かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 410(中欧)

2020-04-29 17:17:32 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
410 聖堂の薔薇窓にさす朝の陽のいつかしき暗き光を見たり

          (レポート抄)
 この一首は薔薇窓にさす暗き光を歌っている。陰を意識することで光はより輝いて目に映ったのであろう。4句のみが字余りであるがその細やかな調べから聖堂を支配していると思える荘重さが伝わってくる。キリストを太陽になぞらえて造ったとも、奇(くす)しきバラの花とも言われる薔薇窓の精巧さに、光の美しさに心を打たれているのであろう。人の手によって造られた聖堂に太陽の力をも生かしている人間にある創造力の不思議さを思う。(崎尾)

           (当日発言抄)
★「いつかしき暗き光」の言葉につきるのかな。実感として分かる。(鈴木)
★この窓は19世紀作、直径は11メートルで世界最大、2万6千枚以上のガラスを使用。(藤本)
★聖ビート大聖堂の正面を飾るバラ窓は「天地創造」がテーマ。高さは33mで、柱と天井が一体
 となって美しい星型を作りあげているそうだ。これは塔の中に入って見ているのでしょうね。と
 ころで、ステンドグラスと薔薇窓は違うものだけど、この薔薇窓には実際の太陽光が指している。
 そうすると409番歌(ステンドグラスの絵図にとこしへに苦しめる人ありそこに光とどかず) 
 の苦しめる人に届かない光と同じ太陽光かもしれない。もちろんどちらも表の意味は太陽光で、
 裏に比喩的な「光」を暗示しているとか重ねていることは十分にありえるけど。(鹿取)


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