中国分がんこなパン屋

食い物について思うこと、趣味の音楽、山のこと。

本気の沖縄

2015-04-08 | Weblog
いま沖縄で行われていること、起こっていること。
政府広報と成り下がった本土メディアが無視する沖縄の声を聞かなければならない。
聞くことをしない、あるいは聞こえない振りを続けること。
それはやがてわが身に降りかかることになる。
本気になることを忘れ政府広報メディアの発表に一喜一憂する腑抜けになってしまってはいけない。

4月7日沖縄タイムス社説


感動のあまり心が打ち震えることをウチナーグチで「ふとぅふとぅー」と表現する。6日付本紙に掲載された「翁長・菅会談」の翁長雄志知事の冒頭発言を読んで、年配の読者は「ふとぅふとぅーしてきた」と興奮気味に伝えてきた。

 このような感想が出てくるのは、翁長知事の発言が名護市長選、知事選、衆院選で示された民意を過不足なく代弁しているだけでなく、ウチナーンチュの心の琴線に触れる内容だったからだ。

 テレビで連日のように流れる菅義偉官房長官の「粛々と」という発言に対しては、復帰前、「自治は神話である」と言い放ったキャラウェー高等弁務官の金門クラブ演説(1963年)を持ち出し、「問答無用の姿勢が感じられる」と厳しく批判した。

 名護市長選で移設反対候補が再選されても「全く影響ない」と無視し、県知事選が近づくと「(移設問題は)争点にならない。過去の問題」だと言い放ち、知事選の結果についても、移設反対の民意が示されたことを否定し、都合のいいように解釈する。有権者を小ばかにしたような菅氏の態度が、公開の場で厳しい批判にさらされたのである。

 安倍政権の強権的な手法は、沖縄戦で戦場となり米軍支配の下で自治・人権を脅かされ続けた沖縄では、通用しない。それを浮き彫りにしたのが翁長・菅会談だった。


 「辺野古の新基地は絶対に建設できないと確信を持っている」という知事の不退転の言明は今後、大きな意味を持ってくるはずだ。

    ■    ■

 翁長氏だけではない。大田昌秀、稲嶺恵一、仲井真弘多の3知事も在任中、辺野古移設は不可能という趣旨の見解を明らかにしてきた。

 「どの県の知事も安保は大事と言いながら、自分の所に基地が来ては困ると言い、自分が困ることを沖縄に押しつけ平然としている」と会見で語ったのは大田氏。稲嶺氏はラムズフェルド米国防長官と県庁で会った際、基地に対する県民感情をマグマにたとえ、「一度、穴が開くと大きく噴出する」と指摘した。

 仲井真氏だって2013年11月の会見では「固定化という言葉が出てくること自体、一種の堕落だ」と指摘しているのである。

 菅氏は、1999年、稲嶺知事と故岸本建男名護市長の受け入れ表明を受け、閣議決定がなされたことを強調するが、稲嶺県政が打ち出した構想を県の相談もなく廃棄し、閣議決定を一方的にほごにしたのは国である。稲嶺県政は現行案(V字案)には合意していない。

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 これら一連の経過の全体を菅氏は知っているのか。

本紙が3日から5日まで実施したオートコール方式による緊急世論調査(サンプル数610)によると、約76%が新基地建設に反対し、翁長知事の姿勢を支持すると答えた人は83%に達した。

 民意を無視して建設を強行しようとすれば、むき出しの国家暴力が表面化し、辺野古移設の正当性は失われる。日米関係そのものが大きな痛手を受けるのだ。



4月8日琉球新報社説

市民の側ではなく、権力側に立つ人なのだと再認識させられる。自民党県連の新会長に選出された島尻安伊子参院議員のことだ。
 県連大会での就任のあいさつで、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する市民運動に関し「反対運動は責任のない市民運動だと思っている。私たちは政治としてここに対峙(たいじ)していく」と言い放った。にわかに信じられない発言だ。
 移設に反対するのが無責任だというが、そもそも自身が2010年の参院選で、普天間飛行場の県外移設を公約して再選されたことを忘れたわけではあるまい。
 島尻氏は県外移設公約を翻し、13年4月に辺野古移設容認を表明した。全ての県関係自民党国会議員が辺野古容認に転じ、その後に仲井真弘多前知事が辺野古埋め立てを承認するよりも、半年以上早い公約の撤回だった。
 新基地を後世に残したくないと反対運動をする市民に対し、公約を破棄した政治家が「無責任」と批判するのは、筋違いも甚だしい。
 島尻氏は「移設に反対すれば普天間が固定化する」といった政権幹部同様の論理を振りかざしている。辺野古移設反対と普天間の危険性除去は二者択一のテーマではなく、また移設問題の解決策をめぐっては米国でも多様な意見があることは何度も指摘した通りだ。
 仮に島尻氏の立場に立ったとして、昨年の知事選や名護市長選、衆院選などで示された通り、移設反対が世論であることは紛れもない事実だ。政治家であるなら、その民意に耳を傾け、利害を調整するのが最低限の責務ではないのか。
 発言について島尻氏は「言論の自由はあり、反対運動を否定するものではない」と釈明した。だが過去の言動を見ると、今回も本音ではないのかと思わざるを得ない。
 島尻氏は昨年2月の国会質問で辺野古の市民運動に対し「危険な行為に先んじて対策を打つことが必要だ」と述べ、反対運動を弾圧するかのような「対策」を求めた。13年11月には辺野古移設について「待望の子どもが生まれた時にはみんなでお祝い」と述べ、物議を醸した。
 「台所から政治を変える」を掲げて国政進出した島尻氏だが、為政者に忠実であることが政治家だとはき違えてはいないか。民意を無視する政権と歩調を合わせて市民と「対峙」する態度を改め、移設反対の世論と向き合うべきだ。

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抑圧されないと健全になれないのか、日本人。