かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 202,203

2024-02-12 12:02:54 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究24(2015年2月実施)
   【単独者】『寒気氾濫』(1997年)83頁~
    参加者:かまくらうてな、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放
            
  ◆欠席のS・Iさんから、まとめ後にいただいた意見も載せています。
    

202 生きている身熱ならん風の日を栃の冬芽がねばねば光る

    (当日意見)
★「ねばねば」って視覚的なねばねばなのかな?(うてな)
★「ねばねば」は視覚だけじゃなく、「身熱」ってありますが木の生命力とかエネルギ
 ーを綜合した形容なんでしょうね。(鹿取)

  (後日意見)
 木の内部の生命のいぶきをねばねば光ると視覚化して捉えているところがいいです ね。(S・I)


203 樹は内に一千年後の樹を感じくすぐったくてならない春ぞ

    (当日意見)
★一千年後という途方もない時間を木自身が感じ取っている。それをくすぐったいとし
 かいいようがなかった。それだけでは歌にならないので最後に「春」と入れた。
   (慧子)
★この歌大好きです。春の成長期に、内から膨張していく感覚を木自身がくすぐったく
 てないらいって感じている。だから「春」はつ付け足しでは無いです。樹齢数千年っ
 て木があるから、一千年後だってこの木はじゅうぶん生きているんですね。(鹿取)
★千年杉とかありますからね。その木の過去の一千年に思いを致すことはあるけど、先
 の一千年後を感じていると目を付けたところが素晴らしい。希望なんですね、
 これ。(鈴木)
★そうですね、樹齢三千年と言われると私なんかこの木は人間のどんな歴史を見てきた
 んだろうと思うけど、松男さんは樹木自身の未来を見ているんですね。(鹿取)


     (後日意見)
 一千年後とは人間にとって途方もない時間であるが、樹にとっては自然な時間単位なのかもしれない、春が来て動植物が蠢くころ、木もむず痒く、くすぐったい感覚を覚えるのであろう。成長してゆく木のおかしみのようなものが表現されて、いい歌です。(S・I)
コメント
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