敢えて問う。
自己と他者の境界ってそんなしっかりしたものなのか?
道具を上手に使えたり、人を思い通りに動かしたりできることが、社会では要求されてるんじゃないのか。
身体拡張的なデバイスやメタファが多くなってきたら、「自分とは、脳から直接神経が繋がって操作できる範囲」とかいった定義は体感と違ってくるんじゃないか?
神経の電圧変化で操作できる義手や、脳の血流量でジャンケンできるアームは、自分の一部なのか。服は自分の一部なのか。メガネは顔の一部なのか。ネット上の各種アカウントや付随情報や、HDD上の情報をシャットアウトされたら、既に「半身を削がれた」と感じる人の方が多いんじゃないのか。
結局のところ、道具も乗り物も他人も組織も自分の目も指も、脳の働かせ方一つで制御できたりできなかったりしてるじゃないか。
結局のところ、制御に慣れているか慣れていないか、が2つを分けるのなら、身体が大きくなるというのは比喩でなくなるかも知れない。
社会というか、個々の人間とか、その集まり、が自己と他者の線引きを決めるとしても、統計的に数値化できれば自然科学的な話として通りやすくなるかも知れない。数値化が良いか悪いかは知らない。人格障害とかの話も知らない。
……とか。
サイエンスZERO(2007/01/13放送)に出てきた、大阪大学の研究。
「人の動きに追従して視線や腕を動かして反応するコミュニケーションロボットは、100%反応するより20%ぐらい期待を裏切った方が、人間は『親しみ』を感じる」という話を見て、思った。
100%反応するロボットに感じる気持ち悪さは多分、境界の侵害から来るのだ。
「人はロボットの身体になること」とか、「自分の身体が2つあること」に慣れてないのだ。
NHK: サイエンスZERO
追記(2007/01/18)。関連URL:
知能ロボット学研究室(石黒研究室)
Wikipedia: 不気味の谷現象
KimI
自己と他者の境界ってそんなしっかりしたものなのか?
道具を上手に使えたり、人を思い通りに動かしたりできることが、社会では要求されてるんじゃないのか。
身体拡張的なデバイスやメタファが多くなってきたら、「自分とは、脳から直接神経が繋がって操作できる範囲」とかいった定義は体感と違ってくるんじゃないか?
神経の電圧変化で操作できる義手や、脳の血流量でジャンケンできるアームは、自分の一部なのか。服は自分の一部なのか。メガネは顔の一部なのか。ネット上の各種アカウントや付随情報や、HDD上の情報をシャットアウトされたら、既に「半身を削がれた」と感じる人の方が多いんじゃないのか。
結局のところ、道具も乗り物も他人も組織も自分の目も指も、脳の働かせ方一つで制御できたりできなかったりしてるじゃないか。
結局のところ、制御に慣れているか慣れていないか、が2つを分けるのなら、身体が大きくなるというのは比喩でなくなるかも知れない。
社会というか、個々の人間とか、その集まり、が自己と他者の線引きを決めるとしても、統計的に数値化できれば自然科学的な話として通りやすくなるかも知れない。数値化が良いか悪いかは知らない。人格障害とかの話も知らない。
……とか。
サイエンスZERO(2007/01/13放送)に出てきた、大阪大学の研究。
「人の動きに追従して視線や腕を動かして反応するコミュニケーションロボットは、100%反応するより20%ぐらい期待を裏切った方が、人間は『親しみ』を感じる」という話を見て、思った。
100%反応するロボットに感じる気持ち悪さは多分、境界の侵害から来るのだ。
「人はロボットの身体になること」とか、「自分の身体が2つあること」に慣れてないのだ。
NHK: サイエンスZERO
追記(2007/01/18)。関連URL:
知能ロボット学研究室(石黒研究室)
Wikipedia: 不気味の谷現象
KimI