BLOGについて、GoogleとかBLOG横断検索とかでいろいろ見ていったのですが、どうもBLOGで「BLOGとは何か」ということを書いてる人はたくさん(すごく無責任な言葉です。わかってます。3人より多かったです)いるようです。gooブログの新規作成文書のデフォルトカテゴリは「Weblog」になってます。わかってらっしゃいます。
「BLOGとは。」ということで、
リンクをたどってたどってたどってたどってたどって読んで読んで読んで読んで読んで読んで、たくさん読んで、似たことがあちこちに書かれていて、自分の記事もそれに似ていたり、参考文献に突き当たったり、ネットワーク科学とか複雑系科学とかから見てみたり、日記と見たり、コミュニケーションツールと見たり、Spamツールと見たり、神の創発のゆりかごとしてみたり…
結果、得たのは、
「BLOGをどう見るべきかはだれもわかってないらしい」
ことと、
「全部読んだら負け」
ということです。
負けです。
当然といえば当然なのですが、これは重要なことと思います。
「理想的には全部読むべきだけど、個人の能力的にできない」、という話じゃないです。
読もうとすることが「悪」なのです。間違ってます。全部読もうとしないのが理想なのです。
個人がアクセス可能なデータの数は、増えます。ものすごい勢いで増えて、なかなか減りません。論文でも書籍でも、音声でも映像でもそうだったんだとは思いますが、BLOGは極端な例な気がします。
ただでさえ大きな「WEB」の、「LOG」ですから、当然です。もちろん、各サービスにはデータ保存の限界が設定されてるとは思いますが、こんな勢いでテキストが作成されて、保存、分類される状況はそうそうなかったんじゃないかと思います。
さらに、コンピュータ向けにデジタル化されてるので、捨てる必要が薄れてます。たまるいっぽうです。コンピュータが生まれてからまだせいぜい50年ちょっとしか経っていないのが救いです。
「何か書こうとした時」に参照可能な情報はとてつもない量になります。今はそうでもないこともあるかもしれませんが、情報は増えるいっぽうです。全部見てから、とか、もう少し見てから、とか、言っていると、何も書けません。
締め切りがある書き物は、有限時間内で調べることになりますが、「なるべくたくさん調べる」、という発想で対処していると、仮に2005年現在でどうにかなっても、将来も情報は減らないので、どうにもならなくなります。BLOGのサービスが廃止されようと、情報量が増えることには変わりないです。
時系列で削除ないし重み付けを行なうシステムを提供するとか、その情報が重要と思う人はその人のもつ有限リソースを消費して維持に努めるようなシステムとか(BBS知りませんが、age/sageというのがそれに近い気がします)、宇宙船ヴィーグル号の総合科学っぽいパラダイムシフトしまくりの学問が誕生するとか、際限ない付加価値の追及を悪と断定するような新たな道徳観、とかが実装されないと、個人には致命傷になると思います。文字通り死ぬ気がします。
昔、グインワールドというRPGがありました。完成度はどうこう言いませんが、わたしが他で見たことがない独特なルールとして「知識ルール(追加ルール・シナリオP1, 2-B「知識ルール」)」がありました。
ゲーム中で、「プレイヤーが知らないけどキャラクターが知っていそうな知識」が必要となる場合、プレイヤーは別冊のワールドガイドを読んで調べることができます。プレイヤーキャラクターには知識量のパラメータが設定されていて、それを消費したポイントを元にした時間だけ、ワールドガイドを読むことが許されます。時間内に調べきれなかった場合、キャラクターはその情報を「知らなかった」ことになります。
RPGセッションで実際に使うのには、かなりムチャなルール(プレイヤーが納得しにくい。調べきれなかったときのフォローの負担はGMに行くので誰もうれしくない、とか)だと思いますが、わたしがいま置かれた現状に適用する「いわゆる自分ルール(俺ルール)」として、復権を検討する価値があるように思いました。
ということで、BLOGを書く上で、今後、長時間調べものをするのはルールに反することとします。
ちょっとは調べます。知らないことは知らないなりでいいのです。
ハズしたことを書いたら、反省して次の記事を書けばよいのです(あんまりならこっそり削除で)。
誤字や誤記、わかりにくいとこは直します。加減はわかんないです。
現状では、本気度70%程度で読んでいただけると幸いです。
Diska
「BLOGとは。」ということで、
リンクをたどってたどってたどってたどってたどって読んで読んで読んで読んで読んで読んで、たくさん読んで、似たことがあちこちに書かれていて、自分の記事もそれに似ていたり、参考文献に突き当たったり、ネットワーク科学とか複雑系科学とかから見てみたり、日記と見たり、コミュニケーションツールと見たり、Spamツールと見たり、神の創発のゆりかごとしてみたり…
結果、得たのは、
「BLOGをどう見るべきかはだれもわかってないらしい」
ことと、
「全部読んだら負け」
ということです。
負けです。
当然といえば当然なのですが、これは重要なことと思います。
「理想的には全部読むべきだけど、個人の能力的にできない」、という話じゃないです。
読もうとすることが「悪」なのです。間違ってます。全部読もうとしないのが理想なのです。
個人がアクセス可能なデータの数は、増えます。ものすごい勢いで増えて、なかなか減りません。論文でも書籍でも、音声でも映像でもそうだったんだとは思いますが、BLOGは極端な例な気がします。
ただでさえ大きな「WEB」の、「LOG」ですから、当然です。もちろん、各サービスにはデータ保存の限界が設定されてるとは思いますが、こんな勢いでテキストが作成されて、保存、分類される状況はそうそうなかったんじゃないかと思います。
さらに、コンピュータ向けにデジタル化されてるので、捨てる必要が薄れてます。たまるいっぽうです。コンピュータが生まれてからまだせいぜい50年ちょっとしか経っていないのが救いです。
「何か書こうとした時」に参照可能な情報はとてつもない量になります。今はそうでもないこともあるかもしれませんが、情報は増えるいっぽうです。全部見てから、とか、もう少し見てから、とか、言っていると、何も書けません。
締め切りがある書き物は、有限時間内で調べることになりますが、「なるべくたくさん調べる」、という発想で対処していると、仮に2005年現在でどうにかなっても、将来も情報は減らないので、どうにもならなくなります。BLOGのサービスが廃止されようと、情報量が増えることには変わりないです。
時系列で削除ないし重み付けを行なうシステムを提供するとか、その情報が重要と思う人はその人のもつ有限リソースを消費して維持に努めるようなシステムとか(BBS知りませんが、age/sageというのがそれに近い気がします)、宇宙船ヴィーグル号の総合科学っぽいパラダイムシフトしまくりの学問が誕生するとか、際限ない付加価値の追及を悪と断定するような新たな道徳観、とかが実装されないと、個人には致命傷になると思います。文字通り死ぬ気がします。
昔、グインワールドというRPGがありました。完成度はどうこう言いませんが、わたしが他で見たことがない独特なルールとして「知識ルール(追加ルール・シナリオP1, 2-B「知識ルール」)」がありました。
ゲーム中で、「プレイヤーが知らないけどキャラクターが知っていそうな知識」が必要となる場合、プレイヤーは別冊のワールドガイドを読んで調べることができます。プレイヤーキャラクターには知識量のパラメータが設定されていて、それを消費したポイントを元にした時間だけ、ワールドガイドを読むことが許されます。時間内に調べきれなかった場合、キャラクターはその情報を「知らなかった」ことになります。
RPGセッションで実際に使うのには、かなりムチャなルール(プレイヤーが納得しにくい。調べきれなかったときのフォローの負担はGMに行くので誰もうれしくない、とか)だと思いますが、わたしがいま置かれた現状に適用する「いわゆる自分ルール(俺ルール)」として、復権を検討する価値があるように思いました。
ということで、BLOGを書く上で、今後、長時間調べものをするのはルールに反することとします。
ちょっとは調べます。知らないことは知らないなりでいいのです。
ハズしたことを書いたら、反省して次の記事を書けばよいのです(あんまりならこっそり削除で)。
誤字や誤記、わかりにくいとこは直します。加減はわかんないです。
現状では、本気度70%程度で読んでいただけると幸いです。
Diska