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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 401

2025-02-12 15:16:55 | 短歌の鑑賞

 2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)
     【睫はうごく】P160~
      参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:渡部 慧子     司会と記録:鹿取 未放          


401 香水のどこからとなく匂いきて遠花火ひらくごとくおもいぬ

              (レポート)
 匂いとは脳内に作用して何か新鮮になる感覚がある。誰かの用いる香水が匂ってきて「遠花火ひらく」ごとき思いになる。地上を離れた懐かしさのようなものだったのか。恋心を詠っていよう。(慧子)


             (当日発言)
★香水が唐突な気がしたんだけど、恋人なのでしょうね、相手がちょっと離れたところにいるのかな、身じろぎする度に匂うのでしょうか。それとも恋人が訪ねてくる場面で、近づいてくるのを匂いで感じているのでしょうか。その嬉しい感じ、期待感が「遠花火ひらくごとく」とたとえられているのでしょう。恋と花火が繋がると中城ふみ子の歌を思いだしてしまいますが、あれは遠花火よりももっと強烈な花火ですけど。下句は「われは隈なく奪はれてゐる」だけど上句、ちょっと忘れました。(鹿取)
★「遠花火ひらく」ごとき思いってどんな感じですか?(T・S)
★遠くで色とりどりの花火が開いているイメージですよね。だから憧れかな。中城さんの歌のように濃厚ではない。(鹿取)

 

          (後日意見)
 当日発言中の中城ふみ子の歌は次のとおり。
    音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる『乳房喪失』

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 400

2025-02-11 09:40:32 | 短歌の鑑賞

 2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)
     【睫はうごく】P160~
      参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:渡部 慧子     司会と記録:鹿取 未放          


400 やまざくら抱くさっかくにおちいりて大空のごとく瞑りていたり

              (レポート)
 「やまざくら」とは恋人なのだろう。「さっかくにおちいりて」に、はにかみを込めているのかもしれない。目を閉じて、しみじみそのときを味わったであろう。(慧子)


             (当日発言)
★自分が大空になっているんですね、目をつむって。(T・S)
★やまざくらと大空の取り合わせがいいなあと思いました。でも、「さっかくにおちいりて」がよ く分からないですね。(A・Y)
★抱いていたのは女性なんですね。でも、染井吉野のような華やかなさくらではなくてやまざくらというところがいいですね。ちょっと野生があって素朴で、つんとすましたような都会の桜とは違う。それで女性を抱きながら、素朴な山桜をおおらかに包み込む大空のように自分は目を瞑っていた。(鹿取)
  

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 398

2025-02-10 20:38:27 | 短歌の鑑賞

 2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)
     【睫はうごく】P160~
      参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:渡部 慧子     司会と記録:鹿取 未放          


398 われを赩(あか)くしてしまいたるほほえみにそっと体重へらされてゆく


                  (当日発言)
★彼女がほほえんだだけであかくなってしまう、そしていつもいつも彼女のことがこころから離れな いので食欲もなくなって体重も減っていく。(鹿取)
★だれにでもあるようなことをすばらしい歌にしていますね。(T・S)

 

399 秘というをきびしきなりとつくよみのひかりよりきよく訪いきしものよ


         (レポート)
 二人の恋をまだ秘めていて、それを「きびしきなり」と相手は言う。恋の相手を月の光よりきよく訪いきしものよと神秘的に詠いあげていよう。(慧子)

 

         (当日発言)
★「きびしきなりとつくよみの」というのが分からないのですが、これはどういうことですか?(T・S)
★「つくよみ」は月の古名です。「つきよみ」とも言います。「きびしきなり」は慧子さんは相手の言葉ととられたんですが、まあ、ふたり共通の認識なのでしょう。すごーく下世話な解釈をすると前にひとの嬬(つま)を思う歌があったので、それだと秘めないといけないのでなかなか厳しい状況だと。「二人の恋をまだ秘めていて」という慧子さんの解釈の方がきれいですが。(鹿取)
★ところで、万葉集に湯原王という人の「月読の光に来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに」という歌があります。湯原王は志貴皇子のお孫さんで、女性に成り代わって詠った歌だということです。「月の光を頼りに逢いに来てください、山が隔てるほどの遠い道のりではないのですから」って意味で、やってくるのは男性ですね。松男さん、この歌作るとき、湯原王の歌が片隅にあったのではないでしょうか。松男さんの歌の場合やってくるのが女性で、現代だから月光を頼りに来るわけではない。だから「つくよみのひかりよりきよく」です。美しい歌ですね。この下句からすると、恋は秘めないといけないという古代的な恋愛観にも繋がって、やっぱり慧子さんの解釈の方がよさそうですね。(鹿取)
★「月よみの光を待ちて帰りませ」って良寛の歌がありますね。(慧子)
★あれも、湯原王の歌の本歌取りではないですか。下句は「山路は栗の毬のおほきに」(山道には栗の毬がたくさん落ちている(ので怪我するといけない)から)ですね。(鹿取)

 

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馬場あき子の外国詠 129 ネパール①

2025-02-09 16:26:23 | 短歌の鑑賞

 

の浅瀬を渡っている馬場一行、その先に近藤亨が指導している農場があった

 

        カリガンダキ河に添った街道を行く隊商達

 

       徒歩で荷物を運ぶ人達にもたくさん出会った

 

129 カリガンダキ河流域すべて眠れるを満月と山と一夜眠らず


             (レポート)
 作者の位置を想像するに、下の句は「満月と山と」とあるのみだ。ヒマラヤはどこも山ばかりで場所をしぼれないのだが、次の文章を参考に鑑賞したい。(慧子)
 「流域のある部分はアンナプルナやニルギリを東に、ダウラギリを西にして大峡谷をつくっており、それに沿う道も古くからあった。もともとヒマラヤ山脈の北側、チベット高原に続くムスタンにカリガンダキ河は源流をもつことから、他のルートより中国、チベット、インドをつなぎやすく、峡谷沿いの道は、1300年前から仏教文化が行き来することになり、古い仏教ロードであった。」

 

           (当日意見)
★引用は、出典を必ず書いてください。誰の文章か知りたいです。カリガンダキ河に沿う道路は今で も重要な交通ルートです。土地の人は飛行機に乗るような金銭的余裕はないのでこの道を歩きま  す。旅行当時、この道は車が通れるような整備がされていなくて、土地の人はポカラから2日かけ て歩いていました(飛行機だと20分)。また馬や驢馬の隊商も通っています。なくてはならない道 です。この歌の眠れないのは比喩的な意味ではなく、流域の人間も含めた動植物みんなが眠ってい る時間なのに、ということでしょう。煌々と照る満月と、それに照らされている山とを感動をもって 見ているのです。(鹿取)
 

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馬場あき子の外国詠  128  ネパール①

2025-02-08 17:37:10 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子         司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

 

 防寒具を着込んで、月の出を今か今かと待っているところ。背景の山がニルギリ    日付の表示が狂っているが、実際は2003年11月

   

       不鮮明で申し訳無いが、ニルギリの上に出た満月 


128 ムスタンの満月ただにしろじろとニルギリを照らす一夜ありたり

                 (レポート)
 井上靖の「ヒマラヤの満月」という短編小説にヒマラヤの風や霧やその匂いが読んでいるページにただようように書かれていて、出会えた月を「天の一角に白銀の欠片がおかれている」とあるらしい。掲出歌の「満月ただにしろじろと」とあるように、どうやらネパールで見る月は白いのかもしれない。さてその月をたずねた地名と共に「ムスタンの満月」と初句に置き、俳句の土地への挨拶にならったのかと思ったが、それのみではない。ムスタン、ニルギリと固有名詞を二度までうたいながら、一首が騒々しくなるどころか、静けさや荘厳が感じられ、「ニルギリを照らす一夜ありたり」とはそこに作者がいあわせたことをうかがわせて、表現に妙味がある。(慧子)


             (まとめ)
 「ムスタン」という語はジョムソンを含む広域の呼び名で、知名度はジョムソンよりムスタンの方が格段に高い。そのムスタンに満月が照り輝き、一夜だったがその光景に遭遇して感銘を受けた。その貴重な一夜に巡り会えた尊さを言っているのだろう。ちなみに、私事だが、この旅に同行するかどうか勤務の都合上迷っていたとき、長く馬場あき子の添乗員をされている方が電話を掛けてきて言われた殺し文句、「ヒマラヤに昇る満月をあなたは見たくないのですか」。それで何はさておき、同行する決心をしたのだった。(鹿取)
                          

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