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あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

宇宙人を探して反重力技術を見つけた人の話。

2005-07-22 20:10:28 | Weblog
宇宙人情報を求めて米軍のサイトに侵入したイギリス人が捕まったとかいうニュースがありました。人並み(?)にゴシップ好きなので、ちょっと目に止まりました。

曰く。
「宇宙人のデータを米軍が持ってるに違いないので入ってみたらセキュリティもなにもなくてあっさり管理者権限が取れた。」
「宇宙人の存在証明になるようなデータは見つからなかったけど、反重力技術が実用化されてるとか、南米の独裁政権支援のテロリスト養成所を運営しているとか、拷問技術を教えてるとか、そんな情報は、たくさん見つかった。」

ひとことで評するなら「電波なひと」ということになるかと思うのですが、インタビュー記事の文言を見てくと、なかなか興味深いです。実際、この人が何をして、何を見つけたのか、米軍なりアメリカ政府なりが、何を問題として引き渡し要求しているのか、少なくとも「わたしに理解できて納得できる形」では絶対出てきませんし、部外者としては憶測して楽しむとかしかできないのですが、おもしろいです。

ご本人も怪しさ大爆発ですし、CNETの記事も概して偏見に満ちてるという認識なのですが、わたしは個人的にはハッカー属性なので、「この人の言ったことが全部ほんとだったら、どんなストーリーになるかなぁ(=どういう可能性があるかなぁ)」、とか、そういう方向で見てしまいます。

何より面白いのは、このインタビュー記事を、「世間的に見て電波系な話」もはしょらずに採用したCNET UKと、それを日本語版に掲載したCNET JPの判断というか勇気というか蛮勇かも知れません。


スケープゴートか、社会の敵か--米軍ネットワークに侵入した英ハッカーの言い分

Diska

スターバックス。

2005-07-20 04:05:20 | Weblog
スターバックスが北米で抹茶フラペチーノ期間限定販売。というニュースを見ました。ちょっと面白いかなとは思ったのですが、今日は抹茶フラペチーノの話じゃないです。

個人的(?)に、スターバックスはすごく利用してた時期がありました。スターバックスが入ってるビルに通ってたころは1日2杯以上買ってたことが多かったです。「だぶるとーるきゃらめるまきあーと」をよく注文してました。

たまたまなのかキョウイクなのかよくわかんないのですが、スターバックスは、なんか応対が独特な感じがします。お店によってもたぶん微妙に違うのですが、
Diska「えーと、きゃらめるまきあーと、とーるで、しょっと追加でお願いします。あ、ほっとで」
店員A「ホット入ります!ダブル、トール、キャラメルマキアートぉ(語尾上がる)」
店員B「ダブル、トール、キャラメルマキアートぉ(語尾上がる)」
みたいなやり取りがあります。わたしも店員さんも、珍しいものを頼むと何度か聞き返されたりとか繰り返したりすることもあります。グランデとか、フラペチーノにショットを、特に複数追加すると混乱する率が高いかもしれません。
何度か同じものを注文してると、「ああ、わたしがほしかったのはダブルトールキャラメルマキアートだったんだ」と学習して、直接店内プロトコルでやり取りをするようになったりします。

こころ世代のテンノーゲーム: カフェ〜その機能と本質〜で見た、
「呪文を唱えること」

という表現や、
また、それらの出所不明のカタカナ言語は、それを介して店員との共犯関係を築くものであると同時に、周囲にいる他の客との同一世界観の共有を背中で確認し合うための合言葉ともなっているのである。

というのがすごく納得だったりします。


メニューの字が小さくて読みにくいとかはあるのですが、アメリカに行ったときも、スターバックスでは呪文が通じそうな安心感がありました(店員は一人だったのですが)。
この「呪文感」って、何か、アメリカっぽい感じがします。英語なのはもちろんなのですが、プロトコル感というか、これがわかれば仲間、みたいな感じとか、囲い込み感とかがただよってます。「アメリカ語」な感じがします。

わたしなんかは、ひねった表現というか、ひねりすぎて半分も通じなくて数分経ってから「何言ってたかわかったよ」とコメントされたりとか永遠にわかんなかったりとか、通じる人だけ通じてわかんない人は流して欲しいとかいう表現がわりと好きなのですが、共通体験というか、ぱらだいむというか、そういうのが前提になってない、わかんないのが前提、という多文化な社会だった経験のある統一的な文化というのは、なんか、理解できます。

ウソでもなんか理解できたつもりになるのは、結構うれしいと同時に、シャレにならないレベルで進んでいる国際化を考えるための材料になるかなとかいう気もします。
店員同士の「だぶる、とーる、きゃらめるまきあーとぉ」の呪文も逆輸入されるかなぁ。


asahi.com: スターバックス、北米でも抹茶フラペチーノ発売

Diska

モヒカン族。

2005-07-06 03:38:29 | Weblog
某所で、モヒカン宣言というのを知った。まだよく理解できない。でも、モヒカン族は何て平和的なんだろう。

こんなものがアイデンティティを持てるほど、世界は村社会で排他的で殺伐としてたのだろうか。
「モヒカン族の価値」を否定した先は、共感と囲い込みと排他、そして抑圧と鬱屈と諦観の世界だと思う。
そういえばそうだったのかも知れない。

結論を前提に会話。
指摘は人格否定と取る。

という人たち、宗教家には失礼かも知れないが、多分に宗教家っぽい人たちを、何度か見てきたような気もする。
もしかすると、企業に最適化するとこうなるのかも知れない。与えられた戦略をどう実行するか、戦略の否定はありえない、という思考形態にはよくなじみそうだ。

にしてもこの名前は何とかならないものか。内容は素敵なのに。

KimI

gooBLOG検索強化。

2005-06-29 19:49:51 | Weblog
gooのBLOG検索機能が強化されはじめてるらしいです。

いろいろやるらしいのですが、とりあえずトレンドランキングの対象がページ単位だったのが、テーマ単位でまとまるようになってます。記事と照らし合わせると、キーワードのゆれを自動補正してまとめてるみたいです。とはいえ、人間が見て同じと思われるニュースが複数エントリされてたりは、まだまだあるようです。完全な判断は人間でも不可能、理論上不可能と思うのでしょうがないです。
ほかにも、他のBLOGサイトとの横断検索は既に行われているみたいですが、今後は、ping発信してないサイトも検索対象にしたり、もっと大規模になったりするみたいです。
gooのBLOGとかサービスがBLOG界??とかでどういう位置なのかとか、その中でこの強化がどんな意味を持つのか、とかは、わたしにはよくわかりませんが、
約1億記事に順次拡大し、国内最大規模のデータベースに基づく検索機能を提供す予定だ。

というのは、何かすごそうです。

「Web2.0とかいう言葉が使われる気分」は、まだよくわからないし、ついていけるのか、あるいは数年後には「Web2.0(笑)」とか語られるものになるのかよくわかりません。
でも、BLOGをはじめて、思いがけないとき反応があったり(したと思えるようなリアリティのある錯覚を助長するようなことがあったり、先方には迷惑だったかなぁぶつぶつとか)して、ちょっと感動したりしてました。「Web2.0と呼ばれそうな何か」は何となく感じました。

検索エンジンはBLOGのとても重要な一部分と思います。意識の集約とか「ネット」方面で、BLOGやBLOGに特化した検索エンジンというのは大きな意味があると思います。「生まれ続けてくるものを、理解しようとしてる」のは、なんか新しい感じがします。
BLOGを始める前だったら、「Googleでいいじゃん」とか思った気もしますが、いまは、BLOGに限定することが大きな意味を持ってるような気がします。

ネット初心者なのでビジョンは持てないですし、ソフト的には手を動かしてないのですが、せめてBLOGを書くことで参加して行きたいな、とか思います。あるいは、この「参加してる感」、「一部になった感」がWeb2.0なのかも知れません。


Cnet: 最短5分で記事検索が可能--gooブログが検索機能を大幅強化

Diska

「謎の金属片」と噂とBLOG。

2005-06-04 08:45:52 | Weblog
珍しく見たテレビニュースで知った「ガードレールに謎の金属片」事件。

興味深い説が。

と、ここまで書いてみて気が付く。ぼくは何がしたいんだろう。
すいません。いまぼくが書きたいのは、多分ガードレール自体の話じゃないんです。ちょっと電波っぽい話になります。


で、記事を書こうとしたぼくは何がしたかったんだろう。
1)町の安全を高めたいとか
2)公告屋を糾弾したいとか
3)おもしろい(興味深い)話をちょっぴり速く知ったと自慢したいとか
4)短期間で消える話なら、埋もれさせるには惜しいとか
3、4番目がわりと近い気がする。1は否定しないけど、今のところ2は意識にない。
噂を広めようとしてたんだと思う。

個人的な経験から、昔から噂にはかなり敏感だった。
避けてきたのだ。言わない、作らない、持ち込ませない。
噂は害。個人を徹底的に傷つけて、責任の所在を負えない。
噂は悪意の体現。そんなイメージだけは確信として持ってたのだけど。
思ってたよりぼくは噂に耐性がなかったらしい。


この説が本当かどうかはまだわからないし、今回の件が力によって風化させられるのかは分からないけど、噂が広まることで風化しにくく、75日ぐらいはもつようになるだろうし、その間に1や2の効果もあるのかも知れない。

噂は害にも益にもなる。個人の意思からは乖離してる。
コントロールしがたいだけで、それ自体は善でも悪でもない。ネットワークのあらぶる神。
そんな風に考えるべきなのかも知れない。


で、ぼくは何をしたかったんだろう。

最近読んで気になってた記事「情報をなぞるブログに意味があるか?」を思い出す。
内容はタイトルの通りだと思うので省略。

BLOGに時事ネタを書く。書いて書きっぱなしなのは、神の意志に委ね、神の力を増すこと。
風化させないこと。忘れられなくすること。奉ること。
なぞるのも多分意味はあるのだ。「ねぇねぇ知ってる?」というのも、世界の一部であって、神の部品だ。
信者、信徒、教徒の仕事。崇拝対象は「噂」、「おもしろい話」。

その話に自分なりのコメントを付けるのは、神の力に人の意思を反映させること。
神の意志の方向を決めること。
祟り神にするか福の神にするか決めること。
神主、シャーマン、神降ろしの仕事。問題は同時に複数のシャーマンが別の方向に使役しようとすること。

いや、宗教はあんまり好きじゃないんだけどね。
「神=人々=社会」とか言い替えても頭に描く絵が違ってくるだけで現実的な意味はぼく的にはそんなに変わらない。

ぼくは「立看金具説を福の神として奉って、忘れられた神にしたくなかった」のかも知れない。


参照記事:
カマヤンの虚業日記:[雑記]ガードレールの金属片 06:22
むだづかいにっき♂:情報をなぞるブログに意味があるか?
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参考:
Googleでガードレールのニュースを検索
2005/06/04 08:30時点では上記の説に触れられてない模様。
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追記(2005/06/05 14:30):
2005/06/05 14:30時点では「ネットでの噂」として立看金具説に触れるものはあったものの、「接触痕なくても自動車説」、「カルト教団!?」、「ゴルゴムの仕業(うそ。いや、BLOGやBBSにはあったけど)」みたいなのと並べて「うーん。わかんないね」と結論してるのが目に付く。業者守ろうという意思じゃなくても、実際わかんない=確証が得られないとメイヨキソンとかエイギョウボウガイに見られるという判断はあるかも。
散々迷って結局トラックバックしてみた。
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追記(2005/06/06 02:30):
BLOG見てまわったところ、「捨て看板」という呼び方の方が普通らしい…。

KimI

「Cnetが」NS8はダメだと言ってるらしい。

2005-05-27 20:45:29 | Weblog
IE開発者がBLOGに「Netscape8をインストールするとIEのXML関係のレジストリ書き換えるんだけど、そのせいでIEのXML機能がツブされちゃうのね。さらに、レジストリ戻してもNS8起動の度に更新されちゃうみたいなのでイヤなら削除するしかないね困った困った。NS開発者側と折衝中」と書いたという話。

CNET:マイクロソフト:「IEユーザーは、Netscape 8を削除して」

元記事もそういうタイトルだし、IEBlogの意訳として間違ってはいないと思うんだけど、なんかこの記事のタイトルは、毒というか悪意というか、筆者の意図が入りすぎてる気がする。自称ソフト技術者のBLOG記事のタイトルみたいだ。
日本語版は特に(リンクポリシーとかあるんだろうけど)、原文にある「IEBlogのURL」を探すのが手間な分、読者の想像力をミスリードしようとしてるように見えてしまう。
ぼくの感覚でしかいえないけど、Cnetの記事タイトルから受ける「悪意」は、IEBlogの記事には感じられない。

ぼくは、Cnetの記事は、
・NS8にはFUDダメージを
・MSにはイメージダウンによるダメージを
・読者には対応しようのない恐怖によるダメージを
・ついでにCnetには非中立性イメージのダメージを
与える効果が期待できると思うのだけど、どう良心的に読むことが可能だろうか。
「MSってやーねー」と溜飲を下げるのが正しい読みかただろうか?
とりあえず「そこでOperaですよ」とボケてみるのがオトナの読み方かも。
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影響が出るのは今のところ「IE(エンジン)ユーザーでNS8使ってみたくて、且つブラウザでのXML処理するようなサイトを利用する人」だけだろうし、今回の「事故」は、XMLファイルの扱いが、まだ揺れてるっていう話だと思う。

元はといえば、
・MSが、IEでNetscapeに致命的ダメージを与えるために、OSべったりにしたりとか
・MSが、アプリインストーラのブラックボックス化を推進してたりとか
・MSが、そのアプリインストーラにレジストリの書き換えを開放してたりとか
・MSが、「IEの」XML処理をプラグインに開放してたりとか
・MSが、拡張子による判断を優先してContent-Typeを無視しがちだった(ような気がするけど未確認)とか
これまでMSが、よくわかんないというか、ムチャなことをやってきたのが原因だと、個人的には思う。

個人的には思うのだけど、「レジストリの該当エントリの性格付けとか、インストーラの権限の理想と現実であるとか、Content-Typeの解釈の仕様と実装の現状とか、XML仕様とか実装状況とか、ブラウザの対応状況とか、自称ソフト技術者クラスでは把握しきれない、かなり広範囲にわたるバックグラウンド知識」がないと、実際のところ、どこに正義を見れば良いか、誰の落ち度なのかは、コメントできないことは、理性が理解してる。
記者も大変なのはわかる。調べれば何とか自分なりの正義を主張できるとは思うけど、MSDN購読(?)もしてないぼくがやるとしたら、1週間程度では絶対にムリだ。

>Netscape 8を2週間前にリリースしたばかりのNetscapeにとっては、この問題が新たな打撃となる可能性がある。
というのは、正しい。
正しいけど、それなりな権威として見られてるであろうCnetがこの論調の記事を公開したことで、多かれ少なかれ「新たな打撃とならない可能性」はなくなったと思う。たとえ、「NS8には一片の落ち度もなかった」ことが判明したとしても、「IEBlogの筆者に一片の悪意もなかった」としても、だ。

IEBlogを「マイクロソフト:」と呼ぶのもどうかと思うけど、ぼくがIngrid Marsonを「Cnet」と呼ぶのと同じレベルか。
英語圏で記名記事が多いのは、記者の名前を社名に読み替えて欲しくない=編集者は内容について責任を持たないという明確な編集方針がある、ということなのかも知れない。

Cnetはすごく充実してる個人BLOG集として読むのがいいのかも知れない。

参照記事。
CNET:マイクロソフト:「IEユーザーは、Netscape 8を削除して」
IEBlog:Netscape 8 and Internet Explorer's XML Rendering
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追記(2005/05/28 15:40):
internet watch:この記事は良心的だ。コンピュータ屋っぽい。
追記(2005/06/02 20:30):
マイクロソフト・インサイド・アウトさんから貴重っぽいトラックバックを頂きました。問題解決しようとして検索してた人がまちがって(?)こっちに来てたら、訪問して見ると何かヒントになるかも知れません。npTrident.dllは、こちらを見ると、どうも「NS8のIEモード」に関係してるようです。セキュリティ絡みになりそうだから、かなり深いかも。

KimI

一次元上(うえ)の知性。

2005-05-07 02:10:10 | Weblog
最近意識することが多くなったけど、「多数の個人が集まると、構成する個人を上回る知性を発揮する」という考え方がある。
それを指して、The Wisdom of Crowdsという言葉があるらしい。集団知とか訳されてるけど、個人的には「一次元上(うえ)の知性」とかいうのが納得しやすい。数学屋からは「構成要素が有限で次元もないもんだ」と言われそうな気もするが、まぁ、ソフト屋は要素4の二次元配列とかおなじみだし。

とりあえずThe Wisdom of Crowdsという言葉は、「The Wisdom of Crowds: Why the Many Are Smarter Than the Few and How Collective Wisdom Shapes Business,Economies, Societies and Nations」という、そのまんまな感じのタイトルの、一年ぐらい前に書かれた本で生まれたらしいけど、考え方自体はこの本の書評にも出てくるように、もっと前から知られてたものらしい。知見としてはあったけど、恐らくは「複雑系」という視点を得たことで表に出てきたということなのだと思う。

「The Wisdom of Crowds」が複雑系として、「システム(系)の目的は何か」というSE視点で見てしまうのはPC世代の限界なのか、あるいは何かに必要なビジョンなのか?
一次元上の世界の価値観を理解できるものなのか、理解しようとすべきでないのか。
あと、何より、その価値観はぼく(構成員・個人)に優しいのか。
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こちらからスタートして、リンク先やら過去ログなどを追っかけてみて、つらつらと思った。

KimI

経済のために人がある?

2005-04-11 22:18:33 | Weblog
ぼくは、誰かが「科学の目的は科学の進歩だ」と言い切っても別に構わないし、「究極のゲームは二度と現実に戻りたくなくなるゲームだ」と断言してくれても構わない。
危険思想だろうと、信じるものがある人は、見ていて清々(すがすが)しい。
それ自体が悪いわけじゃないと思う。
自己矛盾してるとかっこよくないけど、直接誰かの害になったり、実際に制御不能になるまでは、それはそれでいいと思う。

普通は、科学者だって、「とはいえ人体実験はさすがにまずいだろ」とか「原爆の技術は政治的配慮もして扱わなければ」とか考えるし、ゲームを作る人だって、「ハマって抜けられないゲーム」ができてしまったら、起動時に「現実あってこそゲームが楽しめるのです。人間関係を大切にしましょう。」と表示するぐらいの良心はある。
外圧もあるんだろうけど、少なくとも、それに反応できるだけの理性があるという信頼はある。

ぼくは、「経済な人々」に、そういう良心は感じられない。
資源が有限な世界にいて、「成長率が伸び悩む」なんて言葉を平然と使うなら、理性だって疑う。
個人に良心を求めても、「人々」が強くなりすぎて制御不能になってるように思えるし、既に直接誰かの害になってるとも思う。影響力が大きすぎて、外圧もかかりにくくなってると思う。
そういうときは、「その世界の外」の力で動かさなきゃダメだと、ぼくは思う。

先の法王は「経済のために人があるのではなくて、人のために経済がある」と言ったらしい。

今の世界、「『それは違う』と断言できる、清々しい人も多い」気がするけど、うまい言い方だと思う。
この言葉は、経済を否定してない。
「経済な人々」に、まだ自分で考える能力があると信じた、とてもやさしい言葉だと思う。
経済にまだ良心があると信じている言葉だと思う。
「経済な人々」が振り返らないなら、害を受けてる人々の意思が「世界の外」に何かを産みだすことになるんだろう。
それが政変なのか、ファシズムなのか、宗教なのか、暴動なのか、ぼくはよくわからない。
もう動いてるのかもしれないけど、それでもまだ「経済な人々」を信じる、と、法王は言っていたのだろうと思う。

門外漢だけど、法王関係で何か書こうと思ってたところに、アダムスミスがらみでトラックバックをいただいちゃったので、そんなトピックで書いてみた。

KimI

ランドウォーカー現象考察。

2005-04-08 00:29:04 | Weblog
先日、「ランドウォーカー」がgooブログの「トレンドランキング」に登場したのをきっかけに記事を書きました。

今日は17位だそうです。
ブログは回転が速いなぁとか、逆に減衰が緩やかだなぁ、とか、「BLOGのトレンドランキング」みたいなのってネットワーク科学の研究対象として「いい」素材かもとか、数学的にどうなんだろうとか、単語やフレーズの「値段付け」の可能性とか、株価もこんな感じかなぁ、とか興味深い話は尽きないのですが、わたしは経済も数学も苦手というかいまやりたくないので、とりあえずおいときます。
今日書きたかったのはそれじゃなく、ランドウォーカーBLOGウォッチングした結果です。

主観にもとづきます。数字でてきません。母数はせいぜい20とかです。
BLOGの性質にも因ると思うのですが、わたしが書いたような「長い」記事は少数派だったみたいです。おおむね、
・○○をきっかけに知りました
・すごいです。動いてます。
・すり足です。がっかりです。
・アニメの世界が近づいてます。
・これってボトムズ?ボトムズといえば1/1ボトムズが最近完成したらしいのでリンク
という感じで、下に行くほどかかれる頻度が落ちてたみたいです。わたしが見た印象なので、わたしが書いてないこととか理解してないことで見落としがあるかもしれません。が、こんな感じです。

別にランドウォーカーの記事に限った話じゃないんですけど、

わたしみたいな粘着っぽい薀蓄大好きな解説君タイプのひとが書くと記事は長くなるんですが、そういう人は、記事を書く時間や調べ物が長くなったりすると思うので、その分「動かすための閾値が高い」とかいうことはできそうな気がします。
逆に、覚書としてリンクだけ張っとくような記事の場合は、そいういう記事をたくさん書くことが可能になる分、その人の別の記事数が多くなったり、「本人が記事を書きたくなる」閾値が低いと見ることができそうです。
どっちがいいとかいう話じゃないです。長いのは読みにくいのはよくわかってます。

記事の長さは感動の度合いに比例っぽい感じな関係をしてるという仮説も可能と思います。同じ人が書いても、越えた閾値が高いと記事が長くなるとか。

ネットワーク科学のトンカチを握ると全て(?)がクギに見えてきます。

Diska

キーワードにはトラックバックさ(にこにこ)。

2005-04-06 13:04:52 | Weblog
まだトラックバックがよくわかりません。
トラックバックの基本は、「相手の記事に関連した情報を提示する」ということのような気がしています。
似た内容だと思った記事や、参考にさせていただいた記事にトラックバックさせていただいたこともあります。
コメントで済ませることもありますが、その場合URLが入力できる時には「あかまど(仮)」のURLを入れてます。
身元とか自分の行動を明示するという意味もあるのですが、売名行為であるという側面もあります。
道徳観、あるいは、その世界でのバランスの問題な気もするのですが、まだ加減がわかりません。

「このトラックバックくれた方には、わたしの記事読んでもらえたのかなぁ。」と疑問に思うことがときどきあります。
ふと、古い、アリナミンA(追記:EXかも?)のCMを思い出しました(リンク先には新しいものしかないみたいです)。
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いくつかバージョンがあって、細かいところはよく覚えてないのですが、

ホームドラマ風なシーンです。
悲劇的な、あまりのことが起こって、
「う…めまいが」とかいう発言があると、2枚目半なお兄さんがでてきて
「目の疲れにはアリナミンAさ!○○や△△にもよく効くよ!(にこにこ)」
同じく、
「う…頭いたくなってきた…」
「頭痛にはアリナミンAさ!○○や△△にもよく効くよ!(にこにこ)」
というのが基本です。
別バージョンでは
「話の腰を折るな!」
「腰の痛みにはアリナミンAさ!○○や△△にもよく効くよ!(にこにこ)」
というのもあったと思います。間(ま)がいい感じで、文で説明しにくいのが残念です。

もちろん、心因性眩暈にも薬効がある可能性はあるのですが、植木等の古典である「およびでない」に通じる場違い感が持ち味と考えるのが正しいと思います。なのですが、健康や生命に関わる製品のCMとしては、ちょっと「見る人を選ぶ」感じはありました。個人的には大好きなCMでした。
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わたしは、記事を一通り読んでいるつもりではあるのですが、自分がそういうトラックバックやコメントをしてないか、不安になることがあります。

Diska