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【権力の内幕 検証・加計疑惑】第2部

2018年09月25日 14時18分55秒 | Weblog

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第2部(1)内閣改造機に官邸攻勢 強まる「早くしろ」

2016年5月、国家戦略特区の諮問会議であいさつする安倍首相(左)。内閣改造で石破地方創生相(右)が閣外へ出たのを機に、半世紀ぶりの獣医学部新設が加速した=東京・首相官邸で

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 二〇一六年八月三日、首相官邸。赤いじゅうたんが敷かれた階段に勢ぞろいした新閣僚の中に、特区制度を所管する地方創生担当相だった石破茂(61)の姿はなかった。首相安倍晋三(63)の内閣改造に文部科学省の担当者は身構えた。「いよいよ獣医学部開設の動きが本格化するかもしれない」

 学校法人「加計(かけ)学園」の計画に基づき、愛媛県と今治市が国家戦略特区で獣医学部を開設しようと国に申請してから一年余り。文科省は学部開設に慎重な姿勢を崩していなかった。

 「残念だが仕方ない」。日本獣医師会顧問の北村直人(71)は、石破が閣外に出たことに複雑な思いを抱いていた。「獣医師は足りている」と学部新設に否定的だった獣医師会にとって、石破はよき理解者だった。県と市が一五年六月に特区を申請した直後、獣医学部新設に必要な四つの条件を設けたのが石破だった。

 いわゆる「石破四条件」は、学部新設の際、既存の獣医学部では対応が困難なことや獣医師の新たな需要があることなど、その必要性の証明を求めるものだった。獣医師会の理事会では、北村が「石破大臣と折衝をし、一つの大きな壁を作っていただいている」と発言している。

 安倍はライバルの石破を別の閣僚ポストで引き留めようとしたが、石破はポスト安倍をにらんで閣外を選んだ。後任には安倍に近い衆院議員の山本幸三(69)が就いた。北村は「四条件がある限り、大臣が代わったぐらいで簡単に学部新設が認められるわけがないと思っていた」と振り返る。

 内閣改造から一週間後、山梨県内の別荘に滞在していた安倍は、加計学園理事長の加計孝太郎(67)らと夕食を共にし、翌朝はゴルフに興じた。加計はその後、大臣就任祝いとして山本と文科相の松野博一氏(55)、農林水産相の山本有二氏(66)を相次ぎ訪問する。三人とも学部開設に関係する所管庁のトップだった。

 時を同じくして官邸サイドは規制突破へ向け、文科省への圧力を強めていく。

昨年7月の国会で顔を合わせた和泉首相補佐官(左)と前川前文科次官(右)。「背後に官邸の圧力があった」と証言した前川氏に、和泉氏は真っ向から反論した

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◆迫る期限…首相側近 文科省に圧力

 首相安倍晋三(63)のブレーンの一人、内閣官房参与の木曽功(66)が、文部科学省事務次官室に、同省事務方トップの前川喜平(63)を訪ねてきた。二〇一六年八月下旬のことだった。

 木曽は同省で局長級の国際統括官を務めたOBで、前川の先輩に当たる。この年の四月、加計(かけ)学園傘下の千葉科学大の学長に就任、学園理事にもなっていた。

 たわいない話の後、木曽が最後に切り出した。「獣医学部新設の手続きを早く進めてもらいたい」。さらに「国家戦略特区の諮問会議で決定したことに、文科省は従えばいい」と畳み掛けた。

 木曽は働き掛けを否定するが、前川は学園からの要請と受け止めた。獣医師会が後ろ盾としていた地方創生担当相の石破茂(61)が閣外に去った内閣改造から三週間。木曽の来訪は、始まりにすぎなかった。

 その翌月九日、安倍が議長を務める特区諮問会議が官邸で開かれた。同会議は特区選定の最高機関。民間委員の八田達夫(75)は「獣医学部の新設は極めて重要だが、岩盤が立ちはだかっている。強力に解決を推進したい」と意気込んだ。

 その二時間前、前川は首相補佐官和泉洋人(ひろと)(65)から官邸に呼び出された。和泉は国土交通省の元技官。地方創生や国土強靱(きょうじん)化を担当する首相の側近だ。官邸で重要政策を企画立案する首相補佐官は、首相の威光を背景に各省の事務次官をしのぐ力を持つようになっていた。

 前川が四階の補佐官の執務室に入るなり、和泉は前置きもなく早口でまくしたてた。「総理は自分の口から言えないから私が代わって言う。獣医学部新設について文科省の対応を早く進めろ」。時間にして五分足らず。「総理は言えない」という和泉の言葉に、前川は圧力とともに政権の後ろめたさをかぎ取った。

 問題発覚後、和泉は国会で「次官として、しっかりフォローしてほしいと申し上げた」と述べたが、「総理は言えないから」というくだりは否定した。本紙は改めて和泉に質問状を送ったが、回答はない。

 和泉は民主党政権時から官邸に入り、三年余り構造改革特区に携わった。前川は和泉を「特区制度のエキスパート」と評し、「国家戦略特区で獣医学部を開設しようという知恵を付けられる人は彼しかいない。学部開設のキーパーソンだ」と指摘する。

 前川は一カ月後、再び和泉に呼び出され、進捗(しんちょく)状況の説明を求められた。「とにかく早く開学したいという焦りを感じた」

 学園を誘致する愛媛県今治市はこのとき、獣医学部の開学時期を一八年四月と見据えていた。開学の準備期間を逆算すれば、年度内の一七年三月末までに文科省に設置認可を申請しなければ間に合わない。

 タイムリミットが半年後に迫っていた。北里大以来、半世紀ぶりの獣医学部開学に向け、文科省にさらなる圧力がのしかかった。(敬称略、肩書は当時。この連載は、中沢誠、池田悌一、池内琢、井上靖史、中野祐紀、伊藤隆平、小坂亮太が担当します)

(2018年8月14日)

 

第2部(2)首相の威借る内閣府 真相… 官僚ら口閉ざす

獣医学部の早期開学を迫る内閣府とのやりとりを記録した文科省の内部文書。「官邸の最高レベルが言っている」と、官邸の関与をうかがわせる文言が記されていた

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 「平成30年4月開学を大前提に逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい。これは官邸の最高レベルが言っている」

 加計(かけ)学園の獣医学部開設を巡り、昨年五月に明るみに出た文部科学省の文書。日付は二〇一六年九月で、表題は「藤原内閣府審議官との打合せ概要」とある。

 発言の主とみられるのは内閣府で特区事業を取り仕切っていた審議官の藤原豊(55)。藤原は一五年四月、学園や愛媛県の幹部らに「国家戦略特区で突破口を開きたい」と開学に向けた支援を約束した人物だ。

 文書からは、獣医学部を今年四月に開学させる前提で、最短のスケジュールを作成するように文科省に迫ったことがうかがえる。その上で「これは官邸の最高レベルが言っている」と虎の威を借りて強く迫った様子が浮かび上がる。

 この文書は省内の関係部署で共有されており、ある職員は「官邸の最高レベルは総理のことかと当時、話題になった」と振り返る。

 大学や学部を新設する場合、国家戦略特区で規制を突破しても、開学には文科省の認可が必要となる。内閣府職員の一人は「藤原さんは省庁を押し切って規制緩和をしたという実績作りに躍起だった」と語る。

 問題発覚後、文書を作成した文科省の担当者は「こうした趣旨の発言があったのだと思う」と省内のヒアリングに答えた。だが、内閣府は発言を否定。藤原も国会で「獣医学部の新設で総理から指示を受けたことは一切ない」と答弁した。

 内閣府は記録も残していないというが、ある職員は「藤原さんは『省庁とのやり取りは必ず記録に残せ』と口うるさく言っていた。記録がないなんてありえない」と証言する。

 官邸の関与をうかがわせる記録は一六年十月、官房副長官の萩生田光一(54)が文科省の局長に伝えた内容を記したとみられる「萩生田副長官ご発言概要」にも残っていた。「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成三十年四月開学』とおしりを切っていた」

 安倍晋三(63)の側近で文教族の萩生田は加計学園の名誉客員教授も務める。萩生田は今月、取材に局長との面会は認めたが首相や官邸に関連した発言は否定した。「文科省が自分たちの都合で作ったメモ。局長からは『問題解決のために副長官の名前が省内で使われる傾向があり、私もその一員で申し訳なかった』とおわびがあった」と説明した。

 取材班は改めて関係者に接触したが、文科省との協議に同席した内閣府幹部は記者と顔を合わすなり、逃げ出した。萩生田と面会した文科省局長は「話すことはない」と口をつぐんだ。

 ある文科省職員は申し訳なさそうに、こう答えた。「すみません。誰が漏らしたか、すぐ分かるので」(敬称略、肩書は当時)

 
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(2018年8月14日)

 
 

第2部(3)ライバル出現に焦り 「加計ありき」に誤算

鳥インフルエンザが発生した鶏舎を消毒する自衛隊員。京都産業大はこのころから獣医学部新設の検討を始めていた=2004年3月、京都府内で(陸上自衛隊第3師団提供)

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 首相官邸サイドが文部科学省への圧力を強めていた二〇一六年秋。国家戦略特区で獣医学部の新設を目指していたもう一校、京都産業大は着々と準備を進めていた。「提案内容には自信があった。加計(かけ)学園は最初からライバルとは見ていなかった」。中心になって計画を進めた元教授の大槻公一(76)が振り返る。

 京産大は一九八九年に生物工学科を新設、獣医学部につながるライフサイエンス(生命科学)研究に早くから取り組んできた。加計学園の加計孝太郎(67)が理事長になる十年以上前で、はるかに先行していた。

 獣医学部の検討を始めたのは〇四年。国内で七十九年ぶりに発生した鳥インフルエンザの猛威が京都にも及んでいた。

 感染症リスクの研究を本格化させようと、〇六年には鳥インフルエンザ研究センターを開設。センター長に鳥インフルの研究で世界的権威の大槻を招いた。大槻は「大学幹部から『獣医学部をつくる作業も任せたい』と特命を受けた」と明かした。

 府は一五年、周辺四県と連名で、京産大の獣医学部設置を文科省や農林水産省に要請。綾部市に用地を確保し、一六年三月、京産大と共同で特区を申請した。加計学園が特区申請の際、愛媛県と今治市の陰に隠れたのとは対照的だ。

「獣医学部新設を巡る国の対応は不公平だ」と話す京都産業大の大槻公一元教授=鳥取市で

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 申請では加計学園に九カ月の後れを取ったものの、京産大は十月に開かれた特区ワーキンググループで、各委員に二十一枚の詳細な資料を提示。いかにライフサイエンス分野の獣医師が求められているか、創薬研究で京都にどれほど強みがあるかを熱心に説明した。府の担当者は「委員に評価してもらえた」と手応えを感じた。

 大槻は申請前に内閣府地方創生推進室次長の藤原豊(55)を訪ねたときのことを鮮明に覚えている。「今治はずっと前から努力している。今ごろ持ってくるなんて遅いんじゃないか」。京産大には批判的な藤原だったが、最後に「また説明してほしい。宿題です」と言ってつぶやいた。「(今治側にも)同じように宿題を出しているんだが」

 今になってみると、大槻は「藤原さんは焦っていたんじゃないか。今治の計画は十分でなかったのかもしれない」と思う。実際、今治市が準備した資料は京都の七分の一の三枚だった。

 大槻たちは特区認定に手応えを感じていたが、首相の安倍晋三(63)が議長を務める特区諮問会議は一六年十一月、獣医学部開設に新たな要件を追加した。それにより京産大は計画断念に追い込まれることになる。 (敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 

第2部(4)ルール変更「友達」有利 「京産大外しの筋書き」

2016年11月1日、内閣府から文科省に送信されたメールの添付文書。特区認定の条件の原案に「広域的に」などと手書きで加筆していた。メールには、萩生田官房副長官(当時)から指示があったと記されていた

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 二〇一六年十一月九日、首相官邸。首相の安倍晋三(63)が議長を務める国家戦略特区諮問会議は、半世紀ぶりに獣医学部を新設する方針を決定した。焦点はどの地域を特区に認定するかだった。諮問会議は新たな条件として「広域的に獣医学部のない地域に限り認める」とつけ加えた。

 突然のルール変更に動揺したのが京都産業大だった。関西圏には大阪府立大の獣医系学部が既にあり、空白地帯の四国に開設しようとするライバルの加計(かけ)学園に有利な条件だったからだ。このとき学園は、まるで開学が決まっているかのように、建設予定地でボーリング調査を始めていた。

 水面下で行われたルール変更に官邸の関与をうかがわせるメールがある。

 メールは諮問会議の八日前に内閣府から文部科学省に送られたもので、学部開設の条件を記した文書が添付されていた。「獣医学部のない地域」としか書かれていなかった文科省作成の素案に、手書きで「広域的に」と加えてあった。

 この修正で、学部を新設できる地域は一気に狭められた。メールには「直すように指示がありました。指示は藤原審議官いわく、官邸の萩生田副長官からあったようです」とあった。「藤原」とは内閣府審議官藤原豊(55)、「萩生田」は安倍側近の官房副長官萩生田光一(54)のことだ。

 昨年六月に文科省でメールが見つかると、萩生田は指示を否定した。特区を所管する地方創生担当相山本幸三(69)は会見で「修正は自分が指示した」と説明。文科省にメールを送った内閣府職員を「文科省からの出向者で、陰に隠れて本省にご注進した」と非難した。

 だが、この職員がこぼすのを周囲は耳にしている。

 「萩生田副長官の指示は文科省の担当者も聞いていた話。自分はスケープゴートにされた」。萩生田は取材に「藤原から報告を受けたが、修正の指示はしていない」と改めて否定した。

 その後も「一八年度に開学」「一校に限る」という条件が追加され、京産大は断念に追い込まれた。

 文科省関係者は「京産大外しとしか考えられない。京産大は一九年度なら開学できると言っていましたから」と証言する。元京産大教授の大槻公一(76)は取材に「首相のお友達にしかやらせない。筋書き通りなんだと思った」と憤った。

 安倍はよく「規制の岩盤に穴を開けた」と自慢するが、その穴に加計学園だけを通すようなルール変更だった。内閣府は一七年一月、獣医学部を開設したい事業者を公募した。手を挙げたのは当然、加計学園だけ。まるで出来レースだった。 (敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 
 

第2部(5)新設4条件 置き去り 「議論せぬまま特区認定」

2017年1月20日、加計学園を獣医学部開設の事業者に選んだ国家戦略特区の諮問会議であいさつする安倍首相(中)。首相はこの日まで学園が学部開設を目指していたことを知らなかったと答弁している

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 二〇一七年一月二十日、首相官邸で開かれた国家戦略特区の諮問会議は、愛媛県今治市で獣医学部を開設する事業者に加計(かけ)学園を選んだ。後に首相の安倍晋三(63)が国会答弁で「学園の学部開設計画を初めて知った」としたのがこの日だ。

 「国家戦略特区に指定した今治市で、画期的な事業が実現します」。諮問会議の席上、議長の安倍は学園の構想を持ち上げた。

 そのころ、文部科学省関係者は顔をしかめていた。「中身はスカスカ。どこが特殊な獣医学部なんだ」

 愛媛県と今治市が一五年六月に特区を申請した後、内閣府は「既存の大学では対応できない」「新しい分野のニーズがある」など、学部の新設に必要な四つの条件を設けた。

 ところが、特区ワーキンググループで審議が始まっても、どこからも具体的な獣医師需要は示されぬままだった。

 それにもかかわらず、民間委員たちは規制緩和に前のめりだった。「四条件を満たすかどうかの立証責任は文科省にある」と主張する委員も。獣医学部の必要性がない根拠を示さなければ、新設を認めると言い出した。

 実は学部開設が現実味を帯びてきた一六年十月、文科省は市の担当者を内々に呼び出していた。「最悪の場合を想定し、四条件に見合う構想かどうかを確認するためだった」という。

 説明したのは同行した学園の担当者。文科省関係者は「内容は抽象的で、これでは四条件をクリアできないと思った」と証言する。省内では「開学を一年延期したほうがいい」との意見まで出たが、一八年四月の早期開学を実現したい内閣府に押し切られた。「四条件を満たしているのか、誰も議論しないまま特区に認定された」。関係者は今も釈然としない思いでいる。

 学園の構想が特区に認められると、後は文科省の審査を残すだけとなった。大学や学部を新設する場合、審査を申請する約一年前から文科省に相談するのが一般的だが、申請までに学園に残された時間は二カ月余りしかなかった。

 「あまりに出来が悪く、事前相談は通常の倍近い週二回ペース。一回の相談も四、五時間かかっていた」と文科省関係者は突貫工事ぶりを打ち明けた。「それでも他の大学並みのレベルにも届いていなかった」

 学園は一七年三月、文科省に獣医学部の設置を申請した。「審査で相当厳しいことを言われる可能性がありますよ」。担当者の指摘はその後、現実となる。(敬称略)

(2018年8月14日)

 

第2部(6)設置審も認可ありき 文科省「4条件議論しないで」

2017年11月、加計学園の獣医学部新設を「可」とした設置審専門委の最後の会合が開かれたビル。専門委の会合は非公開で、マスコミを避けるため都内の会場を転々とした=東京都千代田区で

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 安倍政権が創設した国家戦略特区で、獣医学部開学という長年の夢を実現しようとしていた加計(かけ)学園理事長の加計孝太郎(67)。開学へ最後のハードルとなったのが文部科学省の「大学設置・学校法人審議会(設置審)」の審査だった。

 設置審は大学新設にあたり、大学教授らが教育内容や設備・経営を審査する。獣医学部を審査する専門委員会の委員の一人は、二〇一七年四月に文科省内で開かれた最初の会議のことが今でも記憶に残っている。

 世界に冠たる獣医学部とうたいながら、学園が出してきた計画は「既存の大学にすら及ばない未成熟な内容だった」。公務員獣医師の確保が目的なのに公衆衛生の教授がいない。日帰りで実習するのに片道四時間かかる。委員は「不備が多すぎて細かい点は目をつぶるしかなかった」と話す。

 五月に入り「加計疑惑」が表面化すると、設置審も「いいかげんなことはできない」と慎重姿勢に。直後の一次意見では、計画を抜本的に改善しなければ新設は認めないとする「警告」を出した。学園は一学年の定員を百四十人に減らすなどしたが、八月に再び注文が付き、最終判断は十一月にずれ込んだ。

 その間、首相の安倍晋三(63)は、野党が真相解明のために開会を求めた臨時国会の冒頭、衆院を解散。選挙は自公が圧勝し、疑惑追及の機運はしぼんだ。

 十一月二日、都心のビルの一室。「学園の改善は付け焼き刃だ」「もう仕方ない」。七回目を数えた専門委の会議でも意見は割れていた。特区による獣医学部の開設は一八年四月と期限が切られており、もう結論を先に延ばせない。議論は三時間に及んだ。座長から「意見がまとまらないなら、委員会を解散して新メンバーで審査し直しますか」と投げかけられると、委員は皆、押し黙った。

 結局、忸怩(じくじ)たる思いを抱えながら「開設は可」という結論を出した。ある委員は「与党が選挙で圧勝しなければ結論は違ったかもしれない」と振り返る。

 半月後、設置審の答申を受け、文科相の林芳正(57)は学部新設を認可した。委員の一人は「認可ありき。文科省から『(学部新設に必要な)四条件を満たしているかは議論しないで』と何度もくぎを刺された。初めから仕組まれた審査だと思った」と明かした。

 なんとか今年四月の開学にこぎ着けた加計学園。獣医学部長の吉川泰弘(71)は学園幹部にこう愚痴をこぼしたという。「さんざん設置審でいじめられたよ」

 ただ、これで疑惑の幕引きとはならなかった。(敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 
 

第2部(7)「いいね」文書で窮地 政権に「不都合な真実」次々

愛媛県作成の「首相案件」文書について、4月11日の衆院予算委で「コメントする立場にない」と7回繰り返した安倍首相。直後の共同通信の世論調査で、首相の説明に「納得できない」との回答が79.4%に上った

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 吐く息が白い二月の早朝。東京都内の閑静な住宅街から、経済産業省ナンバー2の経産審議官の柳瀬唯夫(57)が姿を現した。

 首相秘書官当時の二〇一五年四月、加計(かけ)学園や愛媛県の幹部らと首相官邸で面会した人物。取材班は「本件は首相案件」という柳瀬の発言を記した県作成の文書を入手し、話を聞こうと外で待っていた。

 柳瀬は突然の来訪に驚くそぶりも見せず、「そんなこと言うとは思えないけど。会ったという記憶がないんだよ」と繰り返した。

 文書には首相の安倍晋三(63)と学園理事長の加計孝太郎(67)が会食し、獣医学部の話題が出たという記述もあった。事実なら「学園の学部開設計画を知ったのは一七年一月二十日」とする安倍の国会答弁がうそだったことになる。

 その確認を求めると、平静を保って歩いていた柳瀬が突然、声を上ずらせた。「本当、それ? 全くない、全くない」

 三月に入ると、安倍政権にとって「不都合な真実」が次々と明るみに出た。

 森友学園をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題や防衛省が「存在しない」としてきた陸上自衛隊のイラク派遣時の日報問題。さらに追い打ちを掛けたのが「首相案件」文書だった。

 四月初めに本紙などが文書の存在を報道すると、政権批判がさらに強まった。

 「うそをついているのは県の担当者か柳瀬さんか」。そう野党が攻め立てると、安倍は「県の文書に国はコメントする立場にない」と言い逃れた。そこへ新たな「加計ありき」を示す文書が突きつけられる。

 五月下旬、国会の要請で県が提出した二十七枚の新文書。学園側から受けた報告を記録した文書には、一五年二月二十五日に安倍と加計が面会し、安倍が「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたとあった。安倍の国会答弁と矛盾するだけでなく、直接関与をうかがわせる物証に国会に衝撃が走った。

 安倍と学園側は面会を否定したが、県知事の中村時広(58)は提出した文書を「何も改ざんする必要がない。ありのままの報告書類」と信ぴょう性を強調した。

 窮地に立つ安倍。与党内からも説明責任を問う声が上がり、今秋の自民党総裁選に暗雲が立ち込めようとしていた。そんなとき、県の関係者はあるうわさを耳にした。「首相と加計理事長の面会を『事務局長のうそだった』ことにし、幕引きさせようとたくらんでいる」

 そんな話をいまさら誰が信じるのか-関係者は、このときはうわさを歯牙にもかけなかった。(敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 
 

第2部(8)「面会はウソ」と助け舟 官邸の圧力 疑念晴れぬまま

疑惑発覚後、初めて記者会見する加計学園の加計孝太郎理事長(右)。参加は地元記者クラブ限定で、30分足らずで切り上げた。首相答弁と食い違う説明に、取材班は再取材を申し込んだが、断られた=6月19日、岡山市で

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 五月下旬の土曜の昼下がり。普段より人がまばらな本紙編集局に、何の前触れもなく一枚のファクスが流れてきた。

 送り主は加計(かけ)学園。二〇一五年二月、首相の安倍晋三(63)が学園理事長の加計孝太郎(67)と面会し、「新しい獣医学部の考え方はいいね」とコメントしたという愛媛県文書について、次のように釈明していた。

 「当時の担当者が、実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、愛媛県と今治市に誤った情報を与えた」。二人の面会は学園側がでっち上げたものだと、報道各社に一斉に通告してきたのだった。

 二日後には国会で安倍出席のもと、加計・森友学園問題の集中審議が控えていただけに、関与が疑われた安倍に助け舟を出した格好となった。野党は「ウソの上塗り」と批判。与党のある副大臣も「何かを隠すためにウソを重ね、新しいウソをつかないといけなくなった。そう見られても致し方ない」と突き放した。

 学園の説明通りなら、安倍の名前を使って県や市をだまし、獣医学部をつくったことになる。それでも安倍は平静を保った。「なぜ怒らないのか」と追及されても「私は常に平然としている」とはぐらかした。

 学園に計九十三億円を補助する県と市に、学園事務局長の渡辺良人が謝罪に訪れたのは、ファクスから五日も後だった。記者たちの前でニヤつきながら「その場の雰囲気で、ふと思ったことを言った」「たぶん僕が言ったんだろう」とあいまいな発言に終始した。

 疑念が膨らむ中、沈黙を続けてきた加計が突然、記者会見を開いた。大阪が地震に襲われた六月十八日の翌朝。開始二時間ほど前、地元・岡山の記者クラブ加盟社だけに通告してきた。

 加計は「記憶にも記録にもない」と安倍との面会を否定。予定より早く会見を打ち切った。加計が県知事の中村時広(58)に謝罪する動きもあったが、県の関係者は「面会はオープンで、その後に会見してくださいと暗に伝えると、連絡が来なくなった」と明かした。

 同じころ、獣医学部を視察した愛媛県議福田剛(49)は驚いた。図書館の本棚はスカスカで専門書はほとんど見当たらなかった。「無理して開学にこぎ着けたのだろう。本当に先進的な教育ができるのだろうか」

 七月下旬、国会閉会。安倍は最大の窮地を脱した。

 一年以上にわたり政権を揺さぶり続ける疑惑は首相官邸に集中する権力の内幕をあぶり出した。首相の友人が官僚らから厚遇され、逡巡(しゅんじゅん)する行政の現場には、首相の威を借りたさまざまな圧力がのしかかった。

 「記憶にない」という言い逃れやうそがまかり通る国会で、疑惑の霧は晴れないままだ。権力の傲慢(ごうまん)を許さないためには、有権者の手で、真の言論の府を取り戻す必要がある。 =おわり

(敬称略、肩書は当時。この連載は、中沢誠、池田悌一、池内琢、井上靖史、中野祐紀、伊藤隆平、小坂亮太が担当しました)

(2018年8月14日)

 

 


 


【権力の内幕 検証・加計疑惑】

2018年09月25日 13時56分59秒 | Weblog

東京新聞 TOKYO Web

 安倍晋三首相の友人が経営する加計学園の獣医学部新設を巡り、「加計ありき」で行政がゆがめられた疑惑が浮上、「本件は首相案件」とする内部文書が発覚し、首相の関与が最大の焦点となった。「一強支配」の権力の内幕で何が行われたのか。徹底検証した連載15回(第1部2018年7月15日~21日付朝刊、第2部7月29日~8月5日付朝刊)を掲載する。

【権力の内幕 検証・加計疑惑】

第1部(1)悲願の裏に「首相案件」 腹心の友 蜜月40年

岡山理科大獣医学部の入学式であいさつする加計孝太郎理事長=愛媛県今治市で

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 「いろいろご心配をおかけしたが、予想をはるかに上回る志願者が集まった」

 瀬戸内海の潮風が穏やかな四月三日、愛媛県今治市の丘陵に開学した岡山理科大獣医学部の入学式があった。運営する学校法人「加計(かけ)学園」理事長・加計孝太郎(67)は壇上の金びょうぶの前で胸を張った。

 式を終えて出てきた百八十六人の新入生の中には、高揚と不安が入り交じった女子学生(18)もいた。

 「動物園で働くのが夢。でも、あの獣医学部なの?って言われるかも」

 この一カ月ほど前、本紙取材班は獣医学部開学にまつわる県作成の一通の内部文書を入手していた。

 「要請の内容は総理官邸から聞いている」

 「かなりチャンスがあると思っていただいてよい」

 開学三年前の二〇一五年四月二日、内閣府地方創生推進室。学園や県の幹部らが次長の藤原豊(54)=現経済産業省貿易経済協力局審議官=から、「国家戦略特区の手法を使って突破口を開きたい」と獣医学部新設の秘策を聞いた様子が生々しく記されてあった。

 「本件は首相案件」。引き続き官邸で面会した首相秘書官の柳瀬唯夫(56)=現経済産業審議官=からも強力な後ろ盾を得ていた。

 「やはり加計ありきだったのか」。取材班は二人の出勤時などに疑問をぶつけたが、柳瀬は「覚えてない」と繰り返し、藤原は「内閣府に聞いて」の一点張りだった。

 加計には三月下旬、岡山市での岡山理科大の卒業式後に質問しようとしたが、職員に阻まれた。今治市での入学式の取材は、地元の記者クラブに限定され、質問の機会を得られなかった。

 加計が獣医学部新設に動きだしてから十年余り。悲願が実現する大きな要因となったのは、加計を「腹心の友」と呼ぶ首相の安倍晋三(63)が、政権に返り咲いてすぐに導入した国家戦略特区制度だった。

安倍晋三首相の妻昭恵氏が2015年12月に投稿した首相(右から2人目)と加計孝太郎氏(左端)、増岡聡一郎氏(右端)らの写真=一部画像処理

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◆米留学で出会い「晋ちゃん」「加計さん」

 ワイングラスを手に、男たちがソファでくつろぎ笑みを浮かべる。

 東京駅八重洲口にほど近い「鉄鋼ビルディング」四階の会員制ラウンジ。二〇一五年十二月二十四日夜、首相夫人の安倍昭恵(56)が自身のフェイスブックに一枚の写真を発信した。付けたコメントは「クリスマスイブ。男たちの悪巧み」。そこには夫で首相の安倍晋三(63)と三学年上の加計(かけ)学園理事長、加計孝太郎(67)らがいた。

 「二人は互いに『晋ちゃん、加計さん』と呼び合う仲。二人とも、よく駄じゃれを言うんですよ」。集まりを主催した同ビル専務の増岡聡一郎(55)は二人の親密ぶりを口にしながらも、「これはビルの竣工(しゅんこう)祝いの会。悪巧みどころか、加計学園の獣医学部の話は一度も出なかった」と話す。

 一二年のクリスマスイブも、二人は都内の飲食店で昭恵らとともにテーブルを囲んだ。この八日前に行われた衆院選で、自民党は三百近い議席を獲得して政権を奪還。党総裁の安倍の首相返り咲きが確実視され、店の前には大勢の報道陣が待っていた。参加者全員の飲食代を店に支払ったのは加計側だった。

 二人の出会いは約四十年前の米国留学時代にさかのぼる。安倍は成蹊大を卒業後、米ロサンゼルスにある南カリフォルニア大で学んだ。当時の日本人留学生は数十人。同じ頃、牛丼チェーン吉野家の社費留学生だった西洋フード・コンパスグループ会長の幸島武(64)が回想する。

 「国会議員や大企業の役員の子どもばかりで、外車で通学する人も多かった。日本人学生同士でゴルフをすることがはやり、安倍さんともラウンドを回った」。ロス近郊の語学学校で学んでいた加計も後年、安倍とゴルフを楽しんだ思い出を経済紙に寄稿している。

 二人は帰国後、先代の敷いたレールに乗る。

 祖父の岸信介は元首相、父晋太郎は元外相という安倍は、父の秘書を経て国政入りすると出世の階段を上り、五十一歳で小泉純一郎政権の官房長官に抜擢(ばってき)された。一方の加計は、一代で学園を中国・四国有数の私学グループに発展させた父、勉(〇八年死去)を支え、〇一年に理事長を引き継いだ。

 帰国後も二人の関係が途切れることはなかった。ゴルフ仲間にとどまらず、安倍は一時、学園の役員を務め、年十四万円の報酬を得ていた。学園関係者は「二人の仲は学内で半ば公然の事実だった」と話す。

 年に二度、留学経験者が集う同窓会「アメリカ会」に、安倍は今もお忍びで顔を出す。「異国で暮らした心細さもあり、あの時の学友は特別な存在だ」。幸島は安倍と加計の蜜月ぶりをそう推し量る。

 出会いから約三十年。五十二歳になった安倍は〇六年九月、戦後最年少で首相の座を射止めた。同じ年、加計は獣医学部開設という野心に火が付いた。(敬称略、肩書は当時。この連載は、中沢誠、池田悌一、池内琢、井上靖史、中野祐紀、伊藤隆平、小坂亮太が担当します)

(2018年8月14日)

 

第1部(2)経営者の顔 前面 加計氏「志願者20倍」に商機

岡山理科大獣医学部の建設現場(手前)。加計孝太郎氏が初めて訪れたのは2006年だった=2017年5月17日、愛媛県今治市で

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 今年四月、愛媛県今治市に開校した加計(かけ)学園グループの岡山理科大学獣医学部は、中心市街地から外れた丘陵地にある。理事長の加計孝太郎(67)が初めて、この地を訪れたのは二〇〇六年のことだ。

 高台の更地に立つと瀬戸内海が一望できた。「見晴らしもよくて、いい場所ですね」。加計は一目で気に入ったようだった。「少子化で大学の学生集めは大変だが、獣医学部ならば、どこも志願者は二十倍ぐらいある」。市長の越智忍(60)=現県議=に、自信たっぷりに持論を説いた。

 後日、岡山市の学園本部に招かれた越智は、大学から中高、専門学校まで傘下に収める一大私学グループを目の当たりにする。「学生のニーズをつかみ、学園を発展させてきた手腕に、教育者というより経営者の面を強く感じた」。加計にそんな印象を抱いた。

 〇一年に父から学園の経営を引き継いだ加計は事業を拡大し、大学や学部の新設を進めた。〇四年、千葉県銚子市に開校した千葉科学大学もその一つ。誘致した当時の銚子市長、野平匡邦(まさくに)(70)は加計のことを「国家資格に直結させた特定の理工系学部のみを選択するという経営哲学を持ち、大学経営をビジネスとしてとらえていた」と話す。

 若者人口の減少に悩む今治市にとって、大学誘致は長年の悲願だった。

 獣医学部が開校した一帯は、今治市などが一九八〇年代から計画を進めてきた大規模開発エリア。広島県尾道市と橋で結ぶ「しまなみ海道」の開通を見越し、住宅地や商業施設と共に大学開設が想定されていた。

 しかし、バブル崩壊後は開発は縮小し、大学誘致は難航した。タオルと造船の街だけに繊維や造船の学科を検討したこともある。市内の短大を四年制にする話も出た。ベテラン市議は「来てくれるなら、どこでもよかった」と振り返る。

 あきらめかけていた二〇〇六年ごろ、手を挙げたのが加計学園だった。

 今治市出身で、後に学園事務局長となった渡辺良人が、地元県議と高校の同級生だった縁で話が進んだが、市企画課長だった渡辺徹(62)は「獣医学部と言われ、最初はピンとこなかった」と語る。文部科学省の規制で、獣医大学の新設が認められないことさえ知らなかった。

 いかに規制の壁を越えるか。学園と市が目を付けたのが、規制緩和を目的に小泉政権が導入した構造改革特区制度だった。 (敬称略、肩書は当時)

 
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(2018年8月14日)

 

第1部(3)獣医師会に危機感 親しい政治家は「安倍晋三さんです」

2017年6月の日本獣医師会総会後、国家戦略特区による獣医学部開設に疑念を示す北村直人顧問(中)=東京都内で

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 愛媛県今治市に獣医学部を新設しようと、加計(かけ)学園や市が動きだしたのは二〇〇六年。動向に神経をとがらせていたのは獣医師でつくる「日本獣医師会」だった。

 〇七年二月、東京・赤坂の料亭。元衆院議員で獣医師会顧問の北村直人(71)は、加計学園理事長の加計孝太郎(67)と向かい合った。「今治市に獣医学部をつくりたいんです」。そう語る加計だったが、北村には獣医学教育への熱意は感じられなかったという。

 「親しい政治家はいるんですか」と水を向けると、予想外の答えが返ってきた。「安倍晋三さんです」。時の首相の名前だった。北村の脳裏に加計学園の名前が刻み込まれた。

 この頃、農林水産省では獣医学部開設の布石が打たれようとしていた。獣医師の需給見通しを探るため、有識者による検討会が発足。農水省関係者は「獣医師が足りないとの結論が出るよう上から指示されていた」と証言する。だが、「獣医師は足りている」と獣医師会が待ったを掛けた。検討会の報告書は明確な表現を避け、両論併記となった。

 学園と市が構造改革特区で学部開設に挑んだのは、報告書が出て半年後の〇七年十一月。以来、毎年のように特区を申請したが、大学の設置認可を握る文部科学省に阻まれた。元同省幹部は「真剣に取り合う雰囲気でもなかった」と話す。

 獣医学部開設の動きはいったん下火となったが、一二年末、獣医師会に再び危機感が高まる。安倍の二度目の首相就任だ。翌年三月の理事会では「安倍政権に代わり、文科相からの指示で担当局長、課長が規制緩和の方向に転換しつつある」と危ぶむ声が上がった。北村は「安倍さんが総理に返り咲き、再び加計側の動きが活発になった」と言う。

 「麻生会長へ相談し、文科省に抗議の声明文を提出していただいた」「麻生会長も総理と会談され、説明を尽くされている」。理事会の議事録からは、自民党の獣医師問題議員連盟会長で副総理の麻生太郎(77)の政治力で、対抗したことがうかがえる。

 北村は一四年三月、東京・南青山の日本獣医師会で、加計と再び対面した。うつむく加計に「安倍さんに言われて来たんですか」と尋ねると、加計は顔を上げた。「獣医学部をつくりたい」。面会は十五分足らずで終わった。北村は加計が「仁義を切りに来た」と感じた。

 加計はその後、政界への接近を強める。相手は安倍の側近の文科相、下村博文(64)だった。 (敬称略、肩書は当時)

 
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(2018年8月14日)

 

第1部(4)下村文科相に接近 パー券代取りまとめ

下村博文事務所の日報には、加計学園がたびたび登場する

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 首相の安倍晋三(63)が二〇一二年末に政権を取り戻すと、側近の下村博文(64)は大学の認可権限を持つ文部科学相に就いた。取材班が入手した一四年の下村事務所の日報からは、加計(かけ)学園が繰り返し接触してきたことが浮かび上がる。

 「ご留任おめでとうございます。お祝いをしたいと思います」。一四年九月、内閣改造で下村が文科相に再任されると、学園は下村事務所にお祝いを伝えた。学園からの陳情を事務所が文科省につないだ形跡もある。日報には「事務方を通じてお願いをいたしました」との報告がある。

 学園理事長の加計孝太郎(67)は下村夫人とも縁がある。広島加計学園が〇六年、米国の学校と提携した際、夫人は米国で調印式に参加。一三年からは学園の教育審議委員になっている。

 昨年六月には「加計マネー」の存在も明らかになった。下村を支援する政治団体「博友会」が一三年と一四年、加計学園からパーティー券の代金として百万円ずつ受けたのに、政治資金収支報告書に記載していなかったと週刊誌が報じた。

 政治団体は一回のパーティーで、個人や企業から二十万円を超える支払いを受けた場合、相手の名前や金額を収支報告書に記載しなければならない。博友会は一三年十月に九百八十四万円、一四年十月に千九百四十九万円のパーティー収入を計上しているが、学園の名前はなかった。

 下村は会見を開き、百万円は加計学園の秘書室長が「十一の個人と企業から預かったもの」で、いずれも二十万円以下だから記載の必要はないと説明した。学園も下村に呼応するように「当学園と関係のある個人や会社の合計十一名のパーティー券代」と報道機関にファクスを送った。

 本紙が入手した「パーティー入金状況」というリストには、両年とも加計学園の名前と百万円の入金が記されている。全体では学習塾や教材会社が一枚だけ買っているケースが多く、百万円は際立つ。

 文科省は〇三年の告示で獣医学部の新設を規制していた。構造改革特区で獣医学部を開設したいという愛媛県と今治市の申請にも厳しい意見を出し続けた。学園が下村に接近した一四年も省内の空気は冷ややかなままだった。

 「今治市側に何度言っても、規制に穴を開けるような説得力ある提案はされなかった」と当時の文科省幹部。それが一五年に入ると、実現に向け、大きく動きだすことになる。 (敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 

第1部(5)「首相と面談」後、一変 「何とか実現」秘書官動く

2015年4月2日に加計学園幹部らが柳瀬首相秘書官と面会した首相官邸。これを機に獣医学部開設の動きが加速する

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 加計(かけ)学園が愛媛県今治市に獣医学部を開学する三年余り前のこと。学園幹部らは焦りを募らせていた。

 二〇一五年二月十二日、学園と県、市の幹部が一堂に会した。学園幹部が学部新設の進捗(しんちょく)を報告したが、状況は芳しくなかった。

 「下村文部科学大臣が一歩引いたスタンスに変化している」。幹部はその理由に、自民党獣医師問題議員連盟会長で副総理の麻生太郎(77)の存在を挙げた。新設に反対する獣医師会に近い麻生への配慮から、文科相の下村博文(64)が後退しているという危機感だった。

 一連の協議内容を記した県の文書からは、学園の戦略が浮かび上がる。学園側は理事長の加計孝太郎(67)と首相の安倍晋三(63)の面会に期待をかけたが、なかなか実現しなかった。

 そこで「官邸への働きかけを進めるため」として学園の本拠がある地元・岡山選出の官房副長官加藤勝信(62)に会ったものの、「日本獣医師会の強力な反対運動がある」「既存大学の反発も大きく、文科大臣の対応にも影響」と後ろ向きな話ばかり聞かされた。

 すでに新潟市が国家戦略特区で獣医学部の設置を申請しており、新潟に決まるかもしれないという心配もあった。だが、その後、潮目が大きく変わる。

 「理事長と安倍首相が面談したので報告したい」。学園から連絡を受け、県は三月三日に打ち合わせをした。その際、学園幹部から「二月二十五日に理事長が首相と十五分程度面談し、首相からは『そういう新しい獣医大学の考えはいいね』とのコメントがあった」という報告があった-県文書にはそう記されてある。

 二人は面談を否定しているが、潮目が確実に変わったことを示す事実がある。首相秘書官の柳瀬唯夫(57)が学部実現に向け、動き始めたのだった。

 四月二日、首相官邸小会議室。学園や県、市の幹部ら六人が長いテーブルに横一列で並んだ。自治体の課長が官邸を訪れるのは異例中の異例であり、遅れて現れた柳瀬はまくし立てた。

 「本件は首相案件となっており、何とか実現したい」。もし安倍と加計の面談がなければ、柳瀬がなぜ精力的に動いたのか疑問が生じる。首相と秘書官は「一心同体の間柄」(秘書官経験者)だからだ。

 これを機に停滞していた計画が動きだした。県関係者が述懐する。「官邸に呼ばれたことで、国にオーソライズ(公認)されたと受け止めた。それまでなかった流れが生まれた」(敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 

第1部(6)官邸を後ろ盾に権勢 秘策を伝授 特区のプロ

国家戦略特区を取り仕切っていた藤原豊次長(当時)。愛媛県文書には藤原氏から「国家戦略特区の手法を使って突破口を開きたい」と県や今治市に持ちかけたと記録されている=昨年6月、国会で

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 長年実現してこなかった加計(かけ)学園の獣医学部を開設するため、首相秘書官の柳瀬唯夫(57)らが推し進めた秘策、それが国家戦略特区だった。

 国家戦略特区は首相の安倍晋三(63)が二〇一三年に創設した肝いりの政策だ。「自らドリルになって岩盤規制に穴を開ける」。規制緩和による成長戦略をうたう安倍は、幾度となくこのフレーズを口にしてきた。

 小泉純一郎政権のときにできた従来の特区制度は、自治体などの提案の可否を規制官庁が判断するため、思うような成果が出なかった。そこで、国家戦略特区では、規制官庁を意思決定から排除することにした。

 規制緩和に積極的な有識者が提案された特区内容を審査。首相をトップとし、経済財政担当相などを務めた規制改革論者の竹中平蔵(67)らが名を連ねる「諮問会議」で認定する。同じ特区でも、規制に対する突破力は比べものにならない。

 その国家戦略特区を取り仕切っていたのが、内閣府地方創生推進室次長の藤原豊(55)だった。柳瀬と同じ経済産業省出身。構造改革特区の創設にかかわった特区の第一人者で、国家戦略特区でも、手腕をかわれて内閣府に呼び戻された。

 省庁の役職でいえば局長と課長の間だったが、内閣府関係者は「総理や官邸を後ろ盾に権勢を振るっていた」と言う。藤原周辺からは「上司の頭越しに官邸から指示が来た」「特区について官邸に説明に行くのは藤原さん」「総理が出席する特区諮問会議の原稿も書いていた」といった実力者ぶりが聞こえてくる。

 内閣府のある職員は「強引なやり方に反発もあったが、上司も他省庁も何も言えなかった」と明かす。「藤原さんの意向は官邸の意向」。それが内閣府内での共通認識となっていた。

 一五年四月二日、藤原は内閣府で学園や愛媛県、今治市の幹部らと面会し、「国家戦略特区を使って突破口を開きたい」と伝えた様子が県の内部文書に記されている。

 「既存の獣医学部とは異なる特徴を」「ペット獣医師を増やさないような卒業後の見通しをしっかり書き込んでほしい」と指示するなど、藤原のアドバイスはかなり具体的だ。まるで試験官が受験生に答えを教えるようなもの。内閣府の職員は「申請者に提案内容を細かく指示することはありえない」と証言する。

 事情に詳しい政府関係者が批判する。「加計ありきのストーリーを書いたのは官邸。官邸主導で特区の手続きがゆがめられた」(敬称略、肩書は当時)

(2018年8月14日)

 

第1部(7)選定迫り消えた主役 学園の痕跡 議事から隠す

2017年8月、加計学園の出席者名や発言を特区WGの議事要旨に記載していなかったことが発覚し、記者会見で経緯を説明する八田達夫WG座長=東京都千代田区で

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 二〇一五年六月、愛媛県今治市に国家戦略特区を活用して獣医学部をつくりたいという申請が内閣府に出された。申請者に名を連ねたのは県と市だけで、加計(かけ)学園の名前はなかった。

 学園の幹部が県や市の担当者と一緒に首相秘書官の柳瀬唯夫(57)に面会したのは申請のわずか二カ月前。「官邸に県や市を連れてきたのは学園側。学部開設は加計学園が主導した」と政府関係者が言うように、そこまでの主役は学園だった。だが、計画が公の特区選定作業に入った途端、主役の存在は消えていた。

 国家戦略特区選定の第一段階として、申請者は特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングを受ける。規制改革派の民間有識者で固めたWG委員のヒアリングは、認定を左右する重要な選定手続きだ。

 県と市が作成した獣医学部特区案に対するヒアリングは、申請翌日という異例の早さで実施された。東京・永田町の合同庁舎七階の会議室。長机を挟んで委員と向かい合った申請者の席には、県や市の担当者と並んで学園の幹部三人が座った。

 「獣医学部設置の相談を(県や市から)受けている。今治市には(学園傘下の)岡山理科大学獣医学部を設置したい」。そう発言したのは学園相談役の田丸憲二(70)だった。

 ところが、内閣府が公表したヒアリングの議事要旨には、田丸の発言はおろか学園の三人の出席者の名前すら載っていない。

 昨年八月、この「加計隠し」が発覚すると、WG座長で大阪大名誉教授の八田達夫(75)は「学園は説明補助者。公式な発言とは認めていない」と抗弁した。

 ヒアリングに同席した内閣府幹部はいずれも「説明補助者」という言葉を聞いたことも使ったこともないという。幹部の一人は「走りながら決めるような状況で、ルールもはっきりしなかった」と証言する。

 別の内閣府職員は特区を仕切っていた地方創生推進室次長の藤原豊(55)の秘密主義ぶりを批判する。「主に動くのは直属の部下。周りへの指示は細切れで、組織全体に情報が伝わるのを避けていた」と明かす。

 首相のトップダウンで規制の突破を狙う国家戦略特区。強権ゆえに権力の私物化を招く危険性をはらむ。首相の安倍晋三(63)が友人に便宜を図ったのではないか-学部開設を巡る疑惑で指摘されるのもその点だ。

 「すべてオープンになっている。一点の曇りもない」。安倍はそう強調するが、関係者の証言からは特区選定過程の不透明な内幕が浮かび上がる。 =おわり

 (敬称略、肩書は当時。この連載は、中沢誠、池田悌一、池内琢、井上靖史、中野祐紀、伊藤隆平、小坂亮太が担当しました)

 (2018年8月14日)

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