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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 406(中欧)

2020-04-24 18:03:56 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


406 カフカ棲みし青い家ふと覗けども小さな白い花が棲むのみ

            (レポート)
 黄金の小道と呼ばれて金細工師たちが住んでいた処にカフカも半年ほど住んでいたらしい。この町は夢遊病者のように歩き回れる迷路が多い。青い家と白い花はそのことをさしているのではないでしょうか。(N・I)


         (当日発言)
★レポートの「夢遊病者のように歩き回れる迷路」って、意味がとれません。(鹿取)
★黄金小路は昔、金細工師達が住まわせられていた狭い通り。まっすぐな道だからレポーターの
 いうような迷路ではない。(曽我)
★調べたらプラハ城の一角に黄金の小路と呼ばれる道がある。そこにカフカの仕事部屋が在っ
 たのではないか。鹿取さんから見せてもらった友人の旅行記によると、1945年までユダ
 ヤ人居住地があり、カフカ家もユダヤ人だったのでこの地に家があった。平屋の家を覗いたこ
 とをその友人は書いているが、仕事部屋として借りていたものではないか。(藤本)
★作者の頭には「変身」があって、カフカの住んでいた家を覗く時も何となく主人公が変身した
 虫を想像していたが、実際は虫ではなく花がすんでいたわ、ということで「棲む」という文字
 を使ったのではないか。(崎尾) 
★カフカのお父さんは貧しいユダヤの出身だが、商売に成功して裕福だった。お金が出来る度に
 どんどん広い家に引越をしたし、カフカも小説を書くために何度も家を借りた。ここもその一
 つだろう。観光名所となった「青い家」を覗いたら白い花が棲んでいたわという。カフカの創
 造の苦しみはあとかたもなかった、ということを言いたかったのではないか。(鹿取)


      (追記)(2012年9月)
 カフカの父はカフカが小説を書くのに反対だったが、3人の妹たちは小説書きを応援していた。 プラハ城内の黄金小路(=錬金術師通り)にあった「青い家」は末妹が借りていたもので、1916年11月から翌年4月までカフカが仕事部屋として使った。また1914年夏には上の妹の借りていた部屋を、その秋から冬には中の妹の借りた家を仕事場にしていたそうだ。
 一家は8回転居しており、最後は1913年から住んだ家で、中世の面影を遺す旧市街地に在る。辺りは古くから商業の中心地で、最後の家の斜め向かいの旧宮殿の一階には父が高級ブティック「カフカ商会」の店を構えていた。「青い家」へは自宅からカレル橋を渡って毎日夜食持参で通ったという。「青い家」は現在、本屋となっている。カフカの生家も最後の家のすぐ近くにあったが、現在は一部を残して別の建物となり「カフカ記念館」が置かれている。外壁にはカフカのレリーフが掲げられているという。(『となりのカフカ』(池内紀)等を参照) (鹿取)


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馬場あき子の外国詠 406(中欧)

2020-04-24 18:03:56 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


406 カフカ棲みし青い家ふと覗けども小さな白い花が棲むのみ

            (レポート)
 黄金の小道と呼ばれて金細工師たちが住んでいた処にカフカも半年ほど住んでいたらしい。この町は夢遊病者のように歩き回れる迷路が多い。青い家と白い花はそのことをさしているのではないでしょうか。(N・I)


         (当日発言)
★レポートの「夢遊病者のように歩き回れる迷路」って、意味がとれません。(鹿取)
★黄金小路は昔、金細工師達が住まわせられていた狭い通り。まっすぐな道だからレポーターの
 いうような迷路ではない。(曽我)
★調べたらプラハ城の一角に黄金の小路と呼ばれる道がある。そこにカフカの仕事部屋が在っ
 たのではないか。鹿取さんから見せてもらった友人の旅行記によると、1945年までユダ
 ヤ人居住地があり、カフカ家もユダヤ人だったのでこの地に家があった。平屋の家を覗いたこ
 とをその友人は書いているが、仕事部屋として借りていたものではないか。(藤本)
★作者の頭には「変身」があって、カフカの住んでいた家を覗く時も何となく主人公が変身した
 虫を想像していたが、実際は虫ではなく花がすんでいたわ、ということで「棲む」という文字
 を使ったのではないか。(崎尾) 
★カフカのお父さんは貧しいユダヤの出身だが、商売に成功して裕福だった。お金が出来る度に
 どんどん広い家に引越をしたし、カフカも小説を書くために何度も家を借りた。ここもその一
 つだろう。観光名所となった「青い家」を覗いたら白い花が棲んでいたわという。カフカの創
 造の苦しみはあとかたもなかった、ということを言いたかったのではないか。(鹿取)


      (追記)(2012年9月)
 カフカの父はカフカが小説を書くのに反対だったが、3人の妹たちは小説書きを応援していた。 プラハ城内の黄金小路(=錬金術師通り)にあった「青い家」は末妹が借りていたもので、1916年11月から翌年4月までカフカが仕事部屋として使った。また1914年夏には上の妹の借りていた部屋を、その秋から冬には中の妹の借りた家を仕事場にしていたそうだ。
 一家は8回転居しており、最後は1913年から住んだ家で、中世の面影を遺す旧市街地に在る。辺りは古くから商業の中心地で、最後の家の斜め向かいの旧宮殿の一階には父が高級ブティック「カフカ商会」の店を構えていた。「青い家」へは自宅からカレル橋を渡って毎日夜食持参で通ったという。「青い家」は現在、本屋となっている。カフカの生家も最後の家のすぐ近くにあったが、現在は一部を残して別の建物となり「カフカ記念館」が置かれている。外壁にはカフカのレリーフが掲げられているという。(『となりのカフカ』(池内紀)等を参照) (鹿取)


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馬場あき子の外国詠 405(中欧)

2020-04-23 17:12:14 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


405 人体はなまなまとして苦しげなりカレル橋いつ雪に埋もれむ 

          (レポート)
 カレル橋は城下町と旧市街地を結ぶために造られた石橋。両側の欄干には30もの聖者の像があり、フランシスコ・ザビエルを担ぐ東洋人の中には日本の武士の姿もある。多くの戦いを経験した橋故の聖者とはいえ生々しい人間くささを感じたのではないか。せめて清浄な雪が降って一刻でも苦しさを消したい願望なのではないでしょうか。(N・I)

           (当日発言)
★レポートの「フランシスコ・ザビエルを担ぐ東洋人の中には日本の武士の姿もある」については、
 そう断定していいのかなあという気がします。(鹿取)
★人体とは橋を渡っている人のこと。それはカレル橋でもあるがもっと抽象的な頭の中に存在する
 橋でもよい。お能の橋がかりのようなことも考えられたのじゃないか。そして人体は何となまな
 ましいんだろうと。良い歌だ。(慧子) 
★慧子さんがいうまでは聖像のことだと思っていた。服をまとってはいるが通る人に見られてなま
 なまと苦しそうだと。(崎尾)
★人間か聖像か迷ったが、下の句の関連からすると聖像。また「苦しげ」という言いまわしは観察
 者のもの。人間の内面をリアルに表した結果、苦悩を背負った多くの像がカレル橋には建つこと
 になった。「いつ雪に埋もれむ」は直訳すれば「いつ雪に埋もれるのだろう」だけど、苦しげな
 像たちを雪で覆ってやりたいっと思ったのではないか。(鹿取)
★前の歌からの関連で読むと当然聖像。たとえばザビエルひとりとっても苦しい生き様だったわけ
 だから。(藤本)
★なまなまを活かすと歴史を負った苦しみというのは違う感じ。(崎尾)
★私も藤本さんも歴史を負った苦しみとは言っていないです。人間の内面をリアルに彫った結果、
 聖像といえどもなまなまとした苦しげな様子で建っている、というのです。(鹿取)
★聖像だったらなまなましいとは書かないのではないか。(曽我)
★生々しいのはやはり歩いている人だと思う。頭の中には別の抽象的な橋があって、そこにも人が
 歩いている。現実のカレル橋を渡る人と、想像上の橋を渡る人とその両方の上に雪が降って包ん
 でくれないかなあと思っている。(慧子)
★慧子さんの解釈はよく分からない。なぜ抽象的な橋が出てくるのか。雪に埋もれさせるのは、聖
 像でしかありえない。(藤本)
★では、なまなまと形容されているのは、橋に建つ聖像、橋を歩いている人間、両方の意見があっ
 たということを書いておきましょう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 404(中欧)

2020-04-22 17:43:25 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


404 聖なるもの観光として見ることに疲れゐつ荘厳(しやうごん)のビート聖堂

          (レポート)
 大型聖堂の広い部屋にはそれぞれ名前の付いた20の礼拝堂がある。素直に観光客の心境を表していると思います。時間があったらその荘厳なるものと対峙したいとの思いが隠されている。
(N・I)


          (当日発言)
★荘厳なるものの目の前にいるのだから、N・Iさんの評はおかしい。自分の思想とはかけ離れ
 ているビート聖堂ということだと思うが。自分が担当した「マリアはこちらを見ない」という意
 味の歌に通じる。(藤本)
★「観光としてわが見るマリアわれを見ず初秋のやうにさびしきその瞳(め)」ですね。見るこち
 ら側の人間の質を問うている。信仰というものを突き詰めて考え(といって信者になるという
 ことではないが)もっと裸の人間として向き合いたいが慌ただしく観光で来ている今はそれが
 できない。聖なる対象との間にどうにもならない距離を感じていてじれったく、そのことが作
 者を疲れさせているのだろう。自分自身が変革されたかたちでしか荘厳なるものとの本質的な
 対峙はできないというのだろう。時間があればというN・Iさんの評もそこを補うとよかった。
     (鹿取)
★でも実際は観光として見る以外になくて、こちらが疲れ果ててしまうような重々しい聖堂だっ
 たのだろう。(K・I)

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馬場あき子の外国詠 403(中欧)

2020-04-21 20:19:32 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


403 ビート聖堂にミュシャの光と影ありて聖者さびしげに瞑目したり

         (レポート)
 天を突く鋭いゴシック様式の教会。窓はミュシャらの美しいステンドグラスで飾られている。その明るさの中に陰影の内面を見つめている様に作者は感じ瞑目のさびしさと捉えたのだと思います。(N・I)


            (当日発言)
★レポーターのN・Iさんには前回の曽我さんのレポートを送った。しかしN・Iさんの鑑賞はそ
 れを踏まえて書かれていない。これでは困る。(藤本)
★鹿取さんが毎回渡すレポーター用の注意書きには、①まず歌の解釈をする②自分の考えはそれか
 ら述べるとあるが、N・Iさんの批評には歌の解釈がない。(曽我)
★前回の402番歌(ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれは見てゐる)
 ではミュシャの光を、この歌ではミュシャの光と影を見ている。聖者は前回曽我さんが調べてく
 れたキリルとメトディウスで、チェコにキリスト教を伝えた二人。彼らが寂しそうに目をつぶっ
 ているという意味。(藤本)
★前回のまとめにステンドグラスの一部を拡大した図を入れた。拡大するとミュシャの特色がよ
 く見て取れる。ステンドグラスが大きすぎて聖者が瞑目している部分はよく分からないが、現
 地では見えたのだろう。前の人々が述べた意見をよく聞いてそれを踏まえた発言をするのは大切
 なことで、それをしない人がいると佐々木実之さんがよく苦言を呈していた。旅の歌の鑑賞は同
 じ国が何ヶ月も続いているので、以前の意見を踏まえることが特に大切だ。(鹿取)
★この歌はビート聖堂とミュシャに頼っている。「さびしげに」も私たちが使ったらアウトでは
 ないか。(慧子)
★でもビート聖堂とミュシャのステンドグラスは目の前にある事実だから頼っているとはいえな
 い。「さびしげに」が活きているかどうかの判断は鑑賞者によるかもしれないが、私は活きて
 いると思う。また「さびしげに」は作者の感情を直接表現したものではない。(鹿取)
★ステンドグラスそのものも陽光を受けて美しく輝いているだろうが、絵そのものに光と影があっ
 て、影の部分の一つに目を瞑った聖者がいる。光と影はもちろん精神のそれでもあるのだろう。
    (鹿取)
★キリスト教そのものが変遷している。時には迫害されたりもする。そういう哀しさを秘めて聖
 者は瞑目しているのかもしれない。(藤本)


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