かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

写真入り馬場あき子の外国詠 161,162(ネパール)

2021-05-19 16:54:40 | 短歌の鑑賞

        カトマンズの通り


        公衆の洗い場なのであろうか、体や髪を洗う人たち

  馬場あき子の外国詠 20(2009年8月実施)
    【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)94頁~
    参加者:N・I、Y・I、泉可奈、S・S、T・S、曽我亮子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放           
    レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
              

161 街の角曲がれば大き牛の尻ありてわが顔圧倒されぬ

         (レポート)
 ヒンドウ教では牛は神聖な動物として尊敬されている。牛が町中を自由に動き回っている。先生は町の小路で、牛の後ろ姿・お尻に出会われ、ぎょっとされた状況がよく表わされている。(T・H)


        (当日意見)
★顔と言っているところがよい。牛の尻と顔でお互いの高さが出ている。(慧子)


         (まとめ)
 街角の出会いがしらに、車ならぬ牛の尻がぬっと目の前に現れたことのおもしろさ。(鹿取)


162 牛の尻ゆつたゆつたと行くあとに優雅なるわがバスは従ふ

        (レポート)
 バスは警笛も鳴らさず、牛のゆっくりとした歩みに従って、ゆるゆると動いている。郷に入れば郷に従え、じっとがまんの時である。(T・H)


       (意見)
★「ゆつた」「ゆつた」「優雅」とユ音が続いている。(慧子)


        (まとめ)
 牛を傷つけると刑罰を受ける。ゆえに車は牛に遠慮して走るわけだが、旅行者としては珍しい風俗ゆえ、牛の後をのろのろと進んでゆくバスを楽しんでいる。少なくとも同行した私はいらいらすることもなかった。この歌も「じっと我慢」の心境ではないのだろう。「優雅なる」はやや皮肉を効かせているが、だからといっていらだっているのではない。慧子さんの発言にみられるように、「ゆつた」「ゆつた」はいかにものんびりとした牛の描写であり、ユ音の連続はゆったりとした穏やかな心境を伝えている。そういえば、ネパールで真っ先に覚えた言葉が「ビスタリ、ビスタリ(ゆっくり、ゆっくり)」であった。(鹿取)
コメント
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