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あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

知識ルール。

2005-04-06 03:04:36 | Weblog
BLOGについて、GoogleとかBLOG横断検索とかでいろいろ見ていったのですが、どうもBLOGで「BLOGとは何か」ということを書いてる人はたくさん(すごく無責任な言葉です。わかってます。3人より多かったです)いるようです。gooブログの新規作成文書のデフォルトカテゴリは「Weblog」になってます。わかってらっしゃいます。

「BLOGとは。」ということで、
リンクをたどってたどってたどってたどってたどって読んで読んで読んで読んで読んで読んで、たくさん読んで、似たことがあちこちに書かれていて、自分の記事もそれに似ていたり、参考文献に突き当たったり、ネットワーク科学とか複雑系科学とかから見てみたり、日記と見たり、コミュニケーションツールと見たり、Spamツールと見たり、神の創発のゆりかごとしてみたり…

結果、得たのは、
「BLOGをどう見るべきかはだれもわかってないらしい」
ことと、
全部読んだら負け
ということです。

負けです。
当然といえば当然なのですが、これは重要なことと思います。
「理想的には全部読むべきだけど、個人の能力的にできない」、という話じゃないです。
読もうとすることが「悪」なのです。間違ってます。全部読もうとしないのが理想なのです。

個人がアクセス可能なデータの数は、増えます。ものすごい勢いで増えて、なかなか減りません。論文でも書籍でも、音声でも映像でもそうだったんだとは思いますが、BLOGは極端な例な気がします。
ただでさえ大きな「WEB」の、「LOG」ですから、当然です。もちろん、各サービスにはデータ保存の限界が設定されてるとは思いますが、こんな勢いでテキストが作成されて、保存、分類される状況はそうそうなかったんじゃないかと思います。
さらに、コンピュータ向けにデジタル化されてるので、捨てる必要が薄れてます。たまるいっぽうです。コンピュータが生まれてからまだせいぜい50年ちょっとしか経っていないのが救いです。

「何か書こうとした時」に参照可能な情報はとてつもない量になります。今はそうでもないこともあるかもしれませんが、情報は増えるいっぽうです。全部見てから、とか、もう少し見てから、とか、言っていると、何も書けません。
締め切りがある書き物は、有限時間内で調べることになりますが、「なるべくたくさん調べる」、という発想で対処していると、仮に2005年現在でどうにかなっても、将来も情報は減らないので、どうにもならなくなります。BLOGのサービスが廃止されようと、情報量が増えることには変わりないです。
時系列で削除ないし重み付けを行なうシステムを提供するとか、その情報が重要と思う人はその人のもつ有限リソースを消費して維持に努めるようなシステムとか(BBS知りませんが、age/sageというのがそれに近い気がします)、宇宙船ヴィーグル号の総合科学っぽいパラダイムシフトしまくりの学問が誕生するとか、際限ない付加価値の追及を悪と断定するような新たな道徳観、とかが実装されないと、個人には致命傷になると思います。文字通り死ぬ気がします。

昔、グインワールドというRPGがありました。完成度はどうこう言いませんが、わたしが他で見たことがない独特なルールとして「知識ルール(追加ルール・シナリオP1, 2-B「知識ルール」)」がありました。
ゲーム中で、「プレイヤーが知らないけどキャラクターが知っていそうな知識」が必要となる場合、プレイヤーは別冊のワールドガイドを読んで調べることができます。プレイヤーキャラクターには知識量のパラメータが設定されていて、それを消費したポイントを元にした時間だけ、ワールドガイドを読むことが許されます。時間内に調べきれなかった場合、キャラクターはその情報を「知らなかった」ことになります。
RPGセッションで実際に使うのには、かなりムチャなルール(プレイヤーが納得しにくい。調べきれなかったときのフォローの負担はGMに行くので誰もうれしくない、とか)だと思いますが、わたしがいま置かれた現状に適用する「いわゆる自分ルール(俺ルール)」として、復権を検討する価値があるように思いました。

ということで、BLOGを書く上で、今後、長時間調べものをするのはルールに反することとします。
ちょっとは調べます。知らないことは知らないなりでいいのです。
ハズしたことを書いたら、反省して次の記事を書けばよいのです(あんまりならこっそり削除で)。
誤字や誤記、わかりにくいとこは直します。加減はわかんないです。

現状では、本気度70%程度で読んでいただけると幸いです。

Diska

BLOG会話。

2005-04-03 13:17:10 | Weblog
最近、
他人のBLOGを見て、
リンクを張ってコメントしたら、
偶然、相手のBLOGにその反応とも取れるような記事が書かれて、
そのBLOGを見て、返答らしきものを書いたら、
さらに偶然、そのやりとりに当てはまりそうな記事を先方で見つける。
という経験をした。言うまでもないが、この記事はその結果だ

先方の記事にもあるように、ぼくが書いたような記事は理論上はネット中、ほうぼうにあるだろうから、こっちのBLOGに対する反応とは限らない。ぼくが会話をしてたのか、そういう想定で独り言を書いてたのかは、判別できない。確認する気もとりあえずない。

今は、何かPBMでRPGしてるというか、連歌しける法師というか、寝言で会話とか、よくわかんない例えが気分的にマッチするような、妙な気分がしている。
最初のぼくの記事とこの記事以外、リンクすら張ってないし、一応記事は独立して読める体裁になってる気もするけど、他人が特定の記事を一つ取り出しても流れが見えないかなとか、何より、ソフト技術者的な言い回しで言えば「数日後の自分でも読めない」かも、とか思った。ここまでの流れを考えるとまとめるのもヤボったい気もしているんだけど。
まぁ、初心者だし。

さっき、偶然、(「Google八分」という言葉を知って辿りついた「圏外からのひとこと」のコメント更新がRSSで届いて)、「ぱど厨になってみる」より「"つまり彼らは、お互いに相手の掲示板に書き込むことによって会話を交わしている*"」についてという記事に辿りついた(「圏外からのひとこと」は結構有名なBLOGらしい。年季がかなり違うけど、この記事これ書いた直後に見つけてちょっとうれしかったり)。

「ぱど」の分析は興味深いけど、深すぎて足が届かなくて確実に溺れる深さなので触れない。
相手の(管理化にある)掲示板に書き込み、ってのは、相手に記事やコメント、牽いては、人格や存在の全否定の権利を委ねてる形になると思うので、BLOGで自分の記事で反応して書いてるのとは、なんか逆だけど、とりあえず、ねじれの位置をキープしたまま続くような会話が行なわれてる文化圏はあるらしい。
別にネット上では新しくも珍しくもないことなのかな、とか思った。
まぁ、初心者だし。

落ち着いて考えれば、人がなにか出力する時、入力データとなるのは、大抵の場合、他人の行動だったり書き物だったりする。入力となる他人の出力は一人分だったり大勢のものだったりするし。
口語会話の媒体となるのは空気だ。出版も伝達媒体=メディアとして認識されてる。
BLOG、Webは、明示的なTBも、リンクすらなくても、検索エンジンやインデクサを伝達媒体にした会話としてアリなのかもしれない。意味があるかはまだよくわからないけど、とりあえず可能っぽい。

BLOG会話は相互作用だけど、並列したり離れてたりしても成り立ちそうだし、時系列の影響範囲とか記事中の単語の分布とかが、ネットの生き物っぽいというか創発っぽい性質を産んでるような気がしたり、あと「地球幼年期の終わり」とかいうSFを思い出したりもする。

KimI

初心者BLOGGERの独り言。

2005-04-02 08:53:41 | Weblog
言い訳から入ろう。
ぼくはBLOG初心者だ。
掲示板の経験もほとんどないから、コメントやトラックバックの加減もよくわからない。
HTTPプロトコルやHTMLが多少読めても「インターネット」に詳しくない。
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BLOG、ネットを甘く見てたように思う。
Webページでの情報発信には、漠然と、海に流す「ボトルメール」のようなイメージを持っていた。
BLOGにしても、「メンテが楽なWebサイト管理の道具」という程度のイメージを持っていた。
ページを作っても、敢えて呼び込まない限りまず誰も見つけない。そんなイメージを持っていた。
これは正しくなかった。
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1)すぐ見つかる。
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Webには検索エンジンのロボットがいる。検索ロボットは
・人間がブラウザを使うようにリンクを一つずつ手繰ってWebページを集める
・だからどこからもリンクされていないような新しいページは見つけられない
と思っていたが、これは正しくない。
厳密には多分正しいのだが、少なくともgooBLOGユーザーにとっては、確実に間違っている。

gooBLOGでは、いや、おそらくBLOGエンジンと名の付くものであれば、新規作成された記事に「人間がブラウザでアクセスする」ためのインデックスページを作る仕組みが用意されている。どういう実装かは知らない。
普通に記事をを作ったら、その時点で「どこからもリンクされていない」ページではなくなっている、ということだ。
登録した時点で、BLOGサービスのインデックスに、少なくとも新規記事へのリンク情報が作られ、そのリンクは、じきに一般ユーザーのブラウザからもアクセス可能になる。
検索エンジンのロボットが「人間がブラウザを使うように」振舞っている、という想定が正しかったとしても、この時点で、検索エンジン側のロボットには発見される可能性が生まれる。
Googleのような検索エンジンのロボットに発見されなくても、それ以前に、「gooBLOGの範囲でキーワード検索できるようになっている」し、「ページの更新を通知する外部サービスがBLOGを対象に利用できる」ようになっている。

政治的、プログラム的事情は知らないが、各BLOGのサービスが、互いのインデックスを共有するようなことをしているようだから、かなりの頻度でインデックスページは更新されていると思う。
GoogleでBLOGがヒットする以上、無料の、特に隠蔽されてない、BLOGエンジンの置いてあるサーバの、インデックスページをロボットが探査対象にしていないと考える方がムリだ。一日に何回かは見に来ているはずだ。ロボットにとって確実に大漁が望める場所であると同時に、アクセスが集中しそうな場所であることを考えると、「人間がブラウザを使うように」動いているかどうかも疑わしい。

同期のタイムラグはあろうが、「無料のBLOGサービス上のBLOGは、書いて間もなくロボットに発見されて検索対象になる」のは間違いなさそうだ。裏付けのデータは足りないが、そう考えるのが妥当だろう。考えてみれば当たり前に思えるが「考えてもみなかった」ことだ。
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2)しかも目に付く。
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検索ロボットに見つかったとしても
・新参のページは評価も低くノイズに埋もれるはず。人の目にはそうそう触れない。
と思っていたが、これも正しくない。少なくとも正しくない状況がある。

差し当たって、
・gooBLOGのインデックスはデフォルトでは最新のものが最上位に来る
という動かしがたい事実がある。BLOGの即時性を考えれば当然な気もする。新参の記事が上に来るのだ。

gooBLOG全体では相当な速度でページが増殖しているので、新しい記事もどんどん古い記事になるから、記事は1時間もせずに埋もれる。

のだが、ここに、
・一般的でない語の記事は少ない
・新しく出てきた話題の記事は少ない
・最近ニュースが少ない話題の記事は少ない
・BLOG以外で活発に議論されてる話題の記事は少ない
などといった条件が重なると、少なくともBLOGの検索においては、「キーワードの選び方では、ぽっと出の落書きページが長時間検索のトップに出てしまう」という状況が簡単に作られてしまう可能性がある。
全文検索を知らなかったとは言わないが、個人間の相互作用が必ずしも多くないBLOGでは、他人が「隣」にいることはあまり意識できず、横断検索されるのは「考えてもみなかった」状況だった。
「少なさ」は見当もつかなかった。
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キーワードや程度の違いはあろうが、一般論として、熟考してよくできたBLOGより、あまり考えず特定の話題を頻繁に更新する方が、アクセスされる頻度が高くなるということはないだろうか?
そうして来る人は「そのキーワードに興味を持った、その分野で閾値を越えてる人」なんじゃないだろうか?
口数の多い悪意のBLOGの破壊力はいかほどなものか?
仮に悪意がなくても、そんな言葉を含んでるBLOGの影響力はいかほどなものか?
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自意識過剰かも知れないし、まだ誤解していることや考えてもみなかったことがたくさんある気もする。
これまで、「日本では珍しい英文字固有名詞」、「有名な携帯端末」のほか、「特定の個人サイト」、「メジャーデビュー間もないアーティスト」、等を話題にしてきて、自分がどういう場所に立っているのか少し見えてきた気がする。
錯覚かもしれない。
現時点でも、迷惑がかかっている人もいる気がする。
今この記事を書いてるのが自己顕示なのか懺悔なのかもよくわからない。
ともかく、書かずにいられなかったし、どう書いたらいいか迷った末にこの形にしてみた。
少し学習した。
でも、自分の良心に従って、影響範囲を想像しながら注意深く書くしかないのだとも思う。
書かないと学習できない。

せめて、誰かの思考の糧(ソース)となることを願って。

KimI

自己検索に始まるSEOに関する一考察。

2005-03-31 23:50:28 | Weblog
「Googleで自分の名前を検索」してみました。
名前は便宜上Diskaです。
誰でもやってます。わたしだけじゃないのです。
ほら。Googleで「Googleで自分の名前を検索」を検索???したら、1570件ヒットします。
ほらほら。やったことのないあなたもやりたくなってくーる。なってくーる…?

結果。
…「惑星ラグオル」以外では、世間的にあんまり使われない言葉なのもあるのか、日本語に限定したら、思ったより上位でヒットしました。
ほかには、「ブランド名」がトップ、「PC系コンピュータのDisk A」が圧倒的に多く、「本家のPSOの武器の英語説明」がたまにヒットしているようです。
この記事を書き始めた時点では、トップ10入りしてます。1860件中です。わーい。

…さて。「あかまど」の説明に「自称ソフト技術者」とか書いてあるようなので分析してみます。
  • 分析1)わたしがHTTPプロトコルでアクセス可能な場所に生まれたのは、事実上2005/03/14です。
  • 分析2)ヒットしたページは、Wiz系のページSound Horizonカテゴリの検索ページの2枚なようです。 Wiz系ページの方は、コメントの応酬があって、その都度自分の名前を入れた上に、自分のBLOGのトップにリンクを張っています。SHカテゴリのページの方は、多数の記事が1ページに表示され、各記事に「Diska」の名前が書かれています。
  • 分析3)他のサイトへのTBは、あんまり打っていないつもりです。TBの勉強も兼ねて、これまでいくつかのサイトには打たせていただきましたが、Wizページでは0回。SH系は全ページあわせても1回と記憶しています。 トラックバックはいくつか頂いています。Wizページでは2つ、SH系ページでは0と思います。
  • 分析4)特に明示的にTBを打たなくても、「gooブログ」であるだけで、いくつかの「BLOG横断検索サイト」にリンクが作られてるようです。わたしのページは書き直し頻度が高いですが、わたしの記憶が正しければ、検索にかかるのは、「初稿」であるように思われます。
  • 分析5)あかまどの上に来ているページのうち、ブランド名の方は、確かにDiskaという文字列がたくさん含まれているようです。CSS等にも使われているようです。
  • 分析6)PC系ページの方は、検索してもDiskAは登場していないようです。URLにの末尾がdiskaとなっています。

考察。
Googleが何を持ってこれらのページを選んだのか考えてみます。
情報が足りないのでいきなりちょっと飛躍しますが、キーワード「Diska」が、あかまどが上位にきたのは
  • 余り使われない単語であり、競争相手が少ないこと
  • URLの末尾がdiska(/)であり、記事のURLには必ずdiskaが含まれること
  • 文字列のDiskaが多数登場するページであること
  • 若干のリンク先とリンク元を持つこと

の4点はわりと信用できる理由になってるような気がします。
あとはあてずっぽうというかさらなる飛躍になってきますが、
  • BLOGであるだけで、検索ページから自動的に複数のリンクを受けている
  • わたしの記事は文章の体裁をとっているが、ムダに長い
  • 最近更新された

というのも意味があるかもしれません。研究(何の?)の一助になるかもしれません。

Googleのアルゴリズムについては既にほうぼうで研究されてる気もしますが、これは単なる興味ですので特に調べませんでした。

以前、ニュースで「BLOGを検索エンジンの対象からはずすかどうか」という議論があるという話を見たように思います。そのときは、とんでもない話だとか思ったのですが、意味がわかってきたような気がします。
カテゴリ検索とコメントの応酬は破壊力が大きそうです。
万一、Diskaブランドより上に検索されちゃったら、ちょっぴりうれしいですが、かなりはずかしいというか申し訳ないです。

先日KimI名義で触れましたが、Googleでキーワード「SEO」を検索すると、矛盾というか、キケンなものが見えてきます。
SEO=Search Engine Optimize。
「サーチエンジンで上位に出るなら何でもおっけー」主義です。
Googleは以前、「検索順位の公正性」、「お金で特定企業を上位に持ってくるようなことはしなーい」という主張をしていたように思いますが、現在のことはわかりません(注:追記1)。
少なくとも「SEOをやってる企業」、「Googleで上位ヒットしたかったらうちと契約しませんかーという企業」は存在していて、その広告はGoogleで「SEO」を検索すると表示されます。その広告料はGoogleに支払われているような気がするのですが。

Google便利です。強力です。すごいです。かっこいいです。毎日使ってます。
個人的には、Googleなしでネットは歩けません。
だからこそ、こわいです。資本主義至上になりきれない人は、どう見たらよいのでしょうか。
あんまりかっこよくない文章でも、いろんな人に見てもらいたいとは思っているのですが、わたしが降り立ったのはどういう場所なんでしょう。
わたしにやさしい神の見えざる手」が届く場所なんでしょうか?
あるいは文字通りのDEUS EX MACHINA?ダークファルスとかだったらやだなぁ。

タイトルが堅いのはDVD「げんしけん」を見た影響なので流してください。
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追記1):文中、「GoogleのSEOに関するポリシー」については、「Web マスターのための Google 情報」からある程度読み取れるようです。同ページの下の方の「その他の情報」あたりが特に関係しそうです。タテマエ的には、「相互リンクは逆効果かも?=SEOって相互リンク、TBSpam以外もある」とか「SEO企業は危険なのもあるよ」で「SEOおっけー。でもジコセキニンで」とかいうことなようですが、実装や実態がどうかは検証不可能な気がします。シュヒギムとかクローズドソースとかキギョウヒミツとかあるでしょうし。「胴元の一人勝ち」感は拭えません。資本主義至上の文脈では正当な勝者のような気もしますが。

Diska <-ああっ。だからこれが危険?

京ぽん。オフトピだけど。

2005-03-29 14:48:34 | Weblog
京ぽん。

を話題にしたらなんかよくわからないトラックバックが来るみたいなので、「文字列を含むけど内容的に京ぽんと関係なさげで京ぽんのサイトからはトラックバックしたくなさそうなエントリ」を作ってしばらく放置して様子をみてみる。ロボットじゃなさげだから無意味だろうか?
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ぼくのトラックバックの理解は、このレベルだ。ポリシーもそんな感じで理解している。
TrackbackPing仕様自体、それほど歴史があるわけでもなさそうだから、大義名分伝家の宝刀を振るって力説する人もいなさそうだし、どうあるべきかとかいうのは、まだ世間的に固まってない気がする。
受け取ったときどう扱うべきかはよくわからない。
同一エントリから3回受け取るとRecentTrackBackに3回分表示されるって仕様は、受け取る方も送る方もあんまりうれしくないと思うのだがどうだろう。

失礼があったら申し訳ないけど、とりあえず実験だ。
Googleで"SEO"見たらスポンサー情報が。笑っちゃったけど、いまや常識?

KimI

民主主義者。

2005-03-27 23:32:45 | Weblog
斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」でこんな記事を見かけた。
「ファシズム」と「資本主義」と「アナーキズム」
「企業」はうまく回ってて「国家」はうまく行ってない。民主主義よくない。資本主義最高。とかいう話らしい。

ぼくは「オクノ総研 WEBLOG」のファンだ。興味深い。かっこいい。
とか思うのだけど。地元が選挙な今、この記事を見ると、何か違う。斜めうえを行ってない気がする。
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究極的には、
>平等に配分された権力が、正しい選択を行なえるとは思えない。
の「正しい」という言葉に違和感がある。

この「正しい」は、politically correctとかじゃなく、「最適解である」というような意味で使っていると思うけど、それはつまり「企業とか、資本主義者とか、高額納税者にとって利益が最大になること」を最適化目標としていると思う。もっと言えば、「民主主義は企業人や既得権者に有害だ」と言っているように思う。
悪意を抜いて、耳あたりよく言い換えれば「自分の帰属する集団の競争力を最大化することは自分の幸福を最大化させる」という主張になると思うけど、「経済の尺度で競争力がない国家とか個人」とかの幸福は問題外にしていることには変わりない。具体的にしていくと、正当な主張であっても、あんまり大手を振って同調できる話ではなくなってくると思う。

別に、それが「悪い」とか「正しくない」とは言わない。
企業、経済っぽい立場の人が
平等に配分された権力が、「最適化された」選択を行なえるとは思えない。
と主張するのなら納得しやすい、というか、その立場において確実に「正しい」考えだとも思う。

…ソフト屋が「最適(最適化=Optimize)」という言葉を使うときに含めるのは、「特定目的にはベスト」とか「カリカリチューン」とか、もっと言えば「他の用途には向かない」、「他の特定用途ではかなりヤバい場合が多い」とかいうニュアンスだ。
「有権者は必ずしも何か企業、経済っぽいものに最適な選択をしない」という主張には何の違和感もない。
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なぜ「正しい」に、そんなに違和感を感じたのか。
言葉尻を捕らえたといえばその通り。
なんだけど、ぼくは、筆者は「正しい」という言葉をわざわざ選んだと感じたのだ。

気になった要素の一つは文中の「神の見えざる手」だ。
経済に疎いぼくは、「神の見えざる手」という言葉には、「神の慈愛」だとか「個々人の幸福」なんてイメージが付随してしまう。

アダム・スミス直接読んだことないけど、中世の思想家ならば実際そんなニュアンスを含めてたんじゃないかと思う。もともと、「清貧はもう古い。教会通ってもバシバシ金儲け。神様も労働者の味方だ。経済学者は正義。」キャンペーンのために選ばれた言葉だった気がするし。
実際現代人が使うときにも「『何か』うまくいくらしい」という意味で使ってはいないだろうか?
自由主義経済を最優先した結果が、「個々人」の、あるいは「ぼく」の、「フトコロ」でなく「幸福」に貢献するというビジョンはどうすれば持てるのだろうか?

ともかく、そんな意味の「神の見えざる手」を信じて期待できる根拠を、少なくとも、ぼくは持ち合わせていない。「妄想と現実のループ」は、信じる人が少なくなれば「妄想」に収束するはずだ。「そんな意味の神の見えざる手」を信じてる人は空想具現化に足るほど数がいるのだろうか?

「正しい」という言葉に違和感を感じたのは、そこに
平等に配分された権力が、「(何か経済っぽい主体の利益に)最適化された」選択を行なえるとは思えない。
という分析的な意味ではなく、「神の慈愛を得るために民主主義じゃダメだ」、「資本主義で幸せになりましょう」という、fanaticなニュアンスを感じたからだ。筆者の意図がどうかは知らないが、ぼくがそういう印象を受けたのは間違いない。

僕は企業社会に帰属意識はない。自分が何主義者と呼ばれるのかは、知らない。多分、民主主義者ではあるんだろう。
投票結果が、当選者が、個人、というかぼくに最適な選択を行なってくれるかはわからないけど、その希望はある。
資本主義至上は、は「ぼくにとって」最適解でないとの直感もある。
あえて違和感のある言い方をすれば、
神の見えざる手が、正しい選択を行なえるとは思えない。自分の見える手が、正しい選択を行なったと信じたい
となるのだろうか。

間接民主制がうまく機能してるのか、とかいう疑問はあるけどね。
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ちょっと感じるものがあったので書いてみた。
自分が引用されてちくちく書かれたらイヤだろうなぁ……。

KimI

Hello, World.

2005-03-14 03:22:32 | Weblog
前々から気になってたBLOG。
フリーの実装が見つからなかったので(?)手を出さずにいました。
まさかこんなに知名度が上がるものとは思ってませんでした。
知ってる人が始めたのをみて遅ればせながら試してみることにしました。
どこまで書けば楽しいか苦しいかわからないから、最初の書き込みはこんなところにしておこう。
どきどき。