さて昨日描いた郡山の散策について
もう少し詳細を描いてみましょう。
なぜ、金魚を見に郡山に行ったか。
風鈴の絵に金魚を描くことと、
そこが、愛知県弥富市、熊本県長洲町とともに、
日本の金魚の生産地のひとつとして、
とても有名だからです。
金魚そのものの歴史は
もう2000年以上前にさかのぼり、
中国での突然変化から
改良されて作られてきました。
なので日本に渡ってきたときも、
非常に貴重な魚で一般市民の目に
入ることはなかったそうです。
郡山への金魚の由来は、
享保9年(1724年)に
柳澤吉里侯が甲斐の国(山梨県)から
大和郡山へ入部したときに
始まると伝えられています。
そして幕末の頃になると、金魚の養殖は
藩士の副業となり明治維新後は、
職禄を失った藩士や農家の副業として
盛んに行われるようになりました。
この時には最後の大和郡山藩主
柳澤保申侯のおしみない援助が
あったことが大きいと言われています。
今も郡山城には柳沢神社もあり
金魚の品評会なんかも行われているそうです。
また、ここで金魚を飼うことは
水質、水利に恵まれた農業用溜池が
数多くあるという自然条件や、
その溜池に発生する浮遊生物(ミジンコ類)が
金魚の稚魚の餌に
適していたこともあったそうです。
そんな背景を持っている市に、
風鈴に描く金魚の味つけにならんかと
思い出かけていったわけです。
前置きが非常に長くなりました。
郡山の駅から旅は始まります。
あ、言っておきますけどここは
「大和郡山市」ですからね。
郡山市の名称は先に市になった
福島県郡山市に取られています。
ところがねえ駅の名前は「郡山駅」なんです。
福島の郡山駅に対して
大和郡山駅に鉄道院はしたかったんですが、
地元住民が東大寺の古文書から
こちらの郡山の方が古いと言い出して、
結局「郡山駅」に落ち着いたんだそうです。
同じ名前の駅なのでややこしいのですが、
切符等では「(関)郡山」と
書かれたりするそうです。
またまた前置きが長くなりました。
ぶらつきを始めていきましょう。
駅の近くには駐車場も結構あります。
激安の駐車場なので利用しましょう。
まずは駅のホームに行くと、
こんな金魚が置かれています。
最近は自撮りをする人が多いので、
自分もやってみましたが、
あきませんねえ。
あ、ここのキャラクターは面白いですねえ。
赤い金魚は「きんとっと」で
出目金は「デメッキ―」と言います
なんてかわいく示しながら、
その上に「大和郡山市」と、
しっかり書かれていますねえ。
何となく目に見えないところで、
大和郡山と郡山市の静かな戦いが
あるような気がします。
また市内部のごたごたもある
というような痕跡かもしれません。
もしかしたら、かき氷やさんなんかが、
元祖、郡山かき氷なんて売られていたりして。
それはないか。
そしてそんな自販機の横には
いろんなパンフレット類も
置かれていますよ。
まもなく夏祭りがあることなんか
書かれていますね。
そこには観光地図も置かれていますね。
それを手に入れて、
駅の階段を下りてゆきましょう。
あ、なんかまたまた前置きが長すぎて
エラいすみません。
今日は商店街通りなんかを歩きながら、
金魚旅です。
金魚と戯れながら
風鈴の絵にふさわしい姿を
探ってゆきましょう。
駅前の花時計で時間を確認しながら
まずは南向いて歩きはじめましょう。
なんとこれで一話終わりです。
続く
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