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あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

Liar海外進出。

2005-12-15 21:42:52 | Weblog
ひさびさにBLOGGER'S NEWSを見てたらこんな記事が話題になってるらしい。

Wired news: 日本のゲームファンがパンチラ格闘ゲームを開発

どこを突っ込むかというと、いろいろとアレなんだけど、「ライアーソフトについて一言も触れないWired翻訳者というか編集人のセンスはどうなんだろう」というところなんじゃないだろうか。
元を知らずとも、配布元サイトに行けば、「絵はどうみても『くじアン』の人」と気が付きそうなものだから「実はそっち系の記事が多いWiredJapanの翻訳者ならチェックしてないのはあんまり」だし、「おなじみ行殺キャラが」って書いてるんだから、元ネタがあることぐらいは頭の端に登るだろうに。いや、触れるといろいろメンドウだから敢えてスルー?
BLOG記事見ててもほとんど触れられてないみたいだし。
あんまりなのでちょっと元ネタの話を書いてみることにした。


「行殺(はあと)新選組」及び新OS対応していろいろ追加された「行殺(はあと)新選組FRESH」はライアーソフトの開発したPC用ゲーム。
18禁ソフトなので万人にはオススメしないのだけど、そっち系に抵抗感が薄い人だったら一見の価値があると断言しよう。
あ。抵抗感のある人は見ちゃダメです。ぜったい。

舞台は幕末京の町。新選組。
オリジナルバージョンの発売はNHK新撰組放映より前。
基本はギャグっぽいのだけど、芹沢鴨あたりのインパクトのあるキャラクターとか、「押し借り」の話とか、新選組の暗部っぽい方面も笑いも取りつつしっかり踏み込んでいる。
会話のシーンの「カードみたいなキャラクターの顔によるアニメーション」の表現力は類似のインターフェイスの中でもかなり洗練されている。時代(や、恐らくは開発費)を考えると画期的と言っていいと思う。


キャラクターデザインは「げんしけんの劇中劇の『くじアン』で有名な」八雲剣豪。
主題歌の「みつめて☆新選組(LiarのCD紹介ページで試聴可。)」は「電波ソング」としても有名…かなぁ。


まぁ、元ネタが記事の「内容」に関わるわけじゃないと思うんだけどね。
話題になってもメディア操作できないところはメリットを受けないのかな。
話題になってLiarsoftに良い事は特に起らないかもしれないけど、せめて悪いことが起こらないように祈っておこう。


Wired news: 日本のゲームファンがパンチラ格闘ゲームを開発

ライアーソフト
amazon: 行殺(はあと)新選組
amazon: わらび(みつめて☆新選組収録)

KimI

Kung Fu。

2005-11-11 08:34:54 | Weblog
深夜に「燃えよ!カンフー」という番組をやってた。
アメリカのドラマ。かなり古い。
バタ臭い少林僧が西部開拓時代のアメリカを放浪する話(いや、よく知らないので違ってたらゴメン)。

むかーしむかし、アメリカに長期出張した時に何度か見た、ちょっと思い入れのあるドラマ、「Kung-Fu」のシリーズだったらしい。
今日本でやってるのはその第2シーズンだとか。

最初にぼくが見たのは現代が舞台で、ちょっと年の行ったカンフーおじさんと息子の若造の警察官が出てくる話。
別の機会に何度かアメリカに行った時に見たのは西部開拓時代っぽい話で、主役が同じ人というのはしばらく気がつかなかった。
アメリカのテレビというと再放送やら第○シーズンとかをやたらに並行してやってる印象があるが、それにしても何度行っても毎回見かけたから、それなりの人気番組なんだろう。調べたら最初のシーズンは1972年放映だとか。


まぁ、アクションを期待するとちょっとアレというか、映画とゲームでしか拳法を知らないのでリアリティ云々はよくわからないが、洗練されてない感じはする。座禅組んでふわふわ浮いてたりしたこともあったように思う。
むしろタイトルから期待されるようなアクションは事実上ないと思ってた方がいいかも。

なのだけど、好きなシリーズだった。

「アメリカは白人の国じゃなくて移民の国だ」、とか、「国際化社会の中で、白人としてじゃなく、国際人としてでもなく、東洋人としてあるとはどういう感じか」、とか、そんなことをぼくが考えるようになった原点かも知れない。

とまでいうと褒めすぎだろうか。

リアリティがあるのかどうかはわからない(またか)のだけど、西部開拓時代の中華街とかのイメージは、ぼくのアメリカ感にかなり衝撃を与えたように思う。


去年アメリカに旅行いったときにDVD売っててつい買ってしまったんだけど、帰国してすぐぐらいの時期に、第一シーズンの日本語版DVDボックスが発売されてたらしい。


ところで、ケインってじまんぐに似てないですかそうですか。いや、雰囲気が。

KimI

0:愚者。

2005-10-11 11:48:58 | Weblog
だ☆めーづ: ネットと現実に区別をつけるな」を読みました。

「現実」という言葉の指す半径あたりにちょっとしたトリックがあるような気はしなくもないですが、コメントにある
昔みたいに「ネットに接続したら人がいた」っていうんではなく「友達がみんな接続してるから自分も」てところがネット上の人間関係の起点になることも多いんでしょうから、そこらあたりでの空間認識の錯誤、てのはありそう

と、おそらくはそこからつながる本文中の
インターネットを半径10メートルくらいのコミニュケーションのツールとしか認識できてない。だから、飲み屋で話すたいなノリで悪口雑言だの武勇伝だのを調子に乗って書き散らしちゃうんだろうね。

というのがかなり興味深いです。エントリ全体を通じて共感するのです。


ですが、「半径10メートルくらいのコミュニケーションの流儀というか作法って、どうやって学んだんだろう」、と考えると、いづれにせよ入学から何ヶ月とか数年とか、あるいは、生まれてこの方十何年とか何十年とかの「試行錯誤」の結果、つまりは何度も「それやっちゃダメでしょ」ということを繰り返して学習したものであって、それ以外では学習できなかったものなんじゃないかという気もします。


「ネットにアクセスしてる他人」を具体的に想定

できる人はいても、想定しきれる人なんて、いません。ひょっとしたらこのBLOGが衛星軌道上や火星で読むことができるかも知れない、と思っても、自分の書いた文が火星人の心象を悪くするかどうかなんて想像できませんし、それを学習する機会は今までのところありませんでした。できるのは、「前に似たことをやったら、わたしの知ってるこの人はこういう反応をしたし、あの人はああいう反応をした」という記憶の積み重ねだけです。
見ず知らずの他人を想像すればするほど、何も言えず、何もできなくなってしまうと思うのです。ましてや、全世界につながる入り口に立つことならば、なおさらです。
ネチズン(死語)としての第一歩は「0:愚者(参考)」として踏み出すしかなく、また、そうあるべきだ、それでこそ価値がある、と、わたしは思います。


ニュータイプ並の認識力の拡大があってこそのコミュニケーションのあり方っていうのもあると思いますし、旧来の帯域幅でのコミュニケーションの流儀での「やっちゃだめ」によって枷を与えるのは、護身術としての価値はあっても、コミュニケーションとか人類の発展とかには、あるいは有害なのかも知れません。

護身しない流儀、ノーガード戦法の結果が、ミスコミュニケーションであったり、「バイトクビ」だったり、あるいは宗教対立だったりテロリズムの温床だったり最終戦争の引き金だったりするのかも知れませんが、それであっても、保身しない蛮勇には価値があるのではないかという予感があります。

踏み出しちゃった人に、「こうすれば痛くない」、あるいは「イタくない」、とアドバイスできても、その人が痛くないことが、世界やわたしや、その人の未来にとって「いい」、「正しい」、「うれしい」とは、わたしには言えないし、思えないのです。


「無愛想で無骨でちょっと浮いてた、ちょっと素敵なHUmarキャラクターがコミュニケーションに悩んでるのをみて、たとえば「w」を使ってみたら?と薦めたら、次に会ったとき別人のように変わっちゃってて、後悔したRAcaseal」という経験が、わたしの考えの根源かも知れません。


参照記事:
だ☆めーづ: ネットと現実に区別をつけるな

Diska

Google Blog Search。

2005-09-15 02:32:37 | Weblog
Googleがブログ検索サービスのβ版を公開したらしい。

ITmediaの記事に拠ると、
同社傘下の「Blogger」サービスのブログだけでなく、すべてのブログを検索できるという。英語だけではなく、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、中国語、韓国語、日本語、ブラジル系ポルトガル語などで利用できる。

とのこと。
あと同記事に、同日(2005/09/14)Ask.jpもBlog検索サービスを開始したとの記事へのリンクがあった。

多分一次ソースはこれなので、詳しくは自分で読めばいいんだけど、明日にしよう…。

5分ばかり使ってみたけど、クリッピングサービスみたいなのをやってるBLOGもあるみたいで、そのノイズでちょっと使いにくくなってる気もする。

検索エンジンからはあんまりうまく扱えてなかったBlog。
Googleが扱い方をある程度の確信を持って提案して来たということなんだと思う。
Blogのあり方とか、知識の蓄えられ方とかにインパクトがありそうな気がするんだけど、頭が追いついてない。
「Blog以外サーチ」からBlogが締め出されたりとか、あるいは、「うまい」共存の仕方が見つかったりとかするのかも知れない。


参照記事:
ITmedia: Google、ブログ検索のβ版立ち上げ
Google Blog Search


追記:
Ask.jpについては「Cnet: アスク ジーブス、ブログ検索サービスを開始--1分ごとに最新記事を反映」が詳しそう。
Googleのも詳しそうな記事あった。Cnet: グーグル、噂のブログ検索サービスを公開--4つのインターフェース

ESRとMS。

2005-09-10 11:07:29 | Weblog
マイクロソフトがESRに入社の誘いをかけて、ESRはいつもの調子で答えたらしい。

Microsoft、オープンソースの教祖リクルートに失敗

ESR=エリック・レイモンド。

エリック・レイモンドというと、「伽藍とバザール」とかを書いた人で、ぼくの理解では、「オープンソース」という言葉を普及させた人、よく言えば歯に衣着せぬ、悪く言えば口が悪い…。オープンソースという言葉で登場する人の中では、「フリー・ソフトウェアを言い出したリチャード・ストールマン」と、「Linuxカーネルを作ったリーナス・トーバルズ」の次ぐらいに有名な人。
結構な開発者らしい(伽藍とバザールとかにちょっと出てくる)けど、そっち方面はぼくは知らない。

Googleと人材取り合いがどうとかで騒ぎになってる文脈(これとかこのへんの関連記事とか)で考えると、単純に名の知れたソフト技術者に声をかけたという話かも知れないけど、ESRというとハロウィーン文書も有名なとこだし、まぁ、よりによってというか。


元BLOG記事のfurther updateにある2004年のMSの人との会話

"How can we not be evil?" And I told him — open up your file formats (including Word and multimedia), support open technical standards instead of sabotaging them, license your patents under royalty-free, paperwork-free terms.
I believe Steve Walli went back to his bosses and told them that truth. He is no longer with Microsoft, and what little he'll say about it hints that they canned him for trying to change their culture.
意訳:
MS社員「MSが悪と呼ばれなくなるにはどうしたら?」
ESR「ファイル仕様公開して、脱共有化を止めて、パテント無料且つ手続き不要で公開すればいいんじゃないかな」
…そしてその話をその通りに持ち帰ったであろうMS社員は、程なく解雇されたようだ。

とか、その後の

This didn't surprise me. Microsoft's profit margins require a monopoly lock on the market; thus, they’re stuck with being predatory evil bastards. The moment they stop being predatory evil bastards, their stock price will tank and their options pyramid will crash and it will be all over.

That being the case, negotiation is pointless. Microsoft is not reformable. Jeering at offers like this is actually the most constructive thing we can do.
意訳:
MSの利益ってのはアクギャクヒドウで作った独占市場が前提になってるわけで、アクギャクヒドウをやめるときは、MSのツブれる時だ。
なのでMSは変わらない。対話の余地はない。入社のお誘いにおちょくった返事をするのは、われわれにできる一番建設的な対応なのだ。

という話も興味深い。


ITmediaの方の記事にあるリーナス・トーバルズの反応
レイモンド氏の返答には批判的だと話し、これによってMicrosoftとオープンソースコミュニティーとの対話が妨げられてしまうかもしれないと指摘した

が、何かわかりやすいぐらい対照的で、おもしろい。



ITmedia: Microsoft、オープンソースの教祖リクルートに失敗

KimI

リアルな描写。

2005-09-06 22:20:05 | Weblog
ハリケーン被害を、ビルの上層から路上を見る感じで書き綴ったBLOGがあったというニュース。
Cnet: ブロガーは見た--ハリケーンに襲われたニューオーリンズの惨状
ライフライン切断されてもネットが生きてたとか、被害の情報源としてのBLOGの内容とか、そのBLOGの存在自体とかBLOGGERの心理とか、興味深い話ではあるんだけど、記事の細かいとこに反応してみよう。

「The Survival of New Orleans Blog」の訳を「ニューオーリンズブログの存亡」としてる。「この期」に及んでBLOGの存亡を危惧するなんて、なんてIT技術者っぽいんだろうとかとも、思うのだけど。ニンゲンの感覚だと「ニューオリンズ存亡のブログ」とか「ニューオリンズサバイバルのブログ」のような気もするというか、単なる誤訳とか、原文があいまい感をあえて残してる感もある(TheがSurvivalにかかるかBlogにかかるかという話。The Survival of New Orleans' Blogとかすれば前者に確定するし、The Blog of New Orleans Survivalなら後者に確定すると思う)。
地上の社会から切り離されてBLOGが全て、BLOGが生きる証、ともすれば墓標、という気分も想定できるし、実際はどうだかわからないんだけど。

記事は日本語訳なんだけど、「リアルな描写で溢れている」という言葉が、何とも現代の気分というか、仮想世界性を象徴してるような気もする。
「リアル」という言葉の意味は、恐らくは20年ぐらい前のアニメファンが好んで使っていたニュアンスが広まったものであって、「現実である」という意味は微塵も含んでなくて、「現実っぽい」、「もっともらしい」というか、英語で言うとVIRTUALというのがあまりにぴったり来るあたりがおもしろかったり。
もっといえば、「メディアに乗ってるものは既に現実ではない」という暗喩。


Cnet: ブロガーは見た--ハリケーンに襲われたニューオーリンズの惨状

KimI

ぶぁぁぁぁあっているの。つづき。

2005-09-01 18:47:28 | Weblog
「コミケに店を出してたホットドッグチェーンのバイトのブログに苦情がついて閉鎖されたりキギョウがHP上でコメントした」件。ほかのBLOGとかちょっと見て回ったらなにか違う気がしたのでちょっと書きます。


コミケに集うオタクの群れにイッパンジンが恐れを抱くのは、おそらくは自称オタクから見ても妥当な感想だと思いますし、それについてイッパンジンが感想を口にするのも悪いことじゃないと思います。
そういう感想を持ちつつも、仕事をやり遂げたイッパンジンの彼女は、少なくとも人並みに立派な人だなと思ったりもします。本人に会ったことがないので想像でしかないのですが、少なくともわたしはそう感じます。
きもい、とは、率直な感想であって、日常会話で口にすることは認められている言葉だと思いますし、そう考えること自体を咎めるべきではないと思います。

「オタクの写真」を掲載してWebページ上で「きもい」とコメントしたのは、感心できませんが、それで責められるべきはメディアリテラシの不足であって、悪意や品性や人間性ではないと考えます。すくなくとも誹謗中傷する意図や悪意はなかったと思います。


オタ=キモいの公式を定着させ、それを口にするのがはばかられない空気の醸成に、某掲示板の存在は無視できないものだった、と、わたしは信じます。あえて強弁するなら、恐らくはオタクと縁がなかった彼女に「オタ」、「きもい」と言わしめ者を一つだけあげるなら、「某掲示板」以外の何者でもありません。

隠れてコメントするのが正しいのは、処世術、保身術としてであって、わたしの信じる正義は、それとは違うものです。見ざる言わざる聞かざる、が正しい世界は、わたしはいい世界と思いません。

彼女を評して「メディア弱者」とか「企業人としての自覚が足りない」と評するのは納得できますが、「不正義」であるとか、「社会人としての自覚が足りない」と評するのは、納得できません。


関連記事:
あかまど(仮): ぶぁぁぁぁあっているの。
ITmedia: 「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に

Diska

ぶぁぁぁぁあっているの。

2005-08-29 03:23:54 | Weblog
「コミケに店を出してたホットドッグチェーンのバイトのブログに苦情がついて閉鎖されたりキギョウがHP上でコメントした」とかいう要約しにくいニュースがあった。
いまさらなのだけどコメントしてみる。
事実関係は、まとめサイトあたりをとりあえず鵜呑みにしてみる。


2005/08/29 02:34現在のhttp://nathans.co.jp/whatsup/index.htmlより、改行削除の上引用:

ネイサンズのお客様へ
いつもネイサンズホットドッグをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
さて、先日、お客様を不愉快にさせてしまいました、「コミックマーケット」に出店したネイサンズ移動店舗内スタッフによるブログ上の発言につきまして、以下の見解をお伝えしたく、ご一読いただければ幸いです。
「人種の坩堝」ニューヨークから来たネイサンズは、様々な国籍・価値観をお持ちのお客様に長年愛され続けています。
その企業体質は当然わが国におきましても継承されるべきものであり、私共、株式会社ネイサンズフランチャイジーオブジャパンも日々努力しております。
従いまして、今回の件につきましてはきわめて遺憾であります。
「コミックマーケット」をはじめとし、各地で行われる様々なイベントへ積極的に参加させていただいている現状、それぞれのご当地、お客様に歓迎されている現状を省みますと、いかんともしがたい胸中です。
調査の結果、本件は当社ブランドを使用する「フランチャイズ」企業が独自に雇用したアルバイトの極めて不適切な表現が引き起こした事態であり、当社の企業コンプライアンスとは正反対の内容です。
また、当該ブログにつきましては、当社との関わりはまったくございません。
しかしながら、「フランチャイズ」企業を管理・監督する責務をもつ当社といたしましては、本件に類する自体の再発防止に全力を尽くし、お客様から失った「信頼」を取り戻すべく、社員一同、努力いたします。
以上、簡単ではありますが、当社の反省と今後の決意を述べさせていただきました。

2005年8月
株式会社ネイサンズフランチャイジーオブジャパン
代表取締役社長 竹内秀樹

ネイサンズの社長のコメントは、少なくとも文面を読む限りすごく冷静だし、属性的にオタクを自認するぼくでも納得できる。問題とされた当人について個人的な立場で言及してない点がポイント高い。ニューヨークを引き合いに出すあたりは、感情や思考の誘導に、とても適切と思う。ぼくは「BLOGの内容に(人道的な、差別的な)問題があった」と思ってないので、「きわめて遺憾」には共感しないんだけど、立場的にこのコメントはもっともだし、そうでなくてはいけないとも思う。

「当社ブランドを使用する『フランチャイズ』企業が独自に雇用したアルバイトの極めて不適切な表現が引き起こした事態」というのは、責任逃れにも見えるし、微妙な線ではあるんだけど、「当社の企業コンプライアンスとは正反対の内容です」まで言い切ってくれてるのは、気持ちよい。立場が明確だ。力関係的に気楽に言いやすいのかも、とか邪推できないこともないけど、直接の相手や、その他の取引先の反感を買う可能性がある内容であっても、立場を明確にするために言い切ってるのは、好感が持てる。

「『フランチャイズ』企業を管理・監督する責務をもつ」というのは、文字通りに解釈するならば、納得できる。社交辞令的によく使う意味で言っているのならば、それは責任逃れだ。一方で、文字通りに解釈するならば、「さまざまな価値観」というのは、「オキャクサマ」にのみ適用される者であって、そのためにはシャインや関連企業の構成員の価値観は、自分と同じでなければならず、多様性は認めない、と言っている。おそらくはキギョウとして、組織運営ということで、正しい方向なのだとは思う。

個人としては矛盾を感じずにはいられない。各キギョウ、団体が、オキャクサマのため、社会のため、世界のためと称して、シャインに制限を加えている構図には、矛盾を感じずにはいられない。
大多数のオキャクサマはあるときにはシャインを演じるのだ。

社長として、キギョウとして適切な対応だったと、ぼくは思う。
でも、一方で、キギョウというものや、いまの社会のあり方や、シャイン属性のものの考え方は、間違ってると思う。トータルではシャイン属性のヒトを、不幸にしてると思うし、シャイン属性のヒトが世の中に多いなら、世の中の不幸は増えてくんだと思う。


うん。
キギョウとして正しいんだと思う。
ぶーぶー言いながらも充実して楽しんでた、おそらくは魅力的な売り子の一人が、キギョウの正義のためにおそらくは売り子を続けられなくなったんだろう、とも、同時に思うだけだ。


追記(2005/08/29 19:53):
トラックバック頂いて読み直したんだけど、今回の社長のコメントって「(少なくとも顧客とか世間への)謝罪じゃない」とこがポイントな気がしてきた。これは自分の経営判断への反省文。謝罪と受け取るなら、企業的利害関係者に対するもの。良くも悪くもすごく企業的。すごくアメリカン。

BLOG閉鎖とか見解表明とかじゃなくて、当人のBLOGに社長が実名でトラックバックなりコメントなりしてみたら、かっこよかったかな、おもしろかったかな、とか、思った。見解表明は本社とかへのパフォーマンスもあるだろうから英語併記。リスクもあるんだろうけどさ。


参照記事:
ITmedia: 「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に

KimI

渋滞の相転移。

2005-08-16 17:41:16 | Weblog
自然渋滞は相転移らしい。朝日新聞2005/08/16夕刊の科学欄に「渋滞 道路だけじゃない--アリの列、細胞の中でも起きるんです--」という記事があった。

相転移というのは水が氷になったり水蒸気になったりする状態変化のこと。厳密な定義とか知らない(というか、文脈によって言葉の定義が替わるというかしなおすのが自然科学な気もする)ので、「自然渋滞が相転移」というのが厳密な表現かはよくわからない。
記事では、東大大学院西成助教授が「渋滞は、お互いがぶつからないように避け合う『自己駆動型』粒子に共通する現象。」とコメントしている。

「渋滞 相転移」とかで検索をかけると、それ自体は格別に新しい視点というわけではないらしいことがわかる。自動車の流れがstreamからjamになるのが相転移っぽいということらしい。記事からは読み取れないが、シミュレーションに乗せると類似性が取り出せるとかいうことなんだと思う。発見とかじゃなく、時事ネタなんだろう。

別に車には乗らないので高速道路の渋滞は興味がないんだけど、「THE 地球防衛軍2」のアリの群れが妙に味のある動きをするので目に留まったのかもしれない…。


asahi.comに記事が見つからないので参照記事なし。

KimI

そらにはなにも。

2005-07-30 19:39:53 | Weblog
ふるーい歌。

ときめくこころ、もしもなくしたら、
みえないのさ、そらにはなにも。

「未来警察ウラシマン」の主題歌、たしかタイトルは「ミッドナイトサブマリン」。「テーマ」ソングになってたかどうかとか疑問もあるけど。

「めんどうだなー」と「でも書きたいなー」
とか
「書いたらヤバいかなー」と「でも書きたいなー」
とかのバランスで、BLOGに書くかどうか決まる。

SELinuxが使いこなせなくて悩んでても、Xenがうまく動かなくて挫折しつつあっても、ヴァナ・ディールが「あますず祭り」でも、FFではじめてMPKされても、スペースシャトルが飛んでもトラブっても、MSが妙なUpdateしてきても、あたらしめのゲームいくつか始めてても、バランスは右に傾かなかった。

今週はそらに何も見えなかったみたい。
こんな状態続いても日に20ipぐらいもらってるなぁ。ありがたやありがたや。
とりあえず。生きてます。なんかやってます。ときめいたり、でも書きたいなーの方が強くなったとき、何か書きます。

KimI