ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

高校生の頃に走った道を1

2021-08-06 20:51:21 | ウォーキング

先日から今年の祭りは
どうするのかという議論が
町内で続いている。

曳行責任者、総括責任者、青年団、
若頭、世話人会、保存会なんかで
それぞれ意見が出され、
それを報告してくる会議に
いちいち呼び出されているから大変だ。
町会長はいろいろと忙しい。

だんじりは、各町どうするかも
不透明な状況なので、
なかなか「じゃ今年の曳行はこうなります」
というような結論はまだもう少し先にならないと、
出てこないだろうね。

そんな議論が続いているから、
何となく岸和田の町を歩いてみたくなり、
空中庭園に行った翌日に
出かけて行くことにした。

じゃ、コースはどうするかと
その前夜に考えてみた。

そこで気になったのが、
流木(ながれき)という
岸和田のおおきなお墓のある場所だ。

昔、高校の山岳部が体力を鍛えるためにと、
時折ランニングをおこなっていた。
学校を出てランニングで
その流木まで走ってゆき、
向こうでストレッチとかして
帰ってくるというトレーニングなんだが、
それに合流してよく一緒に
走らせてもらったりした。

若い時だったし、高校の横にある
城の周りをぐるぐる回る
構内のマラソンでも
たいていは楽勝だったから、
しんどかったあと言う記憶はあまりない。
若いって素晴らしいねえ。

だからみんなでワイワイと楽しく走る
そんなトレーニングに
よく参加させてもらっていた。

なのでそのコースを思い出して、
そこを一部歩いてみるかと、
今回の歩くコースに選ぶことにした。

ざっと書くと、蛸地蔵から東岸和田、
そこから流木にゆき、貝塚の名越から
水間鉄道に乗って帰るというコースだ。
距離的には5キロくらいだろう。

高校生の時は流木を往復したから
8キロくらいかな。
山岳部には二人の友達がいて、
よく近所の気軽な山にも行ったりしたなあ。

彼らの山岳部の活動は冬山もあったりして、
そんな本格的な山登りにはついていけず、
お手軽なハイキングなんかに
一緒に行かせてもらっていたのだ。

その後自分は大学を家から離れて
下宿生で通っていたので、
彼らとの交流は途絶えたりしたのだが、
なんとその後の人生の中で、
トライアスロンの会場なんかで
そのメンバーに偶然会って驚いたことがある。

我ら三人は話し合ったこともないのに、
よく似たことをやっていたんやね。
その原点が、この八キロの
ランニングにあったのかもしれません。

では車でまずは岸和田城横の
駐車場へと向かいましょう。
旧国道26号を南下し、
こなから坂を過ぎると駐車場に到着です。
一日とめていくらの料金ですし、
有人のパーキングなので安心です。

じゃあちょっと岸和田城を見てくるね、
みたいな顔でそこからスタートしてゆきます。



階段を上り、車にしばらくお別れです。



そのあたりには岸和田城のお堀があり、
そこにはハスの花がちょうど満開です。
きれいな水ときれいな花。
doironの旅立ちにはぴったりの景色です。



さらに大きな堀が見えてきて、
その並木の向こうに岸和田城が
見えてきました。



岸和田は楠木正成の頃に
和田高家により開かれた場所で、
城は最終的には岡部氏が
13代にわたって納めていました。

別名は千亀利城といわれ、
織物の機械の名前に由来している
といわれていた城です。

高校生の頃は、学校のすぐ前にあり、
よくわからない授業の時は
ボヤっと眺めていたという記憶があります。
また友だちと授業をさぼって
この城の裏側でお菓子を食べたり、
文化祭で悔しい思いをしたときなんか、



ここのお堀に友達と、
悔しい~とか言いながら
石を投げこんだりもしましたねえ。

若い時の体力も今思えばすごいけど
若さゆえの気恥ずかしさも
とってもほほえましいです。

続く


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