かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞

2020-05-28 16:56:00 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 3  ピエタ  
               かりん鎌倉支部  鹿取未放     

11 わが窓は紺青の海あるときはモビーディックを泳がせている

 この歌の出典がどういう訳か見つからないのだが、「かりん」94年6月には次のような柔らかで明るし、しかし少しの倦怠感のある歌が載っている。
  あわあわと春の光りをあつめゆく雲の時間を窓に見ている

 また掲出歌と同時期にこんな歌も書かれているが、雲の時間の繊細な感じとは違うニュアンスの心のささくれが見えるような歌たちである。
  団らんという幻影の失せてより時は久しく窓に在りにき
 団らんと思っていたものはそもそも幻影だった。その幻影が過ぎ去ってから自分はどのくらい長く窓を眺めて暮らしてきたことだろう、というのだろう。

 さて、11番の掲出歌のモビーディックは、米国人メルビルの小説『白鯨』の白い抹香鯨の名前。モビーディックに片脚を奪われた船長が白鯨を追いつめ共に海底に沈む話。窓から見える青空を海に、白い雲を白鯨に見立てているのだろう。船長が白鯨と格闘している勇壮なさまを夢想しているのだろうか。あるいはモビーディックに復讐の執念を燃やす船長のように、来し方の人生をひっくり返すべく作者も起死回生を夢見ているのだろうか。はたまたモビーディックは生きのよい女体の喩か。いずれにしろ、雲とは思えないほどダイナミックな印象のある歌。

 そして次に並んでいるのがこの歌
    わが窓は雲の通い路あかねさすスカーレットも過ぎてゆきます
 対になったこちらの歌は、あかね色の雲を見て「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラを連想し、過ぎ去った恋がふとかすめたのか、あるいは現在の恋人のことを思っているのか。結句の口語が新鮮である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする