スターバックスが北米で抹茶フラペチーノ期間限定販売。というニュースを見ました。ちょっと面白いかなとは思ったのですが、今日は抹茶フラペチーノの話じゃないです。
個人的(?)に、スターバックスはすごく利用してた時期がありました。スターバックスが入ってるビルに通ってたころは1日2杯以上買ってたことが多かったです。「だぶるとーるきゃらめるまきあーと」をよく注文してました。
たまたまなのかキョウイクなのかよくわかんないのですが、スターバックスは、なんか応対が独特な感じがします。お店によってもたぶん微妙に違うのですが、
Diska「えーと、きゃらめるまきあーと、とーるで、しょっと追加でお願いします。あ、ほっとで」
店員A「ホット入ります!ダブル、トール、キャラメルマキアートぉ(語尾上がる)」
店員B「ダブル、トール、キャラメルマキアートぉ(語尾上がる)」
みたいなやり取りがあります。わたしも店員さんも、珍しいものを頼むと何度か聞き返されたりとか繰り返したりすることもあります。グランデとか、フラペチーノにショットを、特に複数追加すると混乱する率が高いかもしれません。
何度か同じものを注文してると、「ああ、わたしがほしかったのはダブルトールキャラメルマキアートだったんだ」と学習して、直接店内プロトコルでやり取りをするようになったりします。
こころ世代のテンノーゲーム: カフェ〜その機能と本質〜で見た、
という表現や、
というのがすごく納得だったりします。
メニューの字が小さくて読みにくいとかはあるのですが、アメリカに行ったときも、スターバックスでは呪文が通じそうな安心感がありました(店員は一人だったのですが)。
この「呪文感」って、何か、アメリカっぽい感じがします。英語なのはもちろんなのですが、プロトコル感というか、これがわかれば仲間、みたいな感じとか、囲い込み感とかがただよってます。「アメリカ語」な感じがします。
わたしなんかは、ひねった表現というか、ひねりすぎて半分も通じなくて数分経ってから「何言ってたかわかったよ」とコメントされたりとか永遠にわかんなかったりとか、通じる人だけ通じてわかんない人は流して欲しいとかいう表現がわりと好きなのですが、共通体験というか、ぱらだいむというか、そういうのが前提になってない、わかんないのが前提、という多文化な社会だった経験のある統一的な文化というのは、なんか、理解できます。
ウソでもなんか理解できたつもりになるのは、結構うれしいと同時に、シャレにならないレベルで進んでいる国際化を考えるための材料になるかなとかいう気もします。
店員同士の「だぶる、とーる、きゃらめるまきあーとぉ」の呪文も逆輸入されるかなぁ。
asahi.com: スターバックス、北米でも抹茶フラペチーノ発売
Diska
個人的(?)に、スターバックスはすごく利用してた時期がありました。スターバックスが入ってるビルに通ってたころは1日2杯以上買ってたことが多かったです。「だぶるとーるきゃらめるまきあーと」をよく注文してました。
たまたまなのかキョウイクなのかよくわかんないのですが、スターバックスは、なんか応対が独特な感じがします。お店によってもたぶん微妙に違うのですが、
Diska「えーと、きゃらめるまきあーと、とーるで、しょっと追加でお願いします。あ、ほっとで」
店員A「ホット入ります!ダブル、トール、キャラメルマキアートぉ(語尾上がる)」
店員B「ダブル、トール、キャラメルマキアートぉ(語尾上がる)」
みたいなやり取りがあります。わたしも店員さんも、珍しいものを頼むと何度か聞き返されたりとか繰り返したりすることもあります。グランデとか、フラペチーノにショットを、特に複数追加すると混乱する率が高いかもしれません。
何度か同じものを注文してると、「ああ、わたしがほしかったのはダブルトールキャラメルマキアートだったんだ」と学習して、直接店内プロトコルでやり取りをするようになったりします。
こころ世代のテンノーゲーム: カフェ〜その機能と本質〜で見た、
「呪文を唱えること」
という表現や、
また、それらの出所不明のカタカナ言語は、それを介して店員との共犯関係を築くものであると同時に、周囲にいる他の客との同一世界観の共有を背中で確認し合うための合言葉ともなっているのである。
というのがすごく納得だったりします。
メニューの字が小さくて読みにくいとかはあるのですが、アメリカに行ったときも、スターバックスでは呪文が通じそうな安心感がありました(店員は一人だったのですが)。
この「呪文感」って、何か、アメリカっぽい感じがします。英語なのはもちろんなのですが、プロトコル感というか、これがわかれば仲間、みたいな感じとか、囲い込み感とかがただよってます。「アメリカ語」な感じがします。
わたしなんかは、ひねった表現というか、ひねりすぎて半分も通じなくて数分経ってから「何言ってたかわかったよ」とコメントされたりとか永遠にわかんなかったりとか、通じる人だけ通じてわかんない人は流して欲しいとかいう表現がわりと好きなのですが、共通体験というか、ぱらだいむというか、そういうのが前提になってない、わかんないのが前提、という多文化な社会だった経験のある統一的な文化というのは、なんか、理解できます。
ウソでもなんか理解できたつもりになるのは、結構うれしいと同時に、シャレにならないレベルで進んでいる国際化を考えるための材料になるかなとかいう気もします。
店員同士の「だぶる、とーる、きゃらめるまきあーとぉ」の呪文も逆輸入されるかなぁ。
asahi.com: スターバックス、北米でも抹茶フラペチーノ発売
Diska
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