かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  242

2021-06-13 18:21:01 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究29まとめ(2015年7月実施)
   【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)100頁~
    参加者:石井彩子、M・S、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


242 夏の日の黄揚羽・電話そして君 突然に来て簡単に去る 

         (レポート)
 夏の恋を匂わせながら、結句「突然に来て簡単に去る」のように気まぐれなものの一つとして詠っていよう。「夏の日の黄揚羽」が全体を思わせる序とも、独立の事物として「電話そして君」と並列していると思う。一首中の独立のフレーズのどこから読み始めても、どこへ繋げても意味が通る。241番歌(自転車を五月の街へ漕ぎ出だし回転をする君の白脛)の回転を文体として、ここで密かに試みていないか。(慧子)


        (当日意見)
★M・Sさんが「記号って短歌に使ってもいいの?」とおっしゃったんだけど、ここでは
 「・(なかぐろ)」が使われていますよね、並列を表す為に。ところで、慧子さんのレ
 ポートの「回転を文体として、ここで密かに試みていないか」というところを、具体的
 に説明していただけますか。(鹿取)
★「夏の日の黄揚羽・電話そして君 突然に来て簡単に去る」の歌は3つのフレーズに別
 れていて、どこから始まっても意味が通る。そのことです。(慧子)
★自転車を漕いで回転をする君の白脛を、回転する文体として具体的に書くとこんなふう
 になるっていうこと?(鹿取)
★そうです。自転車の回転から地球だって回転しているしという思いが作者にあったので
 はないかと?それを241番歌でうまく説明ができなかったのです。242番歌はぐる
 ぐると終わらない文体なんです。(慧子)
★242番歌がどこから始まっても意味が通る歌だとしても、回転をする白脛を文体とし
 て242番歌で試行してみせたというのは、突飛過ぎる考えで説得力がないと思います。
   (鹿取)
★どこから始まってもと言われたけれど、やっぱり夏の日が最初にくるのがいいと思いま
 す。突然に来て簡単に去るものを順番にあげているようですが、ちゃんといいものをあ
 げていると思います。(M・S)
★そうですね、アトランダムのようで詩的に出来上がっていますよね。黄揚羽のキ、君の
 キ、来てのキと歯切れのよいキの音を連ねて心地よいリズムを生んでいます。夏の日が強烈な
 んだけど他の物はなんとなくはかない感じですよ。黄揚羽が突然目の前に現れてあっとい
 う間にいなくなってしまうように、君からの電話も君自身もあっという間に目の前から去
 ってしまう。最近の若い人がうたっているようないわば平べったい言いまわしなんだけど
 上手くつかめていますよね。まあ、去られるのもここでは甘い痛みなんでしょうけど。
 「突然に来て簡単に去るもの」って三つまとめて、「枕草子」みたいで楽しいです。(鹿取)


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