あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

海賊狩りツアーに関する散文。

2009-07-01 02:14:15 | Weblog
いろいろ端折ってスラッシュドットの記事から。

SlashdotJ: 「ソマリア海賊狩りツアー」という嘘ニュース、あたかも事実のようにネットを伝わる

わかりやすいタイトルですね。

ただ、スラッシュドットにこの記事があったこと自体は海賊狩りツアーの反証にはなってないのも確かだったりするような気もします。「ああ、嘘ニュースだったんだ」っていうとすごく科学教っぽいひびきです。
わたし的には現時点でも「検証不可能」なのですが、たぶんその「検証不可能」であるところが理系的に大事なんじゃないかなと思います。

一方で、BLOGっぽいメディア上の情報で、検証が可能なものって何だろうなぁと考えると、うーん。困りましたね。
「Wikipediaに書いてあるから本当」
とか
「ほかのWebサイトでも見たから本当」
とか言のは、Wikiを使ったことがある人とか、Webサイトにものを書いたことがある人が多いであろう2009年という時代では、なかなか成立しにくい冗談、のはず、とも思うのですが、実際には、そういう
「自分が書き込める脆弱な情報源」

「自分が読んでいる頑丈そうな情報源」
が、同じものを指してるという認識は行きわたってないように見えたりもします。

テレビや新聞に載ったら信用できるか、っていうと、どうなんでしょうねぇ。
ちょっと前は一応「神話的」に、正しい、あるいは、間違ったら必ず訂正が加わるから信用できる、ということになってたと思うのですが、たとえば、Cnetとか、どれが編集部を通した記事でどれがCnet内のBLOGの記事かとかぱっと見判別しにくい作りになってたりしますし、偏向報道とかあったということがわかってもそれが20年後だったり、反省文書いてみても何月何日の記事や放送のこの部分に問題が合ったとか言わないと思いますし。

「本当だったらどうで、ウソだったらどう」っていうシミュレーションを脳内でしてみて、それによって「検証時間の上限」を設定してみたりとかっていうのが自衛策かなぁ。それは暗黙的にみんなやってますね。たぶん。

あとは「この人にならだまされてもいい、仕方ない」っていうのを作っとくとか「多数派に従う」とかいうのは、処世術的には有効にはたらいてる気もします。
権威主義っていうのはいつの世の中でも受け入れられてますし、赤信号みんなで渡れば恐くないですし。
「恐くない」って言葉は処世術の格言として重要ですよね。「悪くない」とか「正しい」とか「かっこいい」とか「安全だ」とかは、たけしさんも言ってなかったと思います。

Diska

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