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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 127 ネパール①

2025-02-07 10:46:10 | 短歌の鑑賞

  ホテルマウンテンリゾートの朝。左端に言い作見える隘路意山がダウラギリか背景の山は、たぶんただの山。この後の方に「ゆきゆきて六千メートルに満たざるはただ「山」と呼ぶヒマラヤ連峰」の歌が出てくる。

 

柳を植樹したカリガンダケ川の河原、後方はダウラギリ?こちらが西方向

 

ホテルから街道に下っていく途中から撮った隊商。ホテルはこの崖のずっと上に建つ。隊商の向かっている方向が東、つまりアッパームスタン

 

   2025年度版 馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子         司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


127 高き雲西へ去りゆき低き雲東へわたるニルギリの朝 
      
              (まとめ)
 ジョムソンはとにかく風が強いことで有名だそうで、時には風速50メートルということもあるようだ。そんな強風のイメージではなかろうか。ホテルにいて向かいのニルギリを眺めていると、強風に乗って高い雲は西方へ、低い雲は東方へ流れていったという。地図で見るとどちらかというとニルギリに向かって西が雄大なダウラギリが常に白い姿を見せていたポカラ方向。東がアッパームスタン、つまりチベット方向になるようだ。ただ東西の方向は厳密ではなく、「月は東に日は西に」のように「西に……東に……」という声調の方に重点がおかれているのだろう。132番歌に〈いつしかに弓月が岳に雲わたる声調を思へりき雲湧くヒマラヤ〉という人麻呂を下敷きにした歌があるが、ヒマラヤの朝の雄壮な情景をうたいたかったのであろう。(鹿取) 
 

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馬場あき子の外国詠 126 ネパール①

2025-02-06 10:11:39 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子         司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


 126 ニルギリは処女(をとめ)なり蒼き爽昧(ひきあけ)の光に染みてひたをとめなり

       (レポート)
 ことのほか美しいと思われる夜明けの「蒼き爽昧の光」にのぞんでいて、ニルギリが青みを帯びている様子を「蒼き爽昧の光に染みて」と言葉を置いている。「ひたをとめなり」と思いをこめて1首に2度までの措辞である。(慧子)  
          

              (まとめ) 
 「ニルギリは処女なり」というのは、人間に汚されていない崇高な処女峰だからだろう。また、2つの峰を持つ稜線は柔らかくて女性的である。その山に向かって化粧をしていた〈われ〉(124番歌 未踏峰ニルギリに対かひ化粧(けはひ)する水のごと冷たき朝のひかりに)は、朝の光に照らされてあけぼの色に染まっていく山の姿に見とれているのだ。あまりの気高さに言葉を失い「ひたをとめなり」と繰り返す。その畳みかけによって作者の高揚感が伝わってくる。「爽昧」を「ひきあけ」という和語に読ませているのも処女のやわらかさを出して効果がある。(鹿取)

 

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馬場あき子の外国詠 124 ネパール①

2025-02-05 12:00:54 | 短歌の鑑賞

   

    標高2700メートルのホテルから望む処女峰ニルギリ

 

  2025年度版 馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子         司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


124 未踏峰ニルギリに対かひ化粧(けはひ)する水のごと冷たき朝のひかりに

         (レポート)
 「未踏峰ニルギリ」をのぞむ宿の一室に朝のひかりが差し込んでいる。この聖域をおかすごとく「化粧する」のであろうか。いやいや、その朝も常のごとであろう。「未踏峰ニルギリに対かひ」一人の女性が朝の身支度をしている。(慧子)


           (まとめ)                  
  ネパールは北海道の2倍弱の狭い国である。人口は2649万。平均寿命は61歳、識字率は66%(2003年当時)。世界でも貧しい国の一つである。首都のカトマンズは奄美大島と同じくらいの緯度で亜熱帯に属するが、(私を含む)馬場一行二十数名は近藤亨氏のお招きで訪れたジョムソンは標高2700メートル、年間降雨量200㎜の乾燥地帯で、川のほかは瓦礫の大地と隆起した岩山があるばかり、年中強風が吹いている。アッパームスタンとは、ムスタンを南北で分けた北半分の名称で、南半分をアンダームスタンと呼ぶ。ジョムソンはアンダームスタンの中心地。一行はカトマンズから飛行機を乗り継いでジョムソンに入ったが、飛行機だとカトマンズから中継地ポカラまでは35分、ポカラからジョムソンまでは20分で着く。土地の人はポカラからジョムソンまで2日かけて歩くそうだ。(今は、バス便がある)
 一行が訪れたのは2003年の11月初旬だが、統計ではジョムソンの11月の平均気温最高は14.3度、最低は1.2度。東京は16.7度と9.5度ということは、ジョムソンは昼夜の気温差が大きく、夜は冷え込むということだ。四つ星のホテルだったがシャワーはぬるいお湯が少量出ただけ、ユタンポが配られた。夜中の戸外はどのくらいの気温だったのか、あるだけのセーターを重ね着した上にダウンジャケットをはおってもまだまだ寒かった。
 そんな地で近藤亨氏は、NPO法人ネパール・ムスタン地域開発協会を設立、ジョムソンで果樹園や魚の養殖場を作り、農業指導に当たっていた。「こしひかり」を実らせたアッパームスタンは更に高い所に位置する。標高3600メートルのガミ村にも農場があって、ジョムソンからガミまでは更に馬で2日かかるということだった。
 この歌は崇高な「未踏峰ニルギリ」と対峙するかのように、あるいはその崇高さの恵みを受けるかのように、旅人の〈われ〉が化粧する姿を描いている。早朝のひかりの寒さを水の冷たさに例えているが、心震える喜びが感じられる。ちなみにニルギリ山は標高7061メートル。ネパール、ジョムソン等のデータはwikipedia等から抜粋。また、近藤亨氏は病気で帰国され、2016年に九十三歳でお亡くなりになった。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 397

2025-02-04 11:24:28 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
            A・Y、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


 397 細き君おともなく来てありつるを鮠(はや)のごとしとおもう夕映え

            (レポート)
 鮠は細長く流線型をした小魚。夕映えのなかを音もなく現れるスリムな君は、まるでこの鮠のようにすばしっこいひとだと思う。現実に目にしているのではなく、夕映えの中に幻視のように立ち現れるのかもしれない。(鈴木)


             (当日発言)
★「女の子は鮠…」って歌がどこかにありましたよね。(鹿取)
★私はすばしっこいとは思わなくて、鮠のように細い、夕映えのように綺麗な人。(曽我)
★おともなくだからお上品な人。それを鮠のようだと例えている。(M・S)
★枕草紙の「すさまじきもの」に「ありつる文」って出てきて、それは先ほど自分が使いに持たせた手紙なんだけど、留守だったり物忌みだったりして持ち帰ってきたって場面があるのですが、「さきほどのあの手紙」ってすごくリアルで、「ありつる」って完了だから、さっきまで傍らにいたというまざまざと気配が残っている感じと読みました。鮠のようだったのは傍にいた時のほっそりしたみずみずしい感じの女性の余韻を美しい夕映えのなかで味わっている場面。(鹿取)
★じゃあ、実際いたんですか。(鈴木)
★ええ、歌の上ではそういう設定ですね。君という人があっという間に来て去っていく歌もありましたね。(鹿取)
★幻視かもしれないというのは、それでも残りますね。(鈴木)


              (後日意見)
 当日の鹿取発言の「女の子は鮠…」は、第2歌集『泡宇宙の蛙』にある歌だった。「あっという間に来て去っていく歌」という発言の歌は既に鑑賞した。(鹿取)
おんなのこは鮠(はや)おとこのこは鯰鯰のゆめはどきどきと鮠   『泡宇宙の蛙』 

夏の日の黄揚羽・電話そして君 突然に来て簡単に去る  『寒気氾濫』                                                  

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 396

2025-02-03 14:58:03 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


396 耳ぞこに紅葉のごとくひろがりぬうらわかき日のははの呼ぶ声

             (レポート)
 「うらわかき日のははの呼ぶ声」は音色として、紅葉のようにきらきらと明るく華やいでいたのだろう。その声がいまだに耳底に残っていて、ふとした弾みに、その声が蘇えってくるのだろう。(鈴木)
  ※本歌集最後の歌に次の歌がある。
どの窓もどの窓も紅葉であるときに赤子のわれは抱かれていたり


               (当日発言)
★「うらわかき日のはは」は〈われ〉の幼児期ですよね、きっと。お母さんのこと、男の子はみんな好きなんですよね。うちの母は若くて綺麗って。ま、大人になっても、お母さんが生きていても、男の人って基本的に母恋がありますよね。(鹿取)
★この作者はお母さんのことを歌われた歌が多いのですか?(A・Y)
★多いですね。お母さんを早く亡くされている関係もあるでしょうが、何度かシリーズでお母さんの死を歌っています。茂吉の「死に給ふ母」に匹敵するくらいたくさん。「ああ母は突然消えてゆきたれど一生なんて青虫にもある」(『泡宇宙の蛙』)は歌壇で物議をかもしましたけど、私はとてもいい歌だと思っています。(鹿取)
★松男さんはお母さんをとても愛していらして、何と良い声だろうと思っていらした。    (曽我)
★若い頃お母さんを亡くされたので母の若い声を思い出せるけど、うちなんか100歳超えて母が亡くなったので、若い頃の声なんか思い出せないですよ。(鈴木)
★この一連、性愛をうたってきて、でもこの辺で連の終わりに向けてゆるやかに着地しようとしている。前の歌「ふわっとなる一瞬がありつぎつぎと緋の梢から離れゆくなり」で緋色を出汁、この歌の紅葉で色を引き継ぎながら無理なく繋げている。(鹿取)

 

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