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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 49 アフリカ⑤

2023-09-05 11:12:16 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
           

49 衣裳まち鍛冶まち食のまちつづき路地ゆくは騾馬も人ももみくちや

      (レポート)
 フェズのスークには、衣料品を扱う店の続きに鍛冶屋さんがあり、食べ物を扱う店もあり、その細いいりくねった路地は、荷物をめいっぱい担わされた驢馬や人でごった返している。スークの状況を余すところなくよく伝えており、その匂いまでも伝わってくるようだ。「もみくちや」の語句が、この歌の中によく生かされている。(T・H)


      (まとめ)
 内容的には単純だが、句割れ・句またがりを援用して不思議なリズムを作りだしている。「騾馬も人ももみくちや」という表現も作者らしく、いかにも混沌としたスークの様子が活写されている。
土屋文明の「牛と驢が騾と驢が馬と牛が曳く車つづきて絶えざる朝の市」(『韮青集』)を思い出したが、こちらは昭和19年中国は大同雲岡で詠まれている。馬場の歌からも文明の歌からも活気に溢れた外国の街を面白がっている気分が伝わってくる。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 48 アフリカ⑤

2023-09-04 14:56:06 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
           

48 縫職(ぬひしよく)の前に必ず青年のありて見習ふ糸わざ・手わざ

      (レポート)
 今、ベテラン縫職老人の前に、見習いの青年が座って、縫い方や針の運びなどを教わっている。「糸わざ・手わざ」の語句により、その親身な教え方と、青年の真剣な目差しが見えるようだ。ここには、職人の体で覚えていくという原点が、よく出ている。(T・H)


      (まとめ)
 日本ではもうあまり見かけなくなった親方と弟子の関係が生きていることが「縫職の前に必ず青年のありて」で分かる。リズムは良いが聞き慣れない「糸わざ・手わざ」という語が、親方から弟子への伝授の細やかさを読者に伝えている。青年の指や体の動きや、一生懸命学び取ろうとしている若者の心のありようまで見えるようだ。歌から少し外れるが、若者がしっかりと伝統を受け継いでいるという点でそれは羨ましいことである。しかし一方、産業が充分に発達をみない国ゆえの継承である点、複雑な問題も含んでいよう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 47 アフリカ⑤

2023-09-03 11:26:27 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
  参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
           

47 職人のスークに一生きもの縫ふ青年の指の静かな時間

      (レポート)
 スークはご存知のように、イスラム世界独特の職人達の集まりの市場であるが、バザールとは違う。業種ごとにまとまって軒を連ねている。作者はその中できものを縫う青年に足を止められた。青年は一針一針真剣に作品に取り組んでいた。そのきものは地元の民族衣装なのか、輸出用のものなのか分からないが、ミシンを掛けているのではなく、青年は針を持って、真剣にどこかをまつったりしている。作者はその青年の指に目を止められた。ああ、彼はこうして一生針を持って過ごすのかな、と作者は「静かな時間」という言葉の中に、青年の未来とモロッコの国の未来を見つめておられる。一生、静かな時間という言葉に、既に決められた人生を歩む青年の悲しさが表されている。作者の青年に対する愛情、優しさが込められている。(T・H)


        (当日意見)
★人生が決められていてそこから逃げられない悲しさ。愛情をもって見守っている作者
 の気持ち。(崎尾)


      (まとめ)
 ここに詠われた青年はきものを縫って一生を生きるおのれの運命を受け入れているのであろう。懸命にものを縫う青年の指に注目して、静かに時間を流すことで作者はここに生きるほかない人々に思いを寄り添わせている。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 111

2023-09-02 11:22:14 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑫ 【愁嘆声】(14年2月)まとめ
       『寒気氾濫』(1997年)44頁~
       参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
        レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

111 公園のじゃまものもなく伸び果てしぶざまなる木を見て帰るなり  

      (レポート)
 公園にゆったり場を与えられて立つ木は、じゃまものもなく、傍若無人に伸びていてぶざまだ。だから見るには見るが、心をおかず帰るということだろう。人間社会の共存のことをかさねず味わいたい。作者には慣れ親しんだ林の樹々がいつも胸中にある。(慧子)


     (意見)
 公園は、公共の場であるから、通常それなりの体裁を整えているところが多い。ところが本歌の公園は、「じゃまものもなく」というところから、遊具などの設備もあまりなく、利用者も少ない、閑散とした公園がイメージされる。手入れもされず、アンバランスに伸び放題に伸びた「ぶざまなる」木は、公園全体の象徴のように思えるだけでなく、自由気ままに育った若者の姿のようにも思えてくる。(鈴木)


      (当日発言)
★鈴木さんと私は全く逆ですね。(慧子)
★でも、結句の解釈は同じですね。好きな木なら何時間でもいっしょにいられるんだけ
 ど、ぶざまなる木なので一瞥して帰るところはおふたりと同じです。あと、公園は整
 っていようが荒れ果てていようが、そもそも人工的なので作者としては嫌なんじゃな
 いかなあ。若者とのアナロジーはないと思います。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 110

2023-09-01 11:51:13 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑫ 【愁嘆声】(14年2月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)44頁~
     参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

110 ひとり夜にうずくまるとき闇よりも真っ黒なもの 犀のにおいす

      (レポート)
 夜になってひとりうずくまるときがあるのだが、それは闇より黒く「犀のにおいす」と孤独を詠っていよう。犀のごとくひとりゆけと仏陀は言ったが、存在の寂しさにたえて修行せよとの意味へ掲出歌を広げなくてもよいと思う。「真っ黒なもの」と突き放している。いずれにせよ「犀のにおいす」とは観念にたよらず、すぐれた結句となっている。(慧子)


     (意見)
 犀は、「地下に還せり」のなかでも、「犀の放尿」として詠われているが、この歌でも孤独の象徴としての犀に自らを重ねて詠んでいる。夜の底でひとり眠りに就くとき、闇よりも真っ黒なものに向き合っている孤独な姿(しかし独り生く気概を持つ)が、そこにはある。(鈴木) 
   

     (当日発言)
★生命を持つ存在として人間も動物も同じ、というのはよく分かります。孤独とか寂し
 いというような概念で捉えられる以前の、意識にはのぼらない原初的な存在そのもの
 のある黒い感じで、それを犀のにおいで捕らえているんだけど、レポートの「観念に
 たよらず、すぐれた結句」というのは全く同感です。(鹿取)
★鈴木さんは向き合っていると書いているけど、私は動物と向き合ってはいなくて、動
 物のように動物と同じ孤独感でもって自分もそこにいると思います。動物になりきっ
 ていて自分を対象化していないんです。鈴木さんのは知が勝った解釈です。(慧子)
★人間も動物も、どの個であっても「闇よりも真っ黒なもの」である、そしてそれはい
 わば「犀のにおい」がしている、動物だ人間だという点に差異はない、ということで
 すか?人間が学んできた智恵や知識を取り去って、とさっきおっしゃったのはそうい
 うことですか。それならよく分かります。(鹿取)
★ あと細かいことですけど、鈴木さんの「夜の底でひとり眠りに就くとき」は、うずく
 まるとは姿勢が違うので、眠るときとは違うかなあと思いました。(鹿取)
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