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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の23

2020-05-18 19:11:05 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究3【地下に還せり】
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      司会と記録:鹿取 未放(再構成版)


23 同性愛三島発光したるのち川のぼりゆく無尽数の稚魚

★三島が同性愛だったこと、発光は切腹をあらわすこと。それを境にしてというわ
 けではないけど同性愛が途方もなく広がって行ったこと。それがこの歌の解釈で
 す。発光をどう捉えるかに苦慮しました。(崎尾)
★上の句と下の句は全く関係のないことがら。これを歌としてどう結びつけるのか、
 どう繋げて解釈をするのかをお聞きしたい。(鹿取)
★上の句は読者をびっくりさせる。あとは普通に読んだらいいのでは。発光は性的
 なエクスタシー、無尽数の稚魚は精子。それで解釈できるが、これだけではつま
 らないので頭に同性愛を入れたのではないか?(慧子)
★すると同性愛はこの一首で重要ではないわけ?(崎尾)
★いや、崎尾さんのように読むと広がりが出ていいかも。(慧子)
★同性愛の三島がそれを世間に発表したので、そういう気持ちを持っている若者達
 が稚魚のように多く続いたということかなあと思ったけど。(曽我)
★これを契機に他のこともどんどん解禁されていった。他人はどうでもいいとか夫
 婦別姓とか日本は悪い方向に行った。(崎尾)
★いや、歌を道徳的な意味合いに広げるのは反対です。話が出たので言いますけど
 三島の同性愛が契機になっていろんなことが解禁されたって、どこにそんな根拠
 があるんですか。それにどうして同性愛から「他人はどうでもいい」に繋がるん
 ですか。同性愛は悪、夫婦別姓も悪と決めつけているけど、同性愛は生まれつき
 の性向だから他人がどうこう言えることではないし、夫婦別姓に関しては様々な
 考え方がある。三島は確かに同性愛をカミングアウトしたかも知れないけど、そ
 れで同性愛が増えた訳ではない。人目につきやすくなったことはあると思うが。
 有史以来同性愛はあったし、僧坊にだって教会にだって武家社会にだっていくら
 でもあった。生まれつきの性向という面のほかに、男だけ女だけの社会という特
 殊な状況もある。私は慧子さんの説に同意します。そして放出された精子のイメ
 ージとして無尽数の稚魚が置かれている。それが生まれ故郷を求めて川を遡るの
 だが、この辺りはわりと爽やかなイメージがある。(鹿取)
★では発光が切腹のことだというのは間違いなのね?(崎尾)
★私は「発光=切腹」とは思わないですが、三島と言われたら誰でも切腹の情景は
 思い浮かべますよね。解釈については、作者に聞いた訳じゃないから何が正しい
 かなんって分からない。もしかしたら作者にだって分からないかもしれない。だ
 からいろんな解釈があっていいんじゃないの。(鹿取)
★では男性なら誰でもよいのに、なぜ三島をもってきたんだろう。(崎尾)
★男性なら誰でもいいわけじゃないでしょう。「同性愛○○」って誰も知らない名
 前持ってきても歌にならない。三島の切腹事件には作者も衝撃を受けたのでしょ
 う。文学者としても興味があるでしょう。(鹿取)




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