましたがこのICF-9740、パネル部分が英語表記モデルと日本語表記モデルがあるんですね。最初に入手したブツは英語表記。ドナーさんは日本語表記でした。


 ドナーさんから摘出した基板です。基盤ごと取り替えてもいいかな?と思っていましたが、メチャクチャ汚かったので、当初の計画通りLA4265のみ移植します。それとスピーカー。

 で、ここで一旦音出し。ちゃんと音が出ます。ほっとしました。


 音が出ることが確認できれば、次はブラッシュアップです。前回やろうとして中断していたケミコンの全交換。外したものをコンデンサチェッカで確認するとやはり容量抜け。


 取り外したLA4265。


 基板をケースに収めます。スピーカーは背面にもサビが入っていて、決して良いコンディションではありません。


 修理終了。コイル等の調整は不要でした。かなり資本投下していまいましたが、存在感のあるその佇まいにかなり満足しております。音はそれなりですが。