ブログ版清見糺の秀歌鑑賞 12 ジンベイザメ 鎌倉なぎさの会 報告 鹿取未放
93 ぬばたまの剣林地獄におとされて一休禅師とまみえたきものを
「かりん」96年6月号
以前にも「一休の、良寛の恋おもうときわれは年端もゆかぬおとこぞ」(かりん94年2月号)の歌を鑑賞したが、いわゆる頓知で知られる一休宗純禅師(一三九四~一四八一)は鎌倉時代の人で八七歳で亡くなる晩年の十年ほど、盲目の旅芸人森(しん)と恋愛関係にあった。自作の漢詩集『狂雲集』にその濃厚な恋の歌を載せている。女犯(にょぼん)、飲酒、肉食をし、破戒僧とも生き仏とも呼ばれた人である。作者はそういう一休に心酔していたのだろう。その一休はおそらく愛欲の果てに剣林地獄に落とされているに違いない。自分もいずれ一休と同じ剣林地獄に堕ちるだろう。そこでお目にかかりたいものだというのだ。苦い諧謔である。(鹿取)
93 ぬばたまの剣林地獄におとされて一休禅師とまみえたきものを
「かりん」96年6月号
以前にも「一休の、良寛の恋おもうときわれは年端もゆかぬおとこぞ」(かりん94年2月号)の歌を鑑賞したが、いわゆる頓知で知られる一休宗純禅師(一三九四~一四八一)は鎌倉時代の人で八七歳で亡くなる晩年の十年ほど、盲目の旅芸人森(しん)と恋愛関係にあった。自作の漢詩集『狂雲集』にその濃厚な恋の歌を載せている。女犯(にょぼん)、飲酒、肉食をし、破戒僧とも生き仏とも呼ばれた人である。作者はそういう一休に心酔していたのだろう。その一休はおそらく愛欲の果てに剣林地獄に落とされているに違いない。自分もいずれ一休と同じ剣林地獄に堕ちるだろう。そこでお目にかかりたいものだというのだ。苦い諧謔である。(鹿取)
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