突然思いついたのですが、「萌え」に必須なのは欠落感じゃないでしょうか。
この欠落感は、ジョウシキというか、「世間的によい、あるいは妥当とされるパラダイム」に対する欠落感
であって、例えば、
フツウそっち系な人だったら「メガネはかけてたほうがいい」に決まってたりする
かと思うのですが、それも、
「普段めがねをかけて目立たない子がメガネを取ったらとても美人(もしくは魅力的)だった」とかいう王道パターンが知られているがために、メガネをかけていることが欠落感足りえたりする
のではないかと。
だから、相手に面と向かって「萌える」と言うのはとても失礼というか、本来的な意味としては、本人が気にしてる劣等感をえぐるステキな言葉な気がするのです。
ここで重要になってくるのはパラダイムのところであって、それが堅固であればあるほど萌えが成立しやすいんじゃないかと思います。
中世の悪魔崇拝とか、魔女裁判とか、きっと萌えまくってたに違いありません。
でもイスラムに萌えないのはなぜでしょう。日本は宗教色が弱いからでしょうか。もしかしたら、アメリカ人は萌えまくってるのかもしれません。
Diska
この欠落感は、ジョウシキというか、「世間的によい、あるいは妥当とされるパラダイム」に対する欠落感
であって、例えば、
フツウそっち系な人だったら「メガネはかけてたほうがいい」に決まってたりする
かと思うのですが、それも、
「普段めがねをかけて目立たない子がメガネを取ったらとても美人(もしくは魅力的)だった」とかいう王道パターンが知られているがために、メガネをかけていることが欠落感足りえたりする
のではないかと。
だから、相手に面と向かって「萌える」と言うのはとても失礼というか、本来的な意味としては、本人が気にしてる劣等感をえぐるステキな言葉な気がするのです。
ここで重要になってくるのはパラダイムのところであって、それが堅固であればあるほど萌えが成立しやすいんじゃないかと思います。
中世の悪魔崇拝とか、魔女裁判とか、きっと萌えまくってたに違いありません。
でもイスラムに萌えないのはなぜでしょう。日本は宗教色が弱いからでしょうか。もしかしたら、アメリカ人は萌えまくってるのかもしれません。
Diska
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